−デビル・ポーラスター


 第四章−
【擬煌珠−フリーズウィッチの章−】



  
−黄泉比良坂編−

  第三話−【そして、運命の時は訪れる】



「痛々しいな」
 更に、三日。
 リミットが迫る中、動けない理由は一つで、手塚は千歳の部屋を覗いて、そう言った。
 申し訳にシーツで包まれ、風邪を引かないようにはされているが。
 両腕を背後で、両足を下でそれぞれ魔力を封じるワイヤーで縛られ、口も舌を噛まぬように塞がれて寝台の上に転がった状態の白石は、痛いとしか言えない姿だった。
「それでも、夜、ちょっとは寝とうから」
 手塚を迎えた千歳が言った。手には包帯。
 傷を完全にいやせたが、千歳が拒んだ。
「…精神的に、だ」
「それはしかたなか。俺も、見てて痛かけど、解くとやっぱり自分傷付けようとすったい。
 で、俺に用事と?」
 その声の抑揚のなさが手塚には信じがたい。
 白石はもう、死を望むような顔色で掠れた呼吸を漏らしていて、時折“千歳”と繰り返す以外、もう他の言葉を口にしない。
 姿のみえる財前、金太郎、リョーマにはこの部屋に来ることを禁じている。
 何故、そんなにも普通でいられるのか。
 声だけでも、表情だけでも、それは驚異を通り越す恐怖。
 自分は、木手が自分を忘れたと言葉だけで聞いただけで、こんなにも揺らいでいて。
 なのに、千歳は。
「…お前は、今、…大丈夫なのか」
「どげん意味と」
「…………“壊れて”はいないのか…?」
「“千里の”ように? 馬鹿言うんじゃなか。俺はまだ正気たい」
 用事は、と千歳は続ける。
「……いや、白石を視に来ただけだ。もういい」
「そっか。じゃあ、また」
 ぱたんと扉が閉まる。

 ―――――――――――――壊れていないのか?

 馬鹿を言うな。
 壊れられるなら、とっくに壊れていた。
 泣けるなら、とっくに泣いている。
 それでも、今は。
 そっと、掠れた呼吸を繰り返す白石の頬をそっと撫でた。
 今は、この身体を離せない。
 縛ったままの身体を抱き起こして、腕の中に抱き締める。
「……ち、とせ…千歳………千歳……千歳…ちとせ……」
 彼が呼ぶのは、抱き締められたからじゃない。
“見知らぬ誰か”に触れられることに恐怖して、“千歳”に助けを求めているだけだ。
 決して、俺を呼んでいない。
「…ちと、せ…………どこ………」
「…、」
 もう、ここにいる、とは言わない。
 言えない。
「…どこ……なんで……会いたい……千歳……どこ…もう、イヤや………。
 こわい……ちとせ……もう、イヤ…や…………ちとせ………とせ」
「……蔵」
「……とせ……………ちとせ………」
「………蔵」
「………………………もう、イヤや…………。
 ……イヤや。…………………―――――――――――――ころして…」
 続いた言葉に、目を見開く。
「…ころして…………ちとせ……………」
「…イヤたい」
「…ちとせ」
「…絶対、イヤたい…。…絶対」
 ギュ、と更に強く抱き締める。
 俺は、


(俺は絶対、“千里”みたいにならない―――――――――――――)






「てめえが死人の面してどうする」
 庭に出て、すぐ跡部に言われた。
「本当だな。白石の状態にそれじゃ、木手に会ったらキミはどうするんだい」
「……」
 幸村も言う。手塚は、俯くしかない。
 第二十代フリーズウィッチ、切原赤也の言葉。
「そんでも、忘れてないって信じたいんかもよ?」
 背後で甲斐が言った。
 彼らもか、と思った。
 そうだ。どうしたって、自分は彼が俺を忘れたなど、綺麗に認められない。

 瞬間、その場に炎の柱が立った。
「っ!」
「下がれ幸村!」
 前に立った跡部が吹雪を起こして炎の浸食を阻む。
「何の用だ、第二十代フレイムウィッチ…」
 その前にとん、と足を降ろす、微笑む青年。
「丸井、ブン太?」
「なんだぃ、名前リサーチ済み?」
 彼は笑う。
「用事なんて、わかってんじゃないかい?
 赤也の馬鹿がしゃべったんだろぃ?」
「…“五大魔女”を得に? 今回は、跡部を?」
「まあ、そんなとこ?」
 ブン太を中心に炎が渦巻いた。
「下がってな」
 跡部を中心に、氷が散る。
 二つの属性がぶつかりあう、水が散る。
「やはり、力はほぼ互角か」
「へえやるぅ! 炎爆帰りて永久をなせ――――――――ウィルフレイム!」
「深淵の淵で笑え――――――――――――スィンフリーズ!」
 もう一度氷の波と炎がぶつかりあい、霧で視界が埋まる。
「凍えよ眠りの炎の中で」
(な、…第二詠唱…?)
 跡部の驚愕は一瞬。ブン太の声が響く。
「エルフレア!」
 膨れあがった炎に、一瞬押された跡部の視界に水が現れ、舞う。
「堅牢なる吹雪、集いて小さな針となれ…ダブルエスペランサショック!」
「ダブル―――――――――――――」
 跡部は笑った。自分と同じ呪文を唱えた水のウィッチ、西方国家〈ドール〉国王、馳せ参じる戦神〈イモータル・ハーキュリー〉を見て。
「エスペランサショック!」
「っ!?」
 炎が完全に掻き消される。
 ブン太の身体が地面に叩き付けられた。
「終わりだ。過信しすぎたね、第二十代フレイムウィッチ」
「…吐いてもらおうか、木手のことをな」
「……」
 ブン太は地面に腰を着いたまま三人を見上げて、不意に笑った。
「予言しといてやるよ」
「…?」
「氷の仮面王、あんたは南方国家〈パール〉の千里と同じことをする。
 同じ運命を辿る」
「なん、だと…?」
「いい加減…」
 ほざくなと言いかけた跡部の腕が絡め取られる。
 強い、風の力。
 風の第二十代? 違う、この風の感触は―――――――――――――。
 風が集まって、ブン太を抱いて立たせるとこちらを見遣って彼は言う。
「…なにしてるんです。丸井クン」
「ああ、ごめん。油断した。もう大丈夫」
「しっかりしてください」
「うん」
「……き、て?」
「永四郎!?」
 平古場と甲斐が叫ぶ。彼を見て。
 対はもういない。彼でしか、あり得ない。
 なのに、彼は平古場たちを見遣って、当たり前に言った。

