双人ヴァンパイア



第二話【南の流星・西の明星U】

 



 白石は、親戚に会いに来ていると説明した。
 それから、毎日のように彼に会いに行く。彼はテニスをしてくれるから。
「あ、」
「40-0。マッチポイントな」
 白石は、西の本命と言われる四天宝寺の二年部長だけあり、とても強かった。
 天性の才能を、努力で更に磨き極めた、隙のないテニス。
 糸口のないテニス。
 どこからうち破ったらいいか、途方に暮れてしまうような、完璧なテニスだ。
 目のハンデもある。大きくミスをすることも多い千歳だったが、逆にどんどん楽しくなった。
 楽しかった。こんなに強い相手と試合をするのがこんなに楽しいことだと、思い出していた。
「…自分、ほんま楽しそうにテニスすんなぁ」
「え?」
 息を切らしていた千歳の頭上で聞こえた声。笑っている。楽しそうに。
 顔を上げると、とても綺麗な顔が見えた。
「負けても負けても、お前は楽しそう」
「楽しかよ。すごく。すごく」
「…そうか?」
「楽しい。…死ぬほど」
 本気だった。本心だった。それほど、楽しくてしかたなくて。
 真剣に答えた千歳に、白石はぽかんとした後、すぐ吹き出した。
「そら、すごいわ」
「本心」
「うん、わかる」
 白石がくすくす笑う声は、耳障りが良い。
 千歳が彼を覚えていたのは、テニスの強さが理由だったがもう一つはその顔だった。
 非常に女子にモテそうな、いかにもな美貌。やたら綺麗で強いヤツ。そんな風に全国の時、白石を記憶した。
 白石は、自分とは真逆のテニスをする。
 基本に忠実に、逸れと触れ幅のない、色気のないテニス。それを完璧に極めきった、隙のない、戦った時に糸口の見つけられないテニス。
 癖が、ない。
 プロだってなくせない癖を、彼は持っていない。
 歩く教本みたいなテニスだった。




(そういえば…)

 千歳の家に招いていいかと、親に聞くと親は二つ返事で了承した。
 ずっとふさぎ込んでいたのは親にもばれていたようで、彼と会ってからひたすら楽しそうなのを見抜かれていたらしい。
 ただ、少し心配していた。また怪我をしないか、と。

 暖まった炬燵に足を入れ、両手でお茶の入ったカップを持つ、手。
 白石は、仕草すらも丁寧で、お手本みたいなヤツだ。
 千歳は、彼に、目の怪我を詮索されたことがない。
 学校からある程度の事情が流れている所為もあるだろうが、それにしたって詮索しなさすぎだ。
 だが、そう思って気付く。
 彼は、そもそもこんなに長く、九州にいていい人間なのか?
 大坂の部長だ。それが、こんなに長く?
 彼もどこか故障をしているのだろうか。あるいは、自分のように部にいられなくなった事情が?
 そう考えたら、聞けなかった。
「……あ」
 白石が空を見て、声を漏らした。そこにぽつぽつと、降り出した雨。
「…どうせなら、泊まってってよかし」
「うん」
「………」


 けれど、一度降ってしまった雨。
 一度降りだしたら、冬が明けるまで止まない雪のように、それは消えない疑問になった。





 千歳が休んでいる間、白石が壁打ちをしているのはいつものことだ。
 彼は練習を欠かさない。そして、自主練習しかしていなかった千歳は体力が衰えている。
「……」
 あの日から、抱いた疑問と、そして違和感があった。

 白石は、つまらなそうなテニスをする。

 極端に、感情を殺しきったという言葉ですら足りない。
 本当に、楽しんでいないテニス。勝つためだけでしかない、楽しむためなんかじゃないと言い切るテニス。
 千歳は、ラリーの最中に笑う白石を、見たことがない。なかった。

 彼は、楽しんでテニスをしない。


『ほんま楽しそうにテニスすんなぁ』


 そう言ったのは、自分が楽しくないからか?
 自分は、テニスが楽しくないからか?


