−デビル・ポーラスター


 第二章−
【昏迷路−フレイムウィッチの章−】



  
−王宮編−






「―――――――――まこと、喜ばしいことです」
 その日の夕方、自国に帰国した東方国家〈ベール〉王は木手を見て、その眼前にひざまずくとそう言った。
「頭を上げてください東方国家〈ベール〉王」
「これは、逆に気を遣わせてしまいましたね。しかし、五大魔女がお二方もこの国にいらっしゃるというのは、大変喜ばしいことなのです」
 王は立ち上がると心底嬉しそうに笑う。そこまで感謝されると調子が狂った。
 自分は自身の防衛のために王宮を頼ったのだから、感謝するのはこちらの方だ、と木手は主張した。
「本来五大魔女は国と不可侵。なのに保護してくださった貴国の温情にこちらが感謝すれど、礼を払われることなど俺は行っていません。
 その上、俺は貴国の殿下に身を救われたものです」
「自ら行きたがったのは蔵ノ介の方ですよ。普段おとなしやかなあの子があれほど望むのですから、とても良き間柄なのでしょう。蔵ノ介とサンダーウィッチさま」
(白石が焦ったのは千歳のためもあんだろ…?誤解されてね?)
 と甲斐が小声で隣の平古場に同意を求めた。平古場はいいんじゃね?という顔だ。
「南方国家〈パール〉じゃ王の仇だなんだって、国王に会うことなんかなかったかんな。
 いいじゃん。感謝される機会があったほうが、永四郎なんだかんだで愛国心薄かったし」
 いや愛世界心?
「あ、陛下。お帰りやったんや。」
 出迎えでけんかった、と廊下の向こうから千歳を伴った白石がうってかわった明るい表情でやってきた。もう大丈夫なのだ、と安堵して、その手がしっかり千歳に握られたままなのに誰もが気付く、がまあなにも言うまいと思ったのは柳だけではないだろう。
「蔵ノ介。もう、大丈夫なのか?」
「はい。ご心配かけました陛下」
「そうか、よかった。お前もこの国の至宝、なにかあったのかと気が気ではなかった。
 ではサンダーウィッチさま方、ごゆるりとお過ごしください!」
 笑顔でそう言って、王は去っていった。
 去り際。
「復讐王。後でお話の場をいただきたいかと」
「了解」
 リョーマとそう交わしていた。




「白石、大丈夫か?」
 夕食の席で問われて、いや大丈夫やってと笑う。
「すまんな、説明しとけばよかったわ」
「いやいいけど…」
「落ち着かれたならなによりですよ。俺たちもしばらくここにおじゃますることになりますし」
「うん、ま、ゆっくりしてってや」

