CROSS LOVE

ACT:5 今までと違う話



 翌朝、まだ朝靄の包む中を走る姿が、立ち止まって自分を迎えるように待っていた青年に目を瞑ったあと、恥ずかしそうに立ち止まった。
「習慣だからね。えらいえらい」
「…ッス」
 乾に臆面なく褒められて、海堂はうつむきながら返事をする。
「これで終わりかな?」
「はい」
「じゃ、合宿所に帰ろうか。はい、」
 とタオルを渡されて、海堂は受け取ってから慌てた。
「乾先輩、わざわざそのために待っててくれたんですか?」
「まあね」
「…すんません」
「いいって」
「…はい」
 隣を並んで歩き出した素直な後輩に、不意に乾は足を止めてその顔を見下ろした。
「?」
「海堂。俺の気のせいだったらごめんね?
 …なんか、全国の決勝の後から、素直だよね? 俺には」
「…そっ…」
 心臓がどくりと跳ねた。図星の感じ。
「…スか…?」
 それでも誤魔化そうとそう答えるが、先輩はお見通しなのか「やっぱり」と一言。
「決勝のダブルスのこと気に病んでるの?」
「………、はい」
 あの試合は、思い出すのも辛い。自分の所為で、大事な先輩を、守れもせずに。
「海堂。あの試合は、誰も悪くないんだよ?」
「そっ……だって、俺が挑発しなかったら」
 顔を上げて否定する後輩の黒目がちな強い瞳は、今は強い自責に揺れている。
 乾は溜息を吐くと、バンダナ越しに頭を撫でた。
「海堂が悪かったら、切原も蓮二も悪くなるよ?」
「あいつらは悪いじゃないですか! なに言ってんすか!」
「…かーいどう? 俺はね、蓮二が大好きなんだよ。
 蓮二が悪いとは、俺は一生思わない」
 言葉と視線にびくり、と身が竦んで胸が痛んだ。
 乾は、前からこうだ。「蓮二」と、彼を特別に扱う。
 自分が知ったのは、関東の時。それまで、乾にそんな特別な相棒がいたことも知らなかった。
 でも、乾は柳への信頼を隠さない。まるで、柳を運命の相手とでも思っているみたいな。
「もちろん、それ以上に、海堂は好き」
「…、」
 なのに、そう心を見抜いたように告白してくるから、疑うことも出来ない。
「…じゃあ、仮定の話をしようか?」
「…仮定?」
「そう。もし、蓮二が俺に言わずいなくなったり俺にシングルスプレイヤーだと気付かせたりしなかった場合」
 乾はそう言って、海堂に視線を合わせるために屈む。
「もちろん、引っ越しはどうにもならない。でも、蓮二は俺の傍にいる。
 その場合、俺は百%、青学に行ってないよ」
「…っ!」
 息を呑んだ海堂に構わず、乾は続ける。
「蓮二とダブルス組むために、立海に入ってる。
 当然、海堂の先輩にはならない。
 …もしかしたら、全国と関東の決勝のどっちかで、海堂と戦った敵かも?」
「………」
「そうなって欲しいの?」
「イヤです!」
「…………」
 思った以上の勢いで海堂が反論したので、乾も自分で言っておいてなんだがびっくりしてしまう。ずり落ちかけた眼鏡をなおして、海堂の目尻を拭う。
「イヤ…あくまでたとえばだよ?
 そんな泣かなくても…」
「嘘だ! 絶対怪しかった! 高校はあの野郎と同じ学校行くよくらいのノリで言っただろあんた!」
「……うん、いや、そんなつもりないよ?」
 睨む目つきはそのままなのに、うっすら涙が溜まって赤い目尻はどうしたものか。
「…ごめん。俺の例えが悪かった。嘘だよ。嘘。
 絶対青学来てる。いる。海堂と組んでる。蓮二とは、もう組まないからさ」
「…ほんとかよ?」
「ほんとほんと。…約束しよっか?」
「…ス」
 出された小指に小指を絡めると、やっと海堂も安心したらしく目尻を自分で拭った。
「あ、もうこんな時間だね。帰ろうか」
「ス」
 そう言って、振り返って乾はちょっとぎょっとした。
 そこに、どうみても一部始終見てしまいました、という顔で固まっている、四天宝寺の二人。
「…忍足、財前、いたの?」
 それでもさして驚きは声に出ないのが乾だ。そう訊くと、謙也はすまんと言って頷いた。





