非日常のHOLYDAY GAME









HOLYDAY GAME





 離れロッジにはまだ明かりが灯っている。
 そこに足を踏み入れようとして、背後から呼び止められた。
「……木手」
 呼び止めた人物を振り返って、手塚は呼んだ。
「どうせ今日も来ると思いましてね。
 甲斐クンたちに気付かれるといけない。離れましょうか」
「…ああ」

「用件はわかるな?」
「ええ。二日目なのにもう耳たこです」
「…仲良くしろとまで言わない。だが、干渉はよせ」
「何故?」
「何故ではない。今葵たちは顧問不在で不安な時だ。
 それをからかう行為は、悪質以外のなにものでもないだろう」
「からかう? 向こうが勝手に悪く取りすぎているだけでしょ?
 俺達は可能性を述べているだけじゃないですか。
 遭遇しないなら、死んでいるかもしれない、と」
「木手」
「甘やかすだけじゃ、才能は伸びませんよ」
「…お前は、自分の顧問がいても同じことが言えるのか」
「ええ。それなら、死んでいてくれた方が助かります」
「……」
「あと、感謝してくださいね?
 さっき。俺はあなたの背後を取っていたし、今は暴力沙汰になっても裁く大人はいない。
 …キミになんらかの危害を加えなかっただけ、良心的でしょ?」
 無言の手塚に、用事はもうないと悟ったのか木手はロッジの方に足を向けた。
「じゃあ、本当、これっきりにしてくださいね。では」
「っ…」
「!」
 背後から掴まれた腕に、反射で空いた手が拳を繰り出した。
 だが至近で交わされて驚いた隙、木の幹に背中を押さえつけられた。
 道場でも大人より早いと評判の自分の正拳突きを交わした相手は、大人くらいだった。
「て」
 呼ぼうとした声は塞がれた。
 昨日と同じ、彼の唇で。
 ただし、昨日と違うのは、今回のこれは、紛れもない手塚の意志であるということ。
「…っ…ん…!」
 押し返そうとして、びくともしない力に目をきつく閉じる。
 しばらく荒い呼吸しか響かなかった空間で、ようやく離れた手塚がにらみつける木手を見て初めて笑った。
「…なんですか」
「イヤか?」
「当たり前でしょう」
「なら、お前たちが他を干渉するたびにそうする」
「………」
 言葉がない。耳を疑った。
 なにを、言った?
「お前は接近するまでは手強いが、とらえてしまえば力は俺が上だとわかったからな」
 言い置いて、手塚は背を向ける。
「手塚…?」
「お前が集団のルールに逆らう限り、俺はお前に同じことを強いる。
 そう言っただけだ。じゃあ、ロッジに戻った方がいい。
 甲斐たちが心配するぞ」
「……そんな、それで、キミになんの理が」
「ある。お前には、理解出来ないだろうが」
 言い切って去っていく足音を、遠く聞くことしか、出来ない。





 朝九時に制作されたコートには、実戦を熱望していた面々が群がっている。
「おー、急造にしては立派やん?」
 コート制作には加わっていなかった白石たちがやってきて、一言。
「すごいなぁ。あ、光。後で打とうやー」
「えー? 謙也クンとぉ?」
「お前いっぺんどついたろか!」
「まぁまぁ、それに午前は無理やろ。順番リスト作ってるみたいやし、俺らが使えんは午後になってからやない?」
「あ、そうか」
「…千歳先輩? どないしたんすか?」
 そわそわと白石を伺う千歳を訝って後輩が見上げる。
「いや…」
「ん?」
「千歳がおかしいって、光が」
「千歳が? …おかしいか?」
「い、いや、白石…」
「ん?」
「…あの、今日ば作業一緒に」
「ああ、作業は別やし。無理(きっぱり)」
「……じゃ、順番来たらテニスの試合ば俺と」
「ああ、俺先約あるから無理や。橘くんと打ったら?」
 さらっと笑顔で言って、白石は千歳に背を向けた。
「おい、千歳。白石になんかしたん? 言葉は筋通ってるけど、あからさまにお前んこと避けたい様子が滲んでんぞ?」
「俺も今朝からそげん感じて…気になっとーと」
「あ、」
 群の中から小さい姿が出てきて、手を振った。
「白石さん」
「あ、リョーマくん。おはよ」
「はよゴザイマス。俺、順番次だから、打ってよ」
「ええの?」
「約束したじゃん。忘れたの?」
「ううん。ほな、打とか。ありがとな」
「ッス。じゃ、白石さん借りまーす」
「お、う…」
 謙也が力なく越前に連れていかれる白石を見送って、手をだらんと落とした。
「…なんやあれ?」
「……白石、…なんでん越前のことば、名前で呼んどーと? …確か昨日までは」
「……あーあ」
「光?」
 意味深に笑った後輩が、千歳を見上げて笑う。
「俺、一日目の夜に言ったやないですか。白石部長に馬の骨が現れたらって。
 …本当に現れてしもたみたいですけど? どーします? ち・と・せ先輩?」
「……っ!」
「ああ、千歳。俺次の次なんだが打たないか?」
「そげんこつは許さんたい!」
「…は?」
 偶然のタイミングで声をかけた橘が、首を傾げて率直な感想を漏らした。