「失礼します。お食事をお持ちしました」

 侍女と一緒に武官たちも部屋に入室してきた。
 リョーマはもう仮面を被っていない。王が帰国したので隠さずにいて大丈夫だと判断したからだ。
 それぞれの席に食事が置かれて、侍女たちは壁に下がる。
「そっか、丸井先輩毎日部長んとこでこんな料理食ってんですね?」
「赤也、それはそうだが食べる前は「いただきます」を言ってから」
 柳の言葉に、はいすんません、と赤也は頷いてから、真横を見てちょ、ちょっと柳さん!と指を差す。
「こいつなんか言ってないでおもくそがっついてんじゃないですか!」
 指さした先にはリョーマだ。
「普段は言うよ。いいじゃん、こっちはすごいおなか減ってるの。
 こっちはずっとかぶり物しっぱなしてまともな食事久々なんだよ」
「苦労してんなぁ越前…」
「ほら、周りの人たちに笑われてんじゃねっスか!」
 見れば侍女や武官たちはにこにこと笑ってこちらを見守っている。
「…千歳、なんで抱き締めに移動してくんねん。食えや」
「だけん〜みんなが蔵みとるとー」
「んなわけないやろ」
「………」
(でも、確かに白石さんの方見てるよーな…)
 赤也が観察しながら食事を口に運ぶ。隣で財前が気にすんな、と言った。
「あれは千歳先輩の独占欲からの勘違いやから」
「え? じゃああの人たちは白石さんを見てはいないってことか?」
「いや、部長を見てんで」
「じゃあ…」
「ただ、千歳先輩が思うようないかがわしい意味で見てへんってこと」
「意味わかんねーぞ?」
 財前の逆隣の平古場が椅子の背もたれに寄りかかって覗き込む。
「まあ、部長はなるべく多くの権限を持つために王子として頑張ったんや。
 やからみんな、完璧なあの人をよう知ってて、尊敬しとんねん。
 その人が、千歳先輩がいる時だけあからさまに表情ちゃうやろ?
 幸せそうっちゅーか、それ見てて微笑ましいっちゅーか、親の気分やねん。みんな」
「…ああ、そういう意味の視線なんだな」
「そういうことです」
 それを教えてやりゃいいのに、と赤也。
 しかし、その瞬間を邪魔したのは王宮の外からの複数の悲鳴だった。
「な、なんや!?」
 白石が立ち上がる。追って千歳も立ち上がって窓の外を見遣った。
「……?」
 一瞬、なにが起こったのかわからない白石たちの後ろで、赤也が不意にあれ?と呟いて自分の身体を抱き締めた。
「ああ…そっか、時期が時期やった」
 財前が一人わかったように呟く。
「なんか、寒いんですけど、すっごく…」
 赤也に言われて、全員が空気が酷く、凍てつくように肌寒いことに気付いた。
「あ、そっか…極寒期だ!」
「ごっかんき?」
 甲斐の言葉に赤也が疑問を返すと、甲斐は赤也の手を引っ張って窓まで連れて行く。
 窓を開けて、ほらと指さした先は真っ黒な空。
「……?」
「太陽がねえんだよ」
 太陽は夜見えなくて当たり前じゃ?と思った赤也の背後、柳がそうか、と手を打った。
「この世界の太陽は、夜でも空に浮かんでいた。一度平古場に訊いたから覚えている。
 確か、一年に一度の極寒期以外は夜でも空から姿を消すことはない―――――――つまり消えた日から一ヶ月こそが極寒期ということ、だったな、平古場」
「そういうこと。しまった、いろいろあって一ヶ月日蝕〈ダークムーン〉の時期だって忘れてたぜ」
「俺もですよ」
「一ヶ月日蝕〈ダークムーン〉?」
「一ヶ月間、太陽が世界から消滅する期間のことや。
 もちろん朝でも太陽は昇らん、文字通り生物の生きられへん極寒期間や」
「ちょ…それまずいんじゃ」
「考えてみなよ切原さん。一年に一回必ず来るなら、打開策がない限りとっくに世界に人間なんかいなくなってるよ」
「そうだけど…じゃあ越前リョーマ。打開策って?」
「そのためのフレイムウィッチ、ってこと」
 リョーマが指さした先には千歳。
「ああ、それは千歳の役目、な」
 部屋に入ってきた金髪頭が笑った。
 今は、な。と。
「あ、橘さん。そっか、先代フレイムウィッチがあんただったね」
「そういうことだ。……ここにはちょうどサンダーウィッチがいるし、今日にでもいけるだろ。千歳」
「ああ、そうたいね。木手、今回も頼めると?」
「ええ。ま、二回連続補佐というのも、いいでしょ」
 周囲がクエスチョンマークを浮かべる中、橘がじゃあ屋上にでも行くか、と先導した。




「まず、フレイムウィッチは仮初めの太陽を作れる。
 仮初めの魔法の太陽は朝夜関係なく世界を照らして、極寒から守ってくれるってことだな。それを出来るのは、火を司る最高位のウィッチ、フレイムウィッチのみってことだ」
 階段を上りながら橘が説明した。
「そんな大重要人物を殺そうとするって、…復讐王…いや偽の方…ってどんだけ」
 赤也の呟きに、まあそれはともかく、と橘は言って屋上の扉をくぐる。
「で、その儀式に必要なのはもちろんフレイムウィッチと充分な魔力だが、もう一個ある。
 風か光の五大魔女の補佐だ」
「…風か光。ウィルウィッチかサンダーウィッチということか」
「そうだ。風は火を煽り、強めて空へ飛ばす要。一方光は火を和らげ、閃光に変える源。
 本当はサンダーウィッチ、ウィルウィッチ、フレイムウィッチ三人そろえば一番環境にはいいんだが、そう我が儘は言えないからな。たいてい、サンダーウィッチかウィルウィッチのどっちかが交互に一年ごとに補佐の役回りをする。
 ただ、それが一昨年もその前も去年もサンダーウィッチだった」
「……ウィルウィッチがサボってんですか?」
「いや、去年単純にウィルウィッチが長期で高熱でダウンして急遽サンダーウィッチが三年連続になっただけだ。
 で、問題の一昨年の前、儀式は南方国家〈パール〉で行われた。当時、偽りの復讐王の父、弟王は生きていた」
「……まさか、その儀式の時に死んだ――――――――――だから居合わせた二人が疑われた?」
「そういうことだ」
 橘が振り返った向こう。完全な暗闇の空。
 その下に向き合って並ぶ二人の五大魔女は荘厳ささえまとって佇む。
「蔵」
「ん?」
「傍おって。今はそげんせんと、俺集中ばでけん」
「…わかった」
 白石は頷いて、千歳の片手を掴んだ。
 空いている片手を木手が差し出した片手とつなぎ合わせて、視線を一度合わせると同時に目を閉じた。