「……誰ですか?」

「……えい」
「あなたがたに、気安く名前を呼ばれる覚えはありませんが」
「……木手」
「…」
 木手は視線を動かして、手塚を見る。
 その震える手が、木手の腕を掴んでいる。
「…俺が、わかるな?」
 その声も震えていた。
「…それが? “氷の仮面王”」
「……」
「それ以外、知りませんが―――――――――でも殺すことに代わりはない。
 俺は彼らと同じ。あなたと四大国家王と、五大魔女は」

「俺の敵」

 ずるり、と手が腕を滑る。
 認めたくなくて、更に掴む手塚を一瞥して、木手は眉一つ動かさず。
「鬱陶しい」
「手塚!」
 風は手塚の肩を切り裂く。容赦なく、今の木手の意志そのものだ、というように。
「…き、て……」
 その場に倒れ伏した手塚を見遣って、木手は気にせず続けた。
「帰りますよ」
「ああ、移動魔法ちょうだい。後からすぐ行くから」
「…? はい」
 風をブン太の手に渡すと、木手は風をまとう。
「…木手………!」
 血を吐いた唇が、呼んだ。
「……まだ、生きていた?」
「…木手……」
「……」
 一心に伸ばされた手を、木手はたった一瞥で切り落とした。
 腕を。
 とん、と腕が地面に落ちる。
「……俺は、あなたなんか、知らない」
 冷徹な声。それを残して、木手は消えていた。
「…“氷の仮面王”」
 ブン太が笑う。
「予言だ。あんたは千里と同じになる。
 絶対に。
 自分を愛さない木手を、あんたは受け入れられない。
 二度と、あんたを愛さない木手をな」
「…………そんなはずない。そんなはず、ないんだ」
 うわごとのように繰り返した。
 あの、氷のような視線を、嘘だと信じたい。
 自分を見て、微笑んだ彼は、どこ。
「どうとでも言ってろい。だが、あんたは最後、千里と同じになる。
 逃れようなく―――――――――――――」
 風がブン太をさらう。
 声は、残響のようにその場に漂った。





「残念でなりません、千里殿―――――――――――――」

 あの声が、耳に残っている。
 森を抜けて、千里は手の平に残る金色の結晶を抱いた。

「あなたの目的が、弟王蘇生とは」
「我々と違う目的、相容れぬ」
「ご存じなかったのか? 蘇生の話は嘘」

「あなたに邪魔な弟王を殺させるための―――――――――――――」

(……蔵ノ介は、蘇らない。嘘やったと)
「嘘、やったとか……俺ば、……それで…」
 結晶を握りしめる。
 肩から血が零れる。
「……俺は、蔵を殺してしまったと…!」




 森の上。あの日、置き去りにされた俺の心ごと。
 キミを探していた。
 あの日失った、俺だけのキミ。

「…なぁ、千里」
 空を星が流れる。
「……明日、ほんまに明日、…俺のこと、…連れて国、出てくれる?」
 夜空の下の草原に座って、見上げてきた蔵ノ介に、笑って頬を撫でると、唇を重ねた。
「……誓うちゃる。お前は、俺のもんたい。
 これから、ずっと、…俺だけのもんたい。
 謙也にも、金ちゃんにも、…誰にも渡さん、俺だけの蔵…」
「……千里」
 瞳を重ね合って、唇をもう一度重ねた。
「…千里。今、お前のもんにして」
「…うん」
 押し倒した草の上。
 服を剥ぐ音は、すぐ嬌声に代わる。
「…せんり、千里…………」
「…蔵」
 雄をその身に収めたまま、見下ろして抱き締める。
「……せんり」
「…なん? 蔵ノ介…?」
「…わからん。怖い…」
「どげんして?」
「なんや、…お前んこと、わからんくなる気が…する…。
 お前を、忘れるんイヤや…お前んこと、ずっと好きで…たい。
 お前んこと…ずっと……好きや…千里……」
「……蔵ノ介、俺も…愛しとうよ」

 あの瞬間に、走った星。
 抱き締める俺の腕から逃れて、なにしてる、と叫んだお前の中に。
 既に、俺への愛情はなかった。
 あの一瞬で奪われた、俺だけのお前。
 残ったのは、こんなちっぽけな結晶。



「…好いとう。好いとう…。愛しとうよ…蔵ノ介…!」





 いくら呼んでも、もう答えない彼。
 愛してると、帰らない声。
 抱き締められない、身体。
 あの日、鏡ごと壊した、俺だけのお前。

 あの日、…命ごと奪った、俺のお前。
 もう、いない。

 もう、会えない。



 誰より、愛しかった、…宝物に。





 あの日失った、俺だけの、



 ―――――――――――――蔵ノ介。


















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