blind summer fish

第四話−【ラブソング】



 あの番組以降、白石と千歳の空気がおかしい、と気付いているのは俺だけではない、と財前は思う。
(千歳先輩見るたびに白石さんは真っ赤になるし…千歳先輩もおかしいし)
 まさか押し倒してへんよな、と思いながら昼食を買いに出た時だ。
「あ、あの財前さん!」
「あ、白石さん?」
「あ、あの…」
「…どないしたん?」
 白石から声をかけてくるなんて珍しい、と振り返る顔には好奇心も浮かぶ。
「…あの、…ちょっと、相談、乗ってもろてええですか?」
(……)
 びっくりした。
「俺に? 謙也くんやのうて?」
「…はい。謙也さんは…ええ人やけど…」
「…千歳先輩はあかんか?」
「…はい」
「ま、ええです。じゃ、ちょっといつものスタジオ行きましょか」
「はい」


「で、なに?」
 買ってきたパンを開けながら、途端口ごもる白石を焦らせないように促した。
「…あ、あの」
 可哀相な程真っ赤になって縮こまる彼に、胸に浮かぶのは所謂優越感。
 口元を隠して、ひっそり笑う。
(…相談で、謙也くんやあの千歳先輩を差し置いて頼られるっちゅーんは…気分ええわ。
 惚れてへんけど、気持ちええな…。やっぱかわいすぎやこの人)
「あの…、千歳さんの…っ…ことなんですけどっ」
「……千歳先輩の?」
「…はい」
「……先に一個聞いといてええ?」
「はい?」
 顔を思わずあげた白石に真顔で。
「押し倒されたん?」
「まさか!!」
「…あ、ちゃうやんな…。すいません」
「…い、いえ。大声出してすいません…」
「いえいえ…で?」
「…あ、あの…、この間の、二人で出た番組、あるやないですか」
「ああ」
「…あれで、千歳さん溺れましたよね?」
「ああ、嫌がらせな…それが?」
「…その時、俺、千歳さんに人工呼吸したんです。あ、もちろん変な意味やなくて!
 けど、こういうのって無効ですよねって俺が言うたら、千歳さん…」
「………」
「…千歳さん…、“カウントしていいか?”……って」
 白石は耳まで真っ赤にしてうつむきながら、ズボンを両手で握って言う。
「…あれ…って、どうとったら…ええんかな…?
 無効なんに…普通、男同士なんて気持ち悪いんに…。
 カウントしたいって言うんは…その、つまり…」
「……白石さんは、千歳先輩が自分に気があるんやないか、って思っとるわけですか」
「…じ、自意識過剰かもしれへんって忘れよ思ったんですけど…。
 でも……ほんまに千歳さん…が、俺んこと…好き…なら…好きになってくれてんなら…。
 俺は…」
「…案外鈍くないやないか」
「え?」
「いいえ」

(謙也くんの従兄弟さんが言ってたん…間違ってたわな。鈍くないない。
 少なくともあの意思表示でちゃんとわかる人やってんな)

 ちょっと感心した財前だ。
「で、千歳先輩が自分を好きなら、…白石さんは、…受け入れたいってことですか?」
 応えたいってこと?
「……ずっと、考えてたんです。俺、ずっと友だち一人もおらんかったから…。
 やから…っ、どういう“好き”が、恋愛の好きかわからんくて…。
 やから、これも…ただ舞い上がってて勘違いしとるだけやないかて…。
 千歳さんも謙也さんも財前さんも…すごい好きやから…、一緒におるんすごい嬉しくて…幸せで…でも、他に比べる人おらんくて…あ、比べるって失礼なんわかってます!
 やけど、もし俺の千歳さんへの好きが普通の好きやったら、それで応えたら傷付けてまうって!」
「ちょ、白石さんストップ!」
「……っあ…」
 その唇にそっと指をあてて、深呼吸してと促す。
 言われた通りにする白石に、落ち着いた?と聞くと自信ないと細い声。
「…あんた、パニック体質やろ」
「……わからんけど、そうなんですか?」
「そうやって。言うてる前後が矛盾する人はパニック体質」
「…しらんかった」
「…で、落ち着いたとこで…、結論は出たんですか?」
「……俺、」
「うん」
「…俺、…千歳さんのこと…好きなんやと思う…。
 ちゃんと、恋愛で…一人の男として…あの人が好きなんやって」
「…そか。…で、どないしたい?」
「…千歳さんが、俺んこと好きになってくれたなら…、……俺」
 途切れた言葉の先を辛抱強く待つと、赤い顔がそれでもはっきりと決意したようにあげられた。
「…俺は、千歳さんに“好き”って言いたい」
「…そか」
「それから、どうなるか全然わからんし…怖いんもあるけど…。
 ……あの人の傍におりたい。なれるなら、あの人の特別になりたい」
 白石が、精一杯のように微笑んだ。
「…“あなたが好きです”って、言いたい…」
 その後、少し照れたように、“ものっそう恥ずかしいけど…”と掠れ声が付け足した。
「…上出来」
「え?」
 くすくすと笑いながら、財前は買ったパックジュース片手に立ち上がる。
「それだけわかってて、決心してれば上出来や。
 ほな、色々決めよか? 一人で告白どないしたらええかわからんから俺に聞いたんやろ?」
「…あ、はい!」
「とりあえず、謙也くんは巻き込まん方がええな。疎くはないんやけど、あの人に知られると多分、すぐ千歳先輩にもバレる」
「……あー、実は、俺もそう…」
「…あんたに言われたら、謙也くんお終いや」





