−デビル・ポーラスター


 第三章−
【貝悲雫−ノームウィッチの章−】



  
−遅れて来た魔女編−




 ぴちょん、と頬に降った水で意識が浮上した。
「………ん…?」
 身動きが出来ない。
 木手の両腕は木の何本もの枝に両側の頭上で囚われていて、全く動かなかった。
 意識して気付く。
 魔法も、使えない。
「それは沈黙の木〈サイレント・フローラ〉という木だ」
 声に、はっと顔を上げてそこにあの二十代を名乗る柳がいることに気付く。
 隣に、あの第二十代フレイムウィッチを名乗った黒ローブ。
「それに囚われたものは魔法を封じられる。魔法を封じる部屋に閉じこめては、俺達が使えないからな」
「……ここは?」
「予想はつこう? …南方国家〈パール〉だ」
「…あなたは、千里殿の、味方ですか」
「違う。だが、五大魔女を欲していることに代わりはない」
 柳がすっと身を退いた先、白い衣服に白い仮面の青年が進み出た。
「俺達の目的も、千歳千里を始めとする重臣たちの目的も違う。
 しかし、過程で欲する力は、同じだ」
 その青年が言った。
「“五大魔女”」
「そうだ」
「…しかし、千里たちと目的は違う。故に協力関係にない。
 だから、千里たちはお前が南方国家〈パール〉にいるとはしらん」
 柳が言う。
「…あなたがたは、誰ですか」
「…第二十代の五大魔女だ」
「…」
(…フリーズウィッチ、ノームウィッチ、ウィルウィッチの第二十代も、いるということか)
「あなたは?」
「…俺は、初代フリーズウィッチだよ」
「それは、面白い冗談ですね」
「冗談じゃないよ」
「…でしょうね。そんな冗談をつく理があるとは思えない」
 声が自然掠れる。恐怖だ。
 得体の知れない恐怖。自分がこれからどんなことを強いられるかに、対する恐怖だ。
「そして、初代の南方国家〈パール〉国王でもある」
「…、…」
「魔女は王族になれない、と言いたいんだろう。だが、初代だけは違ったんだよ。
 大昔で、第五十代のキミは知らないだろう」
「…」
「初代の俺は、ここにいる第二十代より力は劣る。衰えているしね。
 でも、経験で今代に勝てる自信はある」
「跡部クンに?」
「ああ」
「……目的を、聞いても答えてもらえないでしょうね」
「そうだな」
「…なら、千里殿たちの目的は? …敵対関係にあるんでしょう?」
「そうだな。それなら、教えていい。
 彼らが欲するのは五大魔女の屍。目的は、権力者の誰もが欲すること」
「…なんです」
「南方国家〈パール〉による、世界支配。大陸統一と言ってもいい。
 くだらない話だよ、俺達にしてみればね」
「……本末転倒では? 魔女を殺しては、世界は一年も生きられない」
「それを阻む結界がある。南方国家〈パール〉国内を守る力が。
 そして世界全てが南方国家〈パール〉になれば、世界は死なない」
「………、千里殿は」
 彼が、同じ目的で動いているとは思えない。
 リョーマが語った彼の過去。なにより、自分が見た蔵ノ介の記憶の中の彼から考えて。
「千里だけは、口裏を合わせながら、違う目的で魔女を欲している。
 そして、それは誰もが願うこと」
「…それは?」
「…亡くなった大切な人の、蘇生。死んだ人間を蘇らせること」
