−デビル・ポーラスター


 第二章−
【昏迷路−フレイムウィッチの章−】



  
−王宮編−





「わっ…だ!」
 入ってすぐ、悲鳴を上げたのは甲斐だった。
 精神世界に潜るのがなにぶん初めてだったので勝手がわからず、着地に失敗して腰を打ってしまう。
「…いたた」
「どんくせーな裕次郎」
「うっせ凛!」
 こちらはまともに着地した平古場が言うと、立ち上がりながら甲斐が叫んだ。
「…うわ、俺たちめちゃくちゃ拒まれてるねえ…」
 千石は周囲を見遣って引きつり笑いだ。
 自分たちを囲む周囲は、真っ暗な闇が蠢いている。
 入り口らしきものは、全く見えない。
「多分、ここは蔵の精神の表層たい。異分子が入ってきたん、拒むんは当たり前と」
「そーだけど…深層にまで行かないと意味ないんだよねー…」
 千石がどうする?と控えめに笑った時だ。
「ん、なに凛」
「は? 俺なんも言ってない」
「え、だって誰か俺の肩叩いて…」
 甲斐がえ?と振り返った先、佇むのは漆黒の異形の化け物だ。
「…うわっ!!」
 化け物が無数に増えて、触手を伸ばして襲いかかった。
「永久に凍えよ―――――――――――――エスペランサショック!」
 甲斐が氷術魔法で攻撃したが、表面が凍っただけだった。
「…嘘だろ」
 茫然とする甲斐に向かって闇の塊が吐かれた。
 逃げる暇のなかった甲斐の腕を引っ張って、平古場は死角の影に隠れる。
「……さ、サンキュ凛」
「ったく、……つか怖えな普通に。ゾンビゲームかよ」
「思い切り歓迎されてるね」
「笑い事じゃねえの千石。…つか裕次郎も、あんま大きな魔法は使うな」
「…あ、そっか。ここ外じゃなくて白石の精神世界だから、あんま大技使うと白石の心を傷付けちまうことになるんだった…」
「じゃ、千歳くんは論外だねえ。フレイムウィッチの魔法なんかが暴れたら大変だ」
「そうたいねぇ……強いのが仇になる時が来るとは思わんかったと」
「………ちょい待て」
 甲斐がふと思い出して、制止をいれた。
「さっきさ、化け物連中。千歳だけは襲わなかった気がしたんだけど」
 俺の見間違い?
「……そういえば、攻撃されとらんね」
「…もしかして、白石が千歳だけは傷付けないよう無意識に避けたとか」
「或いは千歳くんだけは受け入れちゃってるのかもね。流石愛されてるじゃん千歳くん〜。
 白石くんはキミなら心の中に入ったっていいんだーって言ってるってことだよね」
 二人の言葉に千歳はぱちぱち、と目を丸くして瞬きをした後、感動するように精神の一部である黒い壁に張り付いた。
「ほんなこつ蔵…? 俺愛されとるとね〜…!?
 ほんなこつ安心したと…よかったたいー!」
「……千歳、お前実は何度も拒絶されたんで激しくへこんでたんだな」
「…精神ダメージ深かったんだねぇ」
 千石と平古場の声も耳に入らないくらい感動している千歳はそのままべたりと壁に張り付いたままだ。
「…嬉しかと…。蔵、愛しとうよ…」
 しかしそう感極まって紡いだ瞬間、そこの壁だけが急に消えた。
「…ぇ?」
 いきなり空洞になった場所に張り付いていたのだ。驚く暇あれど、千歳はそのままその穴に落下して姿が見えなくなる。
「…うわ! 千歳!」
「おい追うぞ!」
「了解!」
 三人もすぐその穴に飛び込んだ。





