![]() 彼と俺に降る夜 第二話 《上手く微笑えない》 いつまでも、言わないで欲しい。 答えを言わないで。 拒否(こたえ)を、言わないで。 『……え?』 あれは、引退してすぐの、休日だった。 みんなで出かけた帰り道。 寮生だった石田と自分の帰路が一緒なのは、今更珍しくなかった。 白石と千歳は二人で帰るから、必然、小石川は石田とよく帰ることになる。 「師範? 今、…」 笑って、聞き違い?と伺った自分に思い詰めた顔を彼は向けた。 「師範?」 「…迷惑やったら、言うてええ。儂が言いたいだけやしな」 「……」 硬直して、小石川は軽く背後に下がった。すぐ、しまったと思う。 「…聞き間違い、や、ない、と…」 「ああ」 石田は、自分に好きだと言った。白石と千歳のような意味で、と。 「…、」 「嫌なら」 「嫌ってわけやない。急ぎすぎや師範」 「すまん」 自分でもわからない。何故、はっきり嫌だと言わなかったのか。 それは、石田のことが好きだったからだ。 大事で、大事で特別すぎて。どうしたって一番に優しくしたかった。 「…俺は嫌いやないし……ええけど」 「え」 「付き合うん」 石田が一瞬、間をおいて嬉しそうな笑みを浮かべた。 参ると思う。 自分の好きは、そんなのじゃないから。 不意にこちらに伸びた彼の大きな手が、自分の後ろ頭を抱いて引っ張った。 反応出来なかった。いろいろ想定外すぎて。 抱きしめられていると、気付くのに時間がかかった。 理解してすぐ、身体はおかしいほど強ばった。 察したのか、石田は身体を離して、謝ってくれた。 その笑顔を、守りたいとすら思う。 石田が大事だった。 好きだった。敬愛という意味で。 抱きしめられて、理解した。 彼は本気で、自分が好きだと言うんだ。 俺は、それ(抱擁)すら、受け入れられないんだ。 男同士とか、関係ないと思っていた。 千歳が好きな親友を、微笑ましく思っていた。 だって、自分じゃないから。 対岸の話だから。 味方になる。話だって聞く。助ける。 でも、極論、俺が男に押し倒される目に遭うわけじゃないから。 だから、傍にいられた。 気持ち悪いと、本気で思った。 自分を好きだという、彼を、石田を。言葉を、抱擁を。 本気で、嫌悪した。 嫌悪してすぐ、罪悪に見舞われた。 石田を嫌悪したことを、嫌悪した。 彼は綺麗なんだ。彼は優しいんだ。 彼を、大事にしたくて、優しくしたくて、いっそ守りたくて。 大事で。 だから、彼を嫌悪した自分を、汚く思った。 耳元で携帯のアラームが鳴っている。 目覚めは最悪だった。夢見が悪すぎる。 部屋に二つ。左端と右端にある寝台の右端が小石川のベッドだ。 起きあがると、ベッドサイドにおいた眼鏡を取ってかける。 すぐ着替えられるように壁にかけてある制服を寝台に置いて、寝間着のシャツに指をかけた。 その時、背後の扉が音を立てて開いた。多分石田だ。さっき、寝台にいなかったから、洗顔だろう。 「おはよう、師範」 「ああ、おはよう」 その通りだった。彼の手にはタオル。 制服を手早く着てしまってから、小石川はコンタクトとタオルを持って扉に向かう。 小石川は視力があまりよくない。普段はコンタクトだ。 「小石川?」 「へ?」 急に呼ばれて、小石川は間抜けな声を上げてしまった。 石田が近づいてきて、肩に手を伸ばした。大きな指に掴まれる感触に、知らず身体が身構える。気付いて、石田はすまなそうに笑う。 「体調が悪う見えたから、熱があるんかと」 「あ…そか、ごめん」 ないと思う、と答えて急いで部屋を出た。背中に当たる視線を、気付かないふりをした。 付き合ってから、石田と話すたびに罪悪感が降り積もっていく。 前みたいに、優しくするばかりじゃいられなくなって。 冷たい態度も、気付かないふりも、身構えることも傷付けると知っている。 でも、そうしないと、それ以上に傷付けてしまうだろう己の嫌悪感を知っている。 (じゃあ、俺が悪いんか?) 心の中で彼に吐き捨てた。 (男同士が気持ち悪くて、なにが悪い……) 思った傍から、すぐ、自己嫌悪に襲われる。気持ち悪かった。 「健二郎…?」 三時間目は体育だった。