非日常のHOLYDAY GAME









HOLYDAY GAME






 二時からの探索で、白石は言われた通り千歳に付き合って山道を歩き始めた。
「…って、お前、また下駄履いてんか?」
 足下を見て、気付いて呆れた。手塚に言われた後、おとなしく履き替えていたのに。
「やっぱ、こっちが楽たい。手塚に見つかる前に履き替えるけん、大丈夫たい」
「…そんな心配はしとらん」
「でも、空気気持ちよかね」
「…ああ。流石に涼しいな」
「白石、よか?」
「なにが?」
「今誰もおらんし」
「イヤや」
「なんでん…抱けんくても、キスくらい欲しか」
「イヤや。他にも空いてる時間あるやろ」
「……白石は冷たかね」
「うっさい。あ、途中舗装されてへんけど、道に見えるとこあるらしい。
 そっちは危ないかもしれんから、行くなって、手塚くんが」
「…白石、手塚とよく話すと?」
「普通やない? 部長同士やし」
「ふうん…」
 その時興味なさげに響いた声が、妙に気になった。

「多分、ここの道かな…。こっちか」
「ほんなこつ、道に見えっとね」
 木々の合間のそれは、確かに道だと勘違いして不思議ではなかった。
 草も生えていない。人が歩き馴れたような道だ。
「…ほな、…おい千歳」
「だけん、なんかあるかもしれんたい」
「お、おいそっちは行ったらあかんって言われたやろ…!」
 さっさと行ってしまう千歳を追って、仕方なしに白石もその禁じられた場所に足を踏み入れた。
「こら千歳! なにがあるかわからんし、危ないから戻れ!」
「ちくっと見るだけたい」
「それやすまへんかもしれんっちゅーてんや!」
「第一、白石はそげん手塚んことば信用すっと?」
「…は? いや、俺はそれは跡部くんから聞いたことで」
 眉を寄せた白石に、一瞬反応を返せなかった瞬間、不意に道が開けた。
 まぶしさに目を瞑る。それが水が太陽光を反射した所為だと気付くまえに、下駄の先が道の先端を踏み外していた。
「っ…わ!」
「…千歳…!?」
 後ろで気付いた白石が反射で駆け寄ってその腕を掴んで引き寄せる。
 そのままの勢いで白石の方向、道のある場所に転んだ千歳は無事だった。
「ッ…!?」
「し…!」
 千歳を引き上げた勢いで崩れたバランス。白石の方が逆にその場から足を踏み外してしまう。
 そこは見えにくい斜面。いわば崖状になっていた。
 すぐ見えなくなった身体についで、下方で派手な水音があがる。
「白石!」
 起きあがって、思わず覗き込んで驚く。
 かなり高い。降りられないことはない斜面だが、下駄では土台無理だ。
「っ…」
 下駄を足から脱ぎ捨てると、千歳は斜面に手をついて滑るように降りる。
 それでも相当勢いはついて、斜面下の滝。水の中に落ちるように降りた。
 飛沫があがる。
「白石!」
 見える範囲にその姿はない。さほど深くはないと思っていたが、自分にしてみればだ。
 普通の身長のものなら、確実に顔まで水につかる深さ。
「!」
 視界に見慣れた髪色を見つけて、必死で近寄るとその身体を引き上げた。
 呼吸までは奪われていなかったようで、戻った酸素に白石は千歳の腕の中で激しくせき込んだ。
「待ちなっせ! すぐ陸行く!」
「…っ……ん」
 せき込みながら小さく頷いた白石を抱えて、なんとか陸に上がった。
「大丈夫と?」
 今更に手が震えてきた。自分が白石の忠告を聞いていれば、下駄だって、ちゃんとしていればすぐ追えたのに。
「…平気。ちょお…水飲んでしもただけやし。すまん。
 泳げたんに…落ちた時に足ひねってしもたらしくて」
「! 足、どっちと?」
「右」
「……これ、痛か?」
「ううん」
「…なら軽かね。よかった…」
 これならすぐ治るとわかって千歳は心底安堵した。
「せやけど、こんなとこに滝あったんやな。多分、目的地や」
「…あ、ああ」
「でも、どう説明するか…思い切りびしょぬれやし」
「俺が責任持って罰受けるたい」
「…なんやねん。お前だけの所為ちゃうし」
「…けど、俺がいうこと聞いちょったら白石はこげん目に遭わんかったと」
「……阿呆」
 ぽすり、とその頭が千歳の胸に寄せられた。
 格好つけすぎや、と一言。
「格好くらい、つけさせて欲しかよ?」
「…そうやな、お前、意外に格好つけやもんな」
「じゃ、帰るとすったい。歩くんまだ無理とやろ」
「……なに、まさか」
「白石くらい軽かよ?」
「……せめて背負うにしてくれ」
 姫抱きはやめろや、という白石は流石にすぐ歩くのは無理だ、と自覚もあるらしい。
「しょんなかね…」
 本当は姫抱きの方がいいが、白石にはカリが出来たようなものだ。言うことは聞いておこう、と千歳はその身体を背負った。
「……阿呆」
「知っとると」
「…うん」
 あ、下駄ちゃんと回収してけや、という言葉にはいはいと頷いて歩き出した。





