双人ヴァンパイア



第五話【コートで()が笑う】

 



 メロディが一定期間、鳴って止まる。
 携帯の、メール受信だ。
 風呂上がりだった。白石はベッドに投げたままだった携帯を拾って、フリップを開く。
 送信相手は「千歳千里」

「…………?」

 意味がわからない。興味をすぐ失って閉じた。


 あれから、春が来て、千歳は難なくテニス部にとけ込んでいる。
 関西のボケとツッコミを理解しない緩さが逆にうけて、サボり癖すら笑いのネタだ。
 サボる癖を注意したこともあったが、部活には決まって出る千歳に、注意する気も失せてきた。
 そろそろ、本格的に暑くなる。
 梅雨の真ん中だ。



「あ、」
 部室で昼食をとっていた時だ。謙也が鳴った自分の携帯を開きながら、思い出したように言った。
「そういや、白石、今日、親がな?
 また子供生まれたけどどないするって」
「あー、聞いてみる」
「なんの話な?」
 子供がなに。という当惑したリアクションを取る千歳の肩をつついて、小石川が「ウサギ」と説明した。
「俺の親がウサギ飼ってん。で、白石の親が欲しがってて」
「ああ」
「女って動物好きやんなぁ」
「別にエエやん? 男が一回はガンダムにハマるんと一緒」
 白石の言葉にげらげらと笑う謙也と小石川に、一人蚊帳の外の表情の千歳。
 千歳は笑いのテンポが違う。だから、思いも寄らぬところで笑って周囲を驚かせた。
「ああ、そういえば、クラスで近いうち、怪談やるとか言っとったと。
 二組は?」
「あー、うちも言ってたなぁ。発端が野球部の奴らやんか」
「ああ」
 確か、野球部が早くに夏を終えたので、暇になった三年があらゆる楽しみを探している。ブームはころころ変わる。今は怪談。
「受験に必死になればええんに」
「そこは言ったらアカンし。ネタ一個はストックしとかんとアカン?」
「一時間でやで? 全員の話する時間ないて」
「あー」
「そういや、」
 千歳が一旦、言葉を切り、にこりと笑った。
「怖い話ば、実家におったころにされたばい」
「え? どんなん」
「うちがな、ウサギ飼っとって、で、父親がある日『そのうち母さんがウサギ捌いてウサギの肉が並ぶぞ。食卓に』って言いだしよった。肉食べとう晩ご飯の時間に」
 ぶっ、と揃って謙也と小石川が飲み物を噴いた。なんとか堪えた白石も、なんとも言えない顔だ。離れて食べていた財前が、「うぇ」という顔で見ている。
「千歳っ! わざとかお前っ!?」
「ウサギの話がさっき出たからか…!」
「ばってん、食べられなくなるやろ?」
「笑って言うな!」
 ぺし、と謙也に頭を叩かれて、けれど千歳はへらへら笑っていて。




『8』




 帰り道だった。白石は病院が好きではない。
 薬剤師の父親の下で育ったため、大抵は家で治すのが普通。病院に馴れていない。
 用事の都合で帰り道が総合病院の前を通ることになった。白石は過度な視線を向けることもせず、普通に通りかかった態度でそこを通り過ぎる。
 丁度その時、病院の出口から出てきた長身と目があった。