「なんか、最近光と白石、仲ようない?」
「そですか?」
「うん、よう二人きりで話しとるし」
 休憩中のスタジオで聞いてきたのは謙也だが、ちらちらとこっちを見る辺り、気になっているのは千歳の方だ。
「まあ、ちょっと」
「ちょっとってなんやねん」
「俺やないとあかんので」
「は?」
 あからさまに千歳が反応した時だ。歌詞のチェックに出ていた白石が帰ってきた。
「どないしたんですか?」
「あ、いや」
「?」
「ああ、白石さん。今日どないする?」
「ああ、…ほなお願いしてええ? えっと、…いつものとこでええかな」
「ええですよ」
「ほんま? よかった。
 あ、ほな今日はいつも飲んでんのおごるし」
「ども」
「ありがと。光。
 あ、すいません話折って。チェックお願いしたとこ問題ないそうです」
「あ…ああ」
 次なんやったっけ、と考え込む白石を余所に、謙也は千歳を引っ張って小声で。
「おい、なんやあの親密具合。
 いつの間にか光に敬語使わんようになっとるし。おまけに“財前さん”やのうて“光”」
「……っ」
「もしかして、光、…白石に落ちたんちゃうんか?」
「…っ!」
「どないしてん二人とも」
「光!」
「なに? 千歳先輩」
「……白石、と…なに話しとうね…?」
「…あ、ああ」
 後輩が意地悪く笑って、わかるでしょ?と一言。
「あの人としてる話なんて、…恋の話以外にないでしょ」
「…っ」
「まあでも、ちょっと優越感ですわ。あんたより俺選んでくれるとは思ってへんかったし」
「そ」
「そ?」
「そげんこつは許さなか!」
 いきなり大声を出した千歳に、余所を向いていた白石もぎょっとして視線をよこす。
「なにが?」
「光が白石を好いとうはしょんなかばってん、俺も白石を好いとう!
 白石が光を好きでも俺は白石を誰にも渡したくなか!」
 背後でばさ、と紙の落ちる音がした。
 はっとした千歳が振り返った時には遅く、耳まで真っ赤にした白石が唖然とこっちを見ている。
「…ち、ちと…せさ…」
「…あ、い、いや…白石…っ」
「なんて、嘘ですわ」
「え!?」
「白石さんと俺は恋人やないです。俺は白石さんに好きな人が出来たから、その相談受けてただけ」
「…白石に、好きな…」
「あ、あの千歳さ…」
「あとはお二人でごゆっくり。ほなちょっと席はずそか、謙也くん」
「お、おう…」



 二人きりになったスタジオはがらんとしていて、流れるBGMもない。
「…あ、あの…」
 一言も話さない千歳に、切り出したのは白石だった。
「あの、俺が好きなんは…」
 誤解したかもしれない。他に好きな人がいるって、千歳以外の人が好きなんだって。
 俺が好きなのは。
「……好いとうヤツは、白石の気持ち知っとうね?」
「……い、いえ…知らない…です」
「なら、言わんと」
「…あ、いえ…そうやのうて」
 そんな応援が欲しいんじゃない。
「…ばってん俺の気持ちばかわらんから」
「え?」
「白石んこと、好いとうから」
 見つめた瞳が、にこりと微笑む。
「世界で一番、白石を好いとう。ほんなこつに…大好きやから」
「…千歳さん」
「…やけん、…もしフラれたら、俺んこつ思い出してくれんね。
 ずっと好きでおる自信あるけん」
「…っ…ち、ちが…! 俺が好きなんは…」
「よか。俺も、流石にそげん残酷なことは聞きとうなかし。
 …好きになってごめんな。謙也たち、呼んでくる」
「………」