 その日の、朝食後の時間は一時間だけ自由だ。
 試合だけではつまらないから、お互い交流しろ、という互いの顧問の意向。
「乾」
 声をかけてきた謙也に、なに?と訊くと隣ええか?と訊かれた。
 頷くと、謙也は乾の座っていた縁側の横に腰を下ろす。傍には、誰もいない。
「…あ、今朝ごめんな」
「もういいよ」
 あの後も謙也は一杯謝ってくれたのだ。まあ、財前は謝ってないが。
「…あ、のな?」
「ん?」
 一人で話しかけてきた時点で、なにか自分に話があるとはわかっている。
 話しやすいように促すと、謙也はぼそぼそと、
「乾と海堂って、付き合ってるん?」
「うん。そりゃね。…あ、千歳と白石ほど18禁ではないよ? そりゃすることシてるけど」
「訊いてへん」
「そう」
「……あー…。後輩と、付き合うってどうなん?」
「いきなりだね。なに?」
「いや、なんか、こうお互いに…年気にして…とかある?」
「………もしかして」
 乾は手を顎にかけて、考えながら手元のノートを開き、シャーペンを構えて。
「忍足は財前と付き合ってるのかな?」
「っっっっっっ!」
「あ、やっぱり」
「なんでわかんねん!? つかノートに書くなぁー!」
 真っ赤になって飛び跳ねるように乾に掴みかかる謙也を宥めて、「冗談だよ書かないよ」とノートを閉じる。
「消去法だってば」
「しょうきょほう?」
 胡散臭い、という目の謙也にも「後輩って出たからね」と言う。
「そこで、後輩と付き合ってるんだろうな、っていうのがわかるよね? 察しが悪くない限り」
「…まあ」
「で、こっからが消去法。
 後輩にもよるけど、忍足の聞き方から『女』『非レギュラー』は除外。
 そうすると、忍足にとっての後輩は二人しか残らない。
 遠山と財前。で、遠山は付き合うには、ありかもしれないけどちょっとまだないかな?って感じだよね。うちの越前はどうかわからないけど、遠山はないと思う。
 すると、財前しか残らない」
「……ああ。なるほど」
 確かにそうだ。
「なにか困ってるの?」
「…いや、…………あのな? 乾って……下?」
「……念のため訊くけど、それはセックスの体位かな? 身長かな? それとも女役という意味かい?」
「……最後」
 答えた謙也に、乾は頭を押さえて軽く呻いた。「?」を浮かべる謙也に「あのね?」とやや暗く言う。
「キミは、千歳と白石の組み合わせで千歳が下だと思うかい?」
「まさか!」
「俺と海堂の身長差は、千歳と白石と同じくらいなんだよ?」
「……」
「で、俺が下だと思うのかい?」
 にっこりと笑って訊かれて、謙也は「ごめん。思いません」と返していた。
「…びっくりさせないでくれ。俺が下なわけないだろ」
「すまん」
「…てことは、忍足は下なんだな」
「なっ……ああ、また墓穴か? 俺」
「うん」
 立ち上がりかけて、すぐ座った謙也が頬を微か赤くする。
「俺の方が一応高いねんで?」
「そうだね。十センチは高いね」
「でも下やねん。あいつ、言うことかいて『謙也くんが上? ありえへん』とか」
「不満なの?」
「……やないけど、…なんやろう」
「……俺はそれでも、財前の方が若いと思うけどね」
「は?」
 なにを今更、という顔を謙也がする。
「あいつが俺より若いん当たり前やろ」
「そういう意味じゃない。
 だから、…がつがつしてるんだよ。余裕がないって言うのか。
 彼の場合わかりにくいけど、一歳幼い分、忍足より余裕の幅はない。
 早くキミとしたいけど、キミが迫るの待てないから、襲って、でもそこで下になんかなれる性格じゃないから、上?」
 謙也がしばらくの沈黙の後、ぽん、と手を打つ。
「…確かに!」
「キミ、自分で自分のヘタレ具合を自覚してるんだ…?」
「そういう意味なんか!?」
「いや、違うよ? でも忍足がやけにあっさり納得するから、いじめたくなってね。
 冗談。
 兎も角、今はもう忍足から誘ったって下になんかならないだろうけど。
 …誘ってやったら、喜ぶとは思うよ?」
 そう意地悪に笑われて、謙也は赤くなる。
「ま、ガンバッテ」
 言って肩を叩き、立ち上がっていなくなった乾を見送らず、謙也はしばらくそこで考えていた。





