歪ん だ 北 極 星 −デビル・ポーラスター
第二章−【昏迷路−フレイムウィッチの章−】
−王宮編−
次の日、宿に到着した人数分の馬車に乗せられて、厳重な程の警備で赤也たちは東方国家〈ベール〉王宮に向かった。 先頭の馬車に千歳と二人きりで乗る白石が、何故あんなに取り乱し、錯乱していたのか。何故千歳があんな言葉を言っていたのか、赤也たちは説明されないままだった。 先頭の馬車が揺れると、後続の馬車も続いて揺れた。 それは当たり前だ。同じ凹凸のある道を走っているのだ。 その中で、自分の腕の中に人形のように抱かれたまま茫然自失のようになにもない宙を見つめたままの白石を、千歳は一度きつく抱き締めた。 お前は生きているんだ、生きて居るんだ。死んでないんだ。 そう伝えたい。白石が同じ名の南方国家〈パール〉の弟王の断片的な死の記憶と同調してしまうことは、なにもこれが初めてではなかった。 馬車の手綱を引いていた兵士の横に、剃った頭の青年がいて、彼は中を振り返って静かに千歳に訊いた。 「殿下の精神の同化レベルは、今回は深いんか?」 案じる気配が、言葉の全てにあって、千歳は少しだけ安心して微笑んだ。 これから行く場所は、全てが白石を守る場所だと、わかるから。 「いつもみたいに“白石はん”って呼んでやってくれんと…? そうしたら、蔵も生きてるとわかるかもしれんたい」 「…すまん。そうやな。…白石はんは、大丈夫か?」 「…同化レベルが、今までで一番酷か。多分、殺される瞬間まで遡って同調してしまったと…。殺される瞬間の恐怖なんば、ほんなこつ辛くって恐ろしか。 人格崩壊しかねなか。白石は、正気に返ったら思い出したことは忘れてるかもしれんとね」 「…無理はないわ。なんでやろうな…。何故、記憶を継いでしまったのか…」 そう心から嘆くように白石を案じる男は、石田銀。 この世界で生まれ育った武人で、千歳の知る石田ではなかったが白石が王族になった五年前から白石の世話係兼護衛として千歳のいない時、必ず白石の傍にいた。 祖母が先々代の五大魔女だった石田は、故に五大魔女が国に関わることの危うさも範疇もよく知っていて、よく千歳の力にもなってくれた。 だからこそ、彼は千歳が力を失わないとわかったのかもしれない。そんな人物は、王宮にもう一人いるけれど。 白石は違うと知りながら、懐かしさを覚えて石田に“白石はんって呼んでや”とお願いした。 「………師範」 白石も、千歳も石田を“師範”と呼ぶ。事情は訊いていたので、石田は今では普通に受け答えする程馴れてしまった。 「………すまん」 「なんで、千歳はんが謝る」 「俺ば、…守れんかったと」 「…記憶ばっかりは、どうしようもあらへん。千歳はんの所為やない」 「でも、なにかが一致しちょったんかもしれんと…」 少なくとも、千歳は南方国家〈パール〉の弟王の死に際に居合わせた。 自分の顔が記憶にあることを、千歳は知っている。 だから、引き金になったのは自分かもしれない、と。 石田は馬鹿を言うなと笑った。 「一番殿下を守れるお主がそんな気弱でどうする。 守るんやろう?」 愛しているんやろう、と石田は言う。敢えてこのとき「殿下」と呼んだのは、今のは彼が臣下としての立場で言った言葉だったからだろう。 「もうすぐ着く。殿下が己を取り戻すまでいつまででも二人でおったらええ。 ずっと抱いとってやってくれ。儂が誰も部屋には通さんよ」 「…すまんね。有り難う」 千歳は感謝を述べると白石の肩をそっと抱き直した。 もうすぐ、王宮の頂が窓から見えてくる。 だから、だからもう誰もお前を脅かさないから、と。 ただひたすらに願って、震えもしないその身体にそっと口づけを落とした。 「うわ…」 でっか、と言いたそうな赤也を余所に、平古場と甲斐が。 「王宮ってこんなでかいんだな…」 「サンダーウィッチの館も充分でかいって思ってたけど、スケール違うよなぁ…」 「キミたち、確か一度俺のつき合いで国の城に行ったことあったでしょうに…」 木手が最後を締めるようにつっこんだ。 