CROVER LOVE

CROSS LOVE番外B

第二話−【ここにいますか?】




 声が届く。だから、ここにいるって信じた。

 一人残された部室は暗く、自分がちっぽけに思えた。

 辺りに散らかった衣服。千歳の残した、情事の後は、あまりに汚い。
 あの後、いきなり押し倒され、反撃も空しく犯された。
 嫌だと、言わなかった。ただ、名前だけを呼び続けた。千歳の。

 届くと、今でも信じた。

 がちゃん、と部室の扉が開いたのは、堪えきれずに涙が溢れた時だ。

「っ…」
 驚いて白石は自分の格好を見る。まだ、衣服を着ていない。
 なにをされたかなんて、すぐわかる。

 けれど、扉の向こうから現れたのは、その千歳だった。
 手になにか持っている。
 大股で近寄って、手を伸ばすから怯えたように座ったまま避けたら、手を取られてその上に暖かいものが置かれた。
「…拭きなっせ。汚か」
 お湯かなにかで濡らしたタオル。
 唖然と見上げると、千歳は傍に適当に買ったと思われる衣服を置いた。
「安もんやけん、ないよりマシばい」
 自分の服は、そういえば汚れてしまっている。
 わざわざ、強姦した人間のために、殴るかもしれない相手のために、買ってきて?
「…っ」
「…、ぁ…と」
 小さく身を震わせた白石に、千歳があからさまに戸惑った。泣かせた、と焦ったみたいに。
「…っはは…」
「…白石?」
 くすくすと、白石は笑っていた。千歳はびっくりする。
 それも、壊れたり、ヤケになった笑いじゃない。
 ちゃんと、『笑って』る。
「……お前、…アホか…」
 おかしいと、そう言ってやると、千歳は何故か気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「白石こそ、アホばい……」
 そう言って、こちらをもう一度見る、視線。黒い瞳。
 奥は、優しい色をしていた。
「……お前は、やっぱり、…ここにおるよ」
 そう言うと、千歳は泣きそうに瞳を揺らした。
 大きな手が伸びて、頭が抱き寄せられる。
「…かい」
「え?」
「…もう、一回」
「…、」

 千歳だって、怖いんじゃないのか。
 だって、独り、こんな遠くに来て。
 家に帰って、迎える家族はなく、相談できる友人も家庭も傍になく。
 コートは、怖いんじゃないのか。

 自分の家を、想像した時、震えたんだ。
 あの家に、帰った時、疲れて帰った時、辛くて帰った時。
 明かりが一つもついてなかったら、人の気配がなかったら。

 泣いてしまう。

「……お前は、おるよ。ここに。
 …心も、ある」
 そう、言って背中を抱いたら、千歳は白石の裸の肩に頭を押しつけて黙った。
 喉の奥から、微かに震えた声が聞こえた。

 怖いよ。

 俺は、怖い。

 だから、お前も、きっと怖いんだ。




 だって、お前は、ここにいる。優しい、瞳をしている。







『宇宙人やろうが、地球におったら地球人や』



 そう、言った言葉の本心を、知りたかった。


 白石に聞かれたら、言えなくて、『気の強いヤツを無理矢理泣かせるのは堪らない』と言ってしまう。
 白石は、なのに、その奥の言葉を理解して、優しく笑った。
 泣きそうになる。そんな風に、理解ってもらえたら。
 手を、放せなくなる。ここから、離れたくなくなる。

 居場所がなくて、怖かった。




 翌日から、千歳は真面目に部活に出てきた。
 怠惰な様子もない。
 体力の衰えはあると言った本人だが、しかしそれにしたって大概、体力馬鹿だった。
「読んどったんか、て聞かれたで」
 練習試合が終わったあと、ベンチに招かれた。顧問の渡邊。
「え?」
「お前は、ちゃんとそのうちに、部活に顔出すんやないかって読んでたって俺が。
 買いかぶりすぎや」
「……じゃ、なして放置しとったとですか?」
 渡邊は考える様子もなく、「うちは優秀な部長がおるから」と言った。謙遜もなにもない言葉。
「あいつは、兎に角、他人を見限らない天才やからな」
「……」
「でも、お前をあいつが構ったんなら、そら『部長』としてだけやないやろうが」
「…え」
 少し、痛んだ胸が、すぐ楽になる。
 部長として、許されたなら悲しかったから。
「お前を個人として、見るやろう。あいつはな」
「…」
「でも、他のヤツはわからん。テニス部以外のヤツは。
 そこは、お前の努力や」
「…はい」
 正直、今はそこはどうでもいいと言ったら、顧問は失望するだろうか。
 危機感すら沸かなかった。





 昼飯を食べようと、買った弁当だけ持って席を立つ。
 周囲には、それぞれに好きな仲間や友だちと集まっているクラスメイト。
 教室の扉が、千歳が開けるまえに開いた。白石がいる。
「一緒に食べよ」
「…、ああ」
 そう頷いた自分は、そんなに嬉しそうだったのかと思う。
 あとで、一緒にいた謙也に散々言われたので。

 廊下を歩きながら、傍の低い頭を見下ろす。
 綺麗な髪をしていると思う。
「千歳?」
「……あ、うん」
「なにも言うてへんし…」
 白石がいぶかっていたが、笑みで誤魔化した。
 最近、よく、白石を見つける。
 どこにいても。授業中でも。
 目立つから。

