歪ん だ 北 極 星 −デビル・ポーラスター
第三章−【貝悲雫−ノームウィッチの章−】
−蒼宮の嵐編−
「ここから先へは、行かせないよ」 「…乾」 「…もう、わかるよね…? 手塚。 俺が、…お前の敵だって…」 手塚は目を瞑って、小さく頷いた。それでも、信じたくはなかった、と言うように。 「…気付いてはいたんだ…。お前が…俺の味方を、…本気でしていないことを…」 「なら何故、放置したんだ。自分がどんどん、不利になることはわかったはずなのに」 「…それでも、信じたくなかった。…お前を、…誰より、信じていたかった。 お前のためじゃなく、きっと、…俺のために。 お前を信じることが、…信じ続けることが。 お前が例え一度裏切っても、いつかまた俺の傍に立つ夢を、信じ続けることが…。 俺の…俺の…勇気になっていた」 「…俺は、…手塚の、力になれていたんだね…。 なにもしなくても…、ただ、居るだけで、在るだけで…」 「ああ…」 「…そうか……、嬉しいよ」 「なら、…退いてくれ…。俺は、…これからも、お前を信じたい」 「……」 乾は無言で笑う。それは、とても優しい色で。 そして肩にかけた鞘から剣を抜きはなった。 「…駄目だよ。…行かせない」 「乾!」 「…来い。手塚。…行きたいなら、世界を救いたいなら、…俺を、殺していけ。 俺の屍を越えていくんだ!!」 「…乾…っ!」 「秘術の結界を張った。俺が解くか、俺が死ぬか、…どちらかでない限り、…冷暗宮には行けない。…時間、ないんだろ? さあ、…戦おう。殺すんだ。俺を。迷わず殺して、越えていけ。 お前も俺も、もうとっくに人殺しになった。今更迷うことはない筈だ!」 「…っ」 拳を握りしめる。爪の痛みに、顔を歪めて、その瞳から涙が溢れた。 「……出来ない」 「…なんだって?」 「出来ない。…お前を、…殺せない。 それで、王でなくなっても、…世界が、なくなっても…。 出来ない。出来ないんだ…乾…!」 「…手塚」 僅かに目を見張った乾の前に、こつりと靴音を鳴らした足が立つ。 「…し」 「…俺が、やる」 「白石!」 白石が乾の眼前に立ち、手に闇の剣を生み出す。 「…俺は世界を、なくせん。…俺が、彼を殺す。 手塚くんは…目を閉じとけ。…彼を殺す以外、方法あらへん」 「…白石…、…っ」 イヤだ、とか。やめろ、とか。 言葉はあるのに、出せなかった。 いけないから。 本当は、乾を殺すしかないってわかっている。 そうしてでも、その先に進まなければならないと。 本当は、わかっている。 だから、出来ない自分の代わりに立つ白石を、止めることなど、出来ない。 「…わかった。…白石。…戦おう」 微か、頷いた乾が床を蹴った。 剣と剣が交差して、何度も交じり合う。 響く、剣戟。 それを、逸らさす見ることだけが、出来ることだった。 千歳はなにも言わない。 白石の、決意も、王族としての誇りも知っているからこそ。 彼が危うくならない限りは、見守ろうと決めているのだ。 乾の剣が弾かれて腕ごと上がる。 そこを狙って、白石の剣が乾の胸目掛けて振り下ろされる。 しかし一瞬早く剣を持ち替えた乾の手が、白石に向かって縦に降ろされた。 「白石っ!!」 千歳の悲鳴が、幻のように響く。 剣は確かに、白石に振り下ろされた。 だが剣はまるですり抜けたように当たらず、白石の剣だけが、乾の胸を、貫いた。 剣が落ちる。 乾が、床に膝をついた。 「………ゲームオーバーや。乾くん」 「…そうだね。……白石、キミも…」 乾は力を足に込めて、最後の力で立ち上がった。 白石のその耳元に口を寄せて、誰にも聞こえないよう、囁く。 「……キミも、…本当は、わかってるんだね…? 俺も、キミも、…落日が…逢魔が時が、近い。すぐ、そこまで…来ている。 だから、俺の剣は当たらなかった。キミの身体が消滅を始めて、透けた瞬間を切ったから…」 「……ああ」 「……なら、悔いを残すなよ…? 俺のようには、ならないで。 言うんだ。願いを。一番大切な人に。