−デビル・ポーラスター


 第三章−
【貝悲雫−ノームウィッチの章−】



  
−蒼宮の嵐編−

謎々。
何故ボクはキミを抱かなかったのでしょう。
答えを知られたくなくて飲み込んだ。
臆病ものだと誰かが言う。
それでもまだ、もう少し。
もう少しだけ。




 ―――――――――――――南方国家〈パール〉王宮。
 王宮は静まり、誰もが息を潜めるように佇む。
 事実上の鎖国となった南方国家〈パール〉は、最早外からの入国者もいない。
「どうするおつもりかな?」
 重臣の一人が王宮の五階、窓際に佇む長身に訪ねた。
「我が国は予め用意してあった秘術によって他国の侵略を阻める。
 誰もこの国には入れまい。例え忌まわしい五大魔女であろうとも」
「だが、本来はあの弟王の愚子である謙也殿下を生け贄に、我が国は他国からの干渉を退け、今まで通り開いたまま目的を進める――――――――――その手筈が一番スマートなやり方だった。謙也殿下をおめおめと逃がしたあなたに、策がおありなのですね?」
 千里殿―――――――――――――そう呼ばれて、窓に背を預けていた長身はやっとやれやれと振り返った。
「もちろん、策はあるとですよ」
「ならよろしい。この目的の発案者はあなただ。
 我々の至上の目的のために」
「…我々は得なければならない。そう、あの五大魔女、五人全員の屍が要る」
「正直、一番手強かはフリーズウィッチですたい。
 ノームウィッチも厄介だけん、なんとかなる。
 誰か知れなかったウィルウィッチの正体もわかった。
 少なくとも、俺に、ウィルウィッチ・サンダーウィッチ・フレイムウィッチを殺す策はあるとです」
「…ほう? どのような?」
「…俺の友。蔵ノ介が死んだ時、あのフレイムウィッチはしばらく魔力の制御を失ったと聞いた。同じ姿の他人の死ですらその効果なら、果たして、フレイムウィッチは東方国家〈ベール〉王子、白石蔵ノ介本人が死んだ時、…そもそも魔力自体を保てるか――――怪しかもんです。サンダーウィッチも同じこと。サンダーウィッチには北方国家〈ジール〉の国王がよく効く薬とです。ウィルウィッチは俺の読みばはずれてなければ、フレイムウィッチと同じ薬で充分」
 千里は楽しそうに笑って歌うように言う。
「五大魔女への餌として―――――――――――――まず狙うは北方国家〈ジール〉王」
 窓の外は死んだような鳥の鳴き声。
「そして、東方国家〈ベール〉王子、白石蔵ノ介の命です…」