「「下に凍る、月下繚乱、とこしえの月の神に祈りを」」

 二人が紡いだのは全く同じ詠唱。
「ええと、同じ魔法の詠唱?」
「普通、違う属性は同じ詠唱しちゃ駄目なの。でも、一ヶ月日蝕〈ダークムーン〉の儀式ん時のフレイムウィッチと補佐の五大魔女は別」
 赤也の質問に甲斐が答えた先、二人の姿は白い光に包まれていく。

「「陽を隠し、死に奉る命の神に、誓願を乞う我らの声を聞き賜え」」

 瞬間、風が吹き荒れて空へ昇る。まるで、火を誘う空までの道しるべのように。

「「今代、願うは」」
「我、フレイムウィッチ」
「サンダーウィッチの」
「「二つの魔の使徒である、風は火を増し火は燃えさかり太陽となる。その魔が正しく行使されんことを願う―――――――――――――」」

「っわ!」
 ふくれあがった炎が千歳の頭上に立ち上って、風の伝う道を辿り空へ昇る。

「「ちぢにちぢに、しずにしずにとまきかえさん、たわわしげりとげにのまん」」



“東風の太陽〈サンダーフアジャール〉!!”


 刹那、目映いばかりの太陽が空を覆い、凍り付いていた世界に太陽の輝きと温もりが戻った瞬間、王宮の向こうの街で民の歓喜の声が鳴り響いた。





「いやーすごいもん見た…」
 与えられた部屋に戻って、同じ部屋になった甲斐に零すでなく赤也は言った。
 なんだかんだで世話見のいい甲斐はよく赤也の同室になることが最近多い。
「俺はもう三回目だよ、見んの」
「すごいっすねえ。でもあの後糸切れたように二人ぶっ倒れましたケド」
 詠唱が終わった瞬間、卒倒した千歳と木手を思い出して赤也があれは?と言う。
「あれは極度の魔力切れ。二人そろっての。一ヶ月も輝き続ける、世界中を照らす太陽を極寒の世界で作るんだぜ? そりゃ相当魔力消費すんだから、大抵ぶっ倒れるよ。
 去年も一昨年もその前もそうだった」
 去年は確か木手が受け身取り損なってた、と甲斐は遠い目をした。
「はぁ…ますますわけわかんねーです」
「にせもんの復讐王か?」
「そうそ、そんだけ憎い人が王座についちゃっていいんですか?
 重臣たちもなに考えてんだか」
「もしかして予想済みかもな」
「なにがですか?」
「いや、…サンダーウィッチとフレイムウィッチがそのためにこうやって国の保護を受けることがさ。それが重臣の狙いだとしたら、復讐王自身、踊らされてんのかもな。
 案外一瞬見ただけの木手と千歳の姿への誤解を煽ったのもそうかも」
「……難しいです」
「元の世界帰ったら歴史勉強しろよな」
 甲斐は笑って赤也の髪を撫でてやる。イヤではないのかされるがままになりながら、赤也は輝き続ける夜の中の太陽を見遣った。





「永四郎!」
 庭に立っていた背中に声がかかった。
 髪を直す暇がなく、降りたままの姿の木手が振り返る。
「知念クン?」
「…いなくなるな。極度の魔力切れで倒れた後なんだ。
 寝台にいないのに気付いた時、心臓が止まると思った」
「大げさですね」
 隣に立った長身を見上げて、木手は笑うと眼鏡を外した。
「……気付いた、でしょうか」
「え?」
「……遠く、北にいて、…今代の太陽を生んだのが俺だと」

 ここ(東)にいると。

 その瞳が、別人のように彼方を見ている。
 木手の手塚への思いが、変化していることは知っていた。
 けれど。
「……永四郎は、手塚がもう好きなのか……?」
「…ぇ…。そんな、誰も手塚なんて」
「……手塚は、いつまでも永四郎を思わない。
 この世界に来るまでお前を嫌っていたのに、同じ世界に落ちたから、寂しいからって求めただけだ」
「……知念、クン…?」
 その細い肩を引き寄せた。
 直後、その知念の唇にそれを塞がれていることに、しばらく気付かなかった。
 わからなかった。その口づけが終わって、身を離されるまで。
「……ぇ…ッ」
 我に返って、信じられなくなった。
 いつだって放っておけないというように傍にいる知念が自分に向けるのは、友愛だと信じていた。今までも、これからも。
「…卑怯だけど、俺は永四郎を守りたい。
 叶うなら、永四郎の一番でいたいんだ……」
 その高い背の顔を、見上げることしか出来なかった。
「…知念…、クン………………」
 呼ぶ、ことしか。
 仮初めの太陽が、世界の変わりはじめる構図を、ただ見下ろしている。




