CROSS LOVE

ACT:7 卑怯なキスで 後編-LOVE AGAIN-



「千歳っ!」
 呼び止める謙也をうざったそうに見遣って、千歳はすぐ視線を雨の止まない外に向けて歩き出す。その腕を謙也が強引に掴んだ瞬間、手荒く振りほどかれた。
 払われた手がじんじんと痛む。今の千歳は容赦も遠慮もないと謙也も気付いた。
「お前、このままどっか行く気か」
 それでも逃げず、自分を睨んで強く問いかけるチームメイトを千歳は見下ろし、少し思った。

(馬鹿たい…こいつ)

「行くわけなかろ。頭冷やしてくるだけたい。すぐ戻る」
「ホンマか? ホンマやな?」
「うるさかね。そげん信じられん?」
「普段の癖見ていってんかお前」
 謙也の言葉に吐き捨てるように嗤って千歳は口の端を引き上げる。
「安心せ。謙也に借りば返さないまま部をまた辞めたりせんよ」
「………、は?」
 意味が分からない、と怪訝な顔をした謙也の肩を軽く掴み、千歳は耳元で吹き込むように紡ぐ。
「謙也の最後の試合ば、譲ってもらって、まして負けた借り…返さないまま、大坂からも部からもいなくなったりせんから、安心せ―――――――――――――て」
 瞬間目を見開いた謙也の横手から、飛び出した影が振るった拳が軽い音で受け止められてしまい、振るった財前は驚いた。千歳に受け止められたならまだしも、それは謙也が止めている。
「千歳」
 財前の拳を押さえたまま、謙也は顔を上げた。財前が怯む程、凄んだ笑みを浮かべて。
「もし、一時間以内にお前が戻ってこうへんかったら…覚悟せえな?」
「…殴られるくらい」
「アホ。そないもんちゃう。

 犯すで(・・・)―――――――――――――お前の彼女(モン)

 びくん、と反応した千歳と財前に構わず、謙也はその笑みのまま千歳の胸を手で突き放した。
「ほら、行けや。戻ってくるんやろ?
 ただし忘れなや? 一時間を一秒でも過ぎたら、犯すから」
 嘘だと、強がりだと、はったりだと言えなかった。財前も、千歳も。
 謙也の声が、まとう空気が、刻まれた笑みが本気だと雄弁に語っている。
「ほな、光、戻ろう。……、」
 踵を返しかけた謙也が、反応を微量しか見せずに再度振り返った。
 その腕をきつく痛むほどに掴む、千歳の手。
 見上げた千歳はひどく凄惨で暗い顔をしていたが、なにを言うこともなにをすることもなく、謙也の手を放した。
「わかった。負けたばい。どこにも行かん。寝る部屋におればよかね」
「…―――――――――――――最初から、そうしとればええんや」
 満足そうに笑った謙也が合宿所に戻る千歳を追って屋根の下を歩いていく。
 慌てて追った財前がついてきているのを気付いているのに振り返らない謙也が、立ち止まったのは千歳も誰もいない離れの部屋の前。
 途端、その場にしゃがみ込んだ先輩に財前がびっくりして覗き込むと、そこにはうってかわって真っ青な顔をした間抜け顔があった。
「……マジ怖かったっちゅー話や。千歳、怖…。今んで寿命三十年使った……」
 それが限りなく本音の響きで、つまりあれはやっぱり謙也の精一杯の虚勢のはったりだとわかった途端、爆笑した財前を謙也がこづいて怒鳴る。
「いや、…あないかっこよく決められるんに…今腰抜かしとるやなんて……」
「うるさいで」
「……いや、ホンマ、あんた可愛い。すごい。褒めてます」
「……そうか?」
 疑う意味でなく聞いた謙也に、財前は微笑んで「はい」と答えた。本心だった。






