−デビル・ポーラスター


 第一章−
【歪輝貝−サンダーウイッチの章−】











 柳が、ややうんざりしたようなこの世界の甲斐の様子に、ため息が吐きたくなった時。
「あぢぃ〜」
「うおっ!」
 甲斐の悲鳴と別の男の間抜け声。
 見ると甲斐の後ろにやはり見知った巨体の男。
「な、なんだよ慧くん…。いきなり後ろ立つなよ」
「いきなりって、ウィッチで武術家なら気配くらい読めって裕次郎」
「うるさい凛。慧くんはー、足音でわかるの! うるさいし重いから。
 その足音がしなかったから!」
「永四郎が熱台風〈ヒートハリケーン〉が来るって言うから…。そしたら熱くて暑くて…」
「えー、さっきまで寒かったのに」
 と平古場。
「…ゆーじ。氷出して」
「俺は冷蔵庫じゃない…」
 疲れた言葉を吐いて、甲斐は指を宙にかざす。
 と、二十p大の氷が田仁志の手の上に落ちてきた。
「…づべだー」
 と張り付く田仁志を余所に、話の腰折れたとばかりに甲斐はどこまで話したっけと首をひねる。
「…ヒートハリケーンとは?」
「熱の風のこと。大した威力じゃないんだが、これが暑くてな。
 ま、サンダーウィッチがなんとかするさ。あ、俺達は全員サンダーウィッチの部下だ。
 …慧くん、お前もウィッチなんだから! 少しは! 腕、磨け!」
「いだだだだだだだだだ!」
 田仁志に思い出したようにヘッドロックをかけている甲斐に。
「もう一つ、この世界にも冷蔵庫はあるのか?」
「……ああ。んなもんない。てか、冷たく食物を冷やす箱だろ?
 って…前に来た客人が言ってた」
「……そうか」
 一瞬、この世界の人間の振りをした甲斐と考えたが、違ったらしい。
 嘘の色がどこにもないのだ。
「凛ー。知念くんは? サンダーウィッチんとこ?」
「とこ」
「そっか。知念くんが一番説明力があるんだけど」
“まあいいや”と甲斐は開き直ったようだ。
「で?」
「え?」
「こっちが名乗ったんだ。そっちも名乗れ。固有名がないと話しづらい」
「あ…ああ」
 すっかり、自分たちの世界の甲斐たちと話している気分だったので、自己紹介を求められることは予想外、というより既に思考になかった。
「あ、俺切原赤也! こっちが真田副部長! こっちが柳センパイ!」
 切原の説明に、眉を曲げたのは甲斐、平古場、柳、真田…つまりこの場の田仁志を除く(田仁志は端から聞いていないから)全員だ。
「…あれ? なんすかその思い切りやっちゃったみたいな顔」
「…赤也、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが」
「ここまで末期だったか」
「あ、副部長に先輩ヒデエ!」
「……えーと、で。そっちが柳せんぱいに…ふくぶちょう…って随分また」
「変な名前ー」
 と甲斐と平古場。
「……いや、副部長と先輩というのは…なんというか、役職名だ。名前ではない」
「すまんな。赤也は手が焼ける馬鹿なので、役職名で呼べば通じると思ったらしい」
「……はあ、」
「副部長というのは…まあ、“部活”という一団体の副リーダーというやつだ。
 先輩はいわば目上への敬称だ。俺達は赤也より一個年上だから」
 先程から切原が静かなのは、流石に柳の一言が効いたから、ではなく真田に渾身の力で口を塞がれているからだ。
「一個くらいの年の差で目上ねえ。こっちじゃ十歳下が二十歳上に命令なんてよくある話だよなー凛」
「だーなー。実力さえあればな」
「そっちの世界では年齢の差がものを言うの?」
「いや、学校という場所でだけだ。他はこちらとおそらく同じく、実力だ」
「そ。じゃ、し切り直し。名前」
「俺は柳蓮二。こっちが真田弦一郎だ。柳に真田、切原と呼んでくれ」
「わーった。俺達も甲斐、平古場でいいぜ」
「あとこの場にいない知念寛っての、知念でいいから。すぐわかる。一番背が高くて暗い」
 どうやら甲斐と平古場は氷に懐いている田仁志は見ないふりをするつもりらしい。
 まああの様子では説明も無理、と柳と真田もそれに従った。
「甲斐、平古場」
 上の階から低い声が二人を呼んだ。
 姿でわかった。知念だ。
「知念くんー、なに? どしたの?」
 サンダーウィッチが会うって?
「違う。客人連れて二階あがって。隠れてろ」
「…、なに、また来た?」
 あからさまに甲斐は顔を不快に歪めた。
「来た。サンダーウィッチが言うんだ。間違いない」
 知念の方は、何処か冷めた風に瞳を伏せて階段を降りてくる。
「またって…」
「まさか、北の国の国王か?」
「なんだ…柳だっけ? 知ってたのか」
「落ちた場所の街人から注意しろと言われたんだ」
「じゃ早い。隠れてろ。本気で殺されるぞ」
「…なんか面白くねー」
「文句言わない赤也。剣の素人がこの世界の国王に勝てるわけはない。
 サンダーウィッチ達に任せた方がいい」
「蓮二」
「“いざとなれば俺は戦える、加勢は出来る”と言う。しかしそれは所詮実戦を知らない剣だ。甘えておけ弦一郎」
「……」
 柳のもっともな台詞に、真田も眉を寄せながら黙った。
「こっちさ来い。ほら」
 甲斐が案内する通りに階段を昇り、二階に着くとすぐ脇の扉の中に招かれた。
「知念くん。サンダーウィッチ、守れよ」
「わかっとぅさー」
 すれ違い様に交わしあって、知念は一階に降り立った。
 館は二階の廊下が吹き抜けになっている。
 切原たちが隠れたのは吹き抜けの左端奥の扉だ。
 それこそ、ノックも了解を問う声もなく、扉はすぐに外から開かれた。
 漆黒の衣服。威風堂々の風情を称えた顔の背後で、風が揺れる。
 黒髪の美貌の麗人は、切原たちにも見知った顔で言葉を紡ぐ。
「サンダーウィッチ!」
 声も知っている。あれは。




