彼と俺に降る夜

第六話 《ハジマリ》













 謙也たちが寮に遊びに来た日だ。
 小石川は無理がたたって、ずっと伏せっている。
 石田も付き添っているのだろう。

「そういや、師範絡みの笑い話ってないわな」

 誰かがそう言い出した。
「師範やしな」
「千歳絡みなら沢山」
「どぎゃん意味な」
 まんまやろ、と誰かが笑う。
「あれ、でも師範。一個あるやん。ほら」
「………ああ。あれか」
 思い出したメンバーはこっそりという風に笑う。
「……?」
 みんなそれでわかったらしい。楽しそうな、でも笑っちゃいけないという笑み。
 わからない千歳に「今小石川がおらんから」と謙也が言う。





「あれな、健二郎が発端のネタなんよ」
 みんなが帰ったあと、白石の部屋に招かれて、千歳は彼の部屋の寝台に座った。
 白石は懐かしいと言いながら話してくれた。千歳の隣に座って。

「そもそもな、健二郎、昔えらいちっちゃかったんや」

 寝台の側にある棚から、あるアルバムを取り出すと、白石は険しい顔をした。
「絶対、見せたて健二郎に言うなや?」
「う、うん?」
「…これ」
 彼が見せてくれたのは、一枚の写真。真新しい制服姿の、幼い白石と。
「入学式の時の、俺と健二郎」
 写真には二人しか写っていない。なら、白石じゃない方が小石川だ。だが千歳はすぐ頷けなかった。
 白石はすぐわかる。その並はずれた造作と、髪と瞳の色で。
 その横にいる幼い少年は、写真の白石より、頭一個は小さい。
「昔、健二郎、俺より小さかったんよ」
「…マジか」
「身体の問題ってわけやない。俺は運動っちゅうかテニスしとって、健二郎はなにもしとらんかったから。
 健二郎とは小学校から仲良くて、健二郎の親がエリート志向やって聞いてた。
 なんか親がいいとこ行かせたがって、あいつずっと勉強ばっかやった。
 遊ばないし、運動もせんと、部屋でずっと。
 せやから、背も伸びひんかったし、体力もなくて、視力も落ちてた。
 でもテニスに興味はあったらしい。俺の試合、親の目を盗んで見に来て」
 白石がそこで笑う。楽しそうに。
「年中、試合終わった頃にはあいつ倒れとんねん。熱中性か貧血で。
 身体の自己管理っちゅうか、下手なんよ。昔はな。不調に気付かん。
 五年くらいの時に、あいつが『普通の学校行く。テニスやる』て言い出して。
 親もあいつのこと愛しとる人らやったから、折れて、で四天宝寺に来て。
 寮におるんは、自立したいからて言うてた。
 でも、一年の頃は、体力ないし、どのくらいで倒れるかわからんし、虚弱でな」






 それが、銀との始まりやった。あいつの。





 それは、入部して一ヶ月。五月の、いきなり暑くなった日のことだ。
 夏かというほどの熱気。馴れていない一年生はみな辛そうだった。
 部活中に、一人、倒れた部員がいた。
 それが、当時石田とはあまり接点のなかった小石川だった。

 当時の石田の、彼への印象は、白石の友だち、だ。
 白石だけはとにかく突出していたから、覚える。
 白石はすぐレギュラーになった。そんな一年レギュラーの、仲のいい友だち。
 そんな印象。
 小石川自身は、中学から始めたらしく、テニスの腕は普通といえた。



 白石が試合で手が離せない。
 丁度、自分も指を怪我したし、彼があまりにも心配するから見に行った。保健室。
 暑い、蝉は流石に鳴いていない、静かな放課後の保健室。
 消毒液の匂いがする。
 小石川は何故か、その小さな身体を床に座らせて、気持ち悪そうな顔でぼーっとしていた。
「なんで寝とらんのや」
「え? あ…」
 石田の呼びかけに、今更に石田がいると気付いたのか、小石川はびっくりという顔をした。
「…え、と……、なんか大丈夫や思て、戻ろうとしたら、起きたらやっぱり気持ち悪うて。…起きてたら馴れるかなて」
「……………」
 はあ、と溜息を吐いた石田に、小石川は「?」を浮かべる。部内一のチビと、部内中、一年一の巨躯。彼が怯える要因は沢山あった。
「馬鹿か! はよ寝ろ!」
「…………でも、テニスしたい」
「また倒れたいんか!」
「……はい」
 体調の悪さもあって、か細い声で頷いた小石川を寝台に寝かせて、念のため体温計を差し出す。おとなしく従った小石川は熱を計っていなかった。
「あるやないか…」
 熱は三十八度あった。これでテニスやる気だったのか。
「……ごめん」
 シーツを顔の半分まで被って謝る同級生に、軽く笑ってやる。
「いや、ええ」
「…ありがとう」
「かまへん」
 小石川はホッとしたように笑ったらしい。顔が隠れているから気配だ。
 そのあと少し話して、彼は眠った。





