生まれて初めて恋をした。

 寝ても覚めても思い続けた。

 この恋を動かしたのはキミ。

 あの日、あそこにいてしまった、来てしまった、

 キミが全てを狂わせた。






双人ヴァンパイア



第一話【南の流星・西の明星】

 



『テニスなんか、出来るわけなかとやろ』


 目の怪我を負ってから、数ヶ月。
 冬の熊本は、まだ雪を降らさない。
 元からの放浪癖は、家族の心配から多少は控えめになった。
 窮屈になった。千歳は大変、周囲に心配され、大事がられ、可哀想がられるようになった。
 以前は自由に、言葉もなく帰らない日々があったのに怪我を負ってから、日帰りですら夜遅くに帰ると、みんなが不安そうな顔で出迎える。
 気むずかしく、子供に愛情を示すのがうまくない父親すら、心配そうに待っている。
 だから、千歳は自由になれなくなった。
 テニスがしたかった。目の怪我とはいえ、もう運動はしてもいい頃。
 テニスコートに戻るつもりでいる。誓っている。変わらない。
 なのに、相手がいない。
 自主練習だけでは、どんどん実戦の勘も腕も落ちていく。怪我のためにただでさえ数ヶ月無駄にした。無我の研究に費やした日々も多かったが、研究だけでは意味がない。
 実戦が欲しかった。実戦で試したい。実戦がしたい。
 なのに、以前の千歳の知名度が高すぎたが故に、怪我の話の広まりも広く、既に熊本や熊本近辺では練習相手など見つからない。
 みんなが口を揃えて言う。

 千歳は、もうダメばい。テニスなんか、出来るわけなかよ。

 試合をする前に、匙を投げて試合をしてくれない。
 試合がしたかった。なんでもいい。誰でもいい。

 あのコートに、帰りたい。

 テニスがしたかった。





 どんよりと曇り空の日だった。
 前はよく桔平ときていた市営のコートは、ナイター設備が一応ある。
 まだ、日は一応明るい。
 コートに反響する壁打ちのようなボールの音に、誰かがいると判断して足を向けて、少し離れた場所で視線を動かした。
 片目は眼帯で、そもそも見えない。
 見た限り、三つあるコートに誰もいる様子はない。
 だが、足下にボールが転がっているのに気付いて拾うと、持ち歩くのが癖になっていたラケットで上に打った。
 何度か打つと、逆にへこんでくる。自分の力で打ったボールしか感じられないなんて、これが九州二翼か。自分から名乗ってないが。
 離れた距離にある壁に打ってみようか、とラケットの先端で弾いた瞬間、今まで見たつもりで見えていなかった死角に人間がいたことに気付く。
「あ、あ!」
 片目だけで打ったボールは、予想以上にコースを外れた。背中を向けて壁うちをしていた少年の後頭部にぶつかるかに見えたボールを、彼は軽く一歩下がって壁に打ち返した。
 そのまま自分が打っていたボールと一緒に打ち始める。すぐ、手を止めて二つともラケットに乗せると、初めて背後を、千歳を振り返る。
(……)
 外見の善し悪しより、テニスの技術に目がいった。
 ほんの一瞬の動作だが、勘が告げる。彼は、上手い。相当。
 多分、かなり経験がある。一瞬でも、その技術が荒削りではなく、相当洗練されたうまさだとわかる。
 ダイヤの原石ではなく、丹念に磨かれて輝く大粒のダイヤの宝石のような。
 天性の才能の上のうまさ。
「……?」
 しかし、どこの子だろう。
 こんなにうまい、かつ同い年くらいのテニス選手に覚えはない。ここの地域では。
「…謝罪もないん?」
 しばらくの沈黙のあと、その少年がぽつりと言った。
 その言葉に、千歳はぽんと手を打つ。
「あ、関西弁! 関西の子か!」
「…なにがや?」
 謝罪と斜め百八十度違う言葉に、少年はおかしげに目を細めた。
「どうでもええけど、別に」
「あ、…あ、ごめん」
「別にええ」
 わざとじゃない、と傍に駆け寄り必死に言う千歳に向き直り、少年はわかったと言う。
「わざと打てるもんやないんはわかるから」
 他意のない笑みを浮かべて言われ、安堵する反面不思議になった。何故あっさりそこまで。
 顔に出ていたのか、少年は自分の右目を軽く指す。
「眼帯」
「あ、ああ」
 そういえばしていたんだった。見えないから自覚がたまにない。
「そんなんしてて正確に狙えたら、逆にびっくりや」
「…それもそうばいね…」
 格好が格好だから、誤解されると焦ったのでそこは安心した。
 そこでハッとする。
(髪、染め直せば俺ってバレなかや…?)
 脱色したままの髪に、長身に眼帯だから、行く先々で「千歳」だとばれるのでは。
「……ん? ……」
 少年が唐突に、顎に手を当てて千歳をじっと見上げた。少し呻ったあと、さっきの千歳のように手を打つ。
「ああ! 獅子楽の千歳! …やんな?」
 あ、やっぱりばれた。やはり髪か、と内心思う。
「ああ、そうばい。…まあわかっとね」
 やっぱり髪が、とぼやく。少年が速攻「いや、身長だけでも」と断言した。
「…そげん目立つ?」
「つか、一回会ってればわかるやろ…。ラケット持ってたら。会ったことがないなら流石に」
「あ、そっか。ここらへんのはみんな、知り合いばっかばいね。そもそもが」
「?」
 しかし、はて?と思う。
「あんた、ここらの人じゃなかよね?」
「ああ」
 この少年は俺を知っている様子だ。どこかで見かけた?
 関西のテニス選手と会う機会なんてそうそうない。あったとしても、全国。
(…関西…関西で強か学校…)
 さっきの一瞬で、千歳は彼が相当な腕前の選手だと疑わなかった。だから、この少年がいるなら、相当強い学校だ。年も疑っていない。見抜く力はある。
「………」
 そういえば、夏の全国大会、先輩に紹介されて話したことがあった顔が脳裏に浮かぶ。
「…同じベスト4の! 大坂の四天宝寺の二年部長さん!」
「お前もか!」
 お互いわかってなかったんか!と一回ツッコミをいれた後、少年はすぐ明るく笑って、自分を指さす千歳の手を掴んだ。そこに、持っていたボールを乗せる。
「? お前のやないん?」
「…いや」
「…そっか」
 乗せた手を、ボールごと引っ込めて少年は背中を向ける。
 壁打ちの続きでもするのか。
「……、するんか?」
 だが、打つ前に少年はまた千歳を振り返った。
「え?」
「お前も打つんちゃうん?」
「……い、や」
 それは、したいが。
 一人はもう、つまらない。
 あからさまに戸惑い、意気消沈した千歳をしばらく見遣って、それから彼はボールを再び手に乗せてきた。
「よかったら、打とうや」
「……、よかと?」
 びっくりするより、先にそう口にしていた。したかった。誰でもいいから、テニスが。
 壁じゃない、相手と。
「ただし、あんまり加減せえへんで?」
「それでよか…それがよか!」
 あまりに嬉々として答えた千歳に、少年は微かに驚いたがすぐ、微笑んでくれる。
「ほな、やろ。千歳」




 当たり前の笑顔。当たり前の言葉。最初に、彼―――――――白石蔵ノ介はそれを俺にくれた。











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