すぐ国王の前に通されると思った木手だったが、国王は今、まだ北方国家〈ジール〉と南方国家〈パール〉の会談から帰っていないと教えられ、滞在の間住むことになる部屋にそれぞれ通された。 王子の部屋は遠いのか、馬車を降りた一瞬以外、自分たちは白石と千歳を見ていない。 事情を説明されないことが、不安ではあったが不満ではなかった。 誰もが、口に出さないだけだ。 出さないだけで、白石を案じてはいるのだと。 「うっわぁ…一気に人工増えたわぁ。ウザぁ」 遠目に赤也たちを見遣った黒髪が、そうぼやいて近寄って来た。 「あ! 四天宝寺の!」 赤也が真っ先に気付いて指をさすと、その人物――――――――財前光は気分を害する顔をするでなく、逆に笑った。 「切原。相変わらず阿呆面やな」 「うっわむかつく! ねえ柳さんこいつ何様ですか!?」 「俺は殿下付きの光のウィッチですわ。どうも真田さん、柳さん」 「………ああ。どっちの世界の、だ?」 「あんた方の世界のです。俺ももう来て何年になりますか…」 まあ同じ場所に部長と先輩がいるから楽です、と財前。 「喉乾きません? 広間に案内したりますよ。そこで、部長の今の状態のことも説明したります」 「いいんだな?」 俺たちが訊いても、と柳。 「ええ。てか、説明せんと、困るでしょう」 「?」 「あんたたち、顔、真っ青っスわ」 自覚ないんでしょ。と彼は言った。そろってそんな顔並べられたら困る、と。 「おい、仮面取れば?」 着いていく途中、赤也が言うとリョーマは部屋に着いたらね、と異形仮面越しに笑った。 白石の今の様子を訊いて、こちらに向かっていた国王は穏やかではなかったようだが傍に千歳と石田がいると訊いて少し安心したようだった。 「千歳」 王宮の西の棟、王子の寝室は暗闇に今支配されていて、その寝台の上で白石をただ抱き締めている千歳を、扉の傍で呼んだ。 「………桔平」 千歳が視線だけで呼んだので、重傷だ、と彼は笑う。 同じ世界から来訪した橘は千歳の良き相談役であり悪友で、よく一緒に悪巧みもした。 「いっそ抱いてやったらいいんだ」 橘は淡々と、しかし笑って言った。 「……この状態の蔵を?」 「その状態だからだ。…生きてるって、わかるだろう」 言い切って、橘は扉の向こうに消えた。 石田にそろそろと言われたのかもしれない。 橘は先代のフレイムウィッチだった。千歳にはフレイムウィッチではなかった二年間がある。その頃からの、元の世界からの良き親友であった橘。 ―――――――――罪深きものは等しく灰に還るがいい。 フレイムウィッチになる前、それでも強い火のウィッチであった自分が、白石を傷付けるもの全てにそう思っていた頃、橘は予知したようにそれは白石のためにやめておけ、と止めた。 千歳が自分の後を継ぐとわかっていたように、その願いは力を損なうからやめておけ、と。 五大魔女は必ず力がある日衰える。次代がいるいないに関わらず。 今代の五大魔女は全て三年前が先代の力の衰えによる交換期だった。 橘から名を継いだとき、橘はお前なら力をなくさんたい、と笑った。 「白石」 反応のない頬を撫でて、そっと寝台にその身を横たえた。 「…蔵」 もう一度、そう呼んだ。 ゆっくりと、しかし深く唇を塞いだ。 人形のように受け入れる肢体をかき抱いて、服の下の皮膚を這う手が服を脱がしていく。 「…蔵、俺は……蔵のためだけにいるたい」 だけん、わかってと下肢に指を這わせた。 ぴくんと初めて震えた身体が、下肢を抉る指に千歳の腕に指を回して、小刻みに震えながら紅潮した頬でその顔を見上げる。 「…………。せ」 「蔵………?」 「千歳………」 蔵!?と千歳の指がずるりと下肢から引き抜かれて、液体が指を伝う。 そのまま頬に触れられ、覗き込まれて、泣きたい心地で白石はその首にすがりついた。 「………止めへんで」 「蔵…?」 宥めるよう、背中を撫でられる。 「抱いて…痛ぁなるくらい…お前以外、なんもわからんようにしてくれ………」 「……蔵」 抱き締める手が強くなる。