Teens-リアル・ハート-












<3>



「結局決まらなかったんだよ。ミス」
 そっち、決まった? と問い掛ける。
 廊下の窓越し。文化祭前で、慌ただしく駆けていくクラスメート達の足音。
 三年六組のプレート。生憎、と苦笑する大石とその後ろの手塚。それだけで人目を惹く。
 時期が時期なだけに。卒業する年だから、女生徒には告白するいい機会。
 きっと増えていく鍍金の金貨。
「うちの組はバスケの連中で迷ってるよ」
「うん、知ってる。英二行ったでしょ? 今日」
「ああ、…視察っつってたけど…あれ本当に?」
「うん本気。流石に上三組には行かなかったらしいんだけど。
 …一組は…、訊かなくても判るね」
 言う前から、憮然とした手塚の表情。さりげなく増えた眉間の皺。
 お互いに苦笑して、大石は廊下の方を一度だけ見る。菊丸がまだ戻らない。
 手塚が一度時計を見て、ちょっといいかと声を上げる。
「四時に生徒会室に寄れと言われていたんだ。帰る途中で寄るつもりだったが、遅くなりそうだから先に行ってくる」
「あ、うん。じゃ帰るときに生徒会室寄るよ」
「ああ」
 軽く手を振って廊下を左に駆けていく背。周囲の視線が一度動く。分かり易いなぁと見送って。
「そういえばさ、…昼休みに見ちゃったんだけど」
「なにを?」
 今思い出した風な口調だ。確信犯で、手塚がいる場所で言ったら機嫌が悪くなるのを知っているので言わなかったと大石にも判る。
「金貨。…六組の窓の下のさ、庭のとこで越前がね」
「渡されてたのか…。前に言ってたから意味合いは判るとは思うけど」
「すっごい眠そうなんだよ。昼寝したかったんじゃない?」
「相変わらずだな…あ、英二!」
 やっと来た。
 廊下を、慌ただしく走ってくる靴の音。
 何だか真剣な表情に、走るなと言いたそうな手塚の声が喉で止まる。
 手塚とは逆の方から来たので、すれ違うも何もない。
 勢いよく、止められた足の踵が床に叩き付けられて一際大きく鳴る。
 息は切れていないが、何だか必死だ。
 真剣と言うより寧ろ、面白いことを聞いた時のような。
 例えるなら以前、試験で苦手科目が平均点を越えたと伝えに来た時の。
「英二?」
「あ、あのささっき聞いちゃったんだけど!」
「うん…なにを?」
「ミスター!」
「ミスター?」
 話が噛み合わない。だから! と大仰に手を振って、菊丸が天井を指す。
「さっき十二組の奴が言ってたんだけどさ、十一組のミスター。
 みや(下宮)じゃなくて乾だって!」
 意外と、いや思った通り声がでかかった。
 そして、結構人が周囲にいた。
 菊丸の声が拡散して、意識に浸透して、そこでようやく、意味に気付く。
 テニス部は、色々な意味で有名だからだ。
「……………………それってまぁつまり」
 騒ぐ周囲を余所に、不二達は顔を見合わせてみる。
 予想がつく。
「…………、顔知ってる人がいたんだろうな。組に」
「眼鏡、取られたんじゃねぇ……?」
「…一応、綺麗の部類なんだよねぇあの人の顔」
 それをあの分厚い眼鏡で科学室とかにいるから“やっぱり上三組向きだった”とか言われるんだよ。
 コンタクトは面倒がるし。面倒見良い癖に自分のことは面倒くさがりだから。
「背ぇ高いし?
 …これは他クラスの反応が見物だな」
「下宮君のファンに何かされそーじゃない? 乾さ」
「あっはっは有り得る! 濃いもんなやっぱ上三組ってファンも」
「僕等人のこと言えないけどね」
 テニス部もよく顔は良いけど我強いとかよく判らない奴らの集まりとか言われるもんね。
「てか運動部なんて皆そんなレッテルくらうじゃん?」
「そん中でも一位二位争うくらいには僕等濃いと思うよ」
 自分で言う事じゃないし、等と笑って。
 気が付けば結構視線を浴びている。“わー集中されてる”とか言い合って。
「手塚は? そういや」
「生徒会室。ってことで僕そっち寄って帰るから」
