「なんの話や?」
集団で固まっている姿を遠目に見つけたら、首を突っ込んでみたくなるのは人の性だ、と誰が言ったか。
取り敢えず、白石の突然の乱入は、その場のメンバーを驚かせるに充分だった。
「………っ…びっくりした。びっくりした」
一番悲鳴を上げそうな筆頭の赤也や逆に上げなそうな海堂が硬直しているのは驚かせすぎたからかどうなのか。
「なんの話や?」
「もっかい繰り返さんでいいです!」
「割と声量あんな海堂くん」
言いながら食堂の壁を乗り越えてきた白石が、声を潜めたので柳生が誰かから逃げて?と無難に聞いてみる。
「うん。うちの部員から」
「そういや、白石さん、熱は?」
下がったの? という越前の声に下がったと笑う。心配なのか額に手を当ててみる越前にあわせてしゃがみながら、で?と促した。
「ああ、白石くんはまだ今日はミーティング休んでいましたね。
今日、ミーティングで出た話なんです。切原くんが吊り橋の向こうの方で怪しい洋館を見つけてきた、と。探索で」
「そっす! すげー怪しいんです! でも手塚さんシカトしちゃって」
「それ、立場上大袈裟にせんかっただけって言わん?」
「いやそういいますけど…とにかく、気になるでしょ」
「先生方の捜索に消極的な気もします。なので、我々で明日、探索のふりをしてそこに行こうかと」
「ここにおるんは…」
不動峰の伊武。青学の海堂、越前。立海の柳生、切原。氷帝の日吉。
「…俺もか」
「ここまで来たら同罪っスよ白石さん!」
自分を指さした白石に切原が当たり前と頷く。が、その前に小さな身体が出てきて、白石を庇った。
「ちょっと、あんた。白石さん勝手に巻き込まないでよね」
「は? なんだよ越前リョーマ。なんでてめえにんな指図」
「白石さん、嫌なら断っていいよ」
「…んー、…俺はええけど。もう大丈夫やし」
「ほら、白石さんはこう言ってんじゃん」
「………あんた、目出度く馬鹿でいいね」
「はぁ!?」
「まあまあ…取り敢えず俺も行くから」
「では、明日、午後の探索時間で」
「ああ」
他言無用でお願いします、と解散するメンバーを余所に、伺うように見上げる越前の頭を帽子越しに撫でる。
「心配してくれたんやろ?」
「……当たり前。あんたのことは諦めたけどね。でも、嫌いになったり、好きじゃなくなったわけじゃない」
「…ごめんな」
「二人きりに、喜ばないわけじゃない…」
くす、と小さく笑って白石の腰にしがみついた小柄な身体に、お、とよろけかけてすぐ白石も笑った。
不意に傍で微かな草の音がして、顔を見合わせる。
「千歳さんから逃げてたんだよね? 千歳さん?」
「…いや、靴音なら、大きさがちゃうな。もっとこう…小柄な…俺と同じくらいのヤツ。多分…」
少し二人で森の茂みに近づく。
その暗闇に立つのは、山側リーダーと海側リーダー。
「しっかし、お前も馬鹿やったもんだな」
「…放っておいてくれ」
「それは木手の台詞だろうさ」
「……跡部」
「…はいはい」
暗闇でも目立つ頬の跡に目をやった後、跡部はそっちは?と伺う。
「…特に問題はない、と言いたいが…。切原があそこを見つけてきた。
一応明日は探索を中止にはするが」
「…切原か…。あの辺は勘が聡いな。俺の方は問題はない。
ただ、てめえの一件で幸村が怖い。一回、木手と話、筋通しておけよ」
「……もう、近寄らない方がいいと思う」
「…、それで木手の方も納得すると思ってんならお前は節穴だ」
そこまでで、不意に越前の手を白石が引っ張った。
しー、とジェスチャーしたまま二人から離れるように手を引いた。
