−デビル・ポーラスター


 第三章−
【貝悲雫−ノームウィッチの章−】



  
−蒼宮の嵐編−




「凛、起きたんだ…」
 部屋に入ってすぐ、甲斐がそう言った。
 彼はトレーニングをやめて、横になっていたソファに起きあがる。
「わかるんですか?」
「気配が変わったから…。
 なんだ切原? 慰めに来てくれたのか?」
「……」
「大丈夫だよ!
 俺は。
 凛も復活したみたいだし。
 俺、実はお前より図太い―――――――――――――」
 ギュ、と抱き締められ、甲斐は言葉を失った。
 小さい、その身体。
「…嘘だ。
 甲斐さん、本当はすげー怖い筈っス…。
 木手さんが、すぐじゃなくても死んじゃうってわかってるから…。
 すげー…怖い筈っス…!」
「言うなよ。平気だ…。
 その前に、元の世界に帰ればいい…!」
 大丈夫だ、と言い聞かせるように叫んだ甲斐を、赤也は許さなかった。
「帰れなかった時のことに怯えてるじゃないですか!!」
「っ!」
 大きな殴打が響く。
 甲斐の手が、赤也の頬を殴り飛ばした。
 すぐ拳は降りて、悔しげに握られる。後悔して。
「…ごめん。殴るつもり、なかった」
 すぐ正気に返った甲斐は、倒れた赤也を起こすとそっと抱き締めた。
「…ありがとな。すげぇうれしい…。
 そうだ、…怖いんだ。
 切原…俺…、怖くて堪らないんだ…!」
 そのまま身を震わせて泣き出した甲斐を、赤也はそっと抱き締め返し、ずっとそうしていた。
 その泣き声が、止まるまで、ずっと。





 こんこん、と開きっぱなしの扉をノックされる音に気付く。
 そこには向かいの宿に宿泊している筈の忍足侑士の姿。
「忍足、用事か?」
 部屋にいた柳が、真田の手元から顔を上げて立ち上がった。
 謙也が興味津々に忍足の方を見るのを、まだ気持ち悪そうに見ながら、忍足は言った。
「謙也なんやけど、そっちの」
「俺?」
「先にノームウィッチんとこ行ってもらっといた方がええんやないかな」
「ノームウィッチの?」
「そう。国を追われたとはいえ、元復讐王。
 世界で南方国家〈パール〉への反感が高まってる時に、謙也が北方国家〈ジール〉王宮に関わるんはまずいわ」
「…わかるんだな。俺達が北方国家〈ジール〉王宮に関わる気だと」
「まあな。手塚んためやろ」
「…ああ。そういうことらしいが、謙也」
「…わかった。蔵の邪魔になりとうないし…けど、館の場所」
「俺が知っとるから案内したる」
「ああ。おおきに」
 謙也が、ほな蔵に挨拶してから行ってくる、と出ていくのを見送って、忍足はもう一度中を見る。
「あと、みんなにお客さんな。ほんまはもっと早う来たかったらしいけど、お前らが取り込み中っぽかったからやめといてたんやと」
 そう言い残して忍足もいなくなった。
「客?」
 いぶかしむように呟いた時、部屋に赤也が甲斐を連れて戻って来た。
「ああ、甲斐は、元気が出たのか?」
「まあな…いちお」
「木手さんはー?」
「通信回線にアクセス出来ないか、試している」
「…つ、…え?」
「ああ、お前知らないんか」
 甲斐が嘘のような明るい口調で言った。
「魔法を駆使した遠距離の画像通信システム。
 こういう…」
 甲斐が部屋の壁にあった、赤也たちにはなんのものだかわからなかったパネルを開いて、ボタンを操作する。
 すると、宙に青い縁取りの透明な画面が浮かび上がった。
「うわ…なんかあれ、…SF映画のホログラフィみてえ」
「まあ、そんなもん。これで、遠くのヤツと会話出来んの。
 他の国にもあるけど、世界中でこの通信システムが発達した文化を誇るのは北方国家〈ジール〉なんだ。
 まあ、普通の宿とかのシステムだとつなげられる回線に制限があるから、木手も無駄は承知でやってんだろ」
「…あ、王宮、に?」
「うん。まあ、王宮のシステムなら、北方国家〈ジール〉全域の回線ジャックくらい軽いんだろうけど…」
 甲斐がそう顎に手をあて、ぼやいた時、そのまま開いたままの扉がまたノックされた。
「あ…」
「よう、いいか?」
 向日だった。
「向日。お前か? 忍足のいう客は」
「微妙に違うような…、俺がその客を案内してきたの」
「それで別々に来たのか…それで、その客は…」
 柳が扉の向こう、廊下を見遣って、言葉を一瞬失った。
 ならった赤也が、「げ!」と叫ぶ。
 丁度通路の向こうから来た白石と千歳が、どないしたん?と疑問を浮かべる。
「……名古屋星徳の…」
「…リ、…なんだっけ」
「リリアデント=クラウザー、だ。自分の対戦相手の名前くらい覚えてくれ。
 王者の坊や」
 クラウザーの言葉に、え、あれ?と赤也が言葉を迷わせて問う。
「…その言い方は…、あんたは、」
「そう、誤解される前に言っておけ。攻撃の一回くらいは覚悟しろ、と手塚に言われていたが。
 思ったより頭の回る連中で助かった。
 俺は北極星還りのクラウザーだ。あんたの君主とやらのサンダーウィッチを害したこの世界の俺とは別人だし、害する気なんかさらさらない。
 甲斐裕次郎、とやら」
「…わかってんよ。あれで生きてる筈ねえもん」
「なら助かる。ジルフェ。ここにいるのがサンダーウィッチか?」
「いや、サンダーウィッチは木手だから、ここにいねえな。
 フレイムウィッチはいる。こいつ」
 と千歳を指さした。
「ああ。どうもフレイムウィッチ。
 北方国家〈ジール〉王、手塚の子飼いみたいなもんだ。よろしく」
「あ、ああ。よろしく」
「…手塚の、使いということか?」
「ああ、取り敢えず扉を閉めて話そう。不穏な話だ」
 そこで戻ってきた木手を交えて、クラウザーは椅子に進められるまま腰掛けた。




