−デビル・ポーラスター


 最終章−
【薔薇夜−魔王の章−】



  
−buria−

  第二話−【あなたも呼んでいるんだから、もっと】




「うあっ!!」
「平古場!」
 全身に傷を負って倒れた平古場に駆け寄る暇なく、知念の背中が切り裂かれた。
「あ…」
「知念! …っ」
 もう、立っているのは手塚だけだ。
 眼前には、第二十代フレイムウィッチ、丸井ブン太。
 リョーマは気付いたらいなかった。
「弱いんじゃね? 話なんねー」
「うるさい」
「…ふうん。…なあ、仮面王」
 ブン太が不意に笑った。
「あんた、…出発の時にでも、…木手にキスもらったんじゃね?」
「!」
「あははやっぱりぃ! わっかりやす!
 でもさ…そこまでだな。木手はそれ以上出来ないね。
 抱くなんて論外だ。
 木手の心は、もう二度と戻らねえ」
「嘘だ!」
「嘘じゃねえよ。…初代にその気がねえんだよ。
 それ以外で頑張ったって無駄だね。
 お前じゃ俺に勝てないのに、どうやって頑張る?
 あんたは…このまま死んで、木手の傍にいる夢も潰えるんだよ!」
 振り上げられた業火。
 魔法で無駄と知りながら防御して、ただ、彼を思った。




「いったー…」
 空から降る、幾つもの水。
 皮膚に当たると、溶ける硫酸だ。
「ピンチだね。跡部さん」
「そうだな。つか、なんでお前こっちにいんだよ」
「知らないよ」
 跡部とリョーマは雨の降る岩場に立っている。
 眼前には、ウィルウィッチ仁王。
「っ危ねえ!」
 大きな水が降って、リョーマが持っている棒で弾こうとした瞬間歪曲した水が弾けた。
 跡部が持っていた棒でリョーマの腹を殴り、無理矢理退かす。
「…った。もっと優しくしてくんない?」
「無茶いうな」
「もう、終いにしようかの」
 仁王が言う。
 空に、津波が浮かぶ。
「あれくらったら、エンドか」
「逃げ場はねえ、か」
「じゃあ、さよならじゃ」
 水が、降った。





 西方国家〈ドール〉王宮。
 寝台に横になっても、落ち着かない鼓動。
 どんどん早くなる。
 痛い。
 起きあがった木手は瞬間眩暈に襲われた。
「っ」
 その刹那、脳裏に浮かんだビジョン。
 振り上げられた業火。
 その先の手塚と、血塗れで倒れた平古場たち。
「手塚!!!」
「行きたいか?」
 急なこえに、驚いて見遣る。
 リョーガが立っている。
「…」
「なにも出来ないかもしれねえ、また駒にされるかも。
 それでも?」



“笑顔で、お別れを言ってくれないか”



「……ます」
「え」
「…行きます!
 もう操られない…もう、彼らを味方だなんて迷わない!
 俺は…手塚たちを…助けたい!」
 記憶なんか、関係ない。
「よし」
 リョーガが笑って指を鳴らした瞬間、木手の魔法を封じていた腕輪がぱきんと割れた。
「行け、第五十代サンダーウィッチ!
 お前なら、飛べる筈だ!」
「……はい!」
 風をまとう。
 待っていて。
 必ず、必ず生きているあなたに会いに行く。