「りょーかい。じゃ俺等は真っ直ぐ帰ります」
「とか言ってお泊まりの癖に」
「だから大石んちに真っ直ぐ帰るんですー。じゃ、また明日な」
「うん。大石も」
「じゃ」
 そんな感じで勢いで、そのまま帰りそうになる菊丸に“英二鞄は?”とか何とか。
 慌ててひっつかんで。その姿に皆で笑って。お互い逆方向に足を滑らせた。
 もう、黄昏が校舎に降る時間。
 よく考えれば菊丸が来るまで不二と手塚まで待つ必要もなかったのだけど、その辺は暗黙の了解になってしまっている。
 習慣、だ。
 階段の側で、先程の話題の主に出会う。
 彼も多分、『生徒会室』だ。帰る途中だろう。不二の傍らの階段が、一番十一組に近い。
「…、やぁ。手塚?」
「うん。乾も同じでしょう?」
「まあね」
 文化祭一色なのはいいけど、期末のこと何人覚えてるかな。とか言うのは乾らしい。
 結局最後まで、テニス部内て一等背の高かった彼。
「そういえば、訊いたよ色男?」
「…………………、菊丸だな?」
「アレ判った?」
「さっきクラスの奴が菊丸が来たと言っていた」
「ああ」
 この廊下を、真っ直ぐに伸びるままに進めば直ぐに、生徒会室が見える。
 窓硝子をすり抜けて、長く落ちる夕焼け。
 橙色は、隅は決して見えない地平。沈む瞬間は、黒く映る建物に覆われてしまう。
 乾はソレを知っていて、綺麗だったと話す。
「下宮に睨まれてさぁ、お前楽しんでるのか拗ねてるのかどっちだよって」
「両方でしょ?」
「だな。アレは彼女の隣に立てないのがヤなだけだ。
 …六組、決まってないんだろ?」
「うん。どっちも」
 だと思った。
 高い位置の唇から落とされる、低い声。
 感情の欠落したような平坦さで話す、その声。時折混ざる、苦笑や柔らかさは心地良い。
 手塚に片思い中の時、その響きは好きだと言ったら機嫌を悪くされた。
 今思えば嫉妬されたのだ。思い出せば嬉しくて、必然的に笑ってしまって乾に訝られる。
 その理由さえ既に見抜かれていて。
「お前…頼むから思考でノロけんなよ」
「ノロけてないよ」
 嘘付け、と笑いに滲む響き。
 形のない声さえ、音になって、夕陽のオレンジに染まる。
 頬も、黒い髪も、縁取るオレンジ。
 ふと眺めて、昔の姿に重ねて。懐かしい。感傷になるのは、このざわついた空気の所為。
 乾の指先が伸びて、何pも低い不二の髪を一度梳く。
 色素の薄い、柔らかい髪。やっぱり、蜂蜜の色だ。陽に染まる、梳ける輝き。
 指先からあっさりとすり抜ける、水のように。彼のように。
 乾の後ろから伸びた手に、不二は掴まれて引き込まれる。
 予想していたのか気付いていたのか、手塚の出現と行動に乾は驚かずに苦笑した。
 付いた勢いで、手塚の学ランの胸に顔を押しつける羽目になりながら、不二は手塚の名前を呼ぶ。
 不機嫌そうに皺を増やして、乾を僅かに見上げる顔を見上げて。
 先程乾が触れた髪を手塚の指がなぞって、随分あからさまだなぁと、見せつけられながら思う。
 あまり気にならない。だから馴れは恐ろしい。
「帰るぞ、」
「うん」
 既に疑問さえ抱く必要もなくなって、微笑む不二の手が背負い直す鞄。
 手塚の手がそれを支えるように肩を抱いて、そのまま凄く自然に唇が重なった。
 一瞬だけれど、流石に不二も乾も驚いて。驚かないのは彼一人。
 思わず二人の代わりに周囲に人がいないか確認してしまって、乾は“随分どころじゃなかった”と胸中で訂正を入れる。
「…てづか…ッ…」
「じゃあな」
 一方的な挨拶。夕陽のためだけじゃなく、紅潮する不二の頬に一瞬だけ這わされた彼の指はとても分かり易い独占欲の現れ。
「じゃ」
 短い言葉で見送って、それから乾は小さく吹き出した。
 笑いの元が、おかしさか呆れか、空しさか哀しみか、もう判断は付かなかったけれど。
 “幸せそうでいいね”なんて、誰に向けられたものか。
 果たして。

