CROSS LOVE

ACT:6 卑怯なキスで 前編



 その日は昼で一旦、練習は中止になった。
 空が雨模様になったことと、やはり多くは部員交流のためだ。

「…………」

 午前の練習の汗を流そうと、合宿所の大浴場に集まる部員たちを横目に、白石が自分のジャージを軽く引っ張って浮かせる。
 服の隙間から自分の肌を覗いて、ナイナイ、と首を横に振って自己完結した。
「白石? 入らないの?」
「あ、今入ったらアカンやろ。俺が入るとうちの部員遠慮するしな」
「まあ…湯船を出てまで空けそうではあるね」
 あの崇拝っぷりからして、と乾がお世辞ではなく笑った。
 そういうことにして、白石は一人縁側に腰掛けた。
「あ、白石、風呂入らんの?」
 通りかかった謙也が「一緒に入ろう」と誘ってくる。
 それになんとも言い難い顔をした白石を、謙也は首を傾げて問うてくれた。
「…ちょお、見る?」
 白石が自分のジャージの上着を軽く引っ張ってみせる。されるがまま覗き込んだ謙也は、胸元に散った夥しいとすら言える数の所有印に「げ」と退いた。
「…全部、千歳?」
「全部千歳やなかったら、俺今頃あいつになにされとるかわからんわ」
「…そやな。うわっ…もう数がえげつないやん……」
「…やろ。なんか一昨日やたら熱心にしてくる思たら…。こんなんで風呂もないわ」
「…せやな。みんなびびる。それは」
「てことで、俺は一人で後で入るわ」
「…ああ」



 謙也を見送って、どのくらい経ったか、ぞろぞろ湯上がりの部員が出てきて十数分。
 そろそろ誰も入ってないかな、と腰を浮かせかけた白石が縁側の傍の通路を歩く手塚に気付いた。
「手塚くん」
「ああ、白石? ジャージのままでどうした」
「いや、手塚くんこそ」
 手塚もジャージのままだ。
「俺は、いろいろメニューを考えていたら…遅くなった」
「ああ…」
「入らないのか?」
「いや、入る入る」
 そう答えながらも、考える。
 手塚と一緒に入るのは、いかがなものか。
 いや、別にいいのだが、この身体で一緒に入るのは。
「白石?」
「あ、俺は…やっぱりもっと後で」
 辞退を口にしかけた白石の手を、がしっと手塚が掴む。
「汗を掻いたままのジャージでいつまでいる気だ。夏とはいえ」
「え、いや…、汗は大体拭ったし」
「拭ってまた? 汗を吸ったジャージを着たのか?」
「…………」
 見抜かれている。これ以上押し問答も出来ない。
 手塚は、そういえば昨日の晩千歳と変なことを語り合っていたし、もう、いいか。




「あれ、白石は?」
 そう暢気に訊いたら謙也にぎろりと睨まれて千歳は若干後退した。
「お前の所為で今、風呂入っとる」
「…そうなん?」
 とぼけた千歳に、財前がハァとあからさまな溜息。謙也に訊いて知っている。
「あ、白石も今入ってるんだ」
 そこに乾が来て、そう意外そうに言った。
「もっと早くに入るかと…いや後で入るとは言ってたけど」
「それがどうかしたん?」
「手塚も今入ってるからね。部長同士で二人で入ってるのかって。話し込みそうな組み合わせ。話し込みすぎてのぼせないといいけど」
 暢気に笑っている乾に、千歳が食いつくように視線を向けた後、ぽつりと「そう…」と零す。その声の低さ暗さに、謙也がびくりと反応した。




「……ありえへん…ほんっまありえへん……」
 湯船に浸かってぶつぶつ呟く白石の表情は疲れ切って既に胡乱だ。
 隣に浸かっている手塚が、流石にフォローが出来ず言葉を探した。
「胸元だけかと思ったら…あの馬鹿…背中にまでって……」
 その白石の背中はやはり、胸元と一緒で凄まじい数の所有印に覆われている。
 その上、股や腕の部分にまでそれが散っているとなれば、見た目の凄さもえげつなさもありえなさも倍だ。
「まあ、肌が白いと…気持ちはわからなくもないが」
「手塚くん、それは千歳のフォローであって俺のフォローやない」
「…すまん」
 反射で謝った手塚に、白石も謝り返して湯船からあがった。ばしゃ、と水しぶきが立つ。
「俺はもうあがるわ」
「ああ、俺もそろそろあがる」
 白石に続いて湯船から立った手塚が、腰にタオルを巻いてタイルに足を降ろす。
 前を行く白石の足が、その時誰かがタイルに零したシャンプーの残りかなにかで滑った。
「っ!」
「白石っ!?」

 ごっ、だか、ごつん、だかというでかい音がその場に響いた。
 浴室なので反響する。

「…いし!?」
 何故、今、とっくに出た筈の千歳が脱衣所にいたのか手塚にも白石にもわからないが、顔を覗かせた千歳の視界には、頭を打ち付けて仰向けに倒れる白石と、その上に倒れ込んだ青学部長の姿。
「…あ」
 気付いた白石の顔と、声があからさまにまずい、という風に零れた。
「……なん、…よっと……手塚」
「いや、これは」
 怒りのあまり声がところどころ途切れている千歳に弁解しかけた手塚を無視し、千歳は大股で浴場に入ると、腰にタオルを巻いただけの白石を姫抱きで抱え、連れ出した。
「…お、おい? 千歳? お、待…待ちぃ…!?
 どこ連れてく気や!」
「手塚のおらんとこ」
「て、待ち! 俺、まだ服着てへん…!」
「あとで着替え持ってっちゃるけんよか」
「…っ」
 あろうことかそのまま、沢山の所有印を刻んだ身体をさらした姿で外に運び出そうとする千歳に、追ってきた謙也たちがぎょっとした後、止めようと食いかかった。
「おい、千歳! やめろや! それはあんまりやろ!」
「なにがね」
「他の部員の目に触れるかもしれんとこにそんな格好で連れ出すんなんかなんの拷問やねん!」
「…謙也、退いて」
「イヤや」
 脱衣所の扉の前で速攻断った謙也を見下ろし睨む千歳の背中に、手塚の冷静すぎる声。
「…とりあえず、…それはあんまりじゃないのか」
 反射的に誰の所為だと言おうとして、千歳はゆっくりと腕の中の身体に目を落とした。
 千歳の服をきつく掴んだ濡れた手と、視界に触れる濡れた髪が覆う顔。
 まだ濡れた全身は震えて、喉から震えた声が漏れる。
「……っ…や…や」
「…白石?」
「…イヤや…っ…や…やめて……っ……とせ。……いや……」
 明らかに嗚咽を堪える声と、おそるおそる指であげさせた顔に零れる涙に、千歳は初めて自分の胸が痛むのを感じた。
 なお泣く白石の濡れた前髪に、一度キスを落とすとそのままその身体を床に降ろす。
 泣きじゃくることに必死で顔さえあげられない頭を撫でようとして、手が止まった。
 そのままきつく握りしめ、撫でることなく踵を返す。
「千歳」
 謙也の声にも振り返らず、脱衣所を出ていった千歳の消えた場所に手塚がしばらく視線を向けていたが、すぐ白石の裸の肩に大きなタオルをかけた。
「落ち着かせて、着替えさせてやってくれ。俺じゃない方がいい」
「……ああ」
 頷いた謙也の声に、白石がやっと堪えられた嗚咽を飲み込んで、なにか言いたげに見遣る。その睫毛は濡れていた。











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