蜩が鳴く

秋が、終わる


キミが、いない


蜩は、現実でしか、鳴かない声




蜩は現つに咲く
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前編−【俺の人魚姫の選択】








「俺は、世界で一番、お前が嫌いや―――――――――――――」



 どこで間違えたのだろう。
 こんなに愛しているのに、もう、キミの愛は聞こえない。









「…あ…っ…ヤ…あ」
 足の上、座らせて貫くと断続的な喘ぎが白石の口から零れた。
 その両手は背後で縛っている。
 そうしないと、彼を抱けないから。
「…あ…ぁ…あっ……ぅあ…っ」
 奥を抉ると、近い絶頂に泣きそうな悲鳴が漏れた。
「白石…」
 抱きしめて、口付けて呼ぶと、彼が涙を浮かべて、謙也を睨んだ。
「……っや」
「……白石」
 なにを言われるか、もう、分かり切っている。
 あの日から、ずっと、歪んだままの、二人の絆。
「……た…りなんか…いや」
「…白石」
 頭をそっと抱きしめて呼ぶと、泣き声が悲鳴の後に告げる。
「…忍足なんか…大嫌いや…っ!」



“謙也”



 もう、彼は俺を“謙也”と呼ばない。
 あの日から、ずっと。
 置き去りの雨の中で、彼は泣いたまま。
 あらかじめ殺すために箱にいれられた、あの猫のように。






 初めて、会ったのは小学校二年、通い始めたテニススクールで、従兄弟を待っていると、不意に声をかけられた。
「なあ、自分が“謙也”?」
 高いボーイソプラノ。
 女の子に間違えても良かったほど可愛い顔は、しかし俺には男に映った。
「自分、誰?」
 白金の髪、翡翠の瞳。小学生の頭でも一目でわかる、異国の姿。
 聞き返したのは、それでも日本語が通じると、相手の第一声でわかったからだ。
「俺? このクラブに通っとる“白石”」
「しらいし? 聞いたことない」
「…え? あいつ、言うてない? 俺んこと、謙也に」
「謙也、謙也ってなれなれしいで?」
「…あ、やって…同じ“忍足”やのに」
「同じ?」
 忍足?
 そこに従兄弟の侑士が帰ってきた。
「なんや、先にもう仲良うなっとたん?」
「は? こいつが勝手に話しかけてきよって…。
 侑士、知ってんの? こいつ」
「ほら、よう話したやろが。
 同じクラブでいっちゃん強いってヤツの話。
 そいつや」
「…ああ、確か“クラノスケ”とかゆー……。
 待て、自分下の名前…」
「白石蔵ノ介」
「……自分か!? 侑士より強いっちゅーあの!」
「そやで。謙也。そいつや。
 強いでー蔵ノ介は。
 謙也よりもな」
「なんやと!」
「謙也に勝てるわけないやろ。テニスもう二年やっとる俺が勝てんのに、テニス始めたばっかの謙也が」
「やってみんとわからん! おい蔵ノ介! 勝負や!」
 勇んで言った謙也に、彼は綺麗に微笑む。
「ええよ。やろか、謙也」

 結果は0ゲームで惨敗。
 自分が弱いというより、彼が飛び抜けて強いのだ、とその時既にわかってしまった。
 それから、侑士と一緒に会うことも増えて、すっかり仲良くなって。
 最初から、あいつは俺を“謙也”と呼んだまま、“忍足”なんて呼ばれたことはなかった。
 侑士が東京に引っ越してからも、付き合いは続いて、同じ中学に行く頃には俺は自慢で仕方なかった。
 蔵ノ介はすごいんや。
 やから、先輩やって絶対勝てん。
 蔵ノ介はほんまに、すごいんや。
 そう、心の中で思っていた。
 彼が部長に選ばれて、当然だと胸を張ったら、新入生の財前になんであんたが自慢すんねん、とぼやかれた。
 入学の前に、なにか気恥ずかしくて、“白石”と呼ぶようになっていたから、誰も俺たちが小学校からの付き合いだなんて知らない。
 けれど、自慢だった。
 大好きな蔵ノ介が率いるチームで全国を目指す、最高の舞台。
 あいつが強くなるたび、嬉しかった。
 たまに侑士が電話で、蔵ノ介はどうや?と聞く。
 本人に聞けや、と言えば、お前が一番蔵ノ介よう見とるし、あいつ自身は自分のことうまく語らんの知っとるやろ、と。
 器用でも不器用でもない、それがたまに痛いと思うところが、蔵ノ介にはあった。
 いつの間にか、親友への自慢と誇らしさは、“恋心”になった。
 彼は真面目な人間だから、一定のラインを抵触しはしないと、わかっても告げられなかった。
 ふとした瞬間に、あいつ宛のラブレターを破り捨てたところを、あいつ本人に見つかって、言うしかなくなった。