「……そうか。とにかく、着替えて来い」
 帰還した千歳と白石を迎えた手塚は、事情を聞いてそう言った。
「大石! 白石の足をみて、手当してやってくれ」
「ああ、大丈夫か? 白石」
「うん。もう歩ける。ありがとな千歳」
「いや」
 大石に連れられて食堂の椅子で手当を受ける白石を横目に、手塚は事情はわかった、と千歳に向き合う。
「罰は受けさせる。いいな」
「わかっとう。ただ」
「白石にはなにもかさん。白石は悪くない」
「ならよか。すまん」
「これに懲りて、人の話は聞け。白石が大事なら余計だ」
「…手塚」
「白石が心配なのは結構だが、基本、あいつはお前以外眼中だ。
 自信くらいは持つんだな」
「…」
「どうした?」
「いや、手塚って、そげんこと言えるとか」
「一応。では千歳は明日までロッジで謹慎だ。おとなしくしていろ」
「わかった」
「随分ぬるいな」
「言っていろ。……既に反省している人間を、過度に罰しようとは思わないだけだ」
 軽すぎる、と言った真田に言い置いて、手塚は食堂を後にした。




「コーシーマーエ!」
「…越前だっつの」
 それでも足を止めてしまった以上、話を聞くしかない。
「なぁ、白石見てへん?」
「白石さん?」
「うん」
「…千歳さんとこじゃないの?」
「千歳んとこにはおらんで? 小日向? が言っとった。さっき水配りにいったけど会ってないって」
「ふうん…俺は知らないけど」
「そっか。すまんなー」
「別に。じゃ」
 さっさと踵を返してその場を立ち去った。
 テニスコートがなくて困る反面、ほっとする。あったら、絶対勝負挑まれてる。
 別に嫌いじゃないけど、なんていうか、あれの相手は疲れる。
 管理小屋を通り過ぎたところで、目立つ髪色にすぐ気付いた。
「…あ」
 探してなかったのに。
 見つけてしまった。
 木の幹にもたれて眠っている、大阪の部長。
「…あれ、作業は、ああ」
(そっか、足を軽くとはいえひねってるから、今日は作業するなって部長に言われてたっけ)
「……一応、言っといた方がいいかな」
 遠山が探してたって。めんどいけど、見つけちゃったし。
「白石さん」
 仕方ない、としゃがみ込んで声をかける。
 小さく声を漏らした身体が、不意に傾いだ。
「っ…わ!」
 倒れた身体の先には別の木がある。
(頭ぶつけるっ!)
 咄嗟に服をつかんで腕の中に抱き込んだ。
 衝撃で自分も腰をついてしまったが。
「…あぶな」
「……ん?」
「あ、おき…」
 た?と言おうとして固まる。
 白石の半分まだ寝ている腕が背中に回されてぎゅ、と力が込められる。
 差詰め白石に抱きつかれている姿だ。
「…ぎゅって、してくれんの?」
 元々柔らかい声が、更に甘く響いて届いた。
 だが直後に、それが“千歳”ではないと気付いた白石がばっと身を起こして離れた。
 彼の中で自分を抱き締めている人間=千歳という図式だったのだろうが、それにしては小さいことに気付いたらしい。
「あ、越前くん…」
「ども…」
「あ、すまん! 寝ぼけてしもて。……あ、もしかして、倒れたんを支えてくれたんか?」
 起き抜けの割に頭の回転の速い人だ。すぐ状況を把握したらしい。
「まあ、危なかったんで」
「すまん。おおきに」
「いえ、で、遠山が探してたけど。
 多分、でも大した用事じゃない」
「そっか。でもおおきにな。越前くん、助かったわ」
 部長職とは思えない人間の、圧力のない笑みで笑われて、越前はいいえ、と一言。
「じゃ、俺行きます」
「うん。ごめんな」
 笑みの滲んだ声を背後で聞きながら、広場の方まで歩きながら、ふと反芻した。
(正直、大阪の部長で、多分テニスが強くて、そんで不二先輩より綺麗?な人くらいしか印象なかったけど…)
「…へーぇ?」
 にやりと、唇が笑みに変わる。
「結構、可愛いんだ」
「は? 誰が?」
 偶然通りかかった桃城が出会い頭に聞くのを、見上げて笑う。
「いーえ、別に」
(白石、さんか。…いいモノ見つけた、かな?)
「あ、桃先輩」
「ん?」
「とっても可愛い人に、“ぎゅってして”って言われたらどう思う?」
「…は? ……よくわかんねえけど、もっと可愛い、んじゃねえの?」
「だよね。本当、…可愛いんだ」
「…だから、誰だよ」
「別に」
 くすりと零れる笑み。年上に可愛いなんてあれだけど。
(“ぎゅってして”なんて言われたら、間違われてても、…可愛いもんだよね?)
 視線を向けると、千歳のいる千歳・白石・遠山・財前のロッジが見えた。
「すんませんね。千歳さん」
 悪びれず謝っておく。真昼の宣戦布告は、聞こえない位置で。





