Teens-リアル・ハート-












<2>



「はっろう乾!」
 楽しげな声に振り返る。
 移動中の廊下。体育館から戻るのに、十一組はやたら遠くて適わない。
 何故、二年生のフロアに不二が居るのだろうと考える。
「お前、外回りだったっけ?」
「は? 外回り?」
「いや、三限は教室にいたんじゃないかってさ」
「ああ…、だって僕四限自習だし。劇の打ち合わせやるから移動」
「…被害者その三ね」
 話す、不二は何だか本当に楽しそうだ。
 手塚とよく一緒にいられるからかもしれない最近。
 お互い推薦などほぼ確実に取れると判っているから、日々は緩やかだ。
「あれ? 英二に聞いた?」
「ああ、悲劇の青年役だってな」
「あははそんなとこまで話したの? そうなんだよなんかほとんど寝間着にスリッパの格好だってさ」
「身体が弱い設定だからだろ…、と、悪い。教室行かなきゃな」
「あ、うんじゃあね」
 ふわりと、微笑んだ顔に合わせるように、風に揺れる淡い髪。
 冬の真昼の日差しに溶けるように、梳けて蜂蜜色のように綺麗だ。
 『病院』より『日向』で笑ってる方が似合うのに。
 こんなこと、手塚だって思っていそうだけれどきっと言えないんだろうな、なんて。
「…あ、不二」
「ん?」
「六組、ミスターとか決まった?」
 呼び止めて、振り返った不二が小首を傾げるようにして流れる自身の髪を押さえる。
 さらりと、音が聞こえそうなほど近い。
「さぁ…? 決めるのは女子だし」
 標的なんか、自分と菊丸にしか当たっていない事を承知で、くすりと笑う。
「女子は決まりだろ。高坂辺り?」
「だろうね。十一組は?」
「まだ話し合ってもないけど…。男子は下宮、女子は名倉って感じだろうな。
 恋人同士だからベストカップル賞も狙えるんじゃない?」
「あ、そんなのもあるんだ」
 へぇ、楽しそう。なんて言って閉じる唇。
 最近は、本当に素直に穏やかに笑う。
 手塚のことを想って、側に居て、誰より綺麗に微笑む。綺麗だなと純粋に思う。
 好きだなと、素直に想う。絶対に言わないと、決めていることだけど。
「…引き止めて悪かったな、早く行けよ」
「乾こそ」
 軽く振られる指先。駆けていく、自分よりも小さな肩。身体。白い肌。
 判りすぎるほど判る手塚の独占欲に、微笑ましく笑える程度には、自分の心は今穏やかだ。





 青学文化祭の恒例イベントの中に、金貨というものがある。
 一枚の金貨を好きな人に渡すという他愛ない代物だ。
 返事がYESなら銀貨を、NOなら渡された金貨を返す。
 女子から男へ、という法則もルールもないから、男から女に渡したり、はたまた男におふざけで渡す男子もいたり。
 あくまで校内生のイベント。他校生などの部外者は参加不可なため、文化祭開始一週間前頃から金貨を渡す姿がちらほら。
 返事の期限は文化祭終了後、後夜祭まで。