「……」
「蘇生方法があるのは、星の子。それも対を失って死んだ星の子のみ。
 だから、千里は欲した。
 …南方国家〈パール〉弟王、“白石蔵ノ介”を蘇らせるために」
「……わけがわからない。なら何故、自分自身で彼を殺した!」
「殺さなければ、蔵ノ介に自分への愛情は戻らないから。
 一度殺しても、蘇生させれば北極星に奪われた心も蘇ると知った千里は、一線を踏み外した。
 もう一度、自分を愛する蔵ノ介に会うためだけに」
「…そのために、殿下を、殺した…? 自分自身で…」
「例え自分を愛する心のない蔵ノ介でも、自分以外が彼を殺めることは彼には許せなかった。
 彼は、蔵ノ介の全てが欲しかったから」
「…そんな……」
 わからない。けれど、間違っている。
 ただそのために、その最愛を一度でも殺めるなんて。自分以外が殺すことを許せないなんて―――――――――――――。
「キミに言い切れるとは限らない。木手永四郎。
 キミは?
 氷の仮面王が、蔵ノ介のようにキミを忘れても踏み外さないと誓える?」
「……」
「そして、果たして氷の仮面王も、誓えるだろうか。
 キミがもし、自分を愛さなくなったら」
「…」
 断言、出来ない。
 言葉は、故に浮かばない。
「まあ、だからキミは千里を責めるべきではない。
 話はそんなところだ」
「……もう一つ」
「なんだい?」
「…何故、やろうと思えば出来たことをしなかった? あの時、千歳クンも連れ去ることは可能だった」
「……一度にやると得た獲物も逃がすというだろう。
 俺達は重臣連中と違って確実にやりたいんだ。
 そして、欲しいのは屍じゃない。だから、キミは殺さない」
「………」
「けれど、同じものが狙いである以上、俺達は彼らに必ず先んじなければならない。
 まして、狙いは五大魔女。
 互角の力を持つ第二十代の五人だけでは、不足じゃないかい?」
「……意味が、わかりかねます」
 だが、同時に背筋を走ったのは。
 恐怖だ。
 死とは、違う恐怖。
 それが、なにかわからない。だからこそ、酷く恐ろしい。
 声が、その恐怖に震えた。
「こちらに、戦力を引き入れなければ。
 第二十代五大魔女+第五十代五大魔女の数人。
 そうすれば俺達の勝ち」
「……まるで、俺が君たちの味方になる言い方ですけど?」
「そう言っている」
「お断りです」
「うん、知っている。だから、説得という手段は執らない」
 その青年の手が、木手の額に押し当てられる。
「初代には、北極星に似た力を持つものがいてね。
 或る意味、初代は北極星そのものと言ってもいいけれど。
 だから、俺にはキミの記憶や、感情を喰らう力がある」
 喉が鳴った。最早、声は出なかった。
「キミの、元の世界の、そして氷の仮面王への心をもらうよ。
 そして、キミには俺達の駒になってもらう。
 なに、悲しむのは今一瞬。すぐ、キミは氷の仮面王への愛情なんてなくすから」
 安心していい、という声と同時に頬を涙が伝った。
「……だ」
 ようやく声が零れた。
 今、言ったって意味がない。
 通じる相手じゃない。それでも。
 意味を為さないと知っていても、声は、喉を裂く。
「…いやだ………いやだ……っ」