 ふっと意識が戻ったのは、自分が意識を失っていたからだ、とわかった。
 起きあがると先ほどの闇の世界が嘘のような白い花びらの世界だった。
 静かで、穏やかで暖かい。
 桜の花びらが、視界をいくつも横切った。
「…ここんは」
「おーい千歳!」
「あ、いた!」
 追いかけてきた三人が千歳を見つけて駆け寄る。
「…あ、いったい、なんば起きたと?」
「さあ…? なんだここ、別世界だな」
「あ、……多分、成功したんだよ。思わぬ方法で」
 千石がわかった、といきなり言った。
「え?」
「ここ、多分白石くんの心の深層だよ。入ることに成功したんだ」
「え? なんで。拒まれてたじゃん」
「だから千歳くんだって。千歳くんが壁に向かって“愛してる〜”なんて言っちゃったでしょ? 壁もあれ白石くんの心の一部なんだから、いわば心の中に直に愛してるって気持ちを送り込んだのと一緒。それで白石くんが深層に受け入れてくれた……ってことかな。
 なんにせよ千歳くんグッジョブ! 結果オーライ万事オッケー!」
「………あ、駄目だ。また感激してるわあいつ」
「よっぽどほんとダメージ深かったんだな…」
 今度は声もないほど震えている千歳を見遣って、平古場と甲斐が淡々と言った。
 その瞬間、響いた靴音に不意にそちらを見遣る。
 いつの間にか桜並木の向こうに、学校の校舎。
「…あれは」
「知ってるの?」
「四天宝寺の校舎たい…」
「え?」
 その校舎から歩いてくる人物がいる。
 白金の髪。白石だ。
「蔵…!」
 しかし千歳の声など聞こえていないのか、傍を彼は素通りした。
「ああ、あれ、記憶の白石なんだ。だから、俺らのことは見えない」
 平古場の言うとおりだった。白石の向かう先、反対側から歩いてきてきょろきょろと周囲を見渡す下駄男は、記憶の中の昔の千歳。
「…あ、」
 記憶の千歳が、白石に気付いた。
「ええと」
「千歳くんやんな? よろしゅうな。部長の白石や、知っとるとは思うけど」
「ああ、ちくっとは…」
 千歳が、すまんね、と笑った。
 なんで謝る、と白石。
「いや、詳しく知っとかなんたい。これからは白石は俺の部長さんでもあるたいね」
「阿呆。これから知ればええし。ほな、案内するし。来てや」
「あ、」
 千歳が、咄嗟に白石の腕を掴んだ。不思議そうに見上げる彼に、千歳は微笑んで。
「これから、よろしくたい。俺ばまた精一杯テニスばしたかね。
 一緒に、全国行きたか。だけん、よろしく」
「……ああ」
 掴まれた腕を解き、手を握り会わせて、白石は微笑んだ。



「…千歳と、白石の出会いの記憶、かな?」
「多分」
 また、場面が変わった。
 今度は散りかけた桜の下。中庭の噴水に、千歳と白石が座って話している。
「ああ、これは…始業式の前たい。多分。春休みの」
 千歳が思い出すように言った。
「こん時から、白石はほんなこつ優しかったと…俺のことば、真剣に考えてくれとったけんね…」
 千歳が思い出して、幸せそうに言った。



「ほな、大体馴れたか?」
「うん、部長さんのおかげたい」
「いい加減やめてや。その部長さん、て」
「…白石、て呼べばよか?」
「そうやな」
 白石が頷いた時、千歳の胸元で携帯が鳴った。
「メールか? 見てええよ」
「よかと?」
「ああ。気にせんで」
「すまんね。あ、ミユキからたい!」


(ミユキ…? 九州に女でも置いてきたんか…うわ、下駄男のくせに生意気な…)


 瞬間、世界に響いた声に、え?と平古場たちは顔を上げた。
「あ、多分今の白石くんの心の声だよ。心では、この時こう思ってたんだ、白石くん…」
 千石がそう言う隣、千歳が絶句した。甲斐が、“下駄男…”と小さく笑う。


「ミユキちゃんかぁ。可愛いんやろなぁ?」
「ミユキはたいがかわいかよ! いつか白石にも見せたるけん!」


(…おいおい、冗談やめろや。ミユキとやらがすんごいどブスやったらイヤやで…?
 はっきり言って他人の彼女を褒める時ほど気ぃつかうことないからな…。
 せいぜいほどほど可愛え子ならええけどな…ってなに携帯操作しとるん…。
 まさか今写メ見せる気か…!? うざい…俺、トイレのふりして別れよかな…)


「あ、メモリーカードの方に入っとったけん。今なかね。
 すまん、後で」
「ああ、そうなん。残念やな。見たかったわ」
「ほんなこつ? 白石優しかね…。妹自慢すると、大概みんな嫌がるたい…」