「あ、小日向さん。料理、どこまで出来とる?」
 夕刻、炊事場にやってきた白石に小日向があとこれとおみそ汁だけですと答えた。
「いいのか?」
 近くを通りかかった橘が手塚に聞いた。
「今日の料理当番だからな白石は。それに、ひねった足は本当に軽い。
 白石の性格上、やると言って聞かないだろうし、いいだろう。立っているだけの仕事だ」
「そうか。お前が見たんならそうなんだろうな」
 白石がほなみそ汁の方作るわ、と包丁と野菜を取り出している。
「すいません」
「ええよ、元々俺が料理当番やし。ごめんな?」
「いいえ」
「よしっと。あとは大根だけ…っ」
「あ、大丈夫ですか!?」
 小日向があげた声に、橘も視線を向けて、それから安堵する。
 ただ指を軽く切ってしまっただけらしい。
「あ、私絆創膏持ってきます!」
「あ、……別に、こんくらいええけど」
 止める暇なく炊事場を飛び出していった少女を追うでなく呟いて、白石は不意に入れ替わりのように入ってきた小柄に目を留める。
「あ、指切ったの?」
「越前くんか。…うん。ちょっとな」
「濯いだら?」
「でも、せっかく汲んできてもらった貴重な水を使うんは悪いやろ」
 舐めれば充分やし。
「ふうん?」

「ん? なんだ、千歳、お前謹慎じゃないのか?」
「手塚が夕飯の前後三十分は出てよかって許可くれたと。な?」
「ああ。反省のない人間ならこうもいかないが、反省しきっている人間に同じ場所にこもらせていては余計な思考の追いつめに繋がる。だから、少し息を抜けとさっき言った」
「そうか」
「あ、白石。料理当番?」
「ああ、指を切ったらしいが、軽いから大丈夫だろう。小日向が絆創膏を取りにいっている」
「そっか。なら大丈夫たいね」
「ああ。…?」
「手塚?」
「…越前?」
 手塚が最初に、後輩の行動に気付いていぶかしんだ声を上げた先。

「ふうん、なめとけば大丈夫?」
「そやろ? こんくらいは…」
「じゃ、」
 千歳が向こうで見ている前、越前は白石の切った指を取ると、躊躇いなくぱくりと口に含んだ。
「越前くん…?」
 白石も驚いた様子だが、特別過剰反応はしない。
 顔を引きつらせたのは、遠目に見ていた千歳一人。
「はい、これでよし」
「…あ、ああ、おおきに…?」
「なんで疑問系?」
「いや、あ、口濯いだ方がええよ」
「別に、木で切った傷じゃあるまいし。平気っスよ」
「そうか…?」
「白石!」
「うお…っ……。耳元で。…って千歳?
 お前謹慎中ちゃうんか」
「ちょっと出てよかって許可が…そげんこつより!
 今!」
「今?」
「指!」
「…いや、別に、手当してくれただけやん?」
「そげん無害なもんじゃなか!」
「千歳…自分、越前くんの善意疑うなんて、どんだけ心狭いん?
 それともあれか。俺に信用がそないにないか?」
「い、いや違うけんど」
「なら黙っとけ」
「なんかお邪魔みたいだね。俺、部長んとこ行きます」
「ああ、ごめんな越前くん。うちの融通きかんやつが」
「いいえ」
 越前とまた入れ違いに小日向が戻ってくる。
 絆創膏を受け取って貼っている白石が視線を向けていないその瞬間、千歳と視線があった越前が、にやり、と笑ったのが確かに見えた。





