−デビル・ポーラスター


 第四章−
【擬煌珠−フリーズウィッチの章−】



  
−寄る辺なき風の魔女編−

  第一話−【逃れられぬ快楽の楔】



 室内に戻りました、という声が響く。
「お帰りなさいっ。木手さん、仁王先輩たちが呼んでるっスよ」
 迎えた切原の言葉に頷いて、歩き出す木手の背後から現れた小柄を、傍の男が抱き留めた。
「怪我、してんじゃねえかブン太」
「大したことねぇよ」
 ジャッカルの言葉に、ブン太は笑ってみせる。
「……手当てするぞ、来い」
「……ちぇ、うっせえなぁ」

「うあ、染みる…」
「我慢しろ」
 包帯を腕にくるくると巻かれて、ブン太は溜息を吐いた。
「どうした?」
「お節介してきた」
 言って、ブン太はジャッカルの胸にもたれかかる。
 赤い髪を褐色の手で梳かれて、小さく笑う。
「氷の仮面王に、お前は千里と同じになる、っつって来た。
 お節介だっつか、そうしたのが俺らじゃん?」
「…そうだな」
 ひたり、と額を撫でられた。
「だが、本当のお前は、そういうやつだ。
 …死ぬなよ。ブン太」
「……うん、わかってらい」
 そう頷くブン太の顔は、泣きそうに幸せに歪んだ。




「お帰り」
「ええ」
「どうじゃった?」
「確認はしてませんが」
「…氷の仮面王に、致命打でも与えてきたかい?」
「一応」
 初代の男に招かれる。
「殺すつもりで、確実に殺せなかったと思います。
 何故か、わかりませんが」
「それは、…仕方ないね」
 青年が木手の唇をそっと塞いで、抱き寄せる。
「心が忘れても、身体が覚えていることもある」
「…からだ?」
「……、キミは俺達の仲間になる前、仮面王を愛していたからね」
「……それを思い出せないのは」
「キミが、忘れたいと望んだからだ」
「……なら、愛していない。愛したくなくなったということですよね」
「そうだね」
 なら、いいんです。木手はそう言って、部屋を後にした。
「ええん? あんな言い方」
「…いいよ。遅かれ早かれ、自分が手塚国光を殺せない不思議に気付く。
 だから、少しでも、残酷な嘘を」
「うちの神様は怖いのう」
「…そうかな」





 手塚がようやく眠りに落ちて、まだ数時間。

『嘘だ! 嘘だ!』

 信じない―――――――――――――そう暴れて、治療の最中も狂ったようで押さえ込むしかなく。
 ショック状態まで引き起こした彼は、腕も元通りになったものの、眠っている。
 それも、財前の沈静魔法を極限まで拒んだ末だ。
「……痛かね」
「あんたより、マシや」
「手塚の方が痛かよ」
「あんたは堪えてる。手塚さんは、一回で我慢出来てへん。
 どっちが…」
「そげんこつは、偉いとか優劣つけたらいかんよ」
 ぽん、と頭を撫でられて、財前は黙った。
「おい! 財前!」
 向こうから謙也が走ってきた。
 なにかを背負っている。
「謙也クン?」
「傷一応治したんやけど、ここおいてええか?
 自殺志願者っぽいけど、顔がこれやし」
 覗き込んでぎょっとした。
「…平古場、さん?」
「…多分、違う世界の、対とね。
 髪の長さ違うたい」
「あ、ほんまや」
「とにかく、目、醒めたら話聞いてみよか」
「うん。てかどこで」
「城下の道で」
「なんでそんなとこまで」
「…じっと、しとれんし」
「……」
 謙也クンも、しゃあない、と溜息。
「でも、今は木手さんのことやろ。あの人、完全に南方国家〈パール〉の手に落ちて…」
「…それ、“木手永四郎”のことか?」
 声は、背後でした。




 目覚めた彼は、矢張りあの日、木手の対を殺めた平古場の対だった。
「幼馴染みだった…。ほんまに?」
 うん、と頷く彼を、集まった平古場たちは無言で聞く。
 言葉を発するものはいない。
 木手が自分を覚えていない。それが、心を深く抉っている。
「でも、南方国家〈パール〉と契約して、…そっから、記憶がねえ。
 でも昨日、目覚めたら、なんでかこんなとこにいて、そして、わかった。
 俺、木手を殺したんだって」
「……」
「それが、“南方国家〈パール〉が狙ったサンダーウィッチ崩し”の策だったって」
「…サンダーウィッチ崩し、まさか、そんなとこから始まってたんか!?」
「光?」
「…対を失わせて、木手さんに隙をつくって、そっから狙ってたって話です。
 初めから、木手さんを駒にするって決めてた。ずっと前から」
「……、そげんこつ、…許せなか」
「…俺の木手の対は、…いないのか」
「…ああ」
「…じゃあ」





 目が覚めて、そして思い知る。
 繋がっている腕は、あの時、切り落とされた。
 なにより、冷たい拒絶で。

“俺はあなたのために魔法を使った。同じ理論で力を失わずにいられると思いません?”

「…っ」
 あの彼は、もういない。
 あんな風に、自分に笑う、彼はいない。
「なんでだ…っ!」
 嗚咽になった。
 構わなかった。
「なんで木手なんだ…何故千歳や跡部じゃない…何故だ…!」
 それがどんなに残酷な言葉かも、知らない。
 わからない。今の彼には。

 自分は知っている。

 立ち上がって、鏡の前に立った。
 許さない。
 俺がいなくても、平気なお前がいるなんて。
 俺が想うように、お前が俺を思わないなんてことは。
 許さない。

 自分は、知っている。

 歪む、鏡の虚像。
 傾く、心は最早正常でなくていい。

 自分は知っている。

 愛しさから生まれた、痛みをもたらす後悔。

 愛しさから生まれた、快楽を得るための満足。

 愛しさ故の痛みでお前を繋げないなら、快楽を知った満足のためにお前を繋ごう。
 お前が、俺を拒もうとも。
 俺は、千歳のように縛り付けて、お前を俺の傍におく。
 俺無しで、生きていけるお前を、壊そう。

 自分は知っている。

 そして、俺は知っている。


 あれは、もう俺のモノだ。


 だから、渡さない。

 壊して、歪めて、手に入れよう。もう一度。

 良心が嫌う一線を踏み外して、俺はお前を捕まえる。

 罪過など、構わない。
 それすらも、満足を得るための快楽。



『これは予言だ』


「ああ、そうだな」



『お前は、必ず南方国家〈パール〉の千里と同じ道を辿る』



「その通りだ。…第二十代フレイムウィッチ」



『お前は、必ず千里と同じになる』




「木手」




 手に入れよう。
 どんな手を使っても。
 もう戻らない心なら、身体だけでも奪って繋いで。
 一生。



「待っていてくれ」



 俺だけの、キミにもう一度、会いに行こう―――――――――――――。






『逃れようなく―――――――――――――』



 今はまだ知らない。
 それがどれほど重い罪過か。
 それを踏み外した先に待つ甘やかさが、ただの悪夢の醒めない後の慟哭というものか。

 まだ、わからない。




「結構、来たね」
 王宮から離れた空中公園。
 来る、と提案したのは跡部だ。
「なにするんだい?」
「気分転換」
「なんだ」
「それに、…予感がしてな」
「…予感?」
「そう」
 風が吹いた。
 強い、風が。


「そろそろ、来る頃かって、予感がな―――――――――――――」



 風が、来る。













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