 水飲み場にいた財前に、声をかけるとあっさり振り返った。
「光。なんか用事あるか?」
「いえ」
 しばらく休み、と言われて謙也は胸をなで下ろす。
 しかし、見下ろす財前の顔は意地悪に笑んでいた。
(あれ? この顔どっかで…?)
 誰かと重なる。
「…なに?」
「…いえ?」
 なんか、期待しているような、それでいて、なにか。
「…襲ってくれないんですか?」
「………………」
 わかった。と謙也は思った。
 あいつだ。
「訊いてたな!?」
「ええ。俺が謙也くんを、俺以外の男と、二人きりに、する思てるんですか? まさか」
「おかしい思たんや! 珍しくお前がかぎつけてこーへんなって!」
「やって、止めなければ、うまくいけば謙也くんから誘ってくれたんでしょ?
 そらもう黙ってますわ」
「ほんならなんで今…」
「やって、…もう、おかしゅうて…てのは嘘で」
 真っ赤になった謙也が振り上げた手をストップかけて、財前はにこりと笑った。
 それに謙也の動きが止まる。
(…う…滅多に見られへん光の極上スマイル……! 手が出せへん…!)
 まるで天使のような笑顔に、手も勢いをなくして身体の横に降りた。
「お前、自分の売りをよう理解しとるな…? 悪魔や」
「それはもう。
 やって、…嬉しいでしょ?」
「?」
 下から覗き込まれて、軽くキスをされた。
「っ」
「謙也くんが、そない俺とのこと考えてくれはったなんて。
 他校の人に話すほど。
 にやけますわ」
「…。……わかった。もうええ」
「どない意味?」
「もう、負けっぱなしでええわ。テニス以外」
「テニスでもですけど」
 つい、「じゃかあしゃあ!」と怒鳴ってから、気にせず嬉しそうに謙也に抱きついてきた財前を抱きかえした。
「……あーもー…似すぎやろ」
「? なにが?」
「お前の意地悪顔。乾にえらい似とって…」
 言った瞬間、腕の中の身体が強ばった。ハッとして、失言と気付いた時はもう遅い。
「……ふ…ふ……俺と、乾さんが……似てる?」
「ひ、ひか…っいやそない意味やなくて…」
「…俺の前で他の男を呼ぶやなんて、しかも似とるとか言うやなんて…ええ度胸っすわ謙也くん。
 …ちょっと、部屋戻りましょうか」
 腕をがしっと掴まれて引っ張られる。
「おおおおい! 冗談や!」
「問答無用。ヒィヒィ言わせたります」
「う、わ……っ……乾のアホ―――――――――――――!」
 その後、乾が離れた場所でくしゃみをしたことと、謙也が更に怒った財前にしばらく部屋から出してもらえなかったことは、二人以外知らないお話。










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