 あなたも呼んでいるんだから、もっと。





 刹那、その場にまき起こったのは、紛れもなく、風。
 吹雪のような風は漆黒の部屋に舞い降り、ブン太の放った業火を掻き消した。
「…風! まさか…」
 跡部達を倒し、やってきた仁王が眼前の光景にまさかの思いで見る。
 ゆるやかになる風。その中心に立つのは、紛れもない。
 手塚にとって、間違えるはずのない誰より愛する、たった一人の人。
「……木手………?」
 舞い降りた風は、手塚とブン太、仁王の間に凛と立ち、瞳を開いた。
「…木手!」
 まさか、来てくれたのか?そんな思いが喜びになって手塚に名を呼ばせた。
 木手は微笑んで、言った。
「よかった。間に合って」
 ブン太たちに、向かって。
「あなたたちが、無事でなによりです…。丸井クン、仁王クン」
「…き、て……?」
 信じられない、いや、理解出来なかった。
 辛うじて起きあがった平古場たちも、茫然と見上げている。
 自分たちを振り返らない、その背中を。
 ブン太は、ふ、と笑うと、木手に歩み寄ってぽんと肩を叩いた。
「待たせんなよな、木手!」
「すいません、逃げ出すために、…彼らを騙すのに、時間がかかったものですから?」
 木手は手塚たちを初めて振り返って、笑った。とても、綺麗な残酷で。
「…えい、しろ…」
「そっか。でもよかったぜ」
「ほんまじゃ」
「仁王クンは、勝ったんですね?」
「おうよ」
「よかった」
 そう言って、微笑む彼を、信じたくない。
 キス、してくれた。
 初めて、抱きしめてくれた。
 名前を呼んでくれた。
 ありがとう、と言った。
「すき」と言おうと、してくれた。
 全て―――――――――――――嘘だというのか。
 全て、…ただの、戯曲だと。
 手塚の瞳から涙が溢れた。
 必ず勝って帰ると誓った。
 けれど、その約束を交わした、待つ人は、いない。
 もう、いない。
「……ぁ……」
 嘘だ。こんな。
「…じゃあ、せっかくですから、彼らは俺が殺しましょう。
 仲良しごっこをさせてもらった、せめての…お礼に」
「おう、…苦しませんなよ?」
「ええ…」
 木手の腕に風が宿る。
「…だ」
 嘘だ。
「嘘だ…嘘だ―――――――――――――!!!!!!!!」
 絶叫した。
 そのまま木手を抱こうと駆け寄った手塚の肩から先を、風は容赦なく切り裂いた。
 腕が、再び落ちる。
 再び、彼の風で。
 再び、冷酷な拒絶で。
 再び、最悪の再会で。
 涙を散らして、倒れた手塚を見下ろし、止めと木手は風を手にまとわせる刃とする。
「…えいしろう…っ」
 平古場の声も、涙も届かない。
 もう、まだ、もう。
「さよなら」
「永四郎…!」

 振り上げられた腕。
 涙をこぼし、閉じた瞼。
 肉を裂く音。

 しかし、いくら待っても、痛みも、暗闇も来ない。
 おそるおそる、顔を上げた平古場たちの眼前、木手の風の腕は、確かに肉を裂いていた。

 ブン太の、心臓の部分の、胸を貫き、その背後の仁王の腕を、切り落としていた。
「……あ…な…ん…で」
「なんでもなにもない。これが、現実です」
 言った木手が腕に風を走らせ、内部からブン太の身体全てをずたずたに切り裂き、ばらばらに吹き飛ばした。
 腕や足が、胴体を離れて、床に倒れる顔。
「ブン太……?」
 仁王が茫然と、呟く。
「…ブン太!!!」
 ようやく正気に返り、叫んだ仁王の胸を風が突き飛ばす。
 そして、木手は高く跳躍すると、手塚の傍に降りたって、振り返った。
 今度は、涙をたたえた、悲しい色で。
「……なさい」
「…木手…?」
「…ごめんなさい…! 結局…また、あなたを傷付けてしまった…!」
「…木手…」
 ただ、呼ぶ手塚と平古場たちを背後に庇って、木手は言う。
「…他に方法がなくて。…彼らを油断させるには…、…一度、あなたを傷付けて、裏切りが本心だと思いこませるしかなかった。
 …でも、またあなたを傷付けた。
 …みんなを、傷付けた。ごめんなさい…」
「…永四郎」
「…もう、…傷付けない。
 ここからは、俺が戦う。
 ここからは、俺があなたを、あなたたちを守る。
 …なにひとつ、覚えていない。思い出せない。
 …それでも、いい。わかっていることは、ひとつだけで、いい」
「…」
「…あなたたちを、…守りたい…それだけで、いい」
 手塚たちに向かって微笑んで、木手は仁王に向き直った。
 腹に穴をあけながら立ち上がった仁王は、ただひたすらに木手を睨む。
「…終わらせましょう。あなたは、俺が…殺します」
「…そうかい…。やってみんしゃい!」
 跳躍した二つの影。
 瞬きすら出来ず、手塚が見上げた先、木手の放った風は仁王を捕らえた。
 しかし、同時に仁王の光を宿した手が木手の頭に伸びる。
「木手!!!!!」
 スローモーションのような光景は、突如一瞬の吹雪によって現実に帰る。
 吹雪が仁王の残った腕を凍らせ、そのまま砕く。
「…そんな…生きて…」
 仁王が茫然と振り返った先で影が飛ぶ。
「木手! 今だ!」
 強い声に、木手は頷くと風をその首目掛けて放つ。
 辛うじての防御が首半分で風を止めた瞬間、背後から振るわれた氷の剣がその首を完全に切り落とした。
「……っあ」
 漏れたのはただ一言。
 仁王は胴体と腕と頭を切断されて、床に落ちた。
 血が流れていく。
「…跡部」
「よう。待たせたな」
「ほんとーに」
 てめえはなにもしてねえ、と跡部が背後のリョーマに言う。
「なにいってんの。あの津波を全部吹っ飛ばしたの、俺」
「はいはい、それは偉かったよ復讐王」
「むかちーん」
「…相変わらずですね」
「…よく、来たな。木手」
「…はい」
 二人に微笑むと、木手は振り返り手塚たちに駆け寄った。
 しゃがみ込んで、その手を取る。
「……手塚」
「…木手」
「…今、癒しますから…信託を預かっています…ですから…平古場クンたちも」
「木手…」
「…はい…?」
「…抱きしめて、キスを、して、いいか?」
 笑って、言った。
 木手は瞬きをして、微笑む。
「……はい」
 頷かれて、そのまま口付ける。
 そして、抱きしめて、ぬくもりに酔った。
 俺の、風。
 俺の傍に、いて、俺を癒す風だ。
 ああ、…あたたかい。
「…傷、手当しろ」
「あ、はい」
 跡部に睨まれて、木手はあわてて離れる。
 手塚が舌打ちをしたのを、平古場が遠慮なく笑った。
 傷を手塚の魔法と木手の信託で、癒して立ち上がり、部屋を後にする。
 最後に、倒れた二人の魔女を見遣って。
「…………」
「木手?」
「……彼らは、…救いは、あるんでしょうか」
「……」
「一瞬でも、友だったからわかる。
 彼らは笑っていても、ふざけていても…ずっと寂しかった。
 いつだって、寂しかった…。ずっと、寂しい人たちだった」
「……」
 手塚が木手を抱き寄せる。
「…俺達に、他に出来ることはない。
 あると、祈るだけだ」
「…はい」
 そして足音は去る。