「手塚さん…!?」
「だな…もっとも、甲斐たちと同じ違う世界の手塚国光だろう」
「…俺の知っているヤツは、女にうつつを抜かすヤツではないしな」



 皆扉の奥に隠れているため、小声である。

「また知ってる顔?」
 確かにあいつの名前は手塚国光っていうらしいけど、と一緒に隠れた甲斐が言う。
「違う場所の部活のリーダーだ」
「……ま、あっちはお前らなんか知らないだろ。出るなよ」
「わかっている」


「サンダー…」
 北方国家〈ジール〉の国王、手塚の呼びかけに、知念が眼前を塞いだ。
「…サンダーウィッチの部下の知念と言ったな。サンダーウィッチを呼べ」
「断らせてもらう。何度来てもサンダーウィッチはお前のとこには行かない」
「…」
 風が凪がれる。
 開かれたままの扉が独りでに閉まった。
 それでも流れる風は止まない。

「…知念くん」

「……実力行使、というわけか」
「殺す気でないだけ、感謝して欲しいぜ」
 知念がそう言ったのが合図か、知念の腕に激しい突風がまとわりつき、目で見える程に風が実体を持ってふくれあがった。
 手塚は背後に飛んで距離を取る。
「紺碧の、しずにしずにと巻き返し」
 知念が口にした言葉は、不思議な力がこもっているように聞こえた。
 響くように、謳うように囁く声。
「風をまといて嵐となれ―――――――――――セイヴァーウィンド!」
 それは呪文の詠唱だった。そう柳たちが気付いたのは、知念の最後の言葉と同時に、手塚に向かって知念の指先から激しい風の刃―――――かまいたちが走ったからだ。
「…時を狭間に置き換えし」
 手塚がそう口にした。
「繰る星、降り立つ古よ―――――――――――エンシェントルミナス…」
 一瞬、激しい閃光が走る。誰も瞳を開けていられず、光の奔流は知念の放った風を絡め取り空に放つ。