…消える、その、落日が沈む、前に…」 そう紡いだ瞬間、乾は血を吐いて床に崩れ落ちた。 「乾!!!」 手塚が駆け寄り、その身体を抱き起こす。 「……手塚、…行くんだ。結界なんか、最初からない。 ……お前は…帰れ。世界を救って、無事に、元の世界に。 …国を、救え。…お前が、王なんだから」 「…乾…?」 「……鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉と賭けをしたよ。 俺が自分についてなお、味方を失ってなお、お前が王として国を救えるなら、二度と異論を唱えない。自分の持つ、王族の権限全てを、お前に明け渡すってね。 お前には、…必要だろう? 全ての王族の権限がなければ、冷暗宮にも入れない。 国を、世界を救えない…」 「…最初から、俺のためにか…。俺のために俺を裏切ったのか…!」 「……よせ、手塚」 魔法で傷を癒そうとした手塚の手を、乾は押しとどめた。 「…俺は、助からない」 「わからないだろう!?」 「……」 (そうか…) 「……」 “手塚。…そのままに、そのまま逝かせてやってください” 風が震えて、手塚の耳にだけ、その声は届いた。 「…木手…?」 “…彼は、対を失ったのでしょう。もう一人の自分、…己の対を。 対を失った北極星還りは、やがて死ぬ。それが、星の子の運命。 見なさい。彼の手が、透け始めている…もう、…消滅の時なんです” 「…そんな」 「……サンダーウィッチか。…でも、有り難い」 「乾…なんでも、言え。どんな無茶な願いでもいい! 言うんだ!」 「……そうだね。じゃあ…」 乾は微笑んで、手塚の手を、透けた手で精一杯握って紡いだ。 「お前と、もう一度、…テニスで戦う夢を…」 願うよ―――――――――――――そう唇が声を残した刹那、その身体は透明な羽根になって散り、消えた。 なにもなかったように。夢となって。無となって。 手塚の足下に、綺麗な、青い、哀しい色の結晶が、落ちた。 「…乾…っ!!!」 零れる涙が、ただ結晶に落ち続けた。 結晶を握りしめて、それがなにかはわからないけれど、きっと、これだけが乾の存在の証なのだと、手塚は抱いて泣いた。 それを、木手はただ見つめていた。 (俺もいつか、もう一度彼を泣かせてしまう。…きっと、こんな風に、…いなくなって) きっと。 「冷暗宮に行こう…。乾くんの話がほんまなら、鬼籍王弟〈レーヌプリンス〉はもう手塚くんに権限の全てを渡した。 入れる筈や」 白石の言葉に、一瞬返事は帰らないと誰もが思ったが、手塚は立ち上がると、頷いた。 「ああ…」 結晶を胸元に仕舞って、行こう、と言った。 彼も、わかっている。 わかったのだ。 そう、わかった。 「…これが…」 王宮の果ての南。 冷暗宮。 そこに置かれた小さな翡翠の石。 南方国家〈パール〉の秘術を破る、対の秘術。 手塚が手に取ると、その石は形を変化させて羽根の首飾りとなり、手塚の首と、白石の首に半分ずつのようにかかり、飾りとなった。 「…なんで、俺まで?」 「…おそらく、王権を持つ、秘術を行使する力と意志を持つものだからだろう。 この秘術はおそらく一人では使えない。 それに、婚姻で王族になった俺より、儀式で王族になったお前の方が、強い王権を持っている」 「…そっか」 白石がどこか複雑そうに呟いた。 “キミも―――――――――――――” 乾の声が、頭をよぎった。 だがその瞬間、ノイズ混じりの通信画面が手塚の眼前に現れた。 『陛下!』 国王以外立入禁止区域の冷暗宮では魔力の通りが悪い。 それでも繋がる辺りは、流石世界一の通信技術を持つ国家の王宮のシステムのなせる技と言える。 「…どうした?」 『西方国家〈ドール〉から緊急通信です!至急執務室にお戻りを! 西方国家〈ドール〉からの通信を繋ぎます!』 「わかった!」 手塚が頷くと通信は途切れる。 「なんだ…?」 「行ってみよう! もしかしたら、南方国家〈パール〉が動いたのかもしれない…」 執務室に全員が足を踏み入れると、すぐまた画面が現れた。 