Teens-イルシオン-












<1>




「俺の兄貴になって下さい!!」



 平日。快晴。
 青春学園中等部。三階廊下。
 雪が降るにはまだ早い冬の季節。
 晴れきった青空に鳥が渡る。斜になった窓からの影。二重にぶれる影。場違いな沈黙。
 これほど言われて、硬直できる台詞もない。
 固まった乾の眼前には金貨を手にした後輩の男子生徒。
 荒削りな髪型で真剣な顔できらきらと星でもつきそうな勢いで乾を見上げている。
 金貨とは青学文化祭特有のイベントだ。
 一枚の金貨を好きな人に渡すという他愛ない代物だ。
 返事がYESなら銀貨を、NOなら渡された金貨を返す。
 女子から男へ、という法則もルールもないから、男から女に渡したり、はたまた男におふざけで渡す男子もいたり。
 あくまで校内生のイベント。他校生などの部外者は参加不可なため、文化祭開始一週間前頃から金貨を渡す姿がちらほら。
 返事の期限は文化祭終了後、後夜祭まで。
 この光景もその一つだ。
 乾貞治(15)、男に金貨を渡されたことはある。
 過去、三回。
 しかし、過去一度も、兄貴になってくれ等と言われた覚えはない。
 逃げたいのが一番の心境だ。
 おいそこらで囁いたり吃驚したりしている奴ら、俺と代われ。
「お願いします! 俺先輩のこと大好きです!」
「あ、ああ……そう………。ありがと」
「尊敬してます! もうビシバシです! ゲキラブっス!」
「悪いけど俺倒錯に理解ないから(口から出任せ)」
「俺の愛はそんなもんじゃないです! プラトニックです!
 もっと崇高で純粋な物なんです!」
「………………………………………………………あっそう(蚊の鳴くような声で)」
 逃げたい(心底)。
 だがこいつは俺の手を握りしめたまま放してくれない。
 ふりほどくことなら出来るが。
「先輩! 俺のこの熱い思いを受け取ってください!
 乾先輩なら…いえ、兄貴!」
 ………ふりほどく気力がもうない。
 その後十分間彼との会話に悩まされ、通りかかったクラスメイト(女子)に助け出されるまで乾は生きた心地がしなかった。朝っぱらから。





「あっははははははははははははははは!」
「…留花……もう笑うの止めろ」
「だってあたしが通りかかったときのあんたの表情ったらさぁ!
 なかったもん! 貞治あんたおかしい!」
「おかしいのはあいつだ」
「告白されるあんたもおかしいんだよ。理解されたって事じゃない」
「理解されても嬉しくない」
「あーそうだろうね。あーははははははははははおかしー腹いたーい!」
 三年十一組。
 高等部側で他の一組〜九組とは遠く離れたこのクラスで、机をばんばん叩きながら先程から大爆笑している女子の名は五十嵐留花。三年十一組出席番号六番。
 色素の薄い猫っ毛を肩より高い位置で切り落としている髪型の女子だ。
 ちなみに万年首席の乾に対して万年次席。
 乾とはかなり体格差があり、女子の中でも中程の身長の女子だが、今乾に首を絞められていてもどうともしない。笑いが止まらないらしい。
「げほっぐっ……あはっ…………はっ……………げはっ」
 全て笑い声の取りこぼしだ。
 笑いすぎて呼吸が出来ないらしい。もう声もほとんどでない惨状だ。
 クラスメイトはいつものことと笑って見守っている。
「………全く、他人事だと思って」
「…………………………………!(横隔膜全開活動中)」
「……本当他人事だな。生きて帰れよ」
 もう虫のように這い蹲って笑いに震えている五十嵐に、呆れたというか諦めた眼差しを向けて、乾は前方を向く。五十嵐は隣の席だ。
「よう、災難だったんだってなー乾。大丈夫だったか?」
 そう問いかけてきたのは前の席の元副生徒会長、下宮順。
 乾は静かに五十嵐を指で突き。
「この惨状が全てを物語っている」
「………本当だな。俺、見なくて良かったわ」
「本当だよ。あんなもん見るもんじゃない」
「で? 結局金貨押しつけられたんだろ?」
「結局な」
 捨ててしまおうとも思ったが一応好意の形。
 捨ててしまうにはあまりに冷血だ。と隣の席の笑い女が諭したのだ。
 何だか釈然としないがその通りだと思う部分もあるので、一応取って置いている。
「乾君、災難だったわね」
「お前は判ってくれるか、ミス名倉」
「あら、ミスは早いわよ。まだ勝ってないもの」
 赤茶のストレートの腰までの、お姉さん系美人と言っていい少女だ。
 名倉志保。通称名倉女史。バレー部の部長で、下宮の彼女。
「順、なんだかんだ言って楽しんでるでしょう。
 乾に悪いわよ」
「志保だって楽しんでない部分があるとは言い切れないだろ。
 この五十嵐の惨状を見ろよ」
「留花は笑い過ぎよ」
「全くだ」
 くすくすと、風が流れ込む世界の中で名倉が笑う。
「でも、栄えある事じゃない。
 折角十一組ミスターに選ばれたんだもの」
 私の相手よ?
 と訊いてくる名倉に、殺意は沸かないまでもやっぱり面白くない。
「五月蠅いぞ名倉。
 これから一週間、その話題は禁じる」
「あら、じゃ文化祭終わっちゃうじゃない」
「終わって良いんだ」
「…本当、大ダメージだったのね」
「……………………………まあな」
 他人の彼女を貶すなよー等と笑いながら言っている下宮を余所に、冷えた風の入り込む窓を見つめた。誰が開け放しにしたんだろう。寒いのに。
 もうすぐ雪の季節が来る。
 葉が落ちる。
 息が白くなる季節だ。
 そう思えば気が紛れないでもない。
「そういえば、他のクラスのミス・ミスター。
 どうなったのかしら」