体操着に着替えて体育館に向かう途中、逆に体育館から戻る最中だったらしい白石と千歳に出くわした。 「ん? あ、白石」 角でぶつかりそうになったところを、千歳が白石を抱いて避けさせたらしい。 白石の肩に当然のようにかかった千歳の手を見る。 「小石川?」 「ん?」 なんでもない、と笑った。やっぱり、他人事なら気持ち悪くない。 「てか、謙也は? 同じクラス…」 「千歳とじゃんけんしてな? 千歳が俺に負けたら一緒に来るなて」 「……もうちょい優しいしたれ、千歳」 小石川がじと目で突っ込むと、千歳は全く気にせず明るく笑った。 才気煥発使ったに違いない。勝てるわけないだろ。 「そういや、師範は?」 「いや、教室におらんかったから、先に行ったんちゃう?」 本当だ。石田とは隣クラスだから、体育は合同になる。 本来、自分の四組は三組と合同だが、三組と四組の生徒数が少ないことと、クラス合計が奇数で一クラス余ることから、体育は三、四、五が合同だ。 「…小石川」 「ん?」 千歳が軽く自分を覗き込んで首を傾げた。 「なんか、顔色悪くなか?」 「………―――――――――――――気のせいやろ」 千歳は疑った顔で「そうか?」と言った。 間が出来てしまったのは、やはり、自己嫌悪からで。 朝の石田との会話を思い出した。彼相手だと、不必要に身構える。 嫌悪が拭えない。 「そうや」 その日の体育はバスケだった。 自分のチームの試合が終わってすぐ、小石川は壁際でしゃがみ込んだ。 なんか、いつも以上に、おかしい程疲れている。 怠い。 「小石川」 同じように試合が終わった石田が傍に歩いてきた。「大丈夫か」と。 「え? いや、身体なまった」 なんでもないと答えて、すぐ立ち上がる。石田が険しい顔をした。 「無理して立つな。座ってろ」 「いや、ほんまに大丈夫やて」 そう言って笑ってみせたが、またきつい視線を向けられてしまう。 己でも、本格的に体調がおかしいことに気付きだした。 だが、自覚したくない。 こんな場所で、馬鹿みたいに石田に気遣われたら、想像だけで死ぬほど気持ち悪い。 「小石川!」 思考を引っ張ったのは、コートにいるクラスメイトの声だった。 視界一杯にボールの輪郭が浮かぶ。自分に向かってきたのだと理解した時には遅かった。 軽い音がして、ボールは顔面に当たる寸前で止まる。自分の顔の前に手を出し、片手で受け止めた石田が、「気ぃつけや」と注意してからボールをコートに投げ返した。 受け取ったクラスメイトが石田に礼と、自分に謝罪を寄越す。 クラスメイトに大丈夫だと返してから、小石川は隣の石田を睨んだ。 「やめてぇや。そういうん」 「…?」 「庇うとか。おかしいやろ」 「…いや、普通、顔面に当たるて思たら、手は伸ばす」 わかっている。自分がただのクラスメイトでも、石田はそうする。 「そやな。ごめん」 朝の夢の所為だ。過剰反応もいいところだ。 石田を再度見遣ると、気付いて優しく笑ってくれる。 自己嫌悪になる。彼はやさしいのに、なにも損なわず優しいのに。 どうして。 コートに視線を戻したが、視線は感じたままだった。 視界が、妙にぼやける。 やめてや。ほんま。 もう、元に戻ろうや。 恋人とか、マジ気持ち悪い。 なら、約束してくれるんか。 手は絶対出さへんて。 なら、付き合っててもええけどな。 「小石川…?」 石田の声が間近でした。「え」と視線を向けた瞬間、視界が完全に真っ暗に落ちた。 「健二郎!?」 自分を呼ぶ声は、間違いなく彼だった。でも、名前だった。 倒れたのだと、自覚した瞬間に、身体を抱いて支える手の感触にすら目が開かない。 石田だとわかっている。 でも、 答えは言わないで欲しかった。 少しでも、幸せな夢に浸っていたかった。 限りなく、望みのない悪夢でもよかった。 彼に、嫌悪されていることくらい、わかっていた。 それでも、拒否は言わないで欲しかった。 『 もう、元に戻ろうや。 恋人とか、マジ気持ち悪い 』 朦朧とした様子で、小石川が呟いた言葉を、何故聞いてしまったのだろう。 おそらく、言葉にしていたと、彼は気付いていない。 無意識だ。 だから、こそ、彼の本心なのだ。 拒否は、言わないで欲しかった。 ⇔NEXT |