 国境を越えてすぐの街。リエル。
 たどり着いてすぐ赤也が空腹を訴えたので、宿の下見もかねてその食堂に足を踏み入れた。
「ところで白石さん、そのフードなんですか?」
「ああ」
 白石は何故か目深にフードを被っている。つっこんだ赤也に苦笑して。
「ここはまだ東方国家〈ベール〉に近いやんか。俺の瞳の色、この世界やと珍しいらしゅうてな。東方国家〈ベール〉の漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉ってバレるんはやばいやろ。緊急事態でもない限りはな」
「ああ…」
「俺の方が顔は売れてなかよ」
「…千歳はそうだろうな」
 放浪癖を知っている柳がぼそりと言った。
 席に座って注文を済ませて待っていると、不意に明るい声がかかった。
「やあ、柳たちじゃない」
「あ」
 振り返った赤也が、あれ?という顔で紙袋を抱えた男を見上げた。
「…六角の、佐伯、さん?」
「うん。君たちも来ちゃったの? この世界に。それともこの世界の人?」
「いや、お前の世界のだ。北極星還りだ」
「そっか。だよね。そんな感じした」
 やあ、木手。千歳。と佐伯が笑う。
「ども」
「こんにちは。キミは、…一人ですか?」
「一人だよ。くじで負けて買い出し。
 キミみたいに子飼い抱えてないもん俺」
「…甲斐クンたちは子飼いじゃなくて仲間です」
「…そういや、俺も合流時に甲斐くんたちを子飼い呼ばわりしたな」
 白石が遠い目をした。
「そう。まあいいや。じゃ、俺はバネさんたち待ってるし行くね。
 後でまた会おう」
「あ、ちょっと」
 木手が止める暇もあらば、佐伯は人混みに消えてしまった。
「…どうしたんですか? 佐伯さんとそんなに仲良かったんですか?」
「いえ……俺はノームウィッチの館の場所、知らないんですけどね」
「…俺もしらん」
「…千歳クンもですか」
「ほな、さっき聞いとかんとまずかったな」
「…白石さんまで。どういうこと?」
「…あー、佐伯が、ノームウィッチ、なんだよ」
 甲斐が気まずげに言った。
「…え?」
「…五大魔女の割に、随分気軽に出歩いているのだな」
「佐伯は俺や木手みたく、狙われてなかからね」
「顔が知られてなければそんなもんや」
 そんなもん、と赤也が口の中で呟いた。
「風の追跡魔法も無理やから。五大魔女に魔法で干渉は無理」
「…それは、…どうするんだ?」
「まあ、逆説的に魔法を弾く箇所を探す、とか?
 ただ弾く場所はただの高位ウィッチやウィザードの館の可能性もあるから確率微妙だけど」
 と甲斐。
「うわ、本当にいる!」
 また背後で声がした。
「…向日、くん?」
 白石の声に赤也がえ?と振り返る前に向日は赤也の前に回ってきて笑った。
 よう、と。
「さっき佐伯に出会い頭に聞いたんだけどよ。いるって」
「出会い頭っちゅーか、去り頭やけどな」
「……侑士?」
「よう蔵ノ介。こっちの世界の蔵ノ介はもうおらんから向こうの、で間違ってへんよな?」
「…侑士も?」
 忍足は、うん、と頷いた。
「俺らもウィッチや。旅の。よろしゅう立海のお三方に比嘉のご一行」
「…忍足。白石の幼馴染みの? 謙也の従兄弟」
 千歳の言葉に、白石は頷いてから、隣の謙也にあ、俺の世界のな、と言い足した。
「わかっとるって」
「…ボ謙也? なんでおるん」
「あー、こいつはこっちの世界の謙也。
 謙也。こいつ忍足侑士。俺の世界のお前の従兄弟」
「ああ、よろしゅう! 蔵の友だち?」
「…あ、ああ」
「あ、蔵の幼馴染みか! あ、こっち座ってや!」
「…え、あ、あー」
「で、なあなあ、向こうの俺ってほんまに蔵と仲良かったん!?」
「…そぉ…やなぁ」
 促されるままに座ったはいいが、いつも会えば競い合う従兄弟の態度に忍足は引き気味に顔を歪める。
「ほな、えー…侑士くんとも仲良かったん?」
 と笑顔で見上げられて、忍足の中でなにかが切れた。
「…っだああああああああああああああっ!
 こん謙也アカン! 調子狂ってまう!
 …なんや気持ちワルー」
「え? なんや気分悪いんか? 俺聞いたらあかんこと聞いてしもた?
 すまん!」
「…ぅえ」
「…侑士、そこまで吐き気催すな。こっちの謙也はボケてんねんから」
「白石も充分酷いぜ。でも侑士がおもしれー!」
「岳人、馬鹿にしてん?」
「まさか」
 反対側に座った向日が、にこりと忍足に笑って、それから声を潜めた。
「木手はさ、陛下と親しいよな? 何度も会いに来られたって噂だし」
「…え、ええ。それが?」
 手塚のことだとすぐわかってつられるように声を小さくした木手を、知念が隣で見て軽く息を吐いた。
「…やばいんだって。聞いた話」
「え…?」
「俺も聞いたわ。なんでも北方国家〈ジール〉王は不在の不義を問われて王位を追われるかもしれへんって話」
「…不義…、って」
「世間一般では五大魔女=女やん? 女に現抜かしてまつりごとほったらかして復讐王の暴挙を許した無能王、って王宮でバッシングやと」
「……それ、」
 謙也が言いかけた言葉を、白石がそっとし、と指を立てて止める。
「でも、…手塚ほどの王を追って、次代の王なんて、すぐには」
「いや、北方国家〈ジール〉にはあれがいんじゃん。
 …鬼籍王弟が」
「…キセキオウテイ? 奇跡の王子様?」
「…違う赤也。…死の方の、鬼籍だな?」
「そう。通称鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉。
 先代王の嫡子。そいつがいるから、やばくね?って話」
「…………」
 言葉をなくしてしまった木手を見遣って、あ、すまんと謝った忍足が立ち上がって向日を促した。
「俺ら向かいの宿に泊まっとるから、なんかあったら来てや。
 行くで岳人」
「お、おう。じゃあな!」
 白石と何事が話していた向日も立ち上がり、ばたばたと立ち去る足音を遠くに聞きながら柳は気にするな、と木手に言った。
「あれは手塚の頑固が招いたことだ。お前はとどまってくれなんて頼んでないだろう?」
「そうですが」
「なら気にするな」
「…俺の所為かな…蔵」
「謙也の所為でもない。鎖国なんぞしおった千里殿たちの所為」
 言ってから白石は千歳をみやって軽くこづく。
「お前はちっと気に病めや?」
「なんでとね…違う世界の俺やけん…」
「…なんかそうしれっという顔されてっと腹立つんや」
「なんばそれ…」
「とにかく、もう少し情報が欲しいな。食べ終わったらうろついてみるか」
 柳の言葉に、赤也がはい!と頷いた横で食事が運ばれてきた。