“お前が好きやねん、蔵ノ介”

 彼は笑った。
 柔らかく。
 俺も、謙也んこと、好きや、と。
 信じられなくて、確認した。
 恋愛の好きだぞ?と。恋人としてだぞ?と。
 彼は臆さず、好きやで?と言った。
 嬉しくて、抱きしめても、彼は嫌がらなかった。
 好きと言ってくれて、抱きしめあうことも、手を繋ぐことも受け入れられた。
 だからだ。

 ―――――――――――――彼の許容範囲が、広がる前に、追いつめた。





 ある日、付き合って、もう半年が過ぎた、中学三年生の秋。
 俺自身は、譲歩していた、という傲慢な考えがあった。
 引退するまではまずいからと、我慢していたんだ、という。
 でも、不意に見える自分だけが知る満面の子供らしい可愛い笑みに、優しい声に。
 我慢はある日、切れてしまった。
 引退の、たった二週間前に。
「白石」
「ん?」
 俺の部屋、遊びに来ていた白石を見つめて、切り出した。
「…してええよな?」
「…?」
「やから、…お前んこと、…抱いてええよな?」
 我ながら性急だった。でも、俺は思わなかった。

 まさか、拒否されるなんて。

「……、…そ、れは…」
「白石?」
「…それは、…ごめん…。無理、や」
「…なんで?」
「………もう、ちょい、待ってや。
 まだ、覚悟、できんねん」
「…なんで? 俺んこと、好きなんやろ?」
「好きや…けど、キスとか、セックスは…まだ、俺は…」

 嫌や、と。

 落ちた声に、なにかが切れた。
「白石」
「…え」
 見上げてきたきょとんとした顔が、一瞬で引きつった。
「や…!」
 ベルトに伸ばされた手に、意味を悟った白石が暴れるのを押さえて、両腕を丁度いいとそのままベルトで縛った。
「嫌や…っ! 謙也…いや…!」
「なんでや…、俺んこと好きならええやろ…!
 それとも、結局友情の延長やったんか?」
「ちゃう…っ! ほんまに、…好きで…けどまだ…っ」
「もうええ」
「…や、…嫌や謙也…!!」
 悲鳴のように拒んで、最後には泣き叫ぶように繰り返した白石を無視して、そのまま指でナらすと貫いた。
「や…ぁ…っあ…ぅあ…」
「…白石」
「あ…っや……あ…っ…や…いやっ」
「白石…」
 最奥を貫いて、達した衝撃に震える白石の中に自分も放った。
 荒い呼吸が響く中、俺の上に乗った姿勢の震えた身体が、大きく揺れた。
「…っ……ふ」
「白石…?」
「…っ…う…ぅ……」
 嗚咽を漏らして、白石は貫かれたまま泣いていた。
 堪えきれないと、泣きじゃくる姿に、ようやく我に返る。
「…な、…なんで…っ……お、俺…っ」
「し、しら…」
「…ほんまに…好き…っで…けど…まだ…こわか…。
 そのうち、…大丈夫んなるって…っ…やから…それまで…謙也なら…っ。
 待ってくれる…っ…て、信じてたんに…っ…」
「…白石…」
「……なんで…なん……謙也の馬鹿…っ」
 涙に汚れてぐちゃぐちゃになって、それでも綺麗にしか見えない顔で、謙也をにらみつけた彼が、泣きながら言った。
「謙也なんか…っ…大嫌いや!!」
「…し、らいし………」



 馬鹿は、俺だ。
 彼は、許容範囲が最初から男同士が大丈夫、じゃなかった。
 それでも、俺と出会って、好きになって、広げてくれていたんだ。
 だから、付き合う頃には抱きしめあうことも手を繋ぐことも、大丈夫だった。
 それでも、まだ広がりきっていなかった許容範囲の外に、“抱き合う”行為はあった。
 まだ、あの時の彼には、セックスは受け入れられないコトだった。
 それを、追いつめて、泣かせて、傷付けた。
 彼に吐かれた、嫌いという声にうなされて、俺はずっと、眠れなかった。







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