「意外だったんだよね」

 東京に帰る直前、乾がそう言った。

 バスの発車直前。点呼を取っていて、最後まで乗らなかった乾が、不意に白石を見て言った。
「俺は、千歳から聞いたしさ。無理矢理だって。
 …なんでつき合えてるのか、わからないかな」
 そう言って、バスに乗り込もうと足をかけてから、乾は謝った。
「言い方がまずかった。『わからない』じゃないな。
 どうやって、白石が折れたかが、興味がある、だ。
 ごめんね」
 気遣って、微笑む優しい顔が見える。思い出すのは、いつでも。
「…強いていうなら、それやな」
「ん?」
「乾くんみたいな、『優しい』とこが、あいつにもちゃんとある、人間やったからな」
「……」
 乾はしばらく、『想定外』みたいな顔をして宙を仰いだあと、びっくりした、と一言。
「俺達はみんな人間だって、無条件に思ってたよ。千歳だって、宇宙人じゃないだろ?」
「今はな」
 その返事に乾は『一筋縄じゃないな』と笑い、バスの中に消える。発車するバスを見送りながら、その会話をよく思い出した。


“俺達は人間だって、無条件に思ってたよ”


「…いやいや、案外、…そうでもない」
 そう呟いて、踵を返した。












CROVER LOVE

CROSS LOVE番外B

第一話−【何等星からの宇宙人】




 千歳はまさに、【宇宙人】だった。
 異邦人では生ぬるい。まさに、異星人。
 こちらの理屈は、こちらの言葉では届かない。

「千歳」

 千歳千里が四天宝寺にやってきて、一週間。
 彼は、数えるほどすら部活に来ない。
 呼びに行くと、屋上で眠っていた。
「千歳」
 肩を揺すって起こすと、眠そうな目で白石を見上げた。
「部活やで」
「……、あ……。何時?」
「部活の時間やろ」
「……時間を聞いとう」
「…部活に出るんやから…」
 苛々してきたが、堪えろ、と思った。
 我慢して、四時半と答える。千歳の返答は、あんまりだった。
「…あ、テレビ終わっとる時間ばい」
「…は?」
「はよ帰って、見ようと…」
「………………」
 こっちは部活の話をしているのに、テニス部なのに。
 なんだこいつは。


部活の時間や言うとるやろ―――――――!!!!!!!!!







「あ、…あの、今の…白石部長の声なんや……」
 後輩の怯える言葉に、その頭を撫でてやってから、小石川は方向を確かめるように空を見上げる。
「屋上?」
「屋上やな」
「……また、でかい声出したなあいつも…。ここの全員に聞こえてたで今の」
 傍にいた謙也が同じように屋上を見上げたまま言う。
 お互い、手にはラケット。ユニフォーム姿の、部活姿。なのに、
「…『部活の時間や言うとるやろ』、て言いましたよね、部長」
「言うた言うた。てか、叫んだ」
「怒鳴った、やろ」
 財前の言葉に、やっとコートの方に視線を戻して、謙也と小石川は溜息。
「戦力以前なんですケド。オサムちゃん」
「いや、それはなぁ…」
 あまり焦らず、慌てず、のんびりとした調子の顧問は、ベンチから立ち上がってコートの出口の門に向かう。大きな、寺の門みたいな門構えが、コートの出口だ。
「逃げるんかスカウトマン」
「いやいや、敵前逃亡やろう」
「「「認めるんかい!!!」」」
 謙也他、二人が即座に突っ込んだが、顧問の姿は門の向こうに見えなくなる。
「オサムちゃんやから、なんか先見したんやろうけど…」
「今は、俺らにはわからんな」
 一緒に突っ込んでくれた小春と一氏がそういう。やんわりとした言い方だが、内心は『今は使えないとしか言えない』と言っている。
 全員がその調子だ。顧問の意図は読めず、千歳の真意は、もっとわからない。





「とにかく、部活に顔出せ。出しなさい!」
「…出しなさい…って、同い年ばい」
「俺は四月生まれ。お前、大晦日。一年年上と一緒」
「…三ヶ月が抜けとう」
「そんな話はしとらん」
「白石がしとうよ?」
 延々さっきから、こんな会話。
 千歳は屋上の地面に座ったままで、腰を上げない。
 疲れてくる。
「…来い。お前は、ここにおんねんから」
「………」
 のんびりと、その言葉に顔を上げた千歳に背中を向けて、白石は屋上の扉に手をかける。
「部長さんは、俺がここにおるって思っとうや?」
「おるやろう。心はしらんけど。…おる。お前は、…俺と話する距離に、ちゃんとおる」
 千歳は沈黙して、なにも言わない。
「…人間なんやから」

(でも)

 そのまま扉をくぐり、扉が閉まっても千歳は動かなかった。

(でも、…心がここにある、保証は出来ない。俺には)

 白石はそう、思う。





 屋上に残されて、千歳はぽつりと呟いた。
「だけん、…心がここにおる、…とは、あんたも断言せんとや…?」
 口元に浮かぶのは、ただ、暗い笑みで。
 やはりそれは、違う世界の言葉に見える。






「切ればええんですわ」
 部活終了時間。着替えが終わって帰宅した部員は多く、部室に残るのはレギュラーのみ。
 財前の言葉は、だから余計によく響いた。
「おいおいおい、急ぎすぎやで光」
「みんな、頭で思っとるくせに」
 小石川が、疲れた調子で「なにをや」と濁した。
「あの人は、使えません」
 それも空しく、彼は言葉にしてしまう。
「…そうやな。使えないっちゅーんは、今の情報全てや」
「白石…」
 肯定した白石は、書き終えた部誌を閉じて「でも」と続ける。財前だけでなく、全員を見て。
「ただ、俺らはなにも、知らなすぎる。
 同情する意味やないが、コートで、仲間に目を潰されて、怖がらない人間はおかしいわ。
 …まだ一週間や。見切りつけるんは早い。あいつも、変なことしたりはせん。
 部活に顔出さないだけなんや。切るんは、どうしようもない馬鹿をやったあとでも遅くはない」
「……まあ、人間の理論はそうですわ」
 わかりました、と財前は脱いだユニフォームをバックに仕舞う。洗濯すると言っていた。
「でも、あの人って、…宇宙人ぽいやないですか?」
「宇宙人やろうが、地球におったら地球人や」
「……はぁ」
 あっさりそれを柔らかく受け止めた白石に、それ以上後輩は言う気はないのだろう。
 バックを背負って、部室を後にする。
「お疲れさまでした」
「お疲れ」
 謙也もすぐ後を追った。




(おると思う。だって、声は、届く…)




 そう、信じたい。




 自分以外、もう部室にはいない。
 帰ろうと、椅子から立ち上がった時、扉を開ける手があった。
 そこに立つのは、部内一の長身。
「千歳?」

 彼が、浮かべる笑みは、暗くて。

 それでも、彼はここにいると、信じた。









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