(……なんだ妹か……さてはこいつシスコンなんやな)



「おいおい、千歳。さっきからすげー思われようなんだけど…」
「どこが優しいんだ? 本音すげーひでえぞ…?」
 甲斐と平古場の言葉に、千歳は言われるまでもなくショックらしく、“下駄男…”と呟く。



「白石、ほんなこつ、ええ奴たい。
 俺ば、ほんなこつは面倒やなかったと?」
「? なんで?」
「いや…こんな時期に。面倒な転校生たい…」
「…そんなこと気にせんでええんに」
「けど、俺、決めたと」
「…?」
「…一度は、もうテニスば楽しめんと思ったと。
 けど、白石が言う全国、俺ば、一緒に見たくなったと。
 一緒に、てっぺん立ちたくなったと。
 こげんこつ、獅子楽では強く思ったこつなかった…。
 白石と一緒やけん…そう思うこつ…」
 ふと下を見た千歳が顔を上げて、満面に微笑んだ。
「白石、一緒にてっぺん立つたいっ!」
 約束と。と差し出された手。白石は茫然とした顔で、手と千歳を交互に見て、うん、と生返事に頷く。
「白石?」
「…あ、すまん、俺、用事あるから」
「…あ」
 引き留める暇もない千歳を置いて、白石は走り去る。
 たどり着いたのは、一本の桜の下。
 その下にしゃがみ込んだ。
「…あり得へん」

(なんやねん…あの笑顔)

「…信じられへん…反則や」

(まさか、まさかあんなにも綺麗に、笑う男だなんて…………)

 一瞬にして、心を奪われた。呼吸が、止まった。
 あの、綺麗な、綺麗な笑顔に。

「…嘘やろ」

(この俺が一瞬でも、男にときめくなんて…嘘や)

「………なんか、信じられんくて…めっちゃ悔しい………」
 膝を抱えて呻く白石を、背後で声が呼んだ。
 飛び上がるように立ち上がった白石をいぶかしんで、謙也がどないしてん?と言った。
「いや、なんでもない」
「そうか? なんや、中庭で千歳、黄昏とったで?」
「…そうか?」
「うん、まるで捨てられた子犬みたいやった…。あの図体で子犬はないけどな」
 謙也は、しらんならええ、と言って、呼ばれてすぐいなくなる。
 白石はまたしゃがみ込んで、今度こそ長い溜息。
 反則や、と。
「…あの図体で、子犬って…」

(容易に想像出来るから、行けへんやん…)

「……絶対、今の状態でそんな千歳みたら…俺間違いなく落ちる…」

 桜の下、途方に暮れた。
 だって、どうしたって消せやしなかった。




「……これは、白石が千歳に惚れたきっかけ?」
 記憶の蚊帳の外で甲斐が言った。
「多分」
「愛されたもんだね。千歳くん」
「……蔵…可愛か……」
「…また感動してるし」
 一瞬、世界が揺れた。
 場面が早送りのようにどんどん変わっていく中、ほとんどが千歳の姿が見える。
 そして見知らぬ庭になった。
「ここん、東方国家〈ベール〉の庭たい…」
「え? じゃあ来てからの記憶か…」
「…多分、まだフレイムウィッチになってなか頃の」
 庭で楽しげに話す白石と千歳がいる。
 侍女が近寄って、“白石さん”と呼んで話して去った。
「この時は、まだ白石も王子じゃないんか」
 千歳は熱心に、本を読んでいる。
「…あ」
「千歳」
「…この日、たい。白石と、しばらく会えんくなったと。
 会った時には、もう王子になっちょった」
 悲しげに呟く千歳の前で、不意に仲いいな、と橘がやってきた。
 桔平、と千歳が笑う。


「これ、読みたがってたろ」
「すまんね」
「千歳は魔法好きやな」
「うん、面白か」
 すぐ集中しだした千歳を白石が微笑して見遣る。
 その姿を、橘が不意に真剣になって、小声で呼んだ。
「白石、ちょっといいか?」
 橘に呼ばれて、白石は一瞬千歳を見遣る。
 本に没頭している姿に微笑して、その場を離れた。