 伸ばした手で、その髪を撫でた。
 白石がきょとんとする。

「…ちょっと、気ぃ抜きなっせ」
「え?」
「…なんか、しらんばってん、疲れとった?」
「……」
 ぽかんとした後、白石は顔を若干赤くして、「誰にもバレへんのに」と呟いた。
「…。」
 口に出しそうになって、千歳は慌てて塞ぐ。

(可愛かった)

 なんて、言いそうになった。

 怒る。確実に。
「千歳?」
「あ、ううん」
 首を左右に振ると、白石は納得したのか、視線を前に移した。
 その視界に謙也が映る。
 それが、突然嫌になって白石の顔を両手で挟んで、こちらに無理矢理向けた。
「………、ちとせ?」
「……あ、…すまん」
「…」
 痛そうにしながら、驚いたままの白石と、謝ってしまった自分。そして、足を止めて固まった謙也と、他、廊下の同級生。
「…離して?」
「……え、と、…ごめん」
「それはええから」
「……」
 嫌だ。なんというか。
 離して、自分以外を見るのは。
 彼が、自分以外に笑うのは。
 そんなことをやくたいもなく考えて、ふと見下ろした白石の顔は、気付くと真っ赤だ。
「……」

 あれ、今、声に出した?

 そこで自覚して、慌てて手を離すと、千歳は脱兎のごとくその場から逃げた。
「……な」
「てか、放置……?」
 我に返った謙也が、額を抑えてそう呟いた。






 なんだったんだろう。あれ。

 恥ずかしかったし。でも、嫌だったんだ。
 あんなのは。

「千歳」

 校門を目指して歩いていた時だ。下校時刻をとっくに過ぎた、部活終了時間後。
 謙也だ。
「あ、…と、忍足」
「お前、放置しとくなや」
「……あ、うん」
 昼間のことだ。
 だって、困った。
「…反応に、困って」
 謙也の向こう、校門で、遠くで謙也を待つ、財前の姿。
「白石の方が困った」
「…うん」

 だって、あんな風に真っ赤になるなんて。

「…お前、わかりやすいな」
「?」
「白石を、どない思てん」
「……、嫌っては、な」
「…」
 謙也の溜息に遮られた。
 なんだろう。責められた? 失望された気配。
「だって、他になかやろ? 男同士…」



 言いかけて、胸は軋んだ。痛んだ。



『男同士』って、なんだ。

『好き』なら、わかるけれど。

 それは、ないだろう、自分。

 だって、触りたかった。



『宇宙人やろうが、地球におったら地球人や』



 彼は優しくて、吐き気がするほど優しくて。



 だけど、それが気持ち悪くなかった自分。


 声を失う。瞳は、あらぬ空を見つめたまま虚ろになった。
 待って。こんな、自覚ってない。


 だって、俺はただ、白石が、欲しくて。


(……あれ?)


 今、やっと、気付く。

 己の行動の、矛盾。

「…お前が、どない思っとるかしらんけどな」

 あまりに遅い、出遅れた恋慕の自覚。
 それに茫然とする千歳を見上げて、謙也はどこか呆れ果てた顔。
「…俺らは、人間やで」
「…そげんこつ、わか」
「とるなら、なんで言葉にしなかった」
「…、ぇ」
「わかっとるなら、なんで言葉にしなかった。
 なんで先に声で、『好きや』て言わなかった。
 …白石が人間やってわかっとるなら。…お前は動物か?」
 財前が、じっとこちらを見たまま、遠くの校門から動かない。
 声は、聞こえているのだろうか。だって、遠く見えるけれど、近い。

 やっと、理解る。

 遠くても、どれだけ遠くても。
 同じ場所にいる。
 近い、言葉の届く、人たち。


『 千歳は、馬鹿? 』


 あいつらじゃない。



「無理矢理腰振るしかしらん動物か。
 フラれて気まずくなるのが怖いなら、今の状況の方がもっと気まずいわ。空気凍っとるわ。ブリザードや。放置すんなや。最悪や。
 ……」
 謙也は、一度、は、と冷たく溜息を吐いた。
 そして、千歳の胸ぐらをぐい、と掴む。抵抗なく、引っ張られた千歳は、首が苦しいのを堪えた。何故か。
 遠くで、こちらの会話が聞こえているかわからない財前が、一瞬、顔を引きつらせる。
 千歳がいつだって見下ろす形の謙也の顔。その顔は、あまりに凄んだ、暗い笑み。
「次、理解らずに、白石に近づいたら、…スピードスター舐めんなや?

 
速攻お前の股間潰すからな!

「…………………」

 流石に、なにも言えず固まった千歳から手を離して、謙也はさっさと校門に向かってしまった。
 なんだ。今の。
 徐々に落ち着いてくる音は、もしかしなくとも心音だ。心臓が恐怖で早い。
 え? というか、今のなんだ?
 今の、忍足?
 あの、黒い笑みの、あの台詞が?

「……………………………金髪の鬼に見えたと…………」

 その場に立ち尽くす千歳は知らない。
 その後、謙也と合流した財前がボソっと、謙也に聞こえないように呟いた言葉を。

「余計なことしくさってからに…。ブラック謙也さんと一緒に帰る俺の身にもなれアホ…!(小声)」

 財前はその日、帰宅するまで真横からずっと寒い空気を感じていたらしい。









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