付き合って、丸二ヶ月。
 好き言うて、好き言われて付き合った。
 勘違いやない。自惚れやない。

 ただ、不安。










彼と俺に降る夜

第一話 《心臆病》














「なぁ、千歳。お前、白石のこと『美味そう』に見えるか?」
 ある日の下校時刻。引退したために、かつて副部長だった自分が、部の問題児ともいえた千歳と一緒に帰宅するタイミングになった。
 誰もいない廊下を歩く途中、不意に小石川がそう言うと、千歳はどさっと鞄を落として夜叉の形相で睨み付けてくる。
「蔵は、俺のもんばいっ! 蔵に手ばだ」

 ゴスっ。

「誰が『喰いたい』まで言うたか。こんアホ」
 身長の結構近い小石川から渾身の(しかし本人は涼しい顔)肘鉄を食らって、千歳が一瞬沈んだ。
「ただ、美味そうに見えるか見えないか、て聞いてんねん。俺はそうは見えへん」
「…あー、美味そうとよ? てか、実際うまか」
「そらお前にとっては美味いやろうな」
 頭を押さえて涙目で答えた千歳に、小石川は自分で聞いておきながらあっさり賛同した。わかっていたという風に。
「…なんね。まさか、まだ手ば出してもらってなかと?」
「…生憎な」
 小石川は大して悩んでもいない顔で肯定した。



 部内一の真面目&お堅いコンビである石田と小石川が付き合い始めた、という話は二ヶ月前は騒がれた(あくまで部内で)。
 しかし、奥手というより、硬いだけのこの二人だ。
 付き合えばそうでもないのかと思えば、未だキスすらしていない、らしい。


「俺かてなぁ、強いてしたいとか思っとらんわ」
「そうなん?」
「ちゅーか、しばらくシたない。大学生くらいになってからでええ」
「…お前、性欲なかとか?」
 悩みはどうしたどころじゃないことを言い出す小石川に、千歳は流石に呆れた顔で突っ込む。
「あるけど…強いてそんな、手、出されたいって思うか?
 俺は嫌や。キスまではしたいけど、以上は当分嫌や」
「……おま……それ、師範聞いたら傷付くばい」
「いないやろ」
 小石川はその場に彼がいないのだから、盛大に言っていると開き直る。
「別に、自分が美味そうかどうかはどうでもええ。
 喰われたいわけやないし…。
 てかな、俺かてまさか自分が『喰われる』側になるとは思っとらんかったわ」
「そら、普通思わんやろね。俺には想像つかんばい」
「お前は一生喰う側やからってええ度胸や…」
「そこまで言うなら、小石川が師範食べればよかやろ」
 これならどうだ、と千歳が言った瞬間、小石川に「無理」と即答された。
「あの師範に、あの師範に手を出すやなんて……そんなおそれ多い。
 いっそ自分が出された方がどんだけマシな…」
「お前、大概師範馬鹿ばい」
 千歳は思う。
 小石川がどこまで本気かわからない、と。
 彼は確かに、石田を特別視しているし。大事だろう。
 ただ、その愛情は、どう見ても『敬愛』とかの、綺麗な愛情に見えて仕方ない。
 自分が白石に抱くような、醜い執着を伴ったものでは決してないと、思う。

(そもそも、恋愛じゃなかよね…あん二人)

 石田はこの手の話題では全く読めないのでわからないが、小石川の側は石田に恋愛は抱いていないと断言してもいい。
 それとも、彼らは恋愛にも『醜い執着』を伴わないでいられるのだろうか。
 石田なら、ありだと思う。
 ただ、小石川は、微妙だ。
 真面目だが、普通にテンションは明るいし、ツッコミごとに容赦はない。
 普通の学生だ。
 そして、付き合っていると二人から聞くまで、誰もそんな気配を察しなかった。
 白石や、小春、そしてことこういうコトに聡い自分すら。
 だから、思う。


 彼らの言う『恋愛』とはなんだろう。


 彼らの恋愛は、自分たちの思う『敬愛』や『信仰』ではないのか、と。



 彼は自分がされた方がマシだマシだと言うが。
 明らかに、されるところまで想像して言っていない。
 口だけだ。

「小石川は、…」
「ん?」
「師範と、キスまでしたら、満足?」
「うん」
 あっさり、笑顔で頷かれてしまった。
 ああ、やっぱり、違うと思う。

 彼らの、恋愛は、





 恋人なのに、『師範』と呼ぶ。
 名前で呼ばない小石川。

 抱かれなくとも、満足だ、と言い切る。





 万一、石田の気持ちが自分たちと同じでも、




(出せない、と思う)