おとなしく従って、広場の方まで戻る。
「どうしたの?」
「あれ以上おると絶対気付かれるやろ。多くを望んだらあかん」
「…なんかのスパイ映画みたいっスよ白石さん…。
まあ、…手塚部長が態と洋館を隠してるのはわかった?…ってことかな」
「やな。明日は…ほな、作業に出るふりして行くしかないわ。
探索中止言うとったし」
「明日、柳生さんたちにも言っとかないとだね」
「そういうこと」
「ところでさ」
「ん?」
「…白石さん、なんで千歳さんから逃げてんの?」
途端、白石が参ったように空を仰ぐ。
「…なに? 困るような話?」
「……俺的には困らんけど…」
「…なに?」
「…俺、今、一人部屋やんか」
風邪をこじらせた白石用に宛われた一人のロッジのことだ。
ああ、と頷く。
「……………千歳さんがあんたを抱きたいとかそーいう話?」
「…大体そんなん」
「…嫌なの?」
「…嫌やないけど…、俺も本調子やないし」
「出来れば明日前後が望ましいってところ?」
「うん」
微かに首元を染めて俯く白石の日焼けしていない足がハーフパンツからすらりと伸びている。
「…リョーマく…?」
座っているため視線の近い彼の顔がきょとん、と向けられる。
向かい合わせなため微かに開かれた両足の合間に手を入れると、白石がぎょっとする前にその片足の内股の皮膚に口を這わせた。
「リョ…っ!」
感じやすいのか、ぴくりと浮いた足を押さえて吸うと、すぐ柔肌が赤い痕になった。
「…っ…先輩をからかうんやない!」
ぱこ、と頭を殴られて身を起こすと、可哀相なくらい真っ赤な顔。
「なんだっけ。『男はオオカミなのよ』って歌」
「は?」
帽子のつばを引っ張って、立ち上がると越前の目が隙間から見えた。
「…気をつけなさいだったかな。この人だけは大丈夫とか言ってると大変とかいう歌。
俺も千歳さんも、ダイジョウブじゃないよ?」
どこか悪戯めいた瞳だ。意図がわかって真っ赤になった白石を小さく笑うと、俺もう行くねと踵を返す。
それが見えていたのか、広場でつられて真っ赤になっている裕太を見つけた。
「越前…お前、TPOってわかるよな?」
「わかるよ? 考えたからあれ以上しなかった」
「…これだから帰国子女ってわかんねー」
「俺だってわかんない。部長だって据え膳食べちゃうオオカミなんだから、千歳さんや俺がそうじゃないわけないじゃない、が普通だよね」
裕太の余所を向いてぺろり、と赤い舌を出して、越前は両手をジェスチャーのように広げる。
「は?」
「…天然で可愛い人って、困るよね…って話かな」
あっかんべのように、べ、と舌を出したまま遠くの白石を見遣る背中に裕太の疲れた声。
「…わかるように話しろ」
「まあ、そのくらい気付かないと思うがな」
他人事や、と睨む白石を余所に絆創膏を提供した橘は軽やかな笑みだ。
「そういえば、千歳、あいつ未だに蜘蛛苦手か?」
「…苦手やなぁ」
「…そっか」
「…なんかあったん?」
「獅子楽の頃、連想ゲームが流行った時期があって。
新聞でもなんでも、面白い記事見つけてそれを別の類似に連想してみる、とかいうアホネタ。
で、俺が『鈴虫三十匹譲ります』ってペットコーナー記事見つけて」
「…鈴虫ってペットか?」
「千歳に『蜘蛛三十匹譲ります』って振ったらあいつ泣いた」
無視して続ける橘の言葉に、白石は思わず吹き出してから『泣いたん?』と伺う。
泣いた、と橘。
「九州男児が情けな…」
「ああ、白石も橘もここにいたのか」
「手塚」
向こう側からやってきた手塚に、一瞬気付かれていたかとも思うがその様子はない。
「どうした?」