「聞こえなかった?」
 少女のような声が笑うのを、手塚はただ無表情で聞こえている、と一言返した。
「だが、意味があるとは思えない。今、南方国家〈パール〉が鎖国を強いたこの時期に」
「この時期だから、キミのような無能王には任せられない、みんなそう言ってるだけだ」
 声が笑う。
「俺が不服なら、素直にそう言え―――――――――――――鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉」
 その言葉に鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉はなおも笑った。
 亜麻色の髪が揺れるのを、一人の臣下が咎める。
「やめたら? 陛下は五大魔女を守るために我が北方国家〈ジール〉に戻られたんだ。
 陛下が戻ったのは復讐王を止めるためだ。知ってるだろう。
 鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉、不二周助殿下」
「ボクたちは逆の意味だと理解しているよ?
 陛下は五大魔女の巻き添えに突然変異〈ミュータント〉に襲われることをおそれて逃げ帰った。復讐王が自分と東方国家〈ベール〉王の進言で止まる筈がないと知りながら」
「言い過ぎだよ。陛下は五大魔女を案じればこそだ。陛下が風の五大魔女と懇意にしていたのは知ってるだろ。その上でそんな意地悪を言うもんじゃないよ」
「どうかな? 陛下はつれない五大魔女に嫌気がさして、だから見捨てることが出来た。
 つれない五大魔女への憎しみから、とは考えないの?」
「それが疑い過ぎだ。確かに“手塚”が現れなければ今の王は鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉。
 キミだった。それを恨むのは仕方ないけどね」
「いい」
「手塚」
 席を立った手塚を止めるように追った長身に手塚は一度振り返って、いいんだと答える。
「お前の気持ちには助かっている。これ以上、この国のお前の立場を危うくすることはない。
 だがありがとう、乾」
「…いいんだ。俺も北極星還りだしね」
 苦笑した長身に背を向け、会議室を後にした手塚を、もう一度だけ鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉が笑った。





「おい、いいのか。あの言いたい放題」
 会議室を出てから手塚を追う影に、手塚は足を止めて、自室の鍵を開けた。
「中で話せ」
「ああ」
 そういうことか、とその金髪が足を踏み入れた。
「で、いいのか手塚。あのまま鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉に王位を奪われるつもりじゃないだろう?」
「心配しているのか?」
「一応な。これでお前に助けられた身だ。多少、友人気取りをしたっていいと思ってる」
「それは助かるが、俺が倒れれば共倒れだ。実際、重臣は皆鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉の味方だ」
「今更鞍替えしろ? 無理だな。そこまでプライドは低くない」
「…お前は、世渡りがうまいと思っている。意地を張るなクラウザー」
 その金髪が、張ってないと軽く笑った。
「いいのか? 本当に底まで共をしなくてもいい」
「今更だ。お前が間違ってるとは思ってない」
「なら、ついてこい」
「当たり前だ」
 で、とクラウザーは本題を変えた。
「あいつらの言う、五大魔女の本来の力。気になるな。
 北極星還りの俺たちは知らないが、来る“沈み行く闇”に必要なんだろ?
 今代の五大魔女も知らないんじゃ…。教えようがない」
「俺は五大魔女を四人知っているが、知っている様子は誰にもなかったからな…」
 もっともフリーズウィッチの正体は最近やっと知ったんだが。
「聞き出して俺が会いに行ってやってもいい。今お前は動くと揚げ足を取られる」
「有り難いが、クラウザー。お前にも話しただろう? この世界のお前がサンダーウィッチに害したと。殺されてもしらんぞ」
「死んだんだろ? そいつ」
 この世界の自分を指して“そいつ”と言い、クラウザーは好都合だと。
「有り難いね。同じ世界に俺が二人もいるなんて気味悪かった。
 しかも強欲領主。殺してくれて感謝したい。
 俺は説明すれば済むと思うが。五大魔女もまさかあっちの俺が生きてるなんて勘違いしないだろう?」
「…それはそうだろうが」
 クラウザーがなら問題ない、と言った瞬間、開きっぱなしだった窓から人影が飛び込んだ。
 一瞬警戒したクラウザーは、正体を知って驚かせるなと悪態をついた。
「ああ、ごめんごめん」
「向日。…どこから入ってくるんだ」
「だてに炎のジルフェって呼ばれてねえよ」
「…門から入ってこい。なんだ? 内密な話か」
「ん。五大魔女が今、この国に四人もいる」
「……四人も? 一人除いて全員集合だな」
「うん。ウィルウィッチはノームウィッチの方にいるらしいから会ってないけどな。
 フレイムウィッチとサンダーウィッチには会った」