「話か? なんやねん」
「お前、千歳の力をどう思う?」
「……強いんは、わかるけど」
 橘の言う意味がわかりかねて、白石はそう答えた。
「…ここだけの話、五大魔女の中には予知能力を持つやつがいる。
 代によってちがうから、先代は俺じゃなかった…火じゃなかったんだろうから、次代はどのウィッチが持つかわからんがな」
「…千歳に関して、なんか見えたんか?」
「…あいつが次代のフレイムウィッチだ。俺は近いうち力が衰える。
 多分、この予知ははずれない」
「……」
「お前に言うのは正直、迷った。お前の選択肢なんて、一つしかないからな。
 だが、千歳をむざむざ殺させるわけにいかない」
「……千歳、死ぬんか?」
 白石が、青ざめて茫然と言った。
「………お前が、ただのウィッチとして千歳の傍にいるなら」
「…ほな、どないしたら助けられる…方法があるんやろ…!?」
「お前が、この国の王族になることだ。この国の王には、子供がいない。
 そうすれば国で千歳を守れる。王も、俺が紹介すれば頷くだろうし、第一王は既にお前を気に入ってる」
「…なんや、そのくらいなら」
「……………死ぬかも知れなくてもか?」
「………ぇ?」
「この世界では、王族ではない人間が王族になるには二つ方法がある。
 一つは簡単だ。王の息子か娘と婚姻すればいい。だがこの国の王には、子がいない。
 もう一つしかない。…もう一つは、通称『死の儀式』。
 その儀式に堪えられれば、王族の証が手に入る」
「……なに、するん」
「…儀式の間で、一定期間苦痛に耐えることだ。
 ひらたくいえば、その間ではいくら血を流しても死なない。
 だから、そこで王宮が保存する王族の血液と自分の身体の血液を全て交換するんだ。
 …だから、一度血液が完全に、一滴も身体からなくなる苦痛に耐えなければならない。
 大抵、それでショック死する奴の方が多いが…。
 …千歳が訊けば、必ず止める。どうする? 千歳に隠して、その期間千歳に会うことを堪えて苦痛しかない部屋で、死ぬかもしれない恐怖と苦痛と、…孤独に堪えられるか。
 …覚悟があるなら、俺はすぐ王にそう言う。本当は俺が出来ればいいが、元々魔女だった人間は王族にはなれん…。
 …一ヶ月時間をやる。少し、考えて…」
「いらん」
「…白石?」
「いらんわ。今すぐでええ」
「……お前」
「それで、千歳が安全になるんやろ?」
 白石は顔を上げると、ひどく綺麗に微笑んだ。
「ええよ。やから、すぐ連れてってや」
「…白石…………。…じゃあ、せめて一日くらいは千歳の傍に」
「いらん。すぐ行く。……」
「白石?」
「会ったら、揺らぐやろ」


(揺らいでしまう。助けたいから、どんなことにも堪えると誓った傍から、きっと俺はすがってしまう)


「…やから、終わるまで会わへんわ」
「……」
 橘は堪えるように、言った。
「…下手したら、今生の別れになるんだぞ…………?」
「大丈夫や」
 けれど白石は笑う。揺らぎなく。
「俺、死なへんもん」




 変わった場面。
 魔法陣が床一面に描かれた漆黒の密室。
 扉が開くことはない部屋の中央に白石は横たわっていた。
 その身体の下にある魔法陣から伸びた根のようなものが、白石の腕に突き刺さっていて、血を吸い上げているのがわかった。
 白石の顔は最早土気色で、生きた人間の顔色ではない。

(…………なんか、もう気持ち悪い通り越して…感覚あらへんわ)

(ここ入って、何日目やったっけ…もう一週間は経ってんな。誰もこんからわからんわ。
 …千歳、今なにしてんやろ。まあ、橘くんおるし、平気か…)

 あと何日堪えれば、自分の身体から血はなくなるのか。
 八日目あたりから発狂するような激痛が走るようになって、それで大抵ショック死に繋がってしまうと訊いた。
 けれど、恐怖は不思議とない。

(……発狂なんかしてたまるか。堪えてみせる。そしたら、)

「…………」
 うつろな翡翠の瞳から、涙が一筋こぼれた。
 すぐ、あとから溢れて止まらなくなる。

「…千歳」

(……そっちの方が、しんどいなぁ)