 それは変わり始めている、―――――――――愛情と友情のその狭間。





 その帰り道。
 普段だったら自分に、ある程度は(本当にある程度は)合わせてくれる歩調が、今日ばかりは容赦がない。
 ついて行くのに大した苦はないけれど、けれど。
「手塚…、ちょっと?」
「…………、」
 相づちさえ、帰らない事とか。
 それはもう、以前だったら『嫌われたか』とか『一緒にいるのが嫌なのかな』とかマイナスに陥ってぐるぐる考えもしたけど。
 今となっては、あんまり浮かばない。

 彼の独占欲の強さを思い知って。向けられた方向に自分しか居ないことを知ったから。

 だから多分、予想なんて正しい。
 どんどん過ぎる道端の電信柱の灰色を、染めた黄昏はもう地平の果てに沈もうとしている。
 きっと校舎からならば、黒く影になった建物の隅で赤い線が空に引かれているのが見えただろうに。
 今は、ぼんやりとした橙が影の上に、空の藍色に押し潰されそうになっていくのを認められるだけ。
 空を渡る冷気の風に、身を僅かに竦ませて。振り向かない背を見つめる。
 落ちる夕陽。赤から青に、黒へと変わるグラデーションの色。綺麗で、少しすれば地上の光害に星さえ脅かされるだろう空を。
 空の、下で君を追うけど。
「…………手塚…………、怒ってる?」
 わざわざ問い掛けてみる。
 だって、ふと意味もなく足を止めて離れていく背を視線だけで追えば、ついて来ない足音に気付いてすぐに、止まって振り返ってくれる、黒い双眸。
 強い瞳。つよい色。
 真っ直ぐに、自分だけを見てくれる。どんなに幸せ?
 お前に怒ってるわけじゃない、と紡いだ唇で薄く笑んで、大股で不二に近づいた手塚が一握りでその手首を掴む。
 そのまま、放しもせずにまた早い足で歩きだした。
「手塚……ッ…、早いよ」
「ついてこれる範囲だろう」
「それはそうだけど…ッ」
「大体、理由が判っているなら訊くな」
「そうだけどねッ」
「それに」
「……?」
 前を向く、その服から覗く肌。首筋の色。
 見上げていると、不意に彼が足を止めずに振り向いた。
「それだけでもない」
 再び前を向く、彼の髪が揺れる。
 もうすぐ落ちきってしまう、落日の悲鳴のような、風の音。
 遮られず、響いた言葉。
「………違うの?」
 何か、他にあったかな、と考える不二の。
 自分よりも忙しなく動いてついてくる足が、誰のためかなんて、そんな強制的な行動にまで優越を感じて。
 口の端を上げる。笑う。
「お前は、嫌がるだろう?」
「………なにを?」
 見上げてくる眼差しが、瞳に遠く映る自分の顔。
 風に梳かれる、薄い髪。
 手塚の、言葉の真意を掴みかねて問い掛けるきょとりとした無防備な表情。
 此処最近、自分は彼を驚かせてばかりいる。
 時間の余裕が出来た分、心にも余裕が出来ると誤解していた。
「…手塚…ッ!?」
 時間に余裕が出来ただけ、色んなモノが見えて、――――――余計に心は加速を増した。
 余裕なんて、何処にあるだろう。
 自分がこんなに傲慢で我が儘だと、はっきりと自覚する。
 急回転した視界に、思わず眼を閉じた不二の額に一度だけ唇を落とす。
 背中に感じる、石の壁の固い感触と瞼を開いた視界の前に、覆い被さるように立つ自分を見上げて、瞳を瞬かせたその顔が一気に紅潮する。
 傍らに電柱。点滅して、灯ろうとする外灯。
 掴んだままの手首を壁に押しつけて、言葉を必死に紡ごうとする不二の顔の横に空いた手を付いて。逃がさないと言いたげに。