(…来ているのか…木手)

「手塚に用事だって」
「俺に? なんだ」
「ほら、南方国家〈パール〉のことだよ。一番親交深い北方国家〈ジール〉を頼みにって話で漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉も来てる」
「……俺は今王位自体危ない。助けになれないぞ。第一、復讐王は俺の話を聞かなかった」
「そういうんじゃねえって。第一ウィルウィッチと一緒に本物の復讐王がいるっていうし。
 ほら、南方国家〈パール〉の鎖国を可能にしてる秘術。破る対の秘術が北方国家〈ジール〉にはあるんじゃないか、って意味で」
「…ああ。………あるかもしれないが。今の俺では」
「だったらせっかく五大魔女が四人もいるんだ。助けてもらえば?」
 ようは戦争に巻き込まなけりゃいいし、と向日。
「………どうだろうな」
「俺が会ってくる。いいだろ?」
「…怪我の一つは覚悟した方がいいぞ?」
「知っている。ジルフェ。案内してくれ」
「おう、いいぜ!」
 クラウザーが向日を追って飛び出した窓の外。
 町並みが広がる。本当は会いたい。
 だが―――――――――――――。

 望んで手放したのに、その結果がこれか、と零れた。




 ―――――――――世界の至宝。五大魔女。
 その身に宿る真の力。恐るべし領域。
 誓約者たる誓約を交わせしもの。
 そのもの彼の魔女の刃となり、刃を得た魔女、一降りで世界を滅ぼさん。
 故に、沈み行く闇を滅ぼすだろう―――――――――――――。

「っていう伝説。ようは五大魔女に誓約を交わした人間を力に、強大な力を小さな魔力で使えるってことだよね。
 だから、沈み行く闇を滅ぼせる。そのために、…五大魔女には誓約の君を見つけてもらわなきゃならない」
「けれど手塚は知らなかったからね。風の魔女の元に行く時、教えるべきだったな」
「……あからさまに手塚の味方しないでいいよ乾?
 キミも意地悪だね。会議ではあからさまに手塚の味方をしておいて」
 不二はくすり、と笑って長身を見上げる。
「実は、キミはボクの腹心なんだから」
「…手塚は俺を信じ過ぎなんだ。召還されてからずっと一緒にいた北極星還りだからね。
 あいつ、そもそも他人を疑わないよ。よほどでないと」
「じゃあ教えてあげれば? 俺は敵だ、って」
「つまらない。それにそんなことしたら不二がやりにくくなる。意味ないね」
 乾の肩をすくめる様子に、不二は首を傾げた。
「何故、乾はボクの味方をしてくれるんだい? ボクは元からのこの世界の人間。
 キミの友人にボクと同じ名がいたとは聞いたけど、それだけで陛下を裏切れるもの?」
「…そこは、“それだけで友人を裏切れるもの?”って聞いて欲しいかな。
 …まあ、手塚は特別待遇なんだ。俺なりのやり方なんだよ。一応援護のつもりだよ。
 手塚のね。…でも大局には不二の味方に見えるから、不二に味方してる。
 イヤなら手を切っていいよ? どうせ重臣たちは不二の味方。
 俺ごとき新参の臣下はそんな権力ないし」
「…キミだから役に立つんだよ乾。キミは戦争がない国の人間にしては頭もいい、キレるし軍師向きだ。記憶力もいい。なにより、そういう打算で人を裏切れる才能は、ボクは好きだ。
 だから、キミを傍に置く。…キミこそイヤなら言っていい」
「…まさか。イヤなら、最初から俺を使わないか? なんて言わないよ」
 乾は不意にカーテンを開けて窓の外の夕闇を見る。
「…夕焼けは逢魔が時。俺は、…俺の逢魔が時に殉じるだけだよ」
 乾の言葉をふうん?と流して不二は机の上のチェスのキングを弾いた。















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