「やっぱテニス部とさ、バスケ部の連中が多いって」
「綺麗所揃ってるもんなー」
 黒板に、白のチョークで大きく書かれた『二時間目HR』の文字。下に『代表選考!(笑)』
だのの言葉。日直の上の、日付の更に上。“文化祭まであと六日”のカウント。
 閉め切った窓に、満ちていく暖房の空気。寄った机の乱れ。女子の固まりが教室の後ろ側にあれば、男子の固まりは黒板の側。
「それいうなら男子だってテニスとバスケは美形多いじゃん。不二とかさ」
「手塚とか。なぁ」
「…僕に同意求めるかな…。まぁ一組はミスター手塚で間違いないだろうね」
「うちだってお前か菊丸どっちかじゃん?」
「十一組は下宮だろ。元副会長」
 脱線する会話に、“僕達ミスを決めていたんじゃなかったけ?”とか不二は思わないでもない。菊丸は不在だ。先程。
『トイレのついでに敵情視察してきてやる! 知りたい組あるかー!』
 とか言って出て行った。
「でも、ミス決めなくていいのか?」
 ぽつり、と誰かが零す。難しい顔を誰かがする。
「なんだけどなー……、最初は高坂でいいじゃんと思ったんだけど」
「沢瀬も捨てがたいじゃん」
「…対極だから」
 ちらりと、女子の集まりを覗き見ては一言。
「時季外れだったよねぇアレは…」
 期末の、文化祭の前に。転校生が来るとは。
 しかも彼女は可愛かった。バックに花でも咲きそうな勢いで笑う娘だった。
 三年六組中、一の美人と名高い高坂と張る、んだったらまだよかった。
「………片やロリ好み。片や美人秘書風。………俺達って実は贅沢かもな」
「……幸福の範囲が安上がりなだけじゃん」
 高坂を『綺麗』と評すなら、転校生の沢瀬は『可愛い』であった。
 代表の基準に、綺麗とか可愛いとかいう表示は無い。要はクラス一。とりあえずクラス一。
「集計してみる?」
「してぱっくり二等分したらどうすんだよ……」
 しかし、やっぱり安上がりな悩みだ。
 勢いよく教室のドアが開いて、視線がそちらへと皆走る。
 駆け込んできたのは案の定菊丸だ。
「只今とうちゃーく! 視察して来たぜ――――――い!!」
「おっかえり菊ー!」
「おっせえよ!」
「トイレが混んでたんですー! ってか」
「違うわ! 生活指導のハゲ爺にみっかりそうになってさぁ。
 …決まった?」
 窓際に寄りかかる不二へと駆け寄って、隣の机に座り込むやそう訊いた。
「全然。二等分だって」
「だと思った」
 そこ俺の席ーとか、視察結果はー? とか。いう周りの声ににやにやと笑って。
 指を一本。
 立てて。
「ばっちり。ちゃーんとチェックしてきたにゃ。
 あの三組以外」
 菊丸の、付け足した言葉にわざとらしくがくりと肩を落としてみせる男子。
 しかし、予想済みだ。あの三組、とはフロアの違う十組、十一組、十二組の事だ。
 一階上の四階だし、反対側の校舎だし。遠い。
「で?」
「うん。一組はよそー違わず手塚。ミスは委員長のコ。二組、三組はミスもミスターもまだ未定。
 迷いまくってるよ」
「手塚がミスターじゃない方が驚き桃の木三途の川だし」
「三途……? …二組は?」
「…二組はバスケ部の巣窟だから」
「つったら三組なんか入り乱れじゃんあそこ。バスケにテニスに水泳の奴も多いぜ」
 テニス部レギュラーはいないけど。と誰かが言えば笑いが上がって。
 四組はー等と報告続行する菊丸を横目に、不二は揺らぎのない空を背を逸らせて仰ぐ。
 風に流される木々の葉も、花弁も何も見えない季節。剥き出しの枝がぎしぎしと傾いだ。
「…でもさー、十組は予想つかねーよ。誰がいるか未だにわからねーし」
「同感。見ないもんな。体育とかも違うし」
「フロア違うから貸し借りになんかまず行かないし」
「来ないし」
「学食にもあんまりこないし上三組は」
「つーか俺六月になってさようやく十二組の存在知った」
「それはおかしいだろ! 一年時からあんじゃんよ」
「だけど一年時からフロア違ってたじゃん。しかも組み替えあの三クラスだけでローテーションしてる感じだしさ」
「いや普通にこっちと混ざってるよ…」
「頻度がだよ」
『ああ』
 再び脱線。
「上三組っつえば、テニス部の乾はさ。ほら一年時から徐々に下がってんじゃん?」
「あ、そっか。一年時が一組で二年時俺等と同じ組だったから」
 乾の話題が混ざって、菊丸までも首を突っ込んで。
「…れ? 十二組って金貨女王いなかったっけ?」
「あぁ、去年一等金貨貰ってた女! いたいたそういや。代表彼女だな」
「十一組にも美人いんじゃん。元副会長の彼女」
「ミスターは元副だろ? あの組」
 言いたい放題だ。向こうの女子も何だか言いたい放題だ。
 本当に騒がしそうだなぁと、思いながら、思ったことを口にしてみた。
 視線が集まる。不二に。
「…でも、乾もいるしなぁ」
 変な沈黙に、波紋。
 やがて、爆笑。
「…や…ッ……そりゃぁあいつ背ぇたけぇけど!」
「眼鏡じゃん!」
「手塚も眼鏡でしょ?」
「手塚レベルじゃねぇよ! あれビン底じゃん! 厚いじゃん」
「眼見えねぇし! あやしいし!」
「でも、三年間首席から外れたことのない男だぞ?」
「菊まで何言ってんだよ」
「顔の話だろ?」
「下宮抜いてなんであっちが出るかな」
「あーでも下級生には人気あんじゃん?」
「それとこれとは別物。顔だろ顔。容姿!」
「容姿はいいと思うよ?」
「そっりゃあお前等は同じ部活だからさ。俺等がしらんことも…………………………?」
 誰かが、顔を見合わせて言葉を止めた。
 先程から、顔、顔と言ってはいるが。
「……顔、見たこと」
「ないわな……俺等」
 そういえば。
「…東、お前二年時同じ組だったろ? プールとかでさ」
「…や、だって乾。プールサボりの常連だぞ?」
「そういえばいつも見学だったね乾」
「なぁ」
「誰か一年時の写真持ってないのか…?」
「昔はすっぴんだったし」
「すっぴんは意味違うだろよ」
「……てか、ミス決めてんのになんで乾の話なんだよ…………」
『……………………………』

