Teens-イルシオン-












<2>




「あ、不二」
 長い廊下。
 昼休み。生徒会室のある西フロアで呼び止めたのは乾だった。
「昼食か?」
「うん、お弁当。屋上行こうかなって」
「今日は風強いから止めておいた方がいいぞ」
「あ、そうなの?」
 たんたんたん、と乾の側まで階段を降りてくる。
「そゆ乾だってお弁当」
「いいか? 俺特製お弁当だ」
「いいなー食べたい!」
「なら一緒に職権乱用するか?」
「職権乱用? …あ!」
「そ」
 生徒会室を指で突き示して、乾は薄く笑った。



「で? 金貨は幾つくらい貰った?」
「十個くらいかな。まだまだ序の口だぜ。へっ」
「こら不二。やさぐれない」
 椅子に座ればいいのに。
 生徒会室の床に二人並んで座って、弁当箱を開く。
 二つ開け放した窓からの風が気持ちいい。行き交う雲。緩やかな流れ。
 外で遊ぶ生徒の歓声。ゆらゆらと揺れる、カーテンのクリーム色の影。
「乾だって」
「言うな訊くな」
 その反応に、不二の“何かあったセンサー”がぴこりんと立つ。
「……なんかあったね?」
「なんにもない」
「ウソをおっしゃい。顔に書いてあるでザマスよ!」
「お前そんなキャラか!?」
 床に置いた弁当箱から苺を盗み取って、なにがあったのと質問責め。
 ゆるやかな時間。学校の隙間。もうすぐ終わるなんて、誰が言う?
「早く言うよろし!」
「お前はエセチャイナ人かっ!」
 全くと、呟いて仕返しとばかりに不二の弁当箱からレモンを頂戴する。
「あ、僕のレモンの砂糖漬け!」
「俺の苺を奪った罰だ」
「酷いわっ乾!」
「お前はカマか」
 つまんなくて面白い言葉の応酬。言いながら、くすくす笑って、先の尖ってないフォークを振り回してぎゃあぎゃあとやっている。
 また予鈴は鳴らない。
「乾! 観念しなよ!」
「嫌だよ。誰が好きこのんで自分の恥をさらすか」
「どーしても教えないって言うんだね?」
「ど――――――――しても」
「じゃあ五十嵐さんに訊くからいいや」
「待て――――――――!」
 不二の両肩を掴んでぶんぶんと揺さぶり、お前はどんなツテを幾つ持ってるんだと問いただされる。
 それを言うなら乾の方こそとか何とか。
「判った。判った。言う。白状するから。
 条件付きだ。
 お前も何か言え」
「条件付きかぁ。
 ま、五十嵐さんでもなんかつけられそうだからいいや。
 いいよ」
「素直に本人から訊きなさい」
「本人が話そうとしなかったからでしょ」
「その際の裏技を持つなと言っとる」
 ああ俺のプチトマトが。等と呟いて乾はプチトマトを一つ口に放り込む。
 一つは先程の騒動で潰れてしまった。
 卵焼きにロールキャベツ。十五の男子中学生が作ってこれるメニューとは思えない。
 食べたい。とは思うが勝手に取ったらまた取られる。
「……………朝」
「朝? アルマゲドン?」
「違う。そのあと。お前と別れたあとだ」
「ふーん? 何があったの?」
 乾は言いにくそうに口ごもり、口に入れたままのフォークをもごもごと動かす。
「…………教室の前で金貨を渡された」
「へぇ、幾つ目?」
「五つ」
「上々じゃない。それの何処が言いたくないこと?」
「……………………………から……」
「え?」
 聞き取れない声で言うので不二は耳を乾の口元に寄せる。