「……あいたい……」

(抱き締めて欲しい。あの腕ん中に帰りたい。…あいたい。あいたい…千歳)

「千歳…」

 誰も来ない部屋。当然、千歳に届く筈がない。
 けれど、紡いでしまった。今の一番の思いを。

「…………好き」


 刹那全身を襲った耐え難い激痛に、来たと思って、すぐ思考は飲み込まれた。
 その後は、ただ悲鳴を堪えることも出来ず、終わる時をただ待つしかなかった。
 意地でも死んでたまるかという思いだけが支えていた。
 意識が途切れたら終わりだと、必死に眠ることも出来ないまま堪え続けた。
 悲鳴が掠れて出なくなった頃、ほとんど吐息のような声で、ただ繰り返した。
 千歳、と。
 あいたいとか、好きだとか、そんな言葉じゃなく。
 ただ、たった一人、愛する人を形取る全てを。名を。
 ただ、繰り返し口にした。
 それだけが、生きる意志を繋ぐ糸だった。

 感覚が麻痺していて、激痛が既に身体から去っている、と気付くのに数日を要した。
 意識が徐々にはっきりしてくるのは、保存されていた血液が流されはじめて、血が体内を流れているおかげだ、とわかった。
 不意に、扉が開いた。
 もうろうとした意識で、顔を上げる。
 誰だ。血液がまだ足りなくて、視界が全く見えない。
「……」
 無言でいる人影が、倒れたままの白石の頬をそっと優しく撫でた。
「……面会許可期間入ったんで、…お疲れさま。部長」
「…………ざいぜん…か?」
「まあ、一応…。もう、あとは血が流れきるのを待つだけですから、もう苦しいことはあらへんですから…大丈夫です」
「……そっか。…おおきに」
「…………早く、会えるといいですね」
「…………………うん」

(よかった…死なへんかった…。堪えられた………。また、会える。
 …そしたら、少しは甘えてもええかな……。うんと、抱き締めて欲しい。
 ………もうええ。なんでもええ…………。あいたい…あえるなら…もう、なんでもいい)

 ずっと、苦しいほど千歳だけを思っていた。
 それしか、その思いだけしかなかった。
 苦しいほど、愛している。だから、帰りたい。あの、腕の中へ。
 一秒でも、早く。
 あいたい。

「…部長…?」
「………………」
「………やっと眠ったか。…あと一日の辛抱や。眠ってれば、すぐ明日になる。
 ………」
 不意に、財前は言葉を止めた。
 ちとせ、と意識のない身体が呼んだから。
「…眠ったあとも、千歳先輩のことか。夢ん中ででも会ってんのか…。
 ………しょうのないひとや」
 立ち上がって呟く。
 明日に間に合うようにあの人呼んでくるか、内緒にはするけど。と。
 目が覚めたとき、この人の傍にあの人がいられるように。




 千歳は、最早無言だった。
 平古場と甲斐には、かける言葉すら見つからない。
 普段、人を宥めることに馴れている甲斐すら、なんと言っていいかわからない。
 ただ、拳を握りしめて震える巨躯を、見上げることしかなかった。

 自分は、どこまでも愚かだった。
 白石が笑うから、綺麗に笑うから。
 それに甘えた。
 王族に勝手になったことを責めて恨んで。
 自分のためだってわかってる?
 どこがだ?
 あれほど、白石が苦しんだなんて、これっぽっちも知らないで。
 知った顔をして、軽く恨んで、傷付けて。
 殺す気となんて、酷い言葉を吐いた。
 白石が自分を守るために払った苦しみの、一部すら自分は受けていない。
 死ぬほどの苦痛に、死の恐怖に、孤独に堪えてまで、白石は自分のために笑った。
 白石は、死の恐怖と発狂するような苦痛の中で、ただひたすらに自分だけを思い続けてくれたのに。それほど深く愛されていたのに…。
 耐え難い苦痛と孤独の中で、ただひたすら自分を呼んでいてくれたのに。
 自分に会いたいと、抱き締めて欲しいと、腕の中に帰りたいとただ願って。
 苦痛が去ったあとも、眠って休めばいいのに、夢の中まで自分を求めた愛しい人に。
 自分は、なにも報いていない。
 ただ、愛されることに甘えて―――――――――――――。