 知念クンたちとの記憶も、親愛の思いも、
 共に生きた記憶も、全国制覇を願った思いも、

 手塚への想いも―――――――――――――なくなるなんて。

「おやすみ。大丈夫、辛いのは、今だけだよ」
「…や…っ」
 額に触れた指が発光する。
「さよなら。“氷の仮面王のサンダーウィッチ”」

「っ…―――――――――――――!!!!」


 たすけて


 たすけて 『  』

 あれ、名前が、でてこない。

 あのひとのなまえ。

 笑わない人だけど、やさしい、あのひとの。



 なまえがもうおもいだせない―――――――――――――。





 拳が叩き付けられる音を、部屋の誰もが言葉なく聞いた。
「っ…………」
 叩き付けられた手塚の拳から爪が傷付けた皮膚の血が滲んで零れる。
「……手塚」
 千歳がかろうじて名だけ呼んだ。それ以上は、出来ない。
 自分も、同じだ。
「……木手」
 何故、助けられなかった。誰も。俺も。
 第二十代を名乗るあの五大魔女の正体より、ただ彼が陥っている危機に唇をかみしめる。
「おい」
 外野の声に、辛うじて柳たちが視線をよこした。
「通信。お前が取らんから俺が勝手に繋げたで。
 多分、入り用やろし」
「……オサム先生」
 千歳が呼んだ。
「………………」
 渡邊を一瞥した手塚は、無言で俯く。
 それから低く。
「…今、出るつもりはありません。叔父上」
「相変わらずお前に“叔父上”呼ばわりされんは気持ち悪いわ。
 まあええ。けど、悔いとってそのままで、連れてかれた魔女さんは取り戻せんか?」
「……!」
「ちょっと前のフレイムウィッチにも言えたことやな」
 渡邊はうまそうに煙草を銜えて続ける。
「元気だしや。仮にも五大魔女、四大国家王やろが。
 ほんま千歳はあいつやないとあかんとは思ったけど…」
「オサム…さんはよう煙草吸いよるね。やっぱり…」
 千歳が小さく笑って言った。空気が、少し弛緩する。
「ん? ああ」
「……………向こうでも、か? 千歳」
 手塚が木手以外のことを初めて発したので、全員がばっと振り返って、千歳が安堵したようにまた笑う。
「手塚も聞いちょっとか?」
「ああ、白石はいつも叔父上の話をするたびに気にしていたからな」
「蔵ば、身体大事にしよるから」
「千歳…」
「せやったら、はよ会いたいもんやな。
 向こうの“蔵ノ介”もサンダーウィッチも美人なんやろ?
 美人に心配されるんは気持ちええかんな〜」
「ちょっ! いくらオサムさんといえど蔵は俺のもんたい!
 蔵の優しさの欠片もわたさんと!
 全っっっ部! 今度こそ俺のもんたい!」
「…俺、サンダーウィッチのことも言うたやん。ピンポイントでそこか」
「……木手は、…優しいですから」
 手塚が言った。
「やろな。自分が好きになるくらいの子や。当然やな。
 会いたいって願う限り、最悪はないよ。起こさせへんことが、出来る筈や」
 そうだ。木手がいなくなる前、遠山が言った。
「…はい、最悪はない。間に合わせる。
 取り戻す。絶対」
「よし。ほな、通信繋ぐで。西方国家〈ドール〉からや」

『やあ、みんな。柳生に、仁王も』

「幸村」

『木手がさらわれたと聞いてね。
 俺なりに相手を調べてみたよ。運良く過去の五大魔女の史実が見つかったから。
 彼らが本当に“第二十代五大魔女”なら』

「どこまでわかった。あれは、事実か?」

『木手をさらったのは本当に、この世界の柳だったんだな?』

「…ああ」

『なら、第二十代のサンダーウィッチで間違いない。
 第二十代サンダーウィッチの名は『柳蓮二』に相違ない』

「……」
「本当で、嘘やない。なら、なんで生きてられんのか。力が衰えんのか…」
 財前が呟く。

『そこまではわからない。あと、傍に同じ代の五大魔女がもう一人いたと言ったな?
 どの魔女だった』

「言えばわかるか?」

『手元の資料では、わかる名は二人だけだ』

 それ以外ならお手上げだと言われた。だが、可能性にかけて言葉にする。
「フレイムウィッチだ」

『……だって、ブン太』
 通信画面の横で丸井がひょいと覗き込んだ。
『え? なんで俺にふんの幸村くん』
『これ』
『…第二十代フレイムウィッチ…っなんだこれぇ!』

「丸井先輩?」

『…え? マジ?』
『マジ』
『……』

「どうなっている? ……」
「まさか! 第二十代のフレイムウィッチって!」
 赤也が指さした先で丸井は乾いた笑みで資料を読み上げる。

『第二十代フレイムウィッチ―――――――――――丸井ブン太…だって』

「…丸井の対だったか。あれは」
「声で気付かなかったな」

『とにかく、二人も第二十代がいるんだ。二人だけと考える方が不自然だ。
 他の魔女もいる可能性は踏んだ方がいいな』

「そうたいね…」
「なんで生きてるか、力が衰えとらんかを知るんは、後でもええっちゅーことか」

『そういうこと。あと、跡部から伝言。
 回収が早く済んだ。もう来ていい。だとさ。
 とにかく、白石を蘇生して来い』

「ほんなこつ!?」
「…そっか。よかった」

『よかったな、蓮二』

「…え、あ」
 遅れて千歳がようやく気付いた。
 柳が気まずそうな笑みを浮かべる。
 あの時、気付く余裕がなかったが。
 乾は、柳の幼馴染みで元相棒だった。
「…もう、別にいいぞ? 貞治も助けられる」
「…柳、…すまん」
「いや」