「兄貴って呼ばせてくださいって言われたから」

 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 そして――――――――
「あはははははははははははははははははは!!!」
 爆笑。
「だから言いたくなかったんだよ!」
 微かに赤くなった乾が怒鳴っても、不二は腹を抱えて笑っている。
 まさに朝の五十嵐留花状態だ。
 そういえばこいつ笑い上戸だった。
「あはっ………げはっ」
 ああもう息切らしてる。
 そのうち呼吸困難になるんだ。
 笑いすぎで。
 そしてそれは現実になる。
 やっと収まった不二に話しかけようとしたら。
「ぶっ! 止めて乾出てこないで――――――――!」
 二人きりの部屋で無茶なことを言う。
 そこではたと気付く。
 二人きり。
 不二への恋心は、誰にも言わないと決めた思いだ。
 愛おしい彼を、手塚が守るというなら守ってくれと。守り通してくれと。
 あいつだから許した。
 自分は時折、こうやって二人の時を過ごせるだけで満足なのだ。
 それが満員のカフェでも図書館でも。二人の空気が築けるなら。
 それすら許せないと、あいつは言うのだろうけれど。
 それから数分して、横隔膜に激痛を残しながらも、不二は乾の姿を見ても吹き出さなくなった。涙目だが。
「……あー……こんなに笑ったの久しぶり。
 提供有り難う」
「そりゃあどうも。思いっきり爆笑してくれて」
 見てる方も吃驚な笑いっぷりだったぞ。
 こういうとこ、五十嵐は不二に似ている。
 不二が五十嵐に似ているとは思わない。
 乾にとっては不二が基盤だからだ。
「……で? 条件って?」
「あ、ああ(一瞬不二の笑いっぷりに圧倒されて忘れていた)。
 ……昨日何があったか、俺の予想通りで良いんだね?」
「…それはっ!」
「ブー。条件なので反論権無しです。
 で、いいんだね?」
「………………………………………………」
 彼方此方と視線を彷徨わせて精一杯困った顔をして見せて、それから、不二は大仰な溜息を吐いて逃れることを諦めた。
「……………………………………………好き勝手、されました(一語一語しっかりと発音)」
「よろしい」
「乾の意地悪」
「お前の方が意地悪だろ。わざわざ人の恥晒した上大笑いしやがって」
「だって面白かったんだもん」
「可笑しかったの間違いだろ」
「うん」
「(ヌケヌケと)」
 ことん、と不二の首が乾の肩に乗る。
 ちゅー、と乾の苺牛乳を呑みながら、不二は何処か遠くを見ている。
 その頭をこつん、と叩く前に相手の視線の方向を確かめた。
 何もない青空。
 雲くらいしか阻む物のない、真っ青な空。
「痛い。なにするのさ」
「お前が俺の苺オレ飲むからだ」
 そう言って手から取り返す。
 不二は乾の身体に寄りかかったままそれを取ろうとするから、届かない机の上に置く。
 狡いと言われても、腕の長さの差だ。
「乾…って苺牛乳好きだよね」
「苺オレと言え。好きでなにが悪い」
「いや、美味しいよね」
「美味しいから飲んでるんだろ」
 味が好みなんだ。
「乾、この銘柄しか呑まないよね」
「それの苺オレが良いんだ」
「そう………」
 ゆったりとした時間が流れる。
 乾が望んでいた時間だ。
 不二は頭を乾の肩に預けたまま、空を見つめている。
 その無防備な頭に自分の頭をよりかけて、乾もそらを見つめた。
 うとうとと眠くなる。
 このまま眠ってしまっても構わない気分だ。
 あったかい。
 彼が好きだ。
 それは誰にも言うことのない思いだ。
 それは自分一人が、墓の底まで持っていけばいい秘密だ。
 不二がこんなに無防備になってくれるのは俺が“親友”だからだ。
 それを手放すつもりはないから。
 絶対、言わない。
 絶対に。
 眠くなる意識の中で、乾はしっかりとそう誓っていた。



 がん、がん。と扉を叩く音で目が覚めた。
 時計を見ればそんな眠っていない。
 昼休みが終わる直前だ。
 そう思いながら寝惚けた頭で乾は扉を見る。
 そして自分達の現状を思い出し、一瞬で目が覚めた。
 扉を叩いているのは手塚だ。
 多少五月蠅くしても人の寄りつかないこの西フロアでは気付かれないだろう。
 自分の肩に頭を乗せて眠っている不二が居る。
 やばい。まずいところをまずい奴に見られた。
「…不二、不二!」
「……ん……なに…この音うるさ…………………」
 そこで彼も気付いたらしい。
 現状に。
 鍵は乾が持っている。
 手塚に開けられるわけがない。
 しかし、籠もっているわけにもいかない。
 勇気を振り絞って鍵を取り出し、開ける。
 ばん、と音がして扉が開き、そして頬に鋭い痛み。
「手塚!?」
「……いっ…つ」
「何をしていた」
 叩かれた乾を気にする不二を自分の腕に抱き締めて、手塚は鋭い口調で言う。
 これでは尋問だ。
「…ご飯食べてただけだよ」
 口の中切れたかな。
 鉄の味がする。
「それでどうしてあの体制になる」
「お互い眠くなっちゃっただけだよ。ね」
「うん! 僕が先に寄りかかっちゃったの。僕が」
「お前は黙っていろ」
「手塚…!」
「乾、お前はしばらく不二に近づくな。
 いいな」
 そう言い切って、手塚は不二を抱え込んだまま生徒会室に戻る。鍵を奪って。
 背後で閉まった扉。
 痛い口内。
 しびれるような痛み。
 手塚の、手塚の激しい独占欲はまるで嵐だ。
 全てを切り裂くかまいたち。
 あの教室の中で、今は不二の唇を貪っているのだろう。
 自分の欲を満たすために。
 自分の嫉妬を拭うために。
 そんな感情に出くわすとき、自分の腹の中でも這いずり回る暗い感情に気付く。
 自分の物にしたい。独占したい。がんじがらめに。
 首を横に振る。
 そんなことをしたいんじゃない。
 あの空間が欲しいだけなんだ。
 この感情もやがてはゆったりと風に溶けていくから。
 手塚。
 お前はそれさえも待ってはくれないのか。


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