そっと触れる手が、躊躇っていることもわかった。 「……大丈夫やから。俺、ちゃんと、……千歳が好きや」 伝えると、きつそうに眉を顰められて押し倒される。 「……千歳、…俺…………」 「蔵は…俺ん理性消す気と…?」 「……そうかもしれん」 「……確信犯なんは、たち悪かよ……?」 覆い被さったまま千歳が苦しげに笑う。今すぐ貫きたい衝動に、堪えているとわかる。 「…………俺、殺された瞬間、覚えてる」 「……やっぱり、そこまで同調しちょったか」 「……断片的にしか、わからんけど、めっちゃ怖かった…。 お前にすがりたいんに…記憶に、お前の顔もあって…」 お前が殺したんかって、言いそうで出来なくて、と。 「………もう、よか」 え?と伺うように見上げた白石はすぐ、そんなことを言っていられなくなった。 深く貫かれて、呼吸が圧迫に止まる。 「…ち…と……ぁ…っ」 「もうよかよ。白石が……戻ってきてくれただけで、…俺はよかね」 「せ…っ」 「ばってん…もう、思い出さんで…蔵は、蔵のままでいて……」 溢れる嬌声の中で必死に自分を呼ぶ声が、徐々に掠れていく。 必死に自分の首にしがみつく両腕が、その顔が愛しくて、強く抱き締めた。 ああ、桔平。俺は矢張り同じことを思うよ。 罪深きものは全て、等しく灰に還るがいい。 この腕の中の身体以外、心以外要らない。 他は全て灰に還ればいい。 偽りの復讐王も、彼に記憶を流した弟王も。 彼を犠牲にする全てを、千歳は許せそうもない。 それでも、白石が微笑むたびに思う。 ごめんなさい、神様。 そう思う。 彼が微笑む度、心の醜さが消えていく。 灰になどならないで、彼を守ってと。 だから、早く俺の醜さを癒して。 彼が授かったのは、神の心ではないのですか。 何故、死の記憶だったのですか。 彼の中から死の記憶はショックでも消えず、彼は覚えていた。 どれほど傷ついているだろう。 全てを許すその身を抱き締めても、心ごと抱いても、怖くなる。 いなくならないで。記憶などに、さらわれないで。 「……白石」 復讐王の親友だと言った白石。 彼は本当の復讐王を知っていた。そのうえで、偽りの復讐王とも親友なのだろう。 なら何故、記憶などがある。 取り除いてやれない恐怖。すがるような手を握りしめて、繰り返し呼んだ。 お前は俺の物だ。だから、そんな記憶要らないと。 「………千歳」 声なく、傍にいてと願われた。 ああ、いる。傍にいる。 いくらでも。 この世界に来たときに、俺はお前に全てを捧げて居るんだから。 もう惜しいものなどない。 お前の物じゃない俺などいないんだから。 欲しいだけ、俺をもらってくれ。 財前が場違いにすすったカップの中の珈琲。 財前に教えられた真実に、誰も言葉がなかった。 まあ、俺も一回その中に千歳先輩の顔があるって訊いたことありますけど、と財前。 「白石さんは、思い出した記憶を覚えている?」 「大抵は忘れてまうな。一回同調の度合いが強い時に居合わせて半狂乱のあの人が口にするん訊いただけや」 赤也の言葉にそう答えて、あ、もうないとカップの中身を見ると侍女を呼んで中身を注いでもらう緊張感のなさが、何故か自然に映った。 彼は、自分の心配出来る範疇を知っているのだ。 だから、必要以上に焦ったり、青くなったりしない。 千歳の出来ること、自分の出来ることを知っているから、自分の出来ることをただする。 そこには、純粋な白石への親愛があるからこそで。 「……強いな」 柳の言葉に、財前は当たり前でしょ、と微笑んだ。 「俺はあの人の、後輩ですから」 リョーマがふうんと呟く。 記憶があることが、少し羨ましいという風だった。 「……?」 人が、侍女も下がって誰もいないことを確認して、リョーマは仮面を取った。 「…俺には、もう遠い昔ですからねぇ」 十年前に来訪したリョーマには、手塚との元の世界での記憶すら遠いのか。 財前がああコシマエ、と呟くように言う。 遠山がおったら喜んだやろな、と言えば、冗談やめてとリョーマは笑った。 |