 廊下を全力の早歩きで歩く白石を呼び止めた不二に振り返ると、にこにこと笑って自分を手招いた。
「…なに」
 小石川から、千歳がいなくなりかけたと聞いた。謙也が制止に成功したらしいが。
 でも信じられない。自分の身勝手で気まずくなっておいて、他校との合宿中に出て行こうとするその神経が。
「今行ったって千歳は無理だよ。聞かないよ。忍足にかなり手痛くやられたらしいしね」
「…知っとるん? 経緯」
 白石は、自分はなんと言って謙也が止めたか知らないと目を瞬いた。
「乾に聞いたんだよ。乾、忍足と仲いいみたい。
 で、…今行っても無駄。無理矢理犯されるのが関の山。ちょっと我慢」
「……」
 三本、指を立てて状況を自分に整理させる不二に、それもそうかと白石は肩に入っていた力を抜く。
「でも、このままは悔しい。だね?」
「…うん。止めなかったら、あいつ今度こそ辞めたかもしれん。
 そんな勝手な…ぶっ殺しても足りんわ」
「それは部長として。白石本人は?」
 手を一瞬、咄嗟に握りしめてしまってから、解いて顔を床に向けた。
「……純粋に、捨てられんの、イヤや」
「…ボクもキミの立場なら同じ。…じゃ、仕返ししない?」
 ぴょん、と軽い足取りで白石に近づいた不二が、悪戯する子供の顔で笑って言う。
「え?」
「手塚も協力するってさ。ボクも乗った。…あのね」
 こしょこしょと耳元で聞かされた作戦に、白石も口の端を上げて不二と眼を合わせる。
「おもろいなそれ。手塚くんもろてええ?」
「どうぞどうぞ。ボクは千歳もーらった」
「使ってやってええで。たたき込んであるしな」
 顔を見合わせて笑う。少し、胸にわだかまっていたもやもやが消えた気がした。






 結局あのまま、寝所の部屋の隅で寝た自分を白石は全く構わなかった。
 愛想を尽かされていたら、イヤだ。
 最初の頃のように、また無理矢理犯したってもう、俺のものにはならない。一度離れてしまったら。

(…謙也、アホばい)

「……わけなかのに」
 そう呟いた声を拾われて、傍に立っていた手塚が「なにがだ?」と聞いた。びっくりして飛び退いた千歳に全く反応せず、手塚はコートの中央を指さす。
「くじが出来たらしいぞ」
「…あ、ああ」
 あの翌日は晴れて、今は試合形式の開始前。
 レギュラーを学校ごちゃ混ぜで組ませるために好みでやらせたら決めるまでに長引くので、くじ引きになった。
 ダブルスの試合が先だ。
 千歳の番になって引くと、赤い線の入った割り箸。
「ええと…これは誰と…」
 千歳がパートナーを捜すと、肩をぽんと叩かれる。振り返ると、笑顔の青学の天才。
「ボク、赤」
「ああ、不二がパートナーとね…」
 赤い線が同じく入った割り箸をひらひらさせて、不二は「決まってないよ」と言った。
「え?」
「この四人で、誰と誰がパートナーかを選びっこするの」
「…?」
「千歳、聞いてなかったのか?」
 不二の言葉に疑問符を浮かべる千歳に、乾がそう言って説明してくれた。
 今回は様々な組み合わせでダブルスをやる。予めこの二人がペア、と固定するとやりにくい。だから、同じ色を四本作り、それを引いた四人が自由に分かれてペアを作り試合をする、と。
「…ああ。そげなこつに」
 聞いてなかった。
「で、他の二人はあそこ」
 不二が指さした先に待っていた相手に、千歳は固まりそうになる。
 白石と、手塚。

(……なんね? この謀ったようなガチンコシチュエーションの顔ぶれは…)

 手塚は昨日、風呂場に居合わせた。しかも忠告も受けた。そして、不二は白石とかつて対戦した、手塚の恋人。
「なんて顔しとるん千歳?」
 白石の声を久しぶりに聞いた気がした。安堵してしまい、「いや、顔ぶれが」と口にする。
「ああ、おもろいやん? 偶然て怖いな」
「なに千歳。謀ったことなわけないでしょ? くじだよくじ。
 最後に引いた一人だけのくじなら細工しようがあるけど、四人ばらばらに引いたんだよ?」
「どう細工をするんだ?」
 手塚にまで真顔で言われ、それもそうだと思う。細工のしようがない。
 引いた順番も確かこの三人はランダム的な感じだったし。
「じゃ、…ペアは」
「千歳、白石をもらうぞ」
 手塚が千歳の声を遮り、白石の肩を抱いた。白石が逆に手塚の腕を取って不二に微笑む。
「不二くん、手塚くんもろてええ?」
「どうぞどうぞ。ボク、千歳もーらった」
「へ、…へ!!!?」
 謀ったとしか言いようのない選別に、千歳は一人慌てて奇声じみた声を上げる。
 自分の腕を取った不二を見下ろし、離せと訴えるが不二はにっこり笑うだけだ。
「無理無理、千歳。ボクと千歳が頑張ったって、あっちの二人が意気投合してるんだもの。腹はくくらないとね?」
「…え、いや、ばってん…これ」
 明らかに他の三人が謀っていないか?
 そう訴える千歳を手塚以外の二人が笑んで黙殺した。