「ところで、向日を何故“ジルフェ”と?」
「こいつの異名が“炎のジルフェ”だからな。そっちの方が俺は呼びやすい」
「そうか」
「で、俺はこっちに来て、手塚にだいぶ助けられていた。
 だから力になるつもりだ」
 謙也を除く全員で集った室内。
 クラウザーの言葉に、手塚はなんと?と木手が問いかけた。
「鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉に追いつめられていて危ないな。
 秘術を手に入れたいが、今は動けない、と。
 なんせ重臣全て、鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉の味方だ。
 だからジルフェが提案したんだ。
 五大魔女を味方につけろ、せっかく四人もこの国にいるんだから、と」
「…妙案ではあるな」
「木手、どうする?」
「…別に、構いません。戦争に荷担するわけではなさそうですしね」
「俺もよかけど。それにそげんせんと、話ばすすまんね」
「じゃ、あとはノームウィッチとウィルウィッチ待ちだな」
 快諾してくれて助かった、とクラウザー。
「ジルフェ。残りの説明頼む。俺は手塚に報告してくる」
「ああ」
 足を踏み出しかけて、クラウザーはぴたりと止まった。
「…ああ、言うなって言われていたが」
「…なんだ?」
「サンダーウィッチにな。…手塚は、あんたにだけは、助力を乞うのはイヤらしい」
 そう残して、クラウザーはいなくなった。
 向日が謙也が迎えに行ったならそのうち二人も来るから、方法を煮詰めとこう、と言っていろいろ話して帰っていった。
 様々なものがうずまいて、木手は小さく俯く。
 …臆病に震える心。
 本当は、死にたくないと、怯える、気持ち。




 静かに、夜は来る。
 喉の乾きに起きた木手は水を飲みに行って、廊下でびくりと立ち止まった。

(来たか…)