「……おい…なぁ…まだ、生きてっか…? …仁王」
「……おう」
「…イヤだな…やんなるぜ。呪われて…ばらばらになっても、なかなか死ねもしねえ」
「…けど、…今度こそ死ぬじゃろ…。
 同じ五大魔女の手にかかったんじゃ」
「…うん」
 ブン太はくすり、と笑った。
 腕もなく。
「…ブン太?」
「……俺は、ほんとはどっちでもよかったんだぃ。
 解放か、死か…どっちでも」
「……俺は」
「知ってんよ…お前は解放じゃなきゃイヤなんだろぃ。
 でも…俺は…死でも…いい。
 これでやっと…終わる。…終われる…」
 その瞳から、涙が床に零れる。
「…やっと…帰れるんだぜ……? ………ジャッカル」
 腕がない。だから、ここにいない彼に、のばせない手。
 それでも、まぼろしで伸ばそうと、願う。
「……ごめん…やっぱり、俺ダメだった。
 ごめんな…。でも…俺…すっげー……」
 微笑んだ口から血が流れる。
 そして瞳を閉じて、泣いて微笑み、囁く。
「…幸せだよ………」
 それきり、声は、消えた。

「…ブン太…? ………死んだんか…」
 首だけで、仁王は呟く。
 感動もなく。
「……満足そうに死におって。ジャッカルが泣くわ…。阿呆…」
 もう、なにひとつ動かせない。
「…俺じゃって」
 瞳を閉じて、呟く。
「…俺じゃって…ほんまはどっちでも…」

(…ええんじゃ。俺は、ただ、会いたかった。
 俺を庇って…民に殺されたあいつに…)

「…比呂士に胸張って…会いに逝けるなら…どっちでもええよ………」
 ああ、でも、声、聞きてえな。
 比呂士。
 会いたいよ。

(仁王くん)

 声がする。

(仁王くん)

 比呂士?

(…はい、仁王くん)

 眼前に、気付けば立つ、透明なあの人。

(…仁王くん……あなた…私のところに…来ますか……?)

 微笑む顔に、幸福になれて、微笑み返す。
「…うん…お前…俺が辛い時はいつも…手をさしのべてくれんじゃな…。
 …好きじゃよ…比呂士……。

 …行くよ……お前の」


 ところへ―――――――――――――。



 そして、光は消える。
 あとには、ただ、屍が残るだけ…。











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