双人ヴァンパイア



第三話【訝る暗鬼】

 



 およそ、十五日ぶりにかける電話は、ひどく長く感じたコールの果てに繋がった。

 声が出ない。何度も唾を飲んで、呼びかけた。

「先生」

 向こうで、恩師はいつも通りに「白石」と呼んだ。




『そぎゃん言うなら、あんたが教えてくれたらよか。
 優勝目指して全国のコートに立つ方法』


 意味がわからない顔をした白石に、千歳は続けた。

『転校先ば探しとう。もちろんテニス前提で。
 ただ、どこも俺を『生命の終わった選手』扱いで拒否っけん、困っとった。
 だけん、俺は四天宝寺行きたかね。あんたが学校に証言してくれっとだろ?
 俺がまだ使える、て。
 もちろんどこでもよかったわけじゃなか。確実に勝ち残る、強い学校がよかった。
 だけん、四天宝寺がよか』

 見てもいない癖に。そういう顔をした自分に、千歳は断言した。白石を指さして。

『四天宝寺は強い。あんたがおる、四天宝寺は強い。
 弱い筈がなか。あんたがおる場所が。あんたのおる場所は間違いなく頂に近い。
 あんたは、頂の傍にいる人間ばい。
 ばってん、ちぃと足りなかろ? 充分ってこつはなかね。優勝には。
 俺は戦力になるばい。あんたの学校を、四天宝寺を優勝に近づける戦力になる。
 好きに使うてよかよ。あんたがマスターやけんね』



 自分は強い、と疑わず、慢心でも自意識でもなく千歳は断言した。
 自分は必ず、優勝に必要な駒になる、と言った。
 右目を失ってなお、彼は己をそう言い切った。
 けれど、それが事実。
 千歳は、強かった。千歳に負けたことはない。
 それでも、気を抜けば簡単に負けるくらい、彼は強かった。
 そして、未だ強くなる過程にいた。

 四天宝寺の力になると言うなら、なるだろう。
 彼にもメリットがない話じゃない。
 四天宝寺に、欲しいか否かと聞かれたら欲しい。
 勝つ気で来てくれるなら、欲しい。

 でも、自分がそれを言う権利が今の四天宝寺にあるのか。
 それが、白石は苦しかった。
 もう部長じゃない。自分はきっと。
 十五日も、こっちに来させて、間になんの連絡もないなら、それはそういうことだ。
 だから、なんと言えばいいかわからない。
 怖いんだ。
 お前は要らないんや、って言われたら?
 千歳がもし、四天宝寺のコートに立てても、俺は立てなかったら。

『白石。どないした?』

 変わらない、優しい恩師の声。
 すがるように、声が零れる。

「…千歳と、会いました」

『そうか。それで?』

「千歳が、うちに行きたいって」

『…使えるか?』

「使えます。かなり。…俺とでも、接戦です」

『負けたか?』

「いいえ」

『なら、決まりやな。千歳の親御さんと話して、お前は一緒に来い』

「…」

『白石?』

「…俺もですか?」

 恩師は不思議そうな間のあと、察してくれた。すぐ、宥めるように優しく言う。

『お前はうちの大事な部長や。みんな待ってるで』


 耳に届いた瞬間、その場に座り込んでいた。耳に当てた携帯から、恩師がゆっくり『誤解させてすまんな。ごめん』と繰り返す。いい。いいんです。もういいんです。
 俺が要るのなら、まだ要るのなら他に望むことなんかない。


「……はい」



 他に、欲しいものはない。






 千歳の両親は慎重だったが、寮があることや特待生制度の充実、傍にいい病院があることもあり、結果的には四天宝寺への息子の転校を快諾した。
 両親に伴われて大坂の四天宝寺に来たその日、千歳はまだ十三歳だった。
 誕生日を聞くと、大晦日、と答えた。

「思い切ったなぁ」
「はい?」
 両親が他の教師と話し込んでいる間、暇になった子供の相手をすることにした渡邊の言葉に、千歳は最初疑問を返す。
「俺は、別に白石を行かせた目的はお前のヘッドハンティングやないしな?
 まさかお前が釣れるとは思わなかったわ」
「はは。俺、魚?」
「そやなぁ。フグ?」
「…えげつなかチョイスばすったい」
「油断したら毒吐くやろうお前」
 真面目に相手をすることにしたのか、千歳が渡邊の前の椅子に腰掛ける。身体を丸めるようにするのが癖なのだろうか。背が、大きいから。
「なんも企んでなかとですよ?」
「そうか」
「純粋な望みとここが合致しただけたい」
「っていうと」
「そうやな。まず、俺の今の実力を判断した上で受け入れてくれる学校。二、親元から離れることを両親が納得する設備があるこつ。三、近くによか病院があるこつ。四、テニス部の強い場所であること?」
「随分えり好みすんな」
「俺はまだ、それが出来る権利ばある選手や思っとるばい」
 自信たっぷりに言い切る千歳に、渡邊は内心怖いと呟いた。その自信は決して空回りしない。事実なのだ。
「あと、最後、桔平との試合のこつを、偏見で断罪しない場所」
「そこは応相談やな。俺はせんけど、部員に保証はせん」
「嘘つきよるばい。せんよ。四天宝寺の部の人らは」
「随分自信あるな。会ったことないやろ」
「あるよ」
 千歳は視線を巡らせて、渡邊のデスクに立てかけてある写真を見て笑う。
「白石が部長ばい」
「それが?」
「あいつが率いて、あそこまで身を粉にしとう部が、そげな『くだらなか』人間の集まりな場所なかね」
「……」
「あいつ、俺の眼帯見ても、臆さんかったばい」
 足下を、爪先を見て、千歳の声は初めて安堵した子供のようになる。
「誰もが俺はもうダメって言いよる中で、あいつだけ、俺見て言うた。言うてくれた。
『テニスするか』って。
 俺は、あれ以上、望む救いばなか…」
 渡邊は目を細めて、千歳の頭を撫でた。
 自分の滲んだ涙を拭う千歳の大きな手。大きな身体。
 でも、彼は子供だ。
 心細く、絶望していた子供だ。
 自信も相応にあるが、まだ脆い子供だ。
 受け入れると決めたなら、支えてやるのが役目だ。

 あの白石すら、怯えた様子で電話をしてきた。
 肯定したら、ひどく安堵に震えた声で呼んだ。
 そんな、強く、大人びたようで、弱い子供。

「あれは、事故やと聞いた」
「…?」
「自分が、あの試合は事故やって言うなら、…信じるで。
 うちはみんな、信じる。保証する。…わかるな?」

 橘が悪くないと、お前が言うのなら信じる。
 そう言った渡邊に、瞬きの後、千歳はひどく無邪気に、安堵を浮かべ笑った。










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