 
絶対謀った…!!!!! こいつら…!!!!!



「ほな、一番は俺らやて。行くで手塚くん」
「え、ちょ」
「油断せず行こう」
「手塚、声、若干面白がってるのが出てるってば押さえなよテンション」
「…油断せず行こう」
「さげなくていいよ今更」
「千歳、そもそも勘聡いからもう気ぃついたやろしな」
 白石がそう言い、コートから千歳を振り返り、に、と笑った。とても男前に。
「……か、」
「か?」
「勝てるわけなかやろ!!!!」
「わあ、千歳。スポーツマンらしくなぁい。最後まで勝負は決まってないよ」
「手ば胸ん前で組むな! 諦めてなかけん、俺と不二でどげんしたら手塚と白石のペアに勝てっと!」
「ボクがそんなに頼りないんだ。ボク、白石を追いつめたのに」
「じゃ、手塚に勝ったこつあっとや?」
「ない」
「俺は手塚と白石に勝った試しがなか!」
「……うーん、…自分で決めたけど、負けるねーボクたち。…八百長する?」
 最後だけ白石たちを振り返って言った不二に、「まさか」と手塚と白石。
「千歳をいてもうたるために手塚くんもろたんや。負けてどないすんねんなぁ?」
「俺は純粋に不二と試合をしたかったしな。本気じゃないなら意味はない」
「ちょ、…細工、タネは?」
 必死になる千歳を余所に、三人がコートでスタンバイするのでしないわけにいかない。
 なにも知らない面子も多いのだ。それでも迷ったら、背中を謙也と財前に蹴り飛ばされてコートに足を踏み込んでしまう。
「え」
「千歳」
「先輩」

「「逝ってきぃ」」

 二人揃って重ねた声と、親指を立てて下に向けるモーションに、この二人もグルと知る。
「不二、お前…負けるん好きとや?」
 サーブ権があちらなので構えながら前衛の不二に問う声がやさぐれそうなのは不問にしてくれと思う。
「好きじゃないよ。同じ質問、昔、乾にしたら殴られた」
「へ?」と抜けた声が出る。何故乾。不二は前を見たまま、小さな声で続けた。
「うちは越前が来るまで、手塚とボクと乾が三強だったんだ。乾がナンバー3。
 でも、乾はずっと、ボクに、手塚に一勝も出来ないまま、三年間。
 諦めないんだよね。心が折れない。何度もボクのデータとって、手塚のとって、本気で勝負してた。彼が負けるだろうな、って気持ちで試合に臨んだの、ボクも手塚も見たことないよ。
 …でも、好きなわけないよね」
「……」
「負けるのが好きなら、そんなの選手になれないよ。勝ちたくないなら、試合する必要はない。
 乾は力量をわかって、でもいつだって『勝つ』って全力なんだ。ボクも、白石に負けてわかったかな。
 千歳は、負けるためにコートに戻ってきたの?」
 グリップを握り直して、不二は微か、千歳を振り返った。
「…そんなわけはなか」
「だよねー。白石だって、勝ちたいからあのテニスなんだろう。
 好きじゃない。全然、面白くない。
 …なら、何故、ボクはこんなことをしているのでしょう?」
 そう聞かれると、わからない。白石のため?
 そういう当惑を見て取ったのか、不二は前衛の位置からつかつかと千歳に歩み寄ってきた。わけがわからずぽかんとする千歳の胸ぐらを、相当低い不二に引っ張られて首が絞まった。
「わかんないとか抜かしたら、今すぐ頭剥がすよコラ。
 白石のため。他にあると思うのキミ」
「……は、はが…」
「ハゲさせるよ、て意味」
 凄い顔で凄んだ次の瞬間、にこりと天使のように不二は笑う。
「イヤだよね。スキンヘッド。石田みたく自分からなら自信持って出来るけど、無理矢理。
 女の子にもモテないね」
「し、師範はモテとうよ!?」
「それは石田の人徳。キミにそんな崇高なものはない」
「……」
 断言されてしまい、微かに傷つく千歳に構わず不二は手を放す。
「人生、人間関係は気持ちと言葉の積み重ね。
 白石がなんで、今、キミの傍にいてくれるかよーっっっっっっく、考えて」
 言うだけ言って前衛に戻ってしまった不二に、千歳はなにも言い返せなかった。