「白石」

 手を伸ばして、無駄のないフォームで打ち続ける手を止めた。ボールが転がっていく。
 それを、ただ無感動に見送る瞳。確信する。彼は、




 千歳の視線の意味を、俺は多分その時悟ったんだろう。



『白石、少し、テニスを休め』


 そう言ったのは、先代部長と顧問だ。

 夏の全国以降、負けられないという意識が強くなった。
 チームのためにならなければ意味がない。拮抗した試合など、勝たなければ意味がない。勝ちのないテニスに、試合に価値はない。
 だから、ひたすらに勝つために強いテニスをしようと決めた。元からそういうテニスではあったから、それを更に極めればよかった。
 秋が過ぎて、先輩と顧問は言う。

『お前は、楽しそうにテニスをしなくなった』

 機械的に、責任だけで、使命感だけでテニスをしているやろう。
 義務感だけでコートに立つんやろう。
 悪いわけやない。ただ、それで負けたら、その後お前はどうなる。
 少し、部長を休め。
 お前のためのテニスを、してこい。



 九州に親戚がいると知っていた顧問が、九州にはそういえば、千歳がいると言った。




「そんなこと言っても、俺は楽しくないテニスを、自分で選んだんです。先生」


 楽しくないのは、それは当たり前だと、返したら顧問は辛そうに目を細めた。





「…つまり、部長を辞めろって話やろ?」
 シューズの裏で、座っていたベンチの足を蹴る。
 空は相変わらず、冷たい、黒い色。
「…既に途方に暮れてるわ」
 部長やなくなったら、俺のテニスに意味はないのに。
 隣に座る千歳の手が、自分の頭を軽くこづいた。
「あんたは、案外自分音痴ばい」
「それ造語やろ」
「うん。ばってん、当てはまるヤツは割とおるばい。
 あんたはその典型。一番酷い。重傷」
「……はぁ?」
「……コートは、楽しいから立つとこばい。
 勝つためだけに」
 急に立ち上がって、頭に触れていた手を払うと、千歳は驚いて自分を見上げた。
「お前、馬鹿にしてんか?」
「…してなか。俺は」
「お前、ないタイプや」
「…?」
「お前、全国優勝目指して、全国のコートに立ったことがないんやろ」
 獅子楽の話くらい聞いている。
 飛び抜けてうまい二年二人。
 夏に、三年の部長と挨拶した時に感じた。
 このひとは、そんなつもりでコートに立ってないな、と。
 千歳は沈黙の後、立ち上がって見下ろしてきた。無言で無表情で、片目に眼帯だから怒らせたかもしれないが、構わない。馬鹿にしたのはそっちだ。
「確かに、前向きに“優勝出来る”って思って立ったこつはなかね」
「…で、」
「ただ、優勝“したいって思って”、立ったこつはあるよ」
 ポケットに手を突っ込んで、それでも普段と違って背筋を伸ばして立つ千歳。
 普段は、背中を曲げている。猫背なところがある。
 背筋を人が伸ばす時は、間違われたくないとき。
「それはしょんなくなか?
 どぎゃん頑張っても、所詮俺達は個人ばい。
 団体戦は、全員が頑張ってこそ“勝てる”。
 周りがそう思ってなかのに、俺達がどげん頑張っても、…あがって二勝。
 一勝、足りない。もどかしくて、しかたない俺らの気持ちを、あんたは逆にしらんばい。
 強か場所が羨ましか。あんたんとこは、羨ましか」
「……、」
 千歳の手が、ポケットから引き抜かれる。
 その手で、白石の髪を梳き、おとがいを掴んだ。
 そのまま、自分の顔に近づける。

「そぎゃん言うなら、あんたが教えてくれたらよか。
 優勝目指して全国のコートに立つ方法」



 まるでキス出来るような、距離で千歳は囁いた。
 その背中の空から、雪が降り出した。










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