「手塚もウィッチか!」
「だーなー…。国王が魔法を使っちゃいけない掟はないからな」

「茶番は終わりにしようか。ウィッチの資質は、お前より俺が上手だ」
 手塚に分があるのは明らかだ。
 しかし。
「深淵深く織りなすは、虚空の闇を捕らう光――――――ムーン…」
 手塚の二度目の詠唱を避けようともせず、知念は驚いたように天井を見上げた。
「……?」
 それに、手塚も詠唱を途中破棄する。
 天井には、手塚が放った風を絡め取った光がそのまま宙で停止している。
「……」
 手塚はそこで気付いたように、吹き抜けの二階に視線を向けた。
 本来なら、光に方向を変えられた風はそのまま天井を突き破って飛んで行くはず。
 それを更に上から絡め取った力も、また風―――――――――――。
 二階の吹き抜け、そこに黒いローブを目深に被った人影が気配なく立っていることに、遅れて柳たちも気付いた。
「…サンダーウィッチ…。出て来るなと」
 知念の言葉にサンダーウィッチは無言で頷く。
「とうとう、俺の元に来る気になったか?」
「………」
「サンダーウィッチ」
「………」
「…っ!? 待て!」
 無言のサンダーウィッチにしびれをきらしたように、手塚は高く跳躍すると、サンダーウィッチの眼前に降り立つ。
 その黒いローブを掴んで、顔をのぞき込んだ。
「……お前はいつも、俺をそう冷めた目で見る。そこまでに俺が忌々しいか?」
 紡ぐ手塚の手が、そのおとがいを掴んで上を向かせる。
 知念が駆け寄ろうとしたのを、サンダーウィッチが手で制した。
「…―――――――――――」
 手塚が構わず、サンダーウィッチに上を向かせ、上から深く口づけた。
 重なる唇と力づくの行為に、目深に被っていたローブが落ちる。
 あらわになった顔と肢体は、細く、しかし強靱。
 肩の出た白い魔法衣は、眼鏡をかけた“彼”のよく知る、あのジャージに似ている。
 意思でない口づけに、意地で瞳は閉じずとも、僅かに引きずり出された欲情に染まった頬は紅い。

「……木手」

 柳が呟いた名前が、サンダーウィッチと呼ばれた男の名だった。
 真田もただ、言葉を失っている。
 木手永四郎。
 沖縄比嘉中、主将の男。彼が、間違いなく、サンダーウィッチその人だった。
 ただ、きっと違う世界の、だろう。柳は内心で思った。
 しばらく手塚の好きにさせていた彼は、急に手塚を強く突き放した。
「……」
 あからさまに機嫌を悪くした手塚にも気にせず、木手は階下を見ると。
「大丈夫ですね? 知念くん」
「…永四郎。出てくるなって言った」
「キミを見殺しにするよりマシです」
 知念の心配をしてから、木手は手塚に向き直った。
「ところで、そこの鳥頭は、いつになったら俺の言葉を正しく受け入れてくれるつもりかな?」
「…俺のことか」
「そうですよ。何度も“二度と来るな”と言ってるよ」
「…それでも」
 懲りず、近寄った手塚が木手の手を取る。
「諦められない程、お前が欲しい」
 自分の口元に、取った手を持っていきながらその顔を見つめる。
「……笑えない冗談は存在だけにしてください。返答はノーだ」
「……また袖にされたか」
「…永遠にね」
「……例えば」
 手を掴み、強く引き寄せると手塚は木手をかき抱いた。
「……俺がただの男になると言って、ここにいると言っても、俺のものにはならないのか?」
「……生憎、俺はキミが好きにならないよ」
「…そうか」
 呟くと、手塚は木手を腕から離した。
「それに、キミは自分のものになった俺に対して、興味が失せる。そうは思わない?」
「笑えない冗談だ。それは世界が終わった瞬間にもないさ」
「…それは残念だ」
 呆れたように、初めて木手が笑った。
「次は兵を率いてでもお前を連れに来る。部下達が人質になってまで、張る意地はなかろう?」
「…」
「それから、隠れている連中」
 手塚の言葉は奥の扉に向けられている。
「…なんか用?」
 大人しく甲斐と平古場が出てくると、手塚は笑って。
「まだいるだろう? 客人とやらだ。先に入って行くのが見えたぞ」
 手塚の次の言葉に、真田たちは無言で扉から出てきた。
「…サンダーウィッチの力にすがるのは結構。だが、手を出すな。
 それは、俺のだ」
「それは無理な話だろうな。俺達が愛情としてサンダーウィッチを好くかは別として、今のやりとりからお前が好かれているとも見えないぞ」
「よく言う口だ。名を聞いておこう。俺は北方国家〈ジール〉の32代国王、手塚国光だ」
「……真田弦一郎」
「柳蓮二」
「切原赤也っすー……」
「…名は体を表すらしい。なるほど見合った名だ。
 …サンダーウィッチ。無為に力を遣うな。お前は世界の至宝の一人だ」
「それはウィッチの代替わりの時に言われましたね」
「…わかっているならいい。また来る」
「だから、二度と来なくていい」
 木手の言葉に耳を貸さず、手塚は一階に降り立つと扉を開けて去った。
 閉まる直前、木手が天井近くで留めておいた光と風を、外に逃がした。









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