 こんな風に、言われてしまっていたら、線引きを、されていたら。



 そんな風に、笑われて、綺麗なことを言われてしまったら、と思った。








 元部員としては、千歳、白石、石田、小石川の四人が寮生だ。
 千歳、石田は実家との距離から。白石は本人の希望。小石川はなんでも、家庭の事情らしい。
 部屋割りは、千歳、白石は一人部屋。
 小石川と石田は同室だ。

 がちゃ、とノブが外で回され、同室の男が部屋に戻ってきた。
 小石川が風呂に行っていたことを知っているので、同室の石田は「お帰り」と口にしてから、黙ってしまった。その戸惑いの気配を感じたのか、小石川が石田の方を見て、きょとんとする。
「小石川…お前、上着を着てこんと、風邪をひくぞ」
 小石川は下は履いていたが、上はタオルを引っかけただけで、裸だった。
「あ、それが脱衣所で濡れたまま騒いどった奴らに踏まれてしもて…上着。今洗濯機にかけとる」
「ああ、そうか…。はよ着たらええ」
「うん」
 笑って頷き、クローゼットの方を向いた小石川の背中を見遣って、石田は内心、千歳が居合わせれば服を借りられただろうに、と思った。
 小石川は寮生の中でも飛び抜けて長身で体格がいい。敵うのは千歳か自分くらいだ。
「他に誰かおったか?」
「いや、テニス部の奴らはおらんかったなぁ。
 千歳と白石はどうせ、…あ」
 子供のような笑顔で言いかけて、小石川は口をつぐむ。
「なんや?」
 優しく石田が問うと、小石川はあからさまに悪いことをして、懺悔するような顔をした。
「…い、や。…また、どうせ、白石を…部屋に連れ込んどるんとちゃうんかな、て」
 そして、スッと石田から視線を逸らす。
 小石川は、他人が言う程潔癖ではなく、普通の男子らしいと知っている。
 普通なら、際どい猥談だろうが、言葉には出来る。好まないだけで。
 彼が本来言いたいのは、「どうせ、白石とシとるんやないか」というところだ。
 だが、彼は自分の前で、その手の話題を顕著に避ける。
「儂かて、男やしなぁ。言い方変えんでもええぞ」
「…あー、うん」
 気まずそうに頷いたが、小石川は背中を向けたまま、こちらを振り返らなかった。


 恋人だと、思う。


「小石川」
「ん?」
「…儂ら、…付き合うとるよな?」
「うん。なんで?」
 そこでやっと振り返った小石川は本気で不思議そうだった。
「…ほなら、ええんやけど」
「変な師範」
 そう言って笑う顔。子供みたいに。
 でも、彼は自分に対し、その手の話題を避ける。
 付き合う前は、まだ普通だったのに。
 付き合ってから、露骨に避ける。
 まるで、自分は嫌だ、という風に。


「健二郎…?」


 彼は真面目で、公正で、白石ほど極まっていない。
 子供らしさと、おふざけと、相応の子供らしい執着も汚さもある。
 惹かれたのは、もっと奥だった。


 千歳の存在は、大きく、部に貢献した。
 問題児でもあったが、大きな戦力でもあった。
 その彼の存在が、実質レギュラーから追い出してしまった、小石川。
 彼はレギュラーの中で、言ってしまえば、一番底部であり、特筆する長所もなかった。
 他の部員に比べれば充分強い。他校と比べても。
 ただ、他のレギュラーより、劣っていた。それだけだった。
 でも、千歳の存在は、彼をそれでは済まさなかった。


 レギュラーから落ちても、副部長という立場から彼は部に在り続けた。
 腐ったところなど全く見せず、最後までサポートに徹してくれた。

 彼が、全国大会の会場で、言った言葉を忘れられない。




『おおきに、謙也。あいつ、連れ戻してくれて』




 副部長としてだけではなく、彼の本心だった。
 退部した千歳を引き戻した謙也の行動に、小石川は感謝していた。
 千歳を疎んじていたなら、絶対に出ない言葉。
 彼が本気で、千歳が四天宝寺にいることを誇った言葉。

 その強さと、心根に惹かれたのだと思う。





 名前を呼んだ瞬間、小石川は「え」と一言漏らして石田を見た。
 声もそうだった。
 小石川が浮かべる表情は、明らかに嫌悪だった。
「……なんでもない」
「…そっか?」
 途端、安堵したようにふざけて明るく笑う。

 自分は、遠回しに拒まれていると、知っている。

 彼は、自分を遠回しに嫌がって、拒んでいる。

 優しくて、自分に好意はあるから、直接言ったりしないけど。


 仲間としてなら、友人としてなら、好かれている。






 一生、届かないかもしれない気持ちに答えを望んだのが、間違いだったなら。





 何故、笑うのだろう。














 ⇔NEXT