 しゃがみ込んで、地面に強く拳を叩き付けた。
 苦しい。涙なんて、頬を伝えないほど、ただ、自分が許せない。
 責めたいのは、白石でも、促した橘でもない。
 ただ、犠牲を払って守られていて、知らずに愛されていた自分。
「……どげんして」
 いつだって、自分はそうやって無条件に向けられる愛情に甘えて、その後ろで傷つく涙に気付かない。
 心ごと、守りたいとなにより強く、願うのに。
「…千歳くんは、責める必要、ないと思うよ」
 傍にしゃがみ込んだ千石が、明るく言った。
「自分も、白石くんのことも、だって、誰も間違ってないよね。
 愛してるから、譲れないだけなんだ。
 だから、自分を責めなくて、いいと思うよ」
「……俺は、」
「自分が許せない? 白石くんが、望まないのに?
 隠したかったのは、千歳くんを愛してるからだよね。
 それを暴いて、傷付けてまで千歳くんは責めたい? ちがうよね?
 笑ってて、欲しいよね? 自分の傍で、さ」
 千石を、うつろにぼやけた瞳が見上げた。
「俺さぁ」
 千石は不意に、場違いに明るく茶化して言った。真面目に。
「南とか亜久津とかスキだよ?」
「それは」
 そうだろう。千石は仲間をひどく大事にする。
「でさ、この間街で、むっちゃ好みのお姉ちゃんみっけてドキドキした」
「……? 何の話たい……?」
「やっぱさ、抱くならそういうお姉ちゃんだよね。柔らかいし、白石くんなんか固そうだし。美人は美人だけど。
 亜久津も固そうだしね。南なんか論外」
「……千石?」
「でも、………オレはそんなそこらのお姉ちゃんより、余程亜久津とか南とか、白石くんとか千歳くんがスキなわけ。抱きたいって思わないけど、すごいスキなわけ。
 オレは、亜久津とかの方が、どんな美人の女の子より、スキなわけだ」
 でも、だからってセックスしたいとは一ミリも思わない。
「……」
「だから」
 千歳の側に寄って、地面に座って笑う。
「それって、かなりの愛だよね」
「………千石」
「いーい? よく聞いてね?(そしてよく読め)」

「男の子を抱きたいって、男の子じゃ、結婚も、子供も、…当たり前の幸福なんか一個もなくって。それでも抱きたいってのはさ、もう愛だと思うわけ。
 ホントすきじゃなきゃできないって思うわけ。
 だから、自分を責められるだけ責められたら、その後はちゃんと白石くんに“スキだ”って言おうよ。泣かれても、白石くんが嫌がったっていいじゃん。
 もしもフラれる日が来てもさ。
 ふられて、何年も経ってやっと、他の人を好きになれるもんだよ。
 言わないで、そんな本物の“スキ”は醜く残るしかないよ?
 それなら綺麗なうちに言っちゃいなよ。そしたら、もうけもんに白石くんも応えてくれるかもしれないし。だから、抱き締めてあげなよ。帰ったら。
 白石くん、苦しい中でずっと願ってたじゃん。
 千歳くんにあいたい、抱き締めて欲しい、腕の中に帰りたい、って。
 それを、叶えてあげようよ。甘やかして、目一杯愛してるって言わなきゃ駄目だよ。
 千歳くんは本当に白石くんを愛してる。白石くんも本当に千歳くんを愛してる。
 それは、俺が保証する。だから、目一杯愛さなきゃ、ね?」
 長ぜりふを一気に言った千石は、にこっと笑って締めくくる。
「……お前は、本当にいいヤツたい」
「ありがといたまして」
 千石の言葉に、やっと笑った千歳に、背後で平古場と甲斐が、ほっと安堵の息を吐いた。
 平古場は我道だが、甲斐は世話焼きで面倒好きだ。矢張り心配だったのだ。
「じゃ、そろそろ場面変わるよね。
 ここが正念場だよ。弟王の記憶が入る瞬間狙って、攻撃。
 追い出すの。そのために来たんだから」
「…うん」
 頷いて千歳は立ち上がる。その瞳には、強い意志。
 愛している。だから、帰ってきてほしい。
 そうしたら抱き締めるよ。目一杯の、愛を込めて。
















→王宮編六話