(徹底的に避けられよーと…)
 休憩時間、木陰で項垂れる千歳の耳に届くのは遠くのコートのインパクト音と、騒ぐ声、虫の声。
「なんでんかね…」
「へぇ、記憶にないんだ?」
 頭上から降った幼い声に、ばっと顔を上げる。
 そこにいたのはくだんの馬の骨。
「……なんね?」
 自然、視線も険しくなって見上げる千歳に構わず、越前は傍に座ると、帽子を取って、暑、と一言。
「暑いっスね」
「…ああ、そうたいね」
「ああ、でも、あの人が焼けないのは体質かなぁ」
 あの人、が誰かなんてわかりすぎていて、顔を背けた。
 くすりと笑った越前が、そーいえば、と口を開く。
「千歳さん」
「なんね」
「…白石さんって、美人っていうか、可愛いっスよね?」
 ニヤリ、と笑った声が言う。
 呑まれまいと意識しながら、それでもつい聞いてしまう。
 白石が後輩に与える印象は総じて“格好いい”だ。なのに。
「白石のどこば、可愛か思いよぅと?」
「……」
 越前は少し考えて、ふ、と笑った。思いだし笑いのように。
「んー、照れた時とかのはにかんだトコとか、俺みたいな小さい後輩におとなしく手を引っ張られてくれるとことか、…可愛いっスよ? 沢山」
「……」
(照れた? 照れたと? どげんことしよーと?)
「…あ、白石さん!」
 不意に越前が立ち上がった。
 視界に白石の姿があることに千歳も遅れて気付いた。
 気付いた白石が笑顔になって、手を振る。
「なんやリョーマくん?」
「あのさ、今暇?」
「ん? 作業終えたとこやし、暇やよ?」
「じゃあさ、わかんないとこあるんだけど、教えてもらっていい?」
「ん? テニス?」
「ううん。夏休みの宿題。古文がさっぱりわかんないんス」
 軽く拗ねた語尾になった声に、白石が思わず小さく笑う。
「…手塚部長でもいいんだけど、忙しそうだし、不二先輩は弟構いに行っちゃったし」
「うん、わかった」
「え?」
「ええよ。そんなら」
「本当? やった」
「でもえらいなぁ。ちゃんと宿題持ってきてんや?」
「だって怒られるのやだし」
「金ちゃんとは大違いや。ほな、あっちでやろか」
「ッス。ありがとゴザイマス」
 くすくすと笑う白石がやけに上機嫌で、越前は見上げてなに?と聞く。
「ううん。…可愛えな、って」
「俺、遠山みたいに可愛いって言われたことない」
「うん、金ちゃんとは違うわな。けど、可愛ぇわ。うん、」
 その手がぽん、と越前の頭を帽子越しに撫でる。
「可愛ぇよ」
「…ドモ」
 ほな、食堂でやろか。という声が遠ざかっていく。
 声をかけられなかった。
 いや、かけさせてもらえなかった。
 越前の隣にいた千歳に、白石は一度視線をよこしていた。
 その上で存在ごと無視されたのだ。
「……なんでん」
「フラれたのか?」
「っ! 不吉なこというんじゃなかね!」
 咄嗟に本能で反論してから、そこに柳がいつの間にやらいると気付く。
「…柳?」
「遅いぞ。気付くのが」
「……柳は気配消しとるんじゃなかか」
 どかりと不機嫌に腰を座り直して、足を投げ出す。
「後輩に好かれるのは悪いことではないぞ?
 白石はいい部長だな」
「知ってて意地悪いいよーと?
 随分意地悪かね。俺ばそげんことは関心しとらんと」
「そうだな。だが、今のはうまかったぞ?」
「は?」
「越前の手がな。白石の後輩への世話好きをよく見た上で甘えたな。
 あんな風に、偉いと大衆が思う手段で頼られれば白石は断れん。
 実によく相手を見ているな越前は」
「…なにがいいたかね」
「いや、油断…はもうないだろうが、足踏みしている暇はない、と言ったところだ。
 そんなことをしていると、本当に鳶に油揚げ。越前的には棚からぼた餅だ。
 トられるぞ?」
「……っ。…白石は、俺んもんたい」
「白石の方は、もう一番はお前じゃないかもしれないが」
「ほんなこつ感じ悪かよ柳! そげんえらかこと言うなら自分も本気になったらよかよ!」
 吐き捨てるように最後はなった千歳が立ち上がってその場を後にする。
 追わず見送って、柳は呟く。
「…それは重々承知だよ」




