ある日の昼食時、またしても一人で離れようとする白石を千歳が馴れた手つきで引き留めた。
「あ、いえ…遠慮やないんです」
白石はそう言いながら、三人を振り返らない。
「ほななんで?」
「………」
「あ、弁当なんすね。ご飯。買ったんやのうて」
白石の手元にあるのは、手作りとおぼしき弁当箱。
「……」
白石は観念したらしく、三人のテーブルに座って、箱をあけた。
その見事なできばえに、三人が褒めるより早く。
「これ、俺が作ったんやないんです」
「…え?」
「あ、そういや…白石さんって、家族と一緒に?」
「いえ…」
じゃあ誰だ。
「…俺は、その…料理ダメなんです。卵焼きすら食べ物て呼べん代物になるから…。
でも、その、俺が上京するん心配した幼馴染みが…一緒に住んでくれてて。
作ってくれるんで…」
「へー」
「……あ、れ…あの、笑わない…んですか?」
「なにが?」
「……いえ、俺が料理だけダメって知るとみんな笑うから」
どうやらそれで逃げようとしたらしい。
「別に? 俺かて料理ダメですよ?」
「そんなお前を病気の所為で嫌ったヤツの嫌味みたいなこと言わへんし」
「…そ、そうですよね。よかった」
白石もなにも本気で疑ってないとわかる。ただ恥ずかしい気持ちもあるのだろうとわかった。
内心、面白くないのは千歳だ。
「白石」
「はい?」
「…その、幼馴染みって…男? 女?」
神妙な面もちで聞いた千歳に、首を傾げながら。
「男です。中学の同級生でもあって」
「…男」
「うわ、千歳先輩気にしてはる…」
「まあなぁ」
「あ、そうや」
気付かない白石が、ぽんと手を打った。
「紹介しときたいし。この後オフですよね?
俺ん家来ませんか?」
この言葉には、千歳のみならず謙也も財前も頷いた。
住宅地を行ったところに、そのマンションはあった。
自分の階について、通路を歩く白石がふと言った。
「あ、そういえば…」
「ん?」
「…あの、俺…謙也さんのこと“謙也”さんて…呼ぶやないですか」
「ああ…」
謙也たちも気になっていたことだ。理由聞いていいか?と言うとはい、と。
「…その、一緒に住んでる幼馴染みも“忍足”て名字なんです。
やから、忍足さん、て呼ぶとその幼馴染みとごっちゃになるんでつい…。
すいません」
「…へえ、忍足って名字なんか。世間狭いな、謙也くん」
「……」
「謙也くん?」
「…気のせい、やんな…?」
明後日を向いて呟いた謙也を余所に扉の前までたどり着いた白石があ、開いてる、と開けた。
「表札に名前書けばええんに、居候やからって遠慮しとるんです。
家賃俺の親が持ってるから」
言いながら千歳たちを玄関にあげた白石が中を呼んだ。
すぐ足音がして、黒髪の眼鏡の青年が顔を出す。
「おー、蔵ノ介。おかえり。そいつらが?」
「うん。千歳さんに、財前さんに、謙也さん」
「…………」
彼はそこまで聞いて三人を見て、ぶっと吹き出した。
「…ほんまにお前やってんやなぁ…? な、ボ謙也?」
「…やっぱお前やったんか侑士」
「へ? 侑士、謙也さん知ってんの?」
「従兄弟」
「へ!?」
「謙也は俺の従兄弟やで。ごめんな説明せんで。まさか蔵が謙也と会うてるなんて思わんかったし」
「……そうなんや」
ぽかんとする白石もそうだが、千歳と財前も驚いた。
「謙也くんの従兄弟…」
「…すごい縁たいね」
「…ほんまにな」
「ああ、そっちの二人に説明。俺、忍足侑士。
十八で、謙也の従兄弟で蔵ノ介の幼馴染みな」
「はあ」
「…どうも」
まああがれ、と招いた侑士に白石が後を追う。
三人も顔を見合わせ、あがった。
「でもよかった」
「なにが?」
「侑士が謙也さんの従兄弟なら、侑士から聞けるなって。謙也さんのこと」
リビングで嬉しそうに言う白石に、そやな、と謙也は言うしかない。
「…白石さん、付かぬこと聞きますけど」
「はい?」
「…謙也くんの従兄弟さんって…白石さんの彼氏?」
「…いいえ?」
きょとん、と否定した白石に、財前はだそーですよ、と千歳に振る。
「俺にふらんで」
「あんたが聞け言うたんでしょ」
「う…」
「…? あ、そや。お茶菓子どっかに」
「確か棚の奥や」
侑士が言うと、わかったと白石がダイニングに消えた。
そこで侑士は意地悪く笑って。
「千歳やっけ? 自分、蔵ノ介が好きなんや?」
「う」
「…別に反対はせんよ? 俺別に彼氏やないし。蔵が好きになった奴なら誰でも。
ただ、…大変やと思うけどな」
「……男同士ダメ、とか?」
あの外見ならあり得る、と言った財前に侑士はいんや、と首を振る。
「そういうのもないヤツや。ただ、人付き合い皆無以前に、あれ、鈍いねん。
強烈に。
やから、ただ“好き”とか言うたんや“俺も”って友人の意味で返されて終わりやんで?
絶対“抱きたい”とか言うても“どうぞ?”とかスキンシップやと思う奴なんやから。
相当細かく告白せんと、理解してもらえんで?