 だって、気にするときに気にしとかないと後で面倒じゃないか色々。
 と、誰かが言った。

 結論、やっぱり話にならない。






 くしゅん。

「……どした乾? 噂?」
「…そんな漫画的展開今時許されないよ……」
 風邪気味なだけじゃない?
「お前が風邪ねぇ…」
「お前が風邪でも驚くけど俺は」
「丈夫なだけだろたださ」
「お互いな」
 女子が固まって騒いでいる。
 男子はもう雑談に入っていた。HR開始後、ものの五分でミスが決まったからだ。
 十組と十二組に挟まれた教室で、騒がしいのは何処からなのか判らない。
 窓からの風景は高く、高等部の姿がありありと見える。
 俗に“上三組”と言われる四階フロアの三クラスは、下の三年九クラスより静かだと思われがちだが。
 職員室からやたら遠いので、騒ぎ放題といえば騒ぎ放題だ。
 似た顔ぶれが多いので、協調性が強い。よくツルむ。
 一クラスだけとでなく、三クラス混合でツルむ。
 貸し借りなどの世界が狭いので、クラス外でも仲が良い。
 そして何より、濃いメンバーが多い。異様に。いっそ故意かと思うほどに。
 三年生になった時、十一組に在籍した乾は初対面のクラスメートに『いつこっち来るかと思ってたんだ』と言われた事がある。
 寧ろ、お前こっち向きなんだよ。とは下宮談。暗に“濃い”と言われたのだが。
 言い返せない。言い返さない。実際、下の組の奴らより、上三組の奴らの方が話が通じるのだ。
 変な知識の博識者が多い。
 だからマニアの集まりとか言われるんだけど。上は。