『お前は抱えすぎだ。
 じゃあ、俺が言えるのはここまで。
 あと、俺も蘇生に立ち会うから、俺のとこに顔出せ。いいな』

 じゃ、と残して通信は切れた。
「素早い」
「まあ、幸村くんですから…」
「…………」
 呆気にとられる面々を後に、部屋を出る渡邊を一人財前が追った。
 誰もまだ気付かない。



「渡邊…さん」
 廊下で呼び止めた声に、渡邊は財前を振り返って、笑う。
「今躊躇ったやろ? センセて呼ぶかどうか」
「まあそれは兎も角…渡邊さんは、こっちの世界の白石蔵ノ介を知っとるんですか?」
「なんで、そう思う?」
「名前、呼んだ」
「…ああ」
 渡邊は煙草を銜え直して、火をともす。
「俺も『弟王』やろ? 先代の」
「…あ、ああ」
「『王』がついてて聞く分にはええけど、決して政治に関われん悲しい王子。
 やから、お互い『次期弟王候補』は共に育つことも多いんや。
 実際、俺は十九まで南方国家〈パール〉で育った」
「っ…」
「年もおんなし。
 南方国家〈パール〉弟王、蔵ノ介は俺の幼馴染みや。
 …そして、千里もそうやった。
 あん頃から、二人は好きあっとった。今でこそそんな気持ちは欠片もあらへんけど。
 当時は俺も若かったからな。嫉妬も、奪いたい気持ちもあった」
「…渡邊さんも、まさか」
「俺も蔵ノ介を好きやった。
 まあ、蔵ノ介は千里を選んだけど、俺はいつやって奪うつもりでいた。
 若かったから、傍で祝福できんかった。
 二人を見てたなくて、…北方国家〈ジール〉に戻った。
 …その結果が、あれや。
 俺が逃げんでおったら、おり続けたら、千里を止められたかもしれん。
 やから、…これはただの懺悔と償いや」
「……、……そう、ですか」
「…ああ。せめて、……俺の好きなあの子と同じ姿のあの子は幸せんなれるように。
 そして…せめて、限りなく無理でも、千里だけでも幸せになってくれるように」
「…」
「俺は、千里だけでも救いたいんや。あいつも、結局大事な俺の幼馴染みやから」
 それだけ、と言って渡邊は廊下の向こうに消えた。





「今代のサンダーウィッチの様子は?」
 部屋に入った青年が伺って、初代を名乗る青年の足下に眠る身体を見遣る。
「もう、自分の記憶は全く持ってないよ。
 ただ、俺達の仲間としてはそれでは不十分だから」
 その意識のない顎を捉えると持ち上げた。
 ふ、と瞳が開いたが、感情も記憶も奪われた木手には、言葉を発する意志すらなかった。
 ただされるがままの身体を見下ろして、初代の男はその頬を撫でる。
「奪った記憶と心の代わりに、俺達の仲間だという記憶を植え付けている。
 元の性格は変化しないから、きっと心強い仲間になる。
 彼はとても、仲間意識の強い人のようだから」
「そっか」
 第二十代フレイムウィッチの青年は木手の前にしゃがみ込むと顔を覗き込んで笑った。
「よ、俺は第二十代フレイムウィッチ、丸井ブン太。
 よろしくな」
「…………」
 うつろに彼を見上げた木手は、まだ駄目かなと考え込んだ“丸井”に一度瞬きして。
「……丸井、クン…?」
 そう呼んだ。
「おう。シクヨロ。
 “わかるな”? お前は、俺達の仲間だ」
「…………キミたちの、なかま」
「そう、目的を同じくする同士。お前は自分の意志で俺達の味方になった。
 お前は俺達と同じだ。“世界に疎まれし呪われし五大魔女”だ。
 故に、四大国家王と、他の今代の五大魔女は?」
「…………」
 沈黙した木手の頭をなでて、青年は呼ぶ。優しく。
「わかるね? 木手」
「……はい」
 頷いた身体が立ち上がって、はっきりと音にする。
「…俺は、あなたたちと同じ。
 四大国家と、今代五大魔女は、…俺の、敵」
 木手の言葉に、二人は満足そうに頷いた。





















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