 広場の、たき火の火が燃える。
 夜の七時になって謹慎を解かれた千歳は、ぼんやりとその火を見つめながら溜息を吐いた。
「千歳さん?」
「あ、ああ、小日向さん」
 どうしたんですか?と屈託なく問う少女に、漏れた笑みはなんだったのだろう。
 隣いいですか?と伺われて頷いた。
「……」
 見上げた空は満天の星だ。自分の悩みが、ひどく小さいような。
「どうしたんですか?」
「………うん。……」
「相談出来るほど私強くないかもしれませんけど、聞ける話なら聞きますよ」
「……優しかね」
「いつも、みなさんに助けられてますから。なにかお役に立ちたくて」
「そげん言うてくれるなら、聞いてもらってよか?」
「はい」
 ぱちぱちと、燃える木の音が鳴る。
 あとは、虫の声。
「好きな子がおるとね。とんでもなく美人で、とんでもなく強か」
「へえ」
「だけん、なんかそん子に近づいてるみたいばヤツがおることに気付いたけん」
「ライバル?」
「わからんと。けど、そん子は全然危機感のうて、逆に責められったい」
「大変なんですね」
「うん」
「どんな人なんですか?」
「そやねえ…」

 それからぽつりぽつりと白石のことを話す。
 どこが好きになったとか、きっかけとか。
 夢中になって、遠くでその相手が見ていることに、気付かなかった。




「………」
 草音が足下で響く。
(なんやろ…あれ)
 千歳と、小日向。
 話してた。なにか。全然聞こえなかったけど。
 楽しそうで、千歳の目が、ひどく優しくて。
 首を必死に左右に振る。
「そんなわけ…」
 心変わりなんて筈ない。こんな早くそんなわけない。
 …ただ、話がたまたまあっただけ。
 でも、ならあの愛しそうな視線を彼女に向ける理由は?
「白石さん!」
 声と共に腕を掴まれた所為で沈みかけた思考が引き戻された。
「……越前、くん?」
 越前だった。
「ちょっと、あんたこんな夜にどこ行くの?」
「…え、あ」
 気付かぬうちに雑木林の奥に進んでいたことにようやく気付く。
「…ごめん。ぼけてた」
「…いえ、いいですけど。考えごと?」
「まあ、…すまんな。見つけて、止めてくれたん?」
「まあ、危ないし」
「すまんな。助けられてばっかや」
「いえ、別に。早く、戻りましょ。なんとか道わかるし」
「うん」
 来た道を戻る。小さな背中に腕を引っ張られている姿が、我ながらおかしい。
「越前くん、もうええよ? 手」
「俺が心配なの。さっきだってあんた、すっごいふらふらしてて」
「そんなに?」
「ええ」
「……うわ」
 金ちゃんのこと言えんなぁ。
「でも、足もういいんだ? さっき軽く素振りとかしてたよね」
「ああ、うん。大石くんに太鼓判もろたから、大丈夫やって」
「…あのさ」
「ん?」
「…すごいっスよね、白石さんのテニス」
「……え?」
「さっき、ちらっと見たんで。俺、白石さんのテニス好きっスよ。
 まだ実際に試合は見てないけど、わかる」
「……」
「今まで、よくフォームとか癖とか言われてもわかんなかったし、それよりボールを拾って相手コートに入れる、決めるって考えてたけど、…白石さんの見てると、これ言ってたんだって」
 夜の森の中。
 背中を向けたままの後輩の顔は見えない。
 だから、余計安心するような、どきどきするような、心地で。
 繋いだ手が、熱い。
「手塚部長もすごい白石さんのことは褒めてたし、それ珍しいなって。
 で、見て、すごいなって。
 なんていうか、癖がないって、すごいことなんだよね。
 普通どっかしら出来ちゃうのに、それがないってすごい。
 俺は事実、わかってても直せないし。
 だから、白石さんってすごいって思った」
「………」
「あ、すんません。偉そうでした…?」
 そこで初めて後輩は足を止めて、落ち込むように帽子の鍔を降ろした。
 ハッとなって、ううんと首を振る。
「あ、いや、…うん。ううん。…なんや、嬉しい。
 おおきに、な?」
「よかった」
 顔をあげた少年が微笑んで、子供らしく首を傾げる。
(なんや、可愛えな…)
「だから、コート出来たら、試合して?
 何番目でもいいよ。遠山の次でも」
「コート?」
「部長が。破れたネットを使うってアイデアもらったから、明日作るって」
「そっか。ほな、お礼に一番に試合しよか? コシマエくん」
 視線を合わせるように屈んで笑うと、軽く拗ねたように唇が引き結ばれた。
「?」
「リョーマ…」
「ん?」
「遠山の前ではコシマエ、でいいけど。
 でも、やっぱり、…名前がいい」
「ぁ……堪忍な、えっと、…リョーマくん」
「ッス」
「ほな、明日楽しみにしとく。ほんま、おおきにな。リョーマくん」
「はい」
 照れた笑みではにかむ白石の顔が見えてきたロッジのランプに照らされて明るい。
(やっぱり、可愛いじゃん)
 その胸中は、今はまだ、内緒。




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