「まぁそうそうに決まって良かったじゃないか」
 三年一組。
 悠々と空を行く雲を眺めながらそう言ったのは一組のミス。
 赤神美治。一組の委員長。
「なのに何故にあのミスターは不機嫌なのだ?」
「なんかしらんけど人に振られたってよ」
「手塚がか? それは珍しいこともあるもんだねぇ」
 さわさわと涼しい空気が舞い込む教室。
 緩やかに揺れるカーテン。影がぶれて奇妙に綺麗。
(………不二の奴)
 いくら無茶な抱き方をしたとはいえ、あそこまで怒るとは思わなかった。
 早朝は早朝で乾の方へ行き、その後戻りもせずに自分のクラスへ行ってしまった。
 そうすると淋しい。
 空しい気もする。
 通りかかる女子に、金貨とかを渡されても。うざいとしか思えない。
 ミスターに決められたのも、面倒なだけだ。
 委員長は楽しんでいるが、そんなバイタリティは手塚にはない。
(……ああ、何もかも億劫だ)
 部活から解放されて以来。
 自分は不二の事しか見ていない。
 狙え全国は強かった。それが無くなったとき、自分の視界には。
 映るものは、一人しか。
 奪っても奪っても足りないほど、彼に飢えている自分が居る。
「手塚」
「………なんだ」
「あはは、無愛想な顔だねぇ。
 なんか気に入らないことでもあったのかい?」
 とは赤神の台詞。
 いつの間にか隣の席に来て笑っている。潰れた鞄が隣の席に掛かっている。
 隣の席の誰かは今は居ないらしい。
「…別に」
「いつものことだ、ってかい?
 無愛想だね。もうちょっと笑いなよ」
「笑う理由がない」
「理由がないと笑えないのかい?
 六組の不二君なんかいつもにこにこしているじゃないか」
 不二、という名前にぴくんと反応する。
「もう少し仲良くしとくれよ。折角のミス・ミスターなんだしさ」
 そう言って離れていく赤神。
 突くところは突いていって。
 勝手な奴だ。
(……不二)
 別れたばかりなのに。会いたい。
 もう自分は彼に狂ってしまっている。
 もう、どうしようもない。





 がやがやとした空気。
 教室中に広がっている。
 秋と夏の狭間のゆらゆらとした気配。空の窓に張り付く常緑の木々の葉。
 三年六組。
 ここもまだミス・ミスターが決まってない。
「……もうどっちでもいいじゃん。て気がするなぁ僕」
「俺も。高坂も沢瀬も美人か可愛いかのどっちかなんだからさぁ」
「不二、菊丸。贅沢な意見だな」
「そりゃどーも」
 ミスターはミスターで不二か菊丸かでもめているらしいし。
 同じクラスなのは嬉しい。が、こういうのが関わってくると面倒だ。
「そういや不二、今日機嫌不安定だぞ?」
「……そう?」
「うん。行ったり来たり」
「……………やばい。英二にばれるほどかぁ」
「俺にばれるほど、ってどういう意味?」
「いやそこは気にしないで」
「気にするって」
 いや、ただ単に昨日手塚に好き勝手にされたのが嬉しいんだか悔しいんだか判別できないだけなんです。とは言えない。
(だって、裕太にまで嫉妬すると思わなかった)
 自分の考えが甘かったのかなぁ。
 嫉妬されるのは、それだけ思われてるって事だから嬉しい。
 嬉しいけど、今回は。
 ちょっと、微妙。
 散々好き勝手されて、嬉しいだけじゃいられないよ。
 腰痛いし。
「おーい、あと二時間で決めろよ。
 HRに割ける時間あと二時間しかないからな」
 あとは文化祭の準備に回すだろー?
 と、教師の声。
 ああ、本当忙しい。
 本当はこんなにのんびりとしている暇はないんだけど。
 役の台詞覚えなきゃだし。
 英二は良いよな。端役だから。
「何考えてるの?」
「んーん。ただこんな風に迷ってる暇あったら劇の稽古の方に使いたいなって」
「あ、それ俺も同感」
「英二はラート愛好会の人たちとなんかしたいんでしょ」
「バレてたか」
「自分で言ったじゃん」
「へへ」
 へへじゃないよ。
 僕なんか好きなこと出来る役じゃないしな。
 唯一いい事といえば、あの手塚が金貨を渡してくれたこと。
 僕も渡したから、交換したようなもんなんだけど。
 でも嬉しい。やば、顔が赤くなりそう。
 結局、僕は手塚が好きで好きで愛おしくて、もうとっくに許してしまっているんだけど、悔しいから怒った振りをしているだけなんだ。
 だって片側だけなんておかしい。
 ねぇ手塚。
 僕にだって独占欲、あるんだよ?
 本当は誰の金貨も、貰って欲しくないんだから。


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