蔵ノ介―――――――――――――蔵? 呼ぶ声に、彼が振り返って微笑んだ。 綺麗な、綺麗な翡鳥〈スチュリティア〉。誰より、美しく、優しい天使。 俺とは正反対に、綺麗な綺麗なキミを。 「………ご主人様?」 汚したのは、俺だ。 ![]() 星の楽園 前編 -【 失われた世界 】 それは、一つの星の物語。 数多の生物を産んだその星に、ある年、宇宙生命体が降り立った。 背中に翼を持った人間は、不思議な力を持ち、そして賢く美しかった。 病さえ癒す力を持つ彼らを、お伽噺になぞらえて誰かが「天使」と呼び出し、彼らを星の原生人は受け入れる。 やがて彼らが星の主権を握って、何千年。 世界は、荒れていた。他ならぬ、天使の為に。 「白石! 危ないで!」 心配そうに肩を叩いた幼馴染みに白石は微笑み、「大丈夫やて」と柔らかく言う。 「ここは政府の警護で完璧に保護されとる。少し庭うろつくくらい平気」 そう言うと、幼馴染みの謙也はぶすっと頬を膨らませた。 「俺らは『御身の安全のため』って外出られへんねんで? 白石だけずっこいわ」 「そら、俺がアレやから」 謙也も、仕方なさそうに微笑んだ。危険はない。 そう重ねて言い、白石は庭に出た。大きな洋館。広がる庭も警備を完璧に施されているはずで、誰もいないが警護兵はいるだろう。 星の政府が自分たちを保護するのは当たり前だ。 今、この星は荒れている。六色の天使たちのせいで。 翠、蒼、白、赤、茶、黒の六色の翼。 その六色をそれぞれ持って生まれた天使たちは、いつからか同じ色同士で集まり、違う色を拒んだ。違う色を排他的に攻撃して、やがて世界は六つに割れて。 尊いとされる順番は翠、蒼、白、赤、茶、黒。黒が一番汚く、醜いとされる凶悪種。 俺達、翠は最も尊く清い、美しい天使とされ、中でも一番強く、一番美しい翠の天使には代々ある名が授けられた。 ―――――――――――――「翡鳥〈スチュリティア〉」 最初に星に降り立った、天使の名前だ。 白石蔵ノ介。俺が、今の翡鳥〈スチュリティア〉と呼ばれる天使。 俺への保護、否、庇護は半端なく強く、天使じゃない人間からも、違う色の天使からも守護されるのが、この翡鳥〈スチュリティア〉だ。 だから、俺だけは平気。出歩いても。 今も、街では反天使派や違う色の天使がいつテロを起こすかと警戒されている。 広場の噴水に手を伸ばして、水をすくった時、足下で誰かの声がした。 眠そうに瞬いた漆黒の瞳に、うねった波の黒い髪。 大きな、身体の男。 芝生に横たわっていた彼は、白石をいぶかしげに見上げた。 (誰、やろう) 天使といえど、常に背中に翼を生やしているわけではない。 消すことも出来るし、力の強い天使ならなんの天使か隠せる。 「…、あんた、」 立ち上がった彼が、大股で近寄って白石の、硬直した身体に触れた。びくりと反応した白石の髪に触れ、その翼のない背中を撫でる。そして、ひどく優しく微笑んだ。 「……お前、は?」 「俺は千歳、千歳千里」 「…ちとせ」 「千里でよか」 「…千里」 千歳は満足そうに微笑む。 (俺が知らない翠のヤツ…?) こいつは俺を知っているみたいやし。 「白石!」 遠くで謙也が呼ぶ。すぐ千歳は白石から離れ、「さよなら」と笑って身を翻した。 「え、あれ…」 それに慌てて、白石はその手を掴む。千歳が驚いて、見下ろしてきた。 「お前、仲間やないん…?」 咄嗟にそう聞いてしまった白石に、千歳は目を細めて少し口の端をあげる。それは、どこか寂しい笑みで。 瞬間、彼の背中に漆黒の翼が広がった。すぐ空に飛び立った彼を茫然と見上げると、追いついてきた謙也が焦燥した顔で俺を背後に庇う。 