 わかってる。
 無理矢理犯して始めたこの関係で、彼がいつしか自分に微笑んで、傍に自分から寄り添ってくれたのは、身体で躾たわけじゃない。
 自分といるのが、彼にとって幸福になったから。
 そうしたのは、きっと、セックスじゃなく、些細な日々の時間。

 好きだから、抱いた。
 身体だけなら、無理矢理のままだった。
 優しくされたくて、呼ばれたくて、笑顔を見たくなって。
 愛しくて仕方ないから、呼び続けたんだ。

(……もう、行けるわけなか)

 どこにも、行けるわけない。
 部から、いや、大坂から、行けるわけない。どこかへ。
 彼の手を放して、行く場所はなく。
 離さないでと、必死なのは、…俺の方。





 他の組み合わせが試合を繰り広げるコートから離れた、木陰。
 座っていると、足音がした。振り返ると、見下ろす白石の顔。
 へらりと笑ってみようとして、失敗した。
「………、ごめん」
 そう、やっと言うと、白石は無言で無表情のまま、隣に腰を下ろす。
「逃げてたら、殺してたで」
「…お前にならよかけん、お前とおれんようなるんはイヤばいね」
「マゾか」
「…さあ」
「否定せえ」
「……逃げられるわけなかね」
 自分が思ったより、強い語調になってしまい、白石が驚いてこちらを見た。
「お前を人質にされて、余所にあのまま行けるわけがなか」
「……謙也が?」
「あれ、マジばい。詳しくはいえんけん…。
 ……お前を、滅茶苦茶に壊したくて、泣き叫ばせたくてしかたなか。
 滅茶苦茶に汚して、俺なしじゃ生きてけん身体にしたか。壊したか。
 ばってん、俺以外がそれをやるんは、許せんし、認めん」
 いつでも、と付け足し咄嗟に身を退いた白石の肩を逃さず掴んで、傍の木の幹に押しつける。
「と、せ…っ…ん」
 そのまま深く重ねた唇からは、変わらない甘い味がして、脳がしびれるような錯覚を感じた。
「……、二度とせんとは言えん。約束は出来ん。俺は多分、学習能力ばなか。
 …だけん、」
 キスに熱のあがった目で見てくる白石の額にキスを落とし、優しくほほえみかける。
「…俺は、

 白石を絶対、一人にせんよ」


「…お前を置いて、一秒だって他の場所ば行かん。
 九州になんか帰らなか。こっちにずっといる。お前のいる場所に、ずっと。
 …離さなか。絶対。俺以外の腕になんか行かせん。お前は俺に抱かれるために生まれてきとうよ。
 ……離れない。だから、…傍におって」


 しばらく茫然としていた白石が、瞳を揺らしたと思ったら、すぐ声にならず泣き出した。
 また傷付けたのかと慌てた千歳の腕の中に、自分から飛び込んできた。思わず抱きしめ、閉じこめる。
「…お前が……離れんな…っ…ボケ!」
「……うん」
「なんで、あの時、触るんやめた! …な、撫で……お前におって欲しかったのに!」
 すぐ、わかった。あの時、風呂場で泣く彼に触れようとして、止めてしまった。
「…これからは、それだけは間違えん。傍、おる」
「……」
 濡れた瞳が自分を見上げている。本当に?と。
 昨日と違う色の涙に、惹かれてそのままキスをした。







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