「ほら、ここは“消えるように”ってあるやろ?」
「でもこっちもあるよ?」
「そこはちゃうな。こっちだけ」
「…わかんない。なんでこんな意味不明?なの」
「このころはこういう言い回しが好まれてたんやな。何事も曖昧に有耶無耶に」
 食堂で開かれたテキストのページを見ながら、ここはと指を指す。
「宿題に関係ないけど、覚えたった方が特やな。多分テストで出るんやない?」
「わかるんだ? 学校違うのに」
「大抵似るんよ。傾向が。俺ん時は知ってる詩を書けってのがあったなぁ」
「へぇ…面倒」
「まぁまぁ」
 視界を水を配りに走る小日向の姿が横切る。
「あれさぁ」
「ん? 小日向さん?」
「うん。みんなに配ってるからいいケド、一人に偏ってたら或る意味ストーカー?」
「親切にケチつけたらあかんよ。そんな子やないし」
「でも、ストーカーはイヤだね」
「ああ、…あれはイヤやな。生きた心地せえへんもん………」
「あ、ごめん…経験ありすぎ…?」
「あー、うん…二、三回は軽く、な。まあこのタッパやし、今は金ちゃんおるからそんな滅多にないし」
「…あと、千歳さんがいるから?」
 発した瞬間、越前の耳にはその場が一気に静かになった気がした。
 真昼の静寂。
 傍のコートの声も、遠い。
「……うん」
 寂しげに頷く、顔。
 その顔にとらわれる。
(…駄目。そんな、本気じゃない)
 どくん、と胸が鳴る。
(…悪戯のつもりなんだし…そんな、本気になったら駄目じゃん…)
 でも、見せられる笑顔と裏腹の、寂しいと呟く顔。
 泣きそうに、揺らぐ瞳に。
 とらわれる。
 目が逸らせない。視線がとらわれて、離せない。
 駄目だ、もう、…とらわれた。
「白石さん」
「ん?」
 呼んで、椅子に立ち上がって伸び上がって、その唇のすぐ傍に、唇を落とした。
 一瞬、なにが起こったかわからないという顔が、すぐ赤く染まって、口元を押さえた。
「リョ、…リョーマくん…?」
 ああ、もう、やっぱり、可愛い。
 俺はね、もうあんたが可愛いんだよ。あんたは俺が可愛くても、俺にとってはあんたの方がずっと。

 可愛い。

「…?」
 態ととぼけて首を傾げた。
「な、なんで?」
「え? あ、…すんません。
 つい、癖で」
「癖? …あ、あっちでの? アメリカでの」
「うぃっす」
 気まずげに視線を落とす。
「帰って来る時直したし、気をつけてたんですけど。
 つい、感謝とか。表すのに…。
 古文ホントやばかったし、だけど、…そんな、……俺、ホント面と向かってお礼言えないから」
 帽子を被り直す。目深に。
「遠山がこういう時羨ましいかな。あいつ、お礼は素直に言えそうだし」
「…リョーマくん」
「…だから、あの、ホント助かったから、そんだけ。
 すいません」
「え! いや、ええって!
 こっちも変に疑ってしもて、ごめんな?
 俺でええならなんでもいいや?」
「…いいの?」
「うん」
「…うん…! ありがと」
 向けられた初めてみる満面の笑みに、本当に可愛いと思う。
 多分、意地っ張りについなってしまって、素直に言えないだけなんだな。
(金ちゃんほどストレートやないけど、可愛ぇなぁ。…いや、かなわん、かな?)
 時々の、こういう不意打ちにやられる。
 本当に、かなわんな。
「ほな、次行こか。次は―――――――――――――」


「謎な組み合わせ…」
「は? 深司? なにが?」
 コートで打ち合っていた伊武がいきなりラケットを降ろして言ったので、ダブルスを組んでいた神尾が思わずつっこんだ。
「しかも、越前くんのあの笑み。あり得ない。…あり得ないよなぁ…なんか絶対企んでるよなぁ。そう思わない? 神尾」
「は? だからなにが」
「…神尾。馬鹿」
「はぁ!?」
「おーい、試合放棄かー?」
 外野で赤也がヤジを飛ばす。
「…………悪寒」
「は?」
「……切原」
 くるっと急に振り返った伊武に、赤也がぎくりと身を止めてから、なんだよと問う。
顔が悪い
「……は?」
「キミ、顔が悪い」
「はぁ!? なんだと喧嘩売ってんのかこのボヤッキー!」
「てか、顔色が悪いじゃないのか?」
 相手コートの乾がつっこむ。
「ううん、“顔が”悪い。人相とか、そういうの」
「乾さん! 代わってくださいこのボヤッキーは俺が倒す!」
「どうでもいいがそのあだ名は台所の水場のあの虫を連想してイヤだぞ」
「ああ、ゴキ…」
「言うな!」
 呟いた海堂の声を拾った乾の言葉が言い終わらぬうちに、神尾が阻止する。
 他の外野が笑って、その試合は有耶無耶になった。











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