「目、どうなん?」
「悪くはなかよ。普通。若干、回復ばしとうしね」
 そうか、という言葉以外の受け答えを知らない。病んだ人の傍は、苦手ではない。よく知っている。ただ、千歳の傍が苦手だった。
「もうすぐ、近畿大会やけん。あんまり調子崩さんこつを祈っとく」
「…そうやな」
 千歳は、文句無しに戦力だった。
 近畿大会まではそれでもおそらく敵はいない。
 西の本命と呼ばれるのが、四天宝寺。
 ただ、全国は違う。
 近畿大会はシード。そこでもシードを取る。だから、試合はまだ沢山。
「………」
「白石?」
 足を止めた白石を、不思議そうに見遣る千歳の視線。
 今頃、気付く。
 前から、千歳から来るようになった意味不明のメール。
『11』『10』『9』と回数ごとに数字が減っていく。一文字の数字があるだけのメール。
 地方の大会が終わった日、届いたメールは『8』。
 近畿大会と、全国大会。順当に勝てば、全国決勝まで、八試合。
「……なんの真似や。お前」
「…。やっと気付いたと? お馬鹿さん」
 彼は愚かでも馬鹿でもない。すぐ意味を悟って、いっそあざけるように笑う。
「なんの意味もなかばい。あと八試合なり、七試合。
 あんたが、そのままなら、俺は戦力を辞めるって急かしとう」
「…勝ててる。他にエエもんはない」
「あんたは、な?」
「なにが言いたい」
「だって、見苦しかろ? いかにも自分のためですなんてテニスばされて負けられたら……去年の三年が可哀想じゃなか?」
 嘆息と共に吐かれた言葉。脳に染みた瞬間、振るった手が千歳の頬を殴っていた。
「図星?」
「…っさい」
 違う。言いたいのに、歯を食いしばってしまう。言わないようにしているみたいだ。
「……勝てたらええねん。他にない」
「あんたのテニスは、学校にそうてなか」
「…、」

「勝ったもん勝ち。―――――――――――――て、言葉。
 あんたのテニスにはなかしね」

 意味を理解してもいないのに、なにかが切れた。再度振るった手は空を切る。そのまま顔を掴まれて間近で囁かれる。
「なんの意味もなか。
 あんたの冷静ぶった顔ば、もう見飽きただけばい」
「……」
 意味がわからないままなのに、相変わらず千歳の言葉なに一つわからないのに、なにも言えない。ただ、そうなのかと言わないばかりに、黙ってしまう。
 そのまま手を放した千歳は、踵を返してその場を去る。引き留めることも、出来なかった。



「勝ったもん勝ちは、勝ったもん勝ちやろ…っ」
 一人になった歩道。口にして、すぐ、手で押さえた。

 違う。

 少なくとも、最初顧問から聞いた時、どんな意味だそれはと言った。
 けれど、深い意味はわからないのに、いつしか根っこでなんとなく、わかっていた言葉だった。
 今、のは、違う。

 勝つためのテニス、

(なのに―――――――――――――)

 違う。と、思った。
 自分のテニスが、なにか、まるでその言葉を誤ったように、胸を抉った。


「いじめては、なかよ」


 頭上で、いなくなった筈の人間の声がする。
 すぐ手を掴まれ、引っ張っていかれる。抵抗すらも、出来ない。
「あんた、馬鹿? 反論なりなんなりすればよか。
 なに、新参者に言われっぱなしばい」
「…………って、」
「……俺が言うたこつは、そら間違ってなかよ」
 断言された。でも、心の根っこが、千歳が正しいと言う。
「…あんたの、冷静で取り繕った、綺麗か顔は、見飽きただけばい」
「……意味が、わからん」
「…あんたには、多分、わからなかね。知ってて言っとう」
 手を離さないまま言った。前を見て、振り返らなかった。



『お前、白石を―――――――――――――嫌てんの?』

 謙也だったか、小石川だったか。そう言ったのは。

 違う。苛めたくて、苛めてるんじゃないと信じたい。
 ただ、説明の仕方が思いつかない。
 綺麗な世界で、綺麗に笑っているだけの彼が嫌だ。歯痒い。悔しくなる。
 だから、いっそ壊したいのか。わからない。
 早く、早く、早く理解しろ、と心の中が怒鳴る。
 時間なんかない。

「あんた、だから弱い」

 心のままに口にして、初めて千歳はしまったと思った。
 青ざめて振り返った先、白石はただ茫然と千歳を見ている。
 唇に、血の気はない。








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