『では繋ぎます!』 画面が一度揺らぎ、すぐに画面を縁取る色が桜色に変化する。 桜は西方国家〈ドール〉の国紋だ。 これは西方国家〈ドール〉国内からの通信であることを示すもの。 画面に映ったのは、彼の国王、馳せ参じる戦神〈イモータル・ハーキュリー〉。 「幸村、なにがあった」 『緊急事態だ。南方国家〈パール〉からの襲撃を受けた』 「なんだと!? 兵数は?」 『数は一万近く。だが、全員が突然変異〈ミュータント〉でね。 突然変異〈ミュータント〉を見たことも聞いたこともない人間の方が西方国家〈ドール〉には多い。兵は皆対応出来ず、ほぼ防戦一方だ。 越前から聞いた即死魔法も、北極星還りでなければ使えない。 西方国家〈ドール〉にいる北極星還りは、俺とブン太だけ。 フリーズウィッチは今所用でいないし、そもそも戦争だから巻き込めないしね。 そこにいる北極星還りのみんなの力を借りたいんだが、…それでも数で応戦し切れるかどうか…』 「……………」 西方国家〈ドール〉は四大国家の要。 そこを狙うとは、矢張り南方国家〈パール〉は本気なのだ。 「わかった。あと、南方国家〈パール〉の秘術を破る秘術を手に入れた。 それで…」 「手塚。ちょっと、通信システム貸してください」 「…木手?」 「幸村クン、俺に考えがあります。なんとかなるかと」 『木手。そうか。助かる。だがいいのかい? 戦争に荷担することは…』 「大丈夫ですよ」 木手はそう断言すると、机の上の通信パネルを起動させて、操作する。 眼前に大きな画面が浮かび上がった。 「なにをする気だ?」 「北方国家〈ジール〉全域の全ての通信回線にアクセスするんです。 強制でね。そうすれば宿にいる人間も含め、ほぼ北方国家〈ジール〉の全国民がこの通信を受けることになる」 「…いったい」 ピ!と合図が鳴る。 全国民、全域の繋がる可能区域全ての回線をジャックしたことを示す合図だ。 おそらく、ジャックされた回線全ての画面に、今木手が映っている。 「―――――――――――――突然の通信、無礼を失礼します」 『この通信は北方国家〈ジール〉全域全ての回線にかけています。 おそらく全国民の皆様、旅の方のほとんどがご覧になっているでしょう。 急ぎの事態ですが、まず、ご挨拶致します』 「誰だ…? 全域の通信ジャックってことは、王宮から…?」 宿の画面前で、宿泊客が呟く。 「なんだよ、今いいとこだったのに…」 誰だこの男、とある民家の家主が文句を言う。 「…陛下、じゃないよね? お母さん、誰、このお兄ちゃん?」 「さあ?」 『俺は、今代の五大魔女が一人、風のサンダーウィッチの任を務めます。 木手永四郎と申します』 「五大魔女…さま!?」 「待てよ、五大魔女は女だろ…?」 『まず、俺の性別に驚かれていらっしゃるでしょう。 先代との交換期の折り、風の魔女の位を継ぐウィッチが俺しかおらず、そのため“魔女”の名に反する形ながら、座を空位に出来ないと俺が選ばれました。 俺がサンダーウィッチである証拠として、今から北方国家〈ジール〉全域に粒子風〈スターウィンド〉を発生させます』 「粒子風?」 問いかけた赤也に、甲斐が。 「粒子みたいに光をまとった風のこと。滅多に出現しないから、確かに証拠になる」 光が瞬間、北方国家〈ジール〉を覆う。 国外からは、北方国家〈ジール〉が突然発光したように見えただろう。 「本当に粒子風が…じゃあ、本物のサンダーウィッチさま!」 「信じられない…五大魔女さまがこの国にいらっしゃる…」 「いったい、なんのご用なんだろう…!」 『信じていただけたであろうところで、本題に移ります。 今現在、西の大国、西方国家〈ドール〉が南方国家〈パール〉からの襲撃を受けています。 交戦中とのことですが、敵兵士全てが東方国家〈ベール〉で増殖している異端能力者突然変異〈ミュータント〉であり、ほぼ防戦一方の状態を西方国家〈ドール〉は強いられています。 しかし、我々には突然変異〈ミュータント〉を一撃で無力化する魔法が切り札としてあります。