「……て…ッ……手塚…ッ! ここ道…!!」
「だから、―――――――――嫌がるだろうと言ったんだ」
「な…ッ何が!!?」
「だからこういう道の往来で――――――――――――――――」
 低く紡ぎながら、不二の耳の側に唇を寄せればそれだけでびくりと震える、腕の中の身体。
 悪戯でも覚えたように、耳朶を軽く噛むと、捕まえた子猫が抗うように跳ねる。
 同時に、上がる。細い声。
「抱かれたくないだろう?」
「!!!!!!!!!!!!!!!?」
心地よく、自分を煽る音。
 見る間に真っ赤になった顔が、とりあえず何か罵倒したいのは判る。
 けれど言葉が思いつかないほど思考が波立っているのも判る。
 から、我に帰る前に彼の手をまた引いて、道を急ぐ。
 蹌踉けた足が、後を付いてくるというより引っ張られている勢いで歩いてくる。
 後ろで言葉にならない声が呻いたりしているのが聞こえて、思わず小さく吹き出してしまうと、強く睨み付けてきた。
「………き……君ね…ッ…一体何考えてるわけあんな道んとこで人に見られたらどうとか考えないの!?」
「左右確認はした」
「行動なんか訊いてないよ!!」
「何を考えているか訊かなければ判らないのか?」
「そんなの…ッ!」
「じゃあ言ってやる。
 早くお前の家に行ってお前を好き勝手し」
「言うなよ馬鹿手塚ッ!!!!!!!」
 もう普段の、何処までレパートリーがあるんだと思われがちな罵倒の台詞も出てこないらしい。
 ただ手塚の言葉を遮るためだけに吐き散らかされる言葉は、非常に必死で。
 怒っているのだかただ恥ずかしいのか。
 両方だろう思考で、それでも前からの約束だった今日の泊まりを却下する気がない不二は、やはり受動的で。
 以前に、受動的だと思われていたのは自分の方。
 穏和な笑みを浮かべて、けれど主導権を握る気になればあっさりと握れる彼が。
 実際、強く出られれば受動的になってしまう事を知っているのは自分一人だと思いたい。
 本当のところ、他にも知っていそうな顔がちらほらと思いつくから不愉快だ。
「……手塚の馬鹿」
「…おい」
「馬鹿、馬鹿手塚。むっつり。仏頂面、鉄面皮」
「不二、いい加減にしないか」
「いい加減にするのは君の方だ。何なんだよ、最近図に乗ってない?」
「お前の所為だろう」
「何故さ?」
 何もやってない、と言い張る唇。
 気の強い眼差しに込められた柔らかくて深い色に、もう目を逸らせなくなって何年経つ?
「お前が日常的に煽るから」
「…………は…え、うぇ?」
 あまりに予想不可能だった言葉を吐かれて、しかも言った相手が手塚だから余計。
 返す言葉なんかすぐに浮かんでも来ない不二の、掴んだままの手首から伝わる体温。
 明かりのない、彼の家がもうすぐそこに見える。
 両親も姉も、皆旅行でいない。
 弟も寮から帰らないだろうから、手塚さえいいなら泊まりに来ないかと、言ったのも彼のその唇。
「判らないか?」
 玄関の扉の前で、掴んだ手を引き寄せて。
 手の平の皮膚に口付けるように、口元を埋めた。
 くぐもる声で、それでも不二に届くように紡ぐ。
「お前が側に居るだけで、俺は何時もどうにかしたくて堪らなくなる」
 唇の皮膚が滑る感覚に身を竦ませながら、はっきりと思考に届いた言葉に何も言えなくなる表情と姿。
 完全に落ちた夕陽が、空が藍色に染まってその背後に佇んでいた。


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