「はぁ!?」
 あの後、告白しあったにしてはよそよそしい二人を訝った財前に話すと、彼はもの凄いあきれ顔で、持っていたカップでテーブルを叩いた。
「光…カップ割れる…」
「あ、ごめん…。
 ってありえへん…! フラれたらとか…残酷とか…!
 あげく“好きになってごめん”とか言われたら例え両思いでも好きて言えんくなるやないか!」
「……」
「…あんた、腹たたなかったん?」
「……実は、…ちょっと…、…寂しくて…悲しかった」
「…全く」
「……言うたら、困らせるんやろか…って思って胸つかえて…言えんくなって。
 ちがうのにって、俺が好きなんは千歳さんやのにって…言いたいんに…言えんくて…。
 寂しくて悲しくて…、少し、腹立った」
「……やろ。ほんまに…」
「…やけど…気持ちは聞けたから」
「は? それで満足とか言うん?」
「ううん」
 白石にしては珍しいはっきりした声に驚くように顔を見た。
 さっきまで寂しげに微笑んでいた顔は、彼らしい優しい笑顔に飾られている。
「俺んことちゃんと好きなんやって。俺に他に好きな奴おっても好き言えるくらい好きなんやってわかったから。
 自信もてる。
 …待ってるなんて嫌やねん。千歳さんが気付くんなんか待ってられへん。
 はよ、あの人の隣いきたい。一日やって待ちたくない。
 …やから、…はよ俺から捕まえる。
 ちゃんと、好きって言う」
「……流石、…千歳先輩の方があんた見習うべきやな」
「……で、相談があるんや。謙也さんにも話しとかなあかんねんけど」
 伸び上がって耳打ちしてきた白石に頷いて、中身の残ったカップを置く。
「面白いコンサートになりそやな…それ」



「千歳〜」
「なんばい謙也。明後日のコンサートの話なら大体聞いたと」
 そもそも前からうち合わせしてだいぶ決まっとる、と言いかけた千歳に謙也がちゃうねんと手を振った。
「ほら、ラストの曲。ラブソングやんか」
「ああ、謙也がいつも通り作詞しとる…」
「俺もそのつもりで作詞したんやけどな、白石が、“自分で作詞した歌詞使ってええか”って」
「…え」
「俺はええ歌詞やから使う予定」
「…珍しかね、白石が」
「あー、光が言うには、…あいつ、そのコンサートで例の好きな奴に告白するんやと」
 千歳の手から楽譜が落ちたが謙也は構わず話し続ける。
「で、その歌が告白代わりなんやて。歌で告白するなんて歌手らしいっちゅーか。
 ま、あいつの想いの詰まった“恋文”やから、俺らしっかり演奏せなあかんなって、そんだけや」
「……白石の好いとうやつ、会場に来っと?」
「ああ、おるって」
「…そか」

 応援すると言った。構わないと言った。
 それでも好きでいると言った。けれど。
 見たくない。彼が自分以外の誰かに微笑む姿も。
 愛を告げる、姿も。




「じゃあ、これが最後の曲です。
 今回、初めて作詞させてもらいました。
 この会場にいる、俺の一番好きな人に捧げます。
 聞いてください!」
 東京で行われた小さなミニコンサートでも、会場は満員だった。
 なんとかラストまで演奏を終えたが、千歳の胸中は既にぐちゃぐちゃだった。
 白石が好きな奴がここにいる。彼があの笑顔を向けるたった一人が。
 そう思うだけで、逃げ出したくて、あの細い身体を奪いたくて仕方なかった。
 最後の歌の前に白石がマイクを持って言った言葉に、会場が騒いだ。
 すぐ演奏が始まる。
 白石が作った歌は初めて聞くが、とても芯の通った暖かい歌だった。
 きっとただのラブソングなら微笑ましく聞いていられたのに、彼が自分以外に捧げているなら、耳なんて今すぐ聞こえなくなればいいとすら思った。
 メロディに乗った歌が最後のサビまで来た時、堪えられなくなった。
 ギターを弾いていた指が止まったが、動かす気が起きない。
 今はコンサートで、やり直しなんてないのに。
 でも演奏を続けて最後まで歌が歌われたら、彼が自分以外の誰かのものになるから。
 演奏をやめてしまった。
 すぐ小声で叱咤を飛ばすと思った財前と謙也の演奏は続いている。
 当たり前だ。なのに、叱咤は来なかった。
 それどころか、二人の演奏まで止んでしまう。
「…え?」
 驚いて二人を見遣ると、謙也も財前も笑って、黙って聞いとけ、と白石を顎で指す。