「…黒の、天使」 そう呟いた白石に気付いたのか、上空で微か微笑み、千歳が今度こそその場を去ろうとした瞬間。 傍で響いた爆音に、白石は咄嗟に謙也を突き飛ばしていた。 (…はめられた…んかな) ぼんやりとしてきた意識の中で、白石は早く謙也に意識が戻るよう願った。 (あいつは…あいつが、この…テロ…やったんかな) 脳裏に、あの優しい笑みが浮かんで消える。 刹那、足下に倒れていた謙也が身じろいで起きあがり、ぽかんとした。状況が飲み込めていない。 「……はよ、起きぃ」 「あ、しら…」 「んで、はよ…逃げぇ」 謙也の顔が引きつり、青ざめた。それはそうだ。倒壊した大きな建造物の下に俺達はいる。その建造物を全て受け止めているのは、俺の巨大化させた翼だ。 「はよ、出てけ…逃げろ…」 「しらいし…っ…イヤや!」 「謙也!」 「お前を置いて、見殺しに出来るわけない!」 「我が儘言うな!」 謙也に向かって叫んだ所為で、視界がぶれる。翼に食い込む建物の破片の痛みで、気が遠くなりかける。額から流れた血が、視界を邪魔した。 「…頼む、逃げて…」 「…」 謙也が泣きそうに顔を歪め、それでも堪えて白石の傍に駆け寄るのを、白石は全力で突き飛ばした。 建物の影から勢いよく転がり出て、倒れた謙也が急いで顔を上げた瞬間、建物は完全に地面と接触する。 「……あ」 あの、下に。白石が。 「あ、…―――――――――――――うあ…っ!!!」 悲鳴が喉から溢れて、でも止まらない。足下に広がる血だまりは彼のモノ? 「白石…っしらっ……ぁっ!!」 その場に政府の警備兵が駆けつけ、保護するまでそこにいたのに。 見ることはなかった。 笑う、生きた、彼の笑顔。 『謙也』 そう、笑って「大丈夫や」と何事もなく帰ってくる、彼を。 腕の中で、意識を失い倒れている天使を抱えて、千歳は空に飛び立つ。 あの瞬間、テロが起きたのは偶然だった。彼は、俺の仕業と思っただろう。 死なせたくなかった。だから、助けたんだ。 でもなら、彼が死んだと誤解し、泣き叫ぶあの仲間の元に連れていけばよかった。 だって、今、手放したら永遠に失う。 こんなに綺麗な、翡鳥〈スチュリティア〉を。 とぎれとぎれの意識が、やっと繋がって浮上した。 瞼を何度も押し上げ、やっと開くと視界には幾つもの腕に繋がった管。 生命維持のためだとすぐ理解した。助かったのか? 「起きたか?」 傍で柔らかい男の声がした。白石が寝台に横たわったまま見遣ると、金髪の穏やかな顔をした青年。 「……?」 前後がわからず、戸惑う白石に男は「ああ、すまない」と微笑んだ。 「千歳にお前を助けてくれと任されたんだ。助かってよかった」 千歳? 誰だ? いや、知っている。 『千里でよか』 あの、黒い天使。 ばっと寝台に起きあがって敵意の目で睨もうとした瞬間、視界が揺らいだ。 すぐ彼に抱き留められる。 「おい、まだ動くな。翼が治りきってないんだ」 「離せや! 誰が助けろって…お前らやろあれは!」 「違う。あれは」 部屋の扉が外側から開いて、姿を見せたのはあの黒い天使、千歳。 「あれは、堕天使の仕業ばい。俺がおったんは偶然」 「そない話……」 拒もうとして、白石は背中を撫でる手に息を呑んだ。 千歳じゃない方、多分黒い天使である男だ。 「深呼吸しろ。まだ、パニック起こしてる。記憶が混乱してるだろう」 反論が出来ない。事実、あの時本当はどうだったかわからない。ただ、黒い翼だけが焼き付いて。 「…もっと休んでいろ。俺達は、お前を害さないよ」 そう、ひどく優しく肩を撫でられて、胸に染みた言葉に、それ以上白石は言い募れなかった。 