それを使用すればすぐ西方国家〈ドール〉を窮地から救えるでしょう。 ですが、その魔法を扱えるのは、北極星還りのみ。 我が元にいる北極星還りだけでは、南方国家〈パール〉の突然変異〈ミュータント〉に対抗しきれません』 「そんな…西方国家〈ドール〉が滅んだら」 「俺達だって危なくなる…」 『そのための通信ジャックです。 今から、この通信への返信コール受付回線を開きます。 自分が北極星還りであり、また西方国家〈ドール〉を救うため協力してくださるという意志のある北極星還りの方、この通信を見ていたらコールを送ってください。 俺が風を使い、コールの発信元の方のみを西方国家〈ドール〉陣営へ瞬間移動させます。 皆様には決して南方国家〈パール〉からの攻撃が及ばないよう、風の結界を張った状態で。 西方国家〈ドール〉は四大国家の要。 四大国家が存続することが、北極星に対抗しうる一つの策である可能性は高い。 四大国家が崩れれば北極星還りは元の世界に戻れない可能性もあります。 ですが、勇気を持って俺の声に答えてくださるなら、俺達五大魔女全てと、味方となる四大国家王たちの力を持って、必ず元の世界への帰路を見つけだし、あなた方をお帰しすると誓います。 西方国家〈ドール〉にいる突然変異〈ミュータント〉を無力化次第、俺の力で再びこの北方国家〈ジール〉の元いた場所へ全員を戻すとお約束します。 …その意志を持って応えてくださる方へ、』 「―――――――――――――今から、一分以内にコールをここへください。 お願いします」 「……やるな、木手くん」 背後で見ていた白石が呟いた。 「…でも、大丈夫なんか? 戦争に立派に荷担することになるんじゃ…」 「だから、大丈夫ですよ」 「その根拠はどっから…」 甲斐が言いかけた時、すさまじい頻度で通信コールが鳴り響いた。 「…来ましたね。数、およそ千! これなら行けますよ」 「でも、『ダウト』を使わせるとして、そうするとそいつ人殺しになっちゃうんじゃ」 「あれが完全に相手の鼓膜を震わせたならね。 俺の張る結界に、空気を多少震わせる風を折り込みます。 それで、『ダウト』の効果を力を奪うだけに留めるんです」 「なるほど…」 『コール、有り難うございます。 では、今から瞬間移動を行います。 皆様、西方国家〈ドール〉に到着次第、こう叫んでください。 ―――――――――――――『ダウト』と。行きます!』 木手を中心に風が走る。 「天満、天馬の歌う風、満ちて空へ帰るべし――――――――オールワープ!」 瞬間、風が北方国家〈ジール〉国内全てを包んだ。 それから、三十分経過後、西方国家〈ドール〉から回線が入る。 『有り難う。無事、鎮圧完了したよ。 助かった、木手』 「いいえ。そちらに送った方々は皆元の場所に転送しました。 あとの処理はお任せします」 『ああ。あとでなにか恩返しさせてくれ。 …本当に、魔女の力を失っていないね?』 木手は笑うと、風を周囲にまとわせる。 すると画面の向こうの幸村の周囲を、粒子風が囲んだ。 「今、西方国家〈ドール〉全域に粒子風を起こしましたよ。 これでも、力を失った、と思いますか?」 『びっくりした…。本当に大丈夫なんだね。 すごいな。あとで、コツ教えてくれ。 じゃ、俺は忙しくなるから、礼は改めて、じゃあ』 それを最後に通信が切れた。 「すげえな…でも、なんで?」 「千歳クンの受け売りなんですけどね」 「俺?」 「千歳クンは、白石クンのためだけに力を使うから、国に荷担しても力をなくさない。 と言ってましたね?」 「ああ…」 木手は笑って、手塚の顔を覗き込む。 「俺は今回、“あなた”のためだけに力を使ったんですよ? 同じ理論で、力を失わずに済むと思いません?」 つまり、それこそが“愛しています”という言葉そのものだ―――――――と伝えられて、手塚はその身体を抱き締めた。 乾を失った。けれど、それをそっと、癒す風が、ここにいるんだ。 「…有り難う」 「…いいえ」 応えて、木手の手が手塚の背中を撫でた。 |