…そういう意味の大変。鈍いから、遠回りな言い回しやと絶対気付かん」
「ああ、それは大変ですわ」
「…千歳、やからって押し倒すんはなしやで」
「……我慢すったい」
向こうから、意味のわからない白石が帰ってきた。
「こういう番組もあるんですね」
その日は千歳と白石だけの別番組への依頼があった。
「うん。俺達の事務所結構バラエティ色強いけん、こういう番組も出ること多か」
撮影で来たのはある湖畔。モーターボートに乗って、また戻るまでにお題を一番多く消化したグループの勝ちという、いかにもなバラエティ。
それぞれ二人参加だった。
(ばってん、気をつけんと)
そう思うのは、先日の番組のせいだった。
先日にあったのは、夏に相応しいプール大会。
まあ、プールに並べた板を渡るとか、騎馬戦とか。そういうものだ。
それに白石を出さないと決めたのは、あの幼馴染みの侑士の一言だった。
『ああ、あいつんことそういう番組に出したらあかんよ。
あいつ塩素アレルギーやねん。
一回死にかけたことあるから』
それはダメだ、ということで謙也たちも白石だけ見学という話にした。
「あれ? 新メンバー出ないのか?」
「黒羽ーお前また仮にもアイドルがそんな鮫のかぶり物してからに…」
一応ランキングは競うがあまりに人なつこいというか人が良すぎて警戒心が浮かばないグループのメンバーである黒羽の頭には鮫のかぶり物。
こういうやつだ、と財前の目も語っている。
「いやいや今度こそお前らに勝つという意気込みをな?」
「俺らは別にええもん。ランキング勝っとるし」
「かーっむかつくな! で? 新メンバーは?」
全然むかついてないでしょ、と財前。
「白石は見学。あいつ塩素アレルギーやから」
「ああそっか。じゃあ仕方ねえなぁ」
あっさり納得、いいヤツだ。
ひらひら手を振る白石は、そういうことは泳げないのだろうか、と顔を見合わせた。
進み出したボートの上で、白石は暢気に水面を眺めている。
「なんか楽しいです」
「そっか。よかった」
「俺、こういうのもう全部初めてで」
「白石が楽しいなら俺もよか」
「ほんまに?」
「うん」
「…よかった」
そう素直に微笑むのが、本当に可愛くて困る。
「おい、あれ本当なんだろうな?」
「ああ、白石は泳げないんだ。金槌だってよ」
「じゃあ…」
「あ、千歳さん…」
白石が不意に振り返った時だ。
背中をいきなり押されて、びっくりする暇なく湖に落ちたのは、白石ではなく、千歳。
「ち、千歳さん!?」
飛沫があがるのはもう下方だ。
「す、すいません止めてください! 千歳さんが!」
前に向かって叫びながら、でも千歳さんは泳げた筈、と落ち着こうとする。
「お、おい千歳の方を落としてどうするんだよ!」
「い、いや間違えた!」
「…っ!?」
背後を振り返ると、千歳を突き落としたらしい二人と目があった。
「…あなたたちが千歳さんを…?」
「あ、いや…」
人に向かって初めて声を荒げようとして、下を不意に見遣って頭が冷える。
「え…」
(浮かんでこない…え、まさか!)
「…足つった…?」
溺れてる、と理解した瞬間、白石は足を淵にかけて、湖に飛び込んでいた。
「え? あいつ泳げないんじゃ…」
「泳いでるけど…」
思わず見遣ったその二人が、え?と顔を見合わせた。
(いた!)
千歳を水の中で見つけて、潜ると手を掴んで、肩に乗せそのまま上昇した。
「っ」
水から顔を出すと、岸まで泳ぎ、その身体を引き上げる。
「千歳さん!」
(…どうしよっ…息してない…っ)
「…えと、…確か」
そのまま鼻をつまんで唇を重ねた。
何度か繰り返すとせき込んだ千歳が、ぼんやりと瞳を開ける。
「あ、千歳さん! …よかった」
「…しらいし?」
「…あ、はい。大丈夫ですか? 苦しくないですか?」
「…いや、平気たい」
起きあがった千歳に安堵する。
「すいません、なんか俺と間違って突き飛ばしたらしくて」
「…白石を? なんでん」
「あの、多分この間のプール番組で見学してた俺を、塩素アレルギーやなく金槌と勘違いしたみたい…」
「ああ……泳げるとか?」
「はい、普通に」
「…そっか」
「…千歳さん? どうしたんですか? ずっと口、押さえて」
「……」
千歳はずっと口元を押さえて、その顔は少し赤い。
「……?」
「…白石」
「え」
「すいません! 大丈夫ですか!」
「あ、はい! 今行きます」
戻ってきた番組のスタッフの声に答えて、立ち上がった白石に声がかかる。
「…今、俺に、…したと?」
「え?」
「…人工呼吸」
「あ、はい」
「………口に、その」
「………」
そこで理解する。キスしたのか、と千歳は聞きたいのだ。
思わず赤くなって手を振った。
「で、でもこういうのってノーカウントなんですよね? 無効ですよ無効!」
ですから気にしないでくださいとあわてた白石に、千歳は軽く俯いて、それでも赤い顔でいう。
「…いや、それは出来なか」
「…え?」
「…カウントしても、よか?」
言われて、頬が一気に熱を持った気がした。
「…え、あの…それって……」
どういう意味、と問おうとして背後からスタッフに更に呼ばれて、身体が跳ねた。
そちらに向かいながら、顔が赤いのが治らないと、頬を押さえた。
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