 雨の中でも感じるように 傍であなたの吐息と声を聞いて

 ずっと傍で笑っていたい

 他に誰もいないから 今あなただけを愛している

 愛しくて切なくて

 花が綻ぶように抱きしめていて



 アカペラで歌いあげたサビが終わり、白石が頭を会場の観客に下げた。
 拍手が終わると、マイクを持って彼が声を張り上げた。
「えっと、今のは俺が初めて作詞させてもらった歌です。
 我が儘言って、この歌だけはCDにしないことになってます」
 観客からえーという悲鳴が響く。
「ごめんなさい。
 でも、今のは俺の、俺のたった一人好きな人への、…初めて好きになった人への、その人だけの歌なんです。
 この会場にいるんですよ。
 …とても優しくて、面倒見よくて、実は俺入った当初孤立してたんです。
 ほんまですよ。
 その人がいつも、みんなんとこに連れてってくれました。
 いつの間にか、…好きになってて。最初は恋愛の好きなんかな、って悩んだけど。
 やっぱり、その人が好きです。ちゃんと、一人の人間として、その人を愛してます。
 …俺のこと好きでいてくれてるのに、“好きになってごめん”とか言っちゃう人ですけど」
 笑った白石の声に、一瞬理解が追いつかなかった。
 そこで、彼が振り返った。
 間違いなく、自分に向かって。
 微笑んで。
「……言ったでしょ? ここにいる人だって。
 俺が好きなのは…あなたです。千歳さん」
「……ぇ」
「……俺が好きな人は、…あなたです。
 …好きです。千歳さん。…だから、傍にいて、いいですか?」
 微笑む声が耳に染みても、やっぱり信じられなかった。
 だって、嬉しくて、嬉しすぎて。
 拍手が、遠く聞こえた。

「とりあえず、打ち合わせ通り成功しました」
 財前が謙也の元に帰ってきてそう言った。ここは楽屋だ。
「え?」
「あの告白、観客にマジにとらせたらまずいでしょ?
 やから、あれはドッキリにするんです。予め、お客には“このコンサートにはドッキリが仕込まれています”って説明しとります」
「やから、みんなあれ、ただのドッキリやって思ってるんや。
 そうやなかったら拍手おこらんって」
「……、謙也と光もグルやったとね?」
「当たり前です。やなかったら演奏止めません」
「で、お前はちゃんと白石と話しあって来いや?
 今度はちゃんと、あいつのお前を好きって気持ちを考えた上で、な」
 そこに白石が戻ってくる。お疲れさまです、と言ってから、恥ずかしそうに顔を染めて。
「…ちょっと、よか?」
「…はい」



「…あれ、俺…への?」
「…はい」
 夜の海が見える会場の窓際に歩いていって、買った缶を片手に白石が頷いた。
「……いつから…」
「少なくとも、…千歳さんが“カウントしていいか?”って言った日から」
「……もしかして、俺、自分で墓穴掘ったと?」
「思い切り」
「……っ、すまん」
「…実は、ちょっと腹立ったんですよ?
 やって、千歳さん、全然俺の言葉聞いてくれへんから…」
「…ごめん」
 謝って、その細い身体を抱きしめると、一瞬強ばった後、すがりつくように腕が伸ばされた。
「…ほんまは、…ドッキリや、ないです…よ?」
「…うん、わかっとう。…今度はちゃんと、…わかっとう」
 真っ赤になって見上げてくる額に、キスを落とすと瞳を潤ませて見上げられた。
「…ほんに、可愛か」
「……もう一回、聞いてええですか? 気持ち…千歳さんの…。
 前みたいやなくて…ちゃんと」
「…うん」
「…俺は千歳さんが好きやから…。
 千歳さんは…?」
 赤くなりながら、微笑んで問うてくる身体にキスを落として、答えた。
 声は、あまりに柔らかくとろけていたかもしれないけれど。

「…俺も、…白石を、…好いとうよ」









 END


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