 せり上がってくる衝動に、感じたのは、飢えだった。
 知っている。
 これは―――――――――――――。

「…永四郎?」
 背後から声がかかって、身を竦ませる。
 知念がいた。
「……なにか?」
 作り笑いのように笑んだ木手を、痛く見て知念は額に手を当てる。
「…なにか、また我慢してるだろう」
「してませんよ」
「……俺じゃ、力にならないのか」
「…そんなんじゃ」
「……いくら、好きだ、って…言ってもか」
 そう、言われても、願われても、飛び込めても。
 愛せない、ヒト。
 決して、家族以上になれないヒト。
「……どうしてですか……?」
「なにが」
「…キミは、平古場クンの特別だ。彼の、恋人だ。
 それくらい、俺は知ってる。
 あなたが本気で、俺を愛しく思う筈なんてない。
 俺じゃ、あなたにとって平古場クンの代わりにもならない。
 なりたくもありません」
「………」
「なのに、何故好きだとか、キスとか、するんですか。
 ……俺を、…キミはどうしたいんですか」
 泣きそうに零す。瞬間きつく抱き締められた。
「…や…はぐらかさないで…!」
「違う。違うんだ。…永四郎」
「…なにが…」
「…俺は、確かに、平古場しか、恋愛で愛していない。
 お前を、恋愛で愛していない。
 でも、お前をいつだって、愛している。愛して、やまない。
 義務感じゃない。責任じゃない。
 …俺は、お前がいなければ、平古場を愛さなかった」
 平古場だって、そうなんだ。と。
「…だから、お前が愛しくて仕方ない。
 イヤなんだ。お前が、“俺達だけ”の永四郎じゃなくなるのが。
 お前が…、他の、男の物になることが―――――――――――――」
 真っ直ぐに見つめられる。
 心臓がはねて、うるさい。
 それが、本当だとわかるから。
「…好きだよ。永四郎。
 でももし、お前が、本当に、…手塚のものになりたいなら…」

 俺は、許すよ。

「…お前が、…それで幸福になるなら。
 残された時間…お前が幸福でいられるなら」
 更に強く、腕の力を込められた。
「……俺は、まだ、諦めてませんよ…?」
「俺もだ」
「なら、…“そのこと”は言わないで。誰にも。手塚にも…」
「……」
 目を閉じ、知念は頷く。
「…ああ。それを、お前が望むなら……」
 そっと、腕の囲いから離される。
「じゃあ、俺…」
「まだ、なにか隠してる」
 話は終わりだと思ったのに。
 手を痛いほど掴まれて、止められる。
「……やめてください。…あなたを、……エにしたくない」
「…エ?」
「……跡部クンに聞いたんです。
 対を失った星の子は死ぬ。けれど、対を失った五大魔女は…他なる副作用があるって」
「……なんなんだ?」
「……五大魔女は、…強い魔力を維持するために…血を欲するようになると。
 対がいる限り、対の魂が力の維持になる。けれど…」
 必死に逃れようとする木手の口から覗く歯が、見る間に尖っていく。吸血鬼のように。
「…俺は、誰も餌(エ)にしたくない…」
「……」
 そっと、抱き締めた。強ばる身体に、囁く。
「…してくれ」
「…知念…」
「…俺の血が、欲しいんだろ?」
「…イヤです…そんな…許されない…こと」
「…それを、決めるのは俺だ。もし、大衆に許されないことでも、…俺は、許す。
 俺がそのことで、お前の特別になれるなら、…俺達だけの、秘密になるなら」
 シャツのボタンを外して、首筋を露わにして、木手の前にさらす。
「…一緒に、…許されないことを、してくれ」
「―――――――――――――」
 木手の喉が鳴る。
 きっと、もう限界だったのだ。
 最早襲う飢えに耐えられず、躊躇いなく鋭い歯が首筋に立てられた。
 鈍い音が、肉を裂く。
 ジュル、と血をすする音に、感触に堪えて、その頭をかき抱いた。
 この秘密は、絶対手塚は知らないままだ。
 だから、この瞬間だけは彼は、俺の、俺達の…ままの木手なんだ。
 それがどんなに許されない独占欲でも、消す気はなかった。
 それは、きっと甲斐たちもみな、同じ気持ちだから。
 唇が、離される。
 その口から覗く歯は、既に人間のものに戻っていた。
「口、すすげ」
「…」
 ぽん、と頭を撫でた。
 自分の首を流れる血に、謝りたい衝動を堪える顔に。
「…手塚のところに、行くんだろう」
「…知念クンは、その跡…」
「…ガーゼでも貼っておく。その上から忍足に魔法をかけてもらうさ」
「…はい」
「永四郎。呼べよ。…また、飢えた時は」
 俺を。
「……、…、……はい」
 木手は何度も迷って、そして決めたように、頷いた。






