彼と俺に降る夜

第五話 《傍》













 今頃、寮はちょっとした騒ぎかもしれない。
 あのあと、部屋を飛び出してしまって、帰っていないからわからないが。
 外は暗い上に、雨が降っている。
 心配させているだろう。

 どこかわからないが、どこかの神社の境内に座り込んで、小石川はぼーっとしていた。

 傍に置いてある自分の携帯が、何度も音を鳴らす。誰かが心配してかけてきている。
 でも、出たくなかった。






『…知っとるよ』


 あの時、石田はそう言った。

 気持ち悪いと言った自分に。



『わかっとる』





 あんなひどい言葉にすら、すまなそうに笑って、許す人に。




 あんなひどい言葉を吐いてしまった。









 寮はこの時間になっても、ちょっとした騒ぎだった。
 他の寮生ならまだしも、真面目な小石川がいなくなったとあって、大人が探しに行くと言われても、他の寮生は静まらない。
 純粋に、小石川は心配されている。彼を慕う仲間はテニス部以外にも多い。
「どないしたんやろ…」
 ロビーの喧噪を見遣って、そう呟いた白石の肩を千歳が叩いた。
「千歳、銀は?」
「まだ見つかっちょらんて」
 石田はすぐ後を追ったらしく、まだ寮に戻ってこない。足なら、小石川の方が速い。
「…あと、理由ば聞いた」
「え?」
「…」
 千歳は嘆息を吐く。渡邊が先ほど来て、軽く謝っていた。
「蜂の巣をつつきすぎた」と。
「あの人は……」
「?」
「いや、なんでも…」
 特に石田には言えない。渡邊には他意はないようだし。
 ただ、小石川に関して、確かめたかったことがあったと言う。
「…とにかく、場所。…探し行こう」
「うん」







 彼は、吐いたばかりだった。それほど、体調が悪かった。
 そんな時に、自分が追いつけないほどの速さで走って、それも、こんな雨の中。
 何度も鳴らした携帯は、コールが鳴るのに、出ない。


 わかったから。もう、いいから。

 もう、手を離すから。




 だから、帰ってきてくれ。








 境内に置いた携帯が震えた。また誰かかと興味もなく見遣って、サブウィンドウの文字に心臓が驚く。石田だ。
 震える手で、携帯をとって、フリップを開く。
 震えているのは、寒いのか、怖いのか。

 何秒かの後、通話ボタンを押す。すぐ怖くなって、スピーカーボタンを押して、携帯を手から離してしまった。境内に転がる。

『小石川!?』

 機械と電波越しの石田の声。心配しているとわかって、途端涙が溢れた。


「ごめん……」


 向こうで、息を呑む気配。

「ごめん…ごめん…ごめん師範……! ごめん……っ」


『そんなんええ! 今どこや!』


「ごめ…っ。ごめん…! 嘘や!
 なんであかんねやろ…師範のこと、ほんまに好きやのに…大事にしたいのに…。
 大事やのになんであかんねやろ…!
 なんで…どして………ごめん…ごめん……っ!」


 膝を抱えて、何度も繰り返した。嗚咽になりながら、謝った。
 頬を伝う雫が熱い。


 今はどこだ、と彼の強い声がする。嗚咽に邪魔されながら、今居る場所を言う。詳しくわからなかったが、石田はわかったのか、すぐ行くという声。




 傷付けたくなかった。本当に、ただただ大事にしたかった。
 優しくしたくて、どうしようもなくて。
 彼が与えてくれる、なにも損なわない優しさを、返したかった。
 大事で、大事でしかたない。


 好きなのに。

 なんで、ダメなんだろう。



「小石川!」
 肉声が、傍で自分の耳を打った。
 顔を上げると、傘を差した彼がそこにいた。
 傘を放りだして駆け寄った彼の手が自分の手を掴む。
 涙が止まってくれない。揺らいだ視界でも、石田の姿は見えた。
 ひどく、ホッとした。
 彼がいるだけで、安心する。許されたと安堵する。
 彼の傍に、いるのが好きだった。

 大事だった。

 石田の胸に自分から抱きついて、強く背中を抱いた。
 驚いたのか、息を呑んだ彼が、すぐ小石川の背中を抱き返してくれる。

 ごめん。ごめん。ごめん。

 傷付けてばかりで、なのに。


 傍に、いたいなんて、馬鹿を思う。




 彼の大きな手が、自分の髪を撫でてくる。それが、ひどく優しくて、また泣いてしまう。
 どうしようもなく、安堵した。









「健二郎は、ほんまは、ちゃんと銀を好きやと思う」
 小石川が見つかったと聞いて、寮に戻る途中、傘の下、白石がそう言った。
「ちゃんと、恋愛で好きや思う」
「ばってん」
「男同士があかん人はおると思うよ。男が好きでも。
 生理的に、男同士があかんて。好きやのに。ダメで苦しい人はおる思う。
 プラトニックしかあかん人もおる思う。

 健二郎は、多分そうやと思う」








『見つかったんか?』

「はい」

 電話の向こう、渡邊の声がする。背後で雨の音。

「…」

『お前、なんも言わへんな。一応、それお前のカノジョやろ』

「……言って気ぃ済まんことは、言わない質なんで」

『…今、ちょおぞくっとしたわ』

 渡邊の声に、軽く笑ってやる。

『…手は、離してやるんやなかったんか』


「手放してやるつもりやったんですが、…離せんくなりましたわ」







 俺はきっと、選んでしまったんだと思う。

 師範の手を取った時に。



 自分で、選んでしまった。




 この、苦しい恋を、することを。


















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