「いや、部長のいる箇所をチェックしていただけだ。もういい」
「そうか。…手伝おうか?」
「…いや、…、…そうだな。頼む」
「任せろ」
分担を決めて紙を受け取った橘の向けられた背中を見遣って、白石は不意に思いついたように立ち上がった。
「手塚くんな」
「?」
「橘くんとは普通の部長同士やんな」
「ああ。橘はいい部長だ。これが普通と思うが」
「…木手くんにひどいことしか出来んのは好きやからか」
潜めて言われて手塚が息を呑む。
それを見た白石が不意に手塚の左手を掴んだ。意図のわからない手塚を引き寄せると、その唇を強引に掠めるように塞ぐ。
「…白石…っ!?」
「された側は、今の手塚くんと同じ気持ちやろ」
ぎょっとしている橘の前、白石は手を離すとぐいと唇を拭った。
「“なんで”しかない。相手がどんな気持ちか考える暇ない。
した方が相手に推し量ってくれ、は傲慢や」
「………おなじ気持ち」
「まして、向こう武術家やろ。俺があっさり捕まえられる手塚くんに捕まった時点で、自尊心ずたずたや。はいそーですかで割り切るには、傷深すぎんな」
「…これ以上、近づいたら傷付けるのにか…?」
辛そうに見つめる視線から白石は目を逸らさず、腕を組んだ。
「なんかしたから責任持って引き下がります、はカッコエエと思てんは己だけや。
中途半端に手ぇ出されて急にもうしませんとかされた方は困るし悩むし果ては遊びかと傷つくやろうな」
「…」
「キミと仲ええ人やったら修復する時間も、キミがどんな人が考える時間もあるけど、木手くんはほぼ初対面や。それでなんかされて意味わからんなら、キミに急に引き下がられても意味わからん。傷付けたままさいならしてええならお好きにどーぞ。
やけど、ほんまは笑って欲しい思ったから近づいたんなら、最後まで踏ん張ってから俯きや」
『―――――――――――――方が』
あの時、言われた言葉に、喜んだのは。
「…白石」
「ん?」
「…じゃあ、諦めないことにする」
「そか」
『―――――――――――――あなたより、雷の方が』
怖いと言った声。
それなら、まだ諦められない。
今はもう、俺の方が怖くとも。
一人部屋のロッジに戻って、扉を開く。
「おらん、よな…」
ぱたんと閉じると、それにしても参ったと内股に貼った絆創膏を撫でる。
途端、背後から抱きしめられて、どくりと心臓が鳴った。
「……ち、とせ…?」
「他ん誰やおると? …そげん、嫌とか?」
「……そういう、わけやない」
掠れた声で答えると、そのまま抱き上げられてベッドに押し倒される。
「…千歳…っ…待って…」
「待てなか」
「……明日、……やないとあかんの?」
「……白石は、余裕とか?」
明日まで堪えられると?
そう聞かれても、狡い。堪えられるわけじゃないし、一方的に言われたって困る。
するりと太股をなぜた千歳の手が、ぐいとハーフパンツにかかる。
「…っ…待っ…!」
ぱさりと床に落とされたハーフパンツから露わになった足に浮かぶ、見覚えのない絆創膏を大きな指がぺり、と剥がした。
「…や…」
そこに見える赤い跡に問うことも出来たのに、千歳は問わずにそこを強く吸った。
より大きく跡になったそこをぺろりと舐めると、その横や上にも跡を刻んでいく。
「…ちとせ…っ」
「…最後までヤらんよ。お前の身体がまだ辛いんはわかった」
「……?」
「ばってん、俺のもんちゅう跡くらい付けさせ?」
足下から見上げる顔が彼らしく笑っているから、なんて誤魔化して。
ならええ、と答える。
シャツの下にも跡を這わせ始めた顔の癖の強い髪に指を絡めて、詰めた息を吐いた。
⇔NEXT