「おーい、乾。下宮こっち来いよ」
「へーい、なになに?」
「他のクラス代表の予想の確率80%」
「残り20は?」
「金貨の予想と脱線話」
「成る程」
 くっつけた二つの机を軸に、何人も固まっている。誰かの鞄が落ちている。誰も気にしない。
「あ、来た来た」
「なぁ乾。下のクラスの代表って誰だと思う?」
「ほらな下宮」
「ビンゴ。難問でもないな」
「なにが?」
「こっちの話」
 でも、一組なんか手塚じゃん。
「だから、他。二組とか三組とか」
「六組とか」
「六組なら不二か菊丸で迷ってるんじゃない?
 女子は転校生が入ったから、その彼女と高坂恵で迷っている確率98%」
「暫定的な数字…」
「残り2はなんだよ」
「六組の年下好みと年上好みの比率による確率」
「男子にロリが多いかお姉様ーが多いかっつー事?」
「やな確率ー…」
 気怠い午前。だるだるとした時間。忙しさの中の、緩やかさ。
 こういう時ほど真剣だな、と担任が何時か言っていた。
 そういや金貨もう貰った? とか言う話になって、単なる雑談になって、また戻って、時間だけ過ぎて。笑いだけ消費する。
 あと何分? 誰か気にしている?
 卒業が、近そうで遠くて。受験に追われて。不安定な三年の季節。
 羽目を外せる最後の機会だ。文化祭。これがきっと。
 本当はまだ、将来を見つめたくないと悲鳴がする。
 緩やかな、校舎という海の中に微睡んでいたいと、声がする。
 何処へ行くんだ、誰かが言う。

「乾?」
「ん? …いや」
 何でも、と紡いだ声。
 ぽんと、その肩に軽い負荷。
 振り返って納得する。軽くて、小さな女子の手が、乾の肩を叩いた。
 クラスメートの数人。どうしたんだろうと、見下ろす。男子の多くは、まだ気付かない。
 机に座り込んでいたから、乾も下宮も、いつもより視点が低かった。
 視線を合わせるように、少し屈んで。その時に、肌色の何かが揺れた。
 視界が、水中に落ちた。

「…………………………………………………………へ?」
 一番前にいた女子に、眼鏡を取られたのだ。
 視力が極端に悪いから、それだけでもう何も乾には見えない。
 横で、下宮が“何やってんの”という顔をする。それも見えない。
 女子はそんな事知った風ではない。やっぱり、とか細い声がする。
「…絶対そうだと思った…!」
「………何が?」
「真奈美が言った通りだったね!」
「だから言ったじゃん眼鏡取ったら美形だって」
「勿体なーい」
「………いやあの、眼鏡」
(返して欲しいんだけど何も見えないしっていうか話見えないし)
「下宮、黙ってないで取り返してくれ。…………下宮?」
「…いや、俺三原」
 下宮逆。
「…………悪い。…下宮」
「いやー俺は我関せずって事で」
「関係しろ」
 眼鏡だけでも取り返せ。頼むから。
「お前視力幾つだっけ?」
「小数点第一位は既にないレベルだ。…じゃなくて」
「…お前、それヤバい」
「だから判ったら眼鏡…」
 取り返してくれよ。本当に見えないんだよ。
 机の上で項垂れそうになる乾の視界には上下も左右もない。
 ゴーグル抜きに入ったプールのような、もどかしい白色の世界。遠近の見えない場所。
 ふ、とそれに色と距離が戻った。誰かが掛け直してくれたらしい。
 普通に渡して貰えば良かったのだが。
「………なに?」
 目の前の女子の視線。奇妙な空気。背後からもソレがある。こっちは男子だ。
 気持ちの良い物ではない。
「……乾君」
「…ん?」
 変な、間だ。今なら、五月蠅いのは前後の教室だと判る。
 判ったから、どうだという気もする。
 羽目を外したい、のは皆同じ。
 きっと、中学最後の冬。
「あのね…………………、―――――――――ミスター頑張って……!」
 親指立て、付き。
『!!!!!!?』
 アンド、驚愕。

 最後の冬。その始まりの月。
 きっと、最後の。

 何処へ行くんだ、悲鳴がする。


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