怪我が回復してきて、何日か。 寝台脇に飾られた花は、目覚めるたびに違う。綺麗な、花だ。 「気に入ったか?」 「あ」 白石が思わず花から手を引っ込めると、彼はおかしがることなく近寄って白石の肩に落ちていた布を羽織らせた。 「風が入ってくるな。窓を閉めるか」 「………」 肩に、背中に触れる手。 優しくて、言葉も、微笑みも、優しい。 黒い、天使? だって、 「……ほんま、に」 「え?」 彼が窓際で振り返る。不思議そうな顔だ。 「黒い天使は、殺戮を好む残忍な凶悪種やって。やから……」 戸惑う白石に、男はあくまでゆっくりと近寄ると、白石の前に手を差し出した。 「ほら」 意味が分からない。彼は、優しく笑う。 「確かめて見ろ。俺が、そんな天使かどうか。触れて。 翡鳥〈スチュリティア〉は人の心が読めるんだろ?」 「……、あ」 「俺は構わない。…お前が、信じたい方でいいよ」 躊躇って、結局触れた男の手。読もうともしていなかったのに、瞬間流れ込んだのは、ひたすらに柔らかい日溜まりのような心の声。 (彼だ。自分から伝えようとしてくれた。だから…聞こえた) 「……」 ああ、偏見じゃないか。黒い天使は、悪いなんて。 彼は、優しい。 「……ごめん。ありがとう」 そっと読むためでなく、彼の手を両手で包んだ白石に彼はとても嬉しそうに笑った。 「あ………、あ」 誤解していたと、謝りたい。だがつっかえたように言葉が引っかかった。 「……の、名前」 「…俺の名前、やっと聞いてくれた」 そう、彼はひどく嬉しそうに言った。それが、とても心地よい低さで、胸になにかがじんわりと染みる。 「橘だ。橘桔平」 「…橘?」 「桔平でいいぞ。千歳もそうだ」 「…桔平。俺も、蔵ノ介で、ええ」 わかった、と笑顔で快諾した橘は白石の見ていた花に触れて、そっと手に持たせた。 「持っていても枯れないぞ。力を与えてある」 「…優しいねんな。ほんま」 花に力を与えるなんて、優しい心根じゃないと無理だ。 だが、橘なら頷ける。橘は否定した。 「それは千歳だ。お前のために、誤解させて申し訳ないって…な、毎日」 脳裏に、あの男の笑みが過ぎる。優しい、橘のような色だ。 花から伝わる力の気配が、限りなく優しくて。 彼も優しい人なのだとわかる。 「……どこ、おる?」 「隣の部屋。お前をいつも心配してる」 千歳は隣の部屋に本当にいた。 花の咲く庭のような部屋で、綺麗な花々が床に置かれた花壇に咲いている。 ああ、彼は本当に優しいんだと理解した。 土のない場所に、花が咲くなんて。彼が、その源だとわかる。 靴音に気付いて振り返った千歳が、そこに立っていた白石に目を見開いた。 焦って、大股で駆け寄ってくる。「怪我は!?」と必死に聞くから、白石は愛しささえ感じてしまった。 「…平気や。ありがとう、千里」 「…いや、よかった…。え…?」 自分の名前を呼ばれたことに、遅れて気付いた千歳がぽかんとした。 「…誤解して、ごめん。助けてくれて、ありがとう…千里」 白石が千歳の大きな手を取って、精一杯微笑んでみせると千歳は見るみる顔を赤くする。 「…千里、て呼んでええの?」 「う、あ、うん!」 「…そない張り切らんでも」 「……嬉しか」 大袈裟とすら思うのに、白石自身、嬉しく感じて。 「俺も」 「…あ、」 「蔵ノ介、でええ」 千歳は更に赤くなって一瞬慌てた後、すぐ呼吸を整えて白石の手をちゃんと握った。 「…蔵ノ介」 彼らは、優しい。 凶悪なんかじゃない。 わかりあえるんだ。 そう、願って。でも、俺はそれがどんなに愚かかと知らずに。 |