 室内の影に、驚いたのは一瞬。
 その姿に、更に驚いた。
「…木手…?」
 木手だった。
「何故…何故王宮に…」
「俺は風の魔女ですよ。風で飛べます。魔力もだいぶ回復してる。
 この程度の警備、軽いです」
「…あ、ああ。南方国家〈パール〉、のことか」
 馴れなかった。いつになく彼は真剣に自分を真っ直ぐ見つめていて。
 思わず視線を逸らした。きっと、木手の用事はそれだろうと。
 手をぐいと掴まれた。
「…なんでですか」
「…き」
「なんで逸らすんですか。なんで俺が、そんな用事であなたに会いに来なきゃいけないんですか?」
「…木、手…?」
「…あんなに見つめていてくれたのに、…なんで離れてしまったんですか…?」
 瞬間、愛しさと迷いがない交ぜになってその身体を抱き締めていた。
 こんなの、夢に決まっている。
 けれど、彼が、自分を見つめている。
 それは、現実で。
「…あなたが心配で来たんです。王位が危ないって聞きました。
 ……それなのに、俺に助力を乞うことを迷ってるって」
「…当たり前だ。お前を、結局俺は守れなかった」
「守って欲しいわけじゃない。俺は、」

「俺はあなたの傍にいたかっただけだ」

 視線が絡まる。彼は真っ直ぐ自分を見つめて、そう言った。
「拒絶しつづけて、虫のいい話です。…けど、…今気付いた。
 他の人じゃだめだ。知念クンですら、駄目なんです。
 あなたじゃなきゃ、俺は愛せない…。だから早く傍に来て。ここにいて。
 抱き締めていて、だって離れたくない」
「っ…!」
 必死に抱き締めて、その泣きそうな瞳に、頬に、額に、キスを落とす。
 拒まない身体を抱き寄せ、そっと唇を重ねた。
 初めてのように彼の腕が首に回された。
 これがどんな神の気まぐれでもいい。
 どんな奇跡だって構わない。

 もう、俺のものだ。

 彼は、もう俺のものだ。

 だから離さない。
 必ず王位を取り戻して、ずっとお前の傍にいる。

 そう伝えると、今日初めて木手が微笑んだ。
「……恨んでいたんです、あなたは、なにも言わずいなくなったから」
「…それは、困る。でも、今は無理だ。嬉しくて、どんな言葉もきかない」
「…わかっていてください。あなたが嬉しいなら、俺も嬉しいって。
 力を貸させてください。…心配なんです」
「…心配してくれるのか」
「当たり前でしょう? あなただって、俺を案じてくれるのに。
 俺だって、あなたを案じたい。…だから、力を貸させてください。
 千歳くんに聞いたんです。魔力を失わない方法」
「…方法?」
「千歳クンは白石クンのためだけに力を使うから、国に関わっても力をなくさないって。
 俺も、同じ方法で力を使うから」
「…」
 そう笑う顔が愛しくて、もう一度キスをした。
「駄目だと言ってもやるんだろう。だから止めない。
 だが、俺の指示を待ってくれ。お前が力になってくれるなら、やりようはある」
「…はい」
 頷いた木手がすっと離れた。
「もう、行かないと。あなたの部下に気付かれる」
「…そう、だな」
「じゃあ、…また。…おやすみなさい」
「ああ、…おやすみ。…また」
 はい、と微笑んだ顔がもう一度手塚を見つめて、すぐ背中を向けた。
 正直、色々山積みで、未来は闇だった。
 だけど、もうそんな闇はない。
 お前が好きだと告げてくれたから、きっと世界は明るい。
 ただ、明日をまとう。
 きっと、なにかが変わっていく。
 風になって消えていく背中に手を振って、そう思った。









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