男にモテるんは、俺の所為やない。
通学路を全力疾走して来る姿を見つけて、謙也は隣の千歳を引っ張った。 「…あれ、白石?」 「うん。珍しなぁ…部活ないんにあんな急いで」 「白石ー!?」 呼びかけに気付いて白石は顔を上げると、そのまま後ろを振り返って会話していた謙也と千歳の間に突っ込むように走ってきた。 「お、はよ」 「…おはよ白石。どげんかしたと?」 「ん? いや、……勘違い?」 「…部活ある日って思ってたん?」 「うん」 ゆっくり歩いてるお前ら見て思い出した。と笑う。 「そか。ほな行こうや。…ってうわ、すごい汗やん」 どっから全力疾走しとったん、と聞いた謙也に白石は暢気に笑って家からと一言。 「ほんま珍しいなぁ…」 しきりにそう言う謙也の横で、千歳はどこか嚥下出来ない顔で彼を見下ろした。 家に来るか、と誘ったら白石は素直に頷いた。 「そこ置いてよかよ」 「ん」 部活もないので夕方には着いた千歳の家。 鞄を部屋の隅に置くよう言って、そのまま卓袱台の前に座った白石の横顔をふと眺めた。 「…千歳?」 「…いや」 不思議そうに見上げる顔。なにも、普段と変わったところはない。 そのまま背後に座って、後ろから抱きしめると微量のシャンプーの香りがした。 「…なに?」 「…なんでんなかけど」 腰を抱きしめて、その首筋にキスを何度も落とす。 「ちょ…千歳…っくすぐったい…」 「…そか?」 「やめ…しゃべんなワンコ…っ」 くすくす笑う白石の身体をそのまま床に押し倒すと、舌を耳に這わせる。 途端、びくりと過剰に反応した白石を押さえつけて、舌で念入りに耳朶を愛撫する。 「…っ…や……やめ…ぁ…」 「白石、ほんに耳、弱かね…」 「…あ…っ…や」 抵抗したくても力が全身から抜けてしまう程の快感で、無理なのだ。と本人が前に言っていた。舐める音を流し込むようにいじると、ぎゅっと目を閉じて、千歳のシャツを掴んだまま息を荒くして堪えている。 やっと解放した頃には耳は唾液に濡れていて、赤く染まった白石の顔には涙が滲んでいた。 「…千歳のアホ」 そんな顔で睨まれて言われても怖くない。 「…怖くなかってよか…可愛かよ? 白石」 「…うるさい。はよ、…抱けや」 すがりつく腕に引き寄せられるままに、身体に手を這わせて顔を沈めた。 家に白石が帰宅した時には、夕飯が終わっていた。 友人の家でとるから、と言ったのは白石だ。 「ただいま」 「おかえり蔵。あ、あんたに手紙」 「…また?」 「うん…」 心配そうな姉に、笑って「友だちやから」と言う。安堵したような姉に、俺、男なんやからそない変なん来たりせん、と言って部屋に戻った。 扉を閉めて、受け取った手紙をひっくり返すと、やはり送り主の名はない。 眉を寄せながら、封筒をあけて紙を取り出す。 ワープロ文書の、二枚の紙。 『今日は友だちの家で夕飯ですか? だめだよ真っ直ぐ帰らないと。中学生なんだから。 あと、朝はあんなに急いで逃げなくても、なにもしないよ』 「…ざけんなっ」 一週間前から、毎日ポストに投函されるようになった手紙。 内容が細かく私生活に触れているなら、登校時や下校時に足音につけられている気配も今日が初めてじゃない。 自慢ではないが、男なのに男にストーカーされる経験はこれが初めてじゃない。 痴漢は流石にないが、誘拐未遂、ストーカー、ナンパは男からも複数回ある。 …本当に自慢にならない。自分で言ってて空しい過去だ。 中一の頃、家族が一度警察を入れた一件はストーカー。それも自分の部屋に盗聴器とカメラが仕掛けてあって、それに父親がぶち切れた、という一件。 流石に恥なので、やむなく知った謙也以外には話していない。 二枚目も大したことじゃない、と思いながら目を通して、思わずある一行に喉が鳴った。 『白石くんは耳がすごく弱いんだね。初めて知ったよ』 「……なん…で」 間違いなくあの行為の時のことだ。だが、千歳の部屋はアパートの二階。 どうやってこんなこと。 『キミの番号もやっとわかったんだ。今日から毎日電話しようね』 ひゅ、と喉が詰まったような音を立てた。 証拠とばかりに記載された番号は、間違いなく自分の携帯番号。 プルルルルルル… 「…っ」 なり始めた携帯電話は、まるで読み終わるタイミングを計ったような。 おそるおそる手を伸ばした携帯に表示される番号は見知らぬ数字。 それでも通話ボタンを押してしまったのは、多分、自分がただの男に負けるはずないという自尊心。 「……………」 『………』 言葉はない。ただ向こうで男の声が楽しそうに笑った。 「…―――――――――――――あんた…っ」 『綺麗な声だね。…蔵ノ介って呼んでいい?』 「ふざけんな…誰が…」 途端、ブツっと絶えた通話。たった数秒。 通話時間は、たったの二十秒。 それなのに、肌は冷えた汗を流して、心臓はドクドクと早く走ったように鳴っていた。 翌日は朝練があった。 早朝の道路は人気がなく、閑散としている。 普通に歩いていた白石の足が、ぴくりと止まった。 (……) すぐ早足、それから全力疾走になって学校までの近道に入る。 (まだおる) それでもどこかで過信していた。 自分は現役テニス部の部員だから、と。 瞬間胸元で鳴った携帯に、びくりと足が止まりかけた時だ。 背後から伸びた手が左腕を不意に掴む。 「…っ!」 無理矢理止まらされた足。振り返るより早く耳になにか触れた。 それが暖かい舌だと理解した瞬間、全力で振るった肘に手応えがあって、緩くなった腕を掴む手をふりほどくと振り返らずにそのまま大通りまで必死に走った。 心臓がうるさい。 なにより、気持ち悪い。 誰かもわからないのに、わかったのは一つ。 普通の一般人じゃない。 自分と同じに運動を相当している。足も早い。 でなければ、昨日もそうだが、自分の全力疾走に学校までついてこれる筈がない。 (なんやねん…!) 「…っ…あ…!」 心の中で怒鳴った瞬間、あげた顔、視界一杯に誰かの胸。 「…わ…っ」 止まる暇もない白石の身体をあっさり受け止めた身体が、ぜえぜえと息をしてぽかんとしている白石の肩を叩いた。 一瞬、そのストーカーかと疑った白石を安心させるように、穏やかな声が頭上から。 「珍しいな。白石がそない急いで」 「…銀」 「…どないした?」 あからさまに安堵した白石をいぶかしがる石田に、なんでもないと首を振る。 「もうみんな来とる?」 気付けばもう校門の中だった。 「千歳と金太郎はんと小石川は来とる。財前とか謙也はまだやな」 「…あいつら」 頭を押さえる白石の肩を、もう一度石田が叩いた。 「…? 銀?」 「…なんか、あったんか?」 石田の心配そうな声に、んーんと首を振る。 「気のせい」 笑顔で答えた白石に、石田は逆に辛そうに瞳を細めた。 →NEXT |