 寝台に横になって、腰を離してくれない人の寝顔を見つめた。
 あれから、気怠く起きあがれない身体で、千歳は横に寝てくれと願った。
 珍しく弱った姿が、それでも自分を案じていて、白石は逆らわず隣に潜り込んだ。
 大きな寝台は、それでも充分隙間があった。腰にしっかり回された長い大きな腕が、離さないと言っているようで、心地よく、怖かった。
(……弟王の、記憶の中の千歳。アレは……なんなんやろう…本当に、偶然居合わせただけ…?
 でも、すごく、…暗い)
 これ以上を、思い出してしまう日が怖い。
「…眠れなかと?」
 静寂をくぐって聞こえた声に、驚いて寝顔を見る。瞳だけ開いていた。
「起きてたんか…」
「…さっき。白石、様子がおかしかよ」
「…いや、多分、…一ヶ月日蝕〈ダークムーン〉の日の所為や」
「……記憶、痛か?」
「…少しな」
 ぎし、とベッドが軋んだ。起きあがった千歳がまだ気怠い身体を回して、その細い身体を抱き込んだ。
「…これ以上、思い出さんでよか」
「…千歳」
「これ以上、蔵は遠くいかんでよか。…この世界の白石の記憶なんか、いらなかよ」
「…俺やって、欲しかったわけちゃう。ただ」
「ただ?」
「……謙也は、喜ぶんやろか」
 白石が零した声に、千歳はいぶかしむように見下ろして身を少し離した。
「蔵…? なに、言うとると?」
「あっちの謙也には会うとらんけど、…この世界の謙也は、喜ぶんやろか。
 父親がまだおるみたいで。…言った方がよかったんやろか。俺に記憶があるって言えば」
 千歳を狙うこともなくなるんやろか―――――――――――――言う前に両肩を痛いほど掴まれて唇に塞がれて阻まれた。
「…ち…と」
「そげんこつ、言うもんじゃなか…!」
「千歳…」
「あんな、…そげんために蔵が変わる必要なか…! 白石は、白石の記憶だけ持っちょればよか…あんな記憶いらなか…教える必要なか!」
「なに言うてん…。俺は、ただ…そしたら復讐王も…」
「謙也なんてどうでもよかやろ…!?」
(俺たちの知ってる、あの謙也じゃなか、だけん、心配したって意味ない)
「……なに、言うてるん。」
 零れた白石の声が、震えて、掠れていた。
「謙也のこと…どうでもええって…お前」
「ちが…あの世界の謙也は大事たい…! けどこの世界の謙也は…」
「なんでそないな…こと言うん…。俺はただ、謙也が…」
 俯いて、白石は寝台を飛び降りる。咄嗟に伸ばした手が左腕を掴んだ。
「…蔵…?」
 おかしい。いつも、こんな反応しなかった。
 前に復讐王の話をしたことだってある。こんな反応、白石はしなかった。
「……離せ」
「イヤたい」
「謙也がどうでもええんやろ…。今、顔見たくあらへん」
「…だけん……!」
 起きあがって軋む身体を無視して、向き直らせた顔は悲痛に歪んでいた。
 まるで、愛しい息子を罵倒されたように。
 蔵、と掠れた声が届かない。

「千歳の阿呆…大嫌いや…!」

 叫んで、踵を返そうとした身体を引き留める。
 しかしその前に、その身体は止まっていた。
「…」
 自分の口に、手を当てて。その指先が震えている。
「…あれ…なに、俺…今、…千歳に、…嫌いなんて…」
 そんなこと、言うなんてと。
「…なに、言うてん。俺…謙也は、俺の知っとる謙也やない…。
 なんで…千歳より大事みたいな言い方……千歳…が嫌いなわけ……ない」
 のに―――――――――――――引きつった顔が必死に迷うのを見たくなくて、千歳は力一杯抱き締める。
「気にしてなか…。俺は、気にしてなか。蔵がちょっとおかしかってわかっとう。
 大丈夫たい」
「…千歳、俺」
「…大丈夫たい」
 俺は、蔵のことば好いとうから、と伝える。
「…」
「……だけん、蔵」
 わかっている。今まではショックで弟王の記憶を失ったから、大丈夫だった。
 でも今は戻った他人の記憶を覚えている。自分の記憶と錯覚しても無理はなかった。
 先ほどの白石は、明らかにこの世界の謙也の父、南方国家〈パール〉の弟王の顔をしていたから。
 謙也を自分の息子のように錯覚してもおかしくなかった。
 だから、大丈夫だと、わかっているからと伝える。
 空は、偽りの太陽。
 その斜陽が入り込む世界で、白石は茫然と千歳を見上げた。
 見知らぬものを、見る顔で。
「……………………」
「…蔵…?」
 どげんしたと、と問う千歳を見上げて、信じられない思いで彼は呼ぶ。


「………“千里”……………………?」


 千歳の、呼ぶことのなかった名前を。
























→王宮編三話