 帰宅する時に、彼が同じ寮生だと知った。
 そんなことも知らないような、関係だった。
 寮母が「部長さんがついとるて」と言う。
 一度覗きに行って、飲み物を渡した。先輩に。
 オレンジのジュース。
 石田の親がよく、熱を出した時に飲ませた。


 そのころ、自分は彼と同室ではなかった。
 彼と自分、白石は一人部屋だった。
 たまたま、一緒になる先輩がいなかっただけだ。






 翌々日。
 完治したらしい小石川が、三時間目の休み時間、廊下で駆け寄ってきた。
 相変わらず、制服に着られているような小さい身体だと思う。
「石田。一昨日おおきにな」
「いや、かまへん。たいしたことしとらんしな」
「俺が構う。ありがとう」
 律儀なヤツなんだろう。そう思って、礼を受け入れた。
「石田て落ち着いとるよな」
「そうか…? 弟がおるからな」
「ああ、俺、一人っ子やしな」
「…別に、小石川が落ち着いとらんとは言うてへんが」
「…そうなん?」
「そうや」
 落ち着いている部類かどうか、わかるほど親しくない。
 が、やたら元気がいい部類でもない、と思った。
 小石川はふうん、と明るく呟いた。やはり、大きくはない声で。適度な大きさの声。
 その時は、移動教室もあったし、部の先輩も同じ廊下にいた。
 休み時間。沢山の生徒がその場にいる。
 自分たちもその中の一人。
「…」
「なんや?」
 小石川が自分をじっと見るので、そう聞いた。気まずくはなかったが。

「…なんや、石田って、お父さんみたいやな」

 にこりと笑って言った小石川の声は、明るい声だった。適度な大きさの声で、適度にその場に響いた。
 その場には、先輩も多かった。もちろん同級生も。

 直後に、爆笑された。主に先輩達に。

「一年でお父さん! おとん!」「石田は中一やぞ小石川!」「同級生におとんてお前!」などと笑いに苦しい声で突っ込まれ、小石川は今更に「あ」と呟いた。やばい発言だと今更気付いたようだ。
 その後しばらく自分は、「おとん」と呼ばれてしまった。先輩に。






「……おとん」
 白石の話を聞いて、千歳はなんとも言えない顔をした。吹き出したいが、相手が石田だ。出来ない。
「そんな初印象やからなぁ…まあお互い大分と印象に残るやろ。
 そのあと、なにかと銀は健二郎を気にした風やったし。
 …気にくわないって意味やなく、気になるって意味な。心配らしかった」
 千歳はそれくらいわかる、と言った。





 小石川の方が危ないかと言えば、そうでもなかった。
 小石川は普通にクラスに順応しているし、先輩受けも悪くない。
 笑いにはノリがいいし。
 真面目で面白い生徒だった。ただ、若干、以前運動不足だった所為か虚弱で部活中、倒れることが多いが。
 勉強しすぎて、と彼は笑う。
 事実、彼の成績はいい。
 並はずれていい白石と小春と同じようにトップ10には入る成績。

 昔はしかたなくだったと今の彼は語る。
 今は、まあ楽しいし、と。同室だ。よく勉強している姿は目に入る。
 飲み込みが元からいい。短い間に詰め込むタイプらしく、そう長い時間勉強はしないようだ。


 白石が、あるいみ危なかった。
 彼も先輩受けはいいし、笑いにも元気だ。
 ただ、並はずれた容姿と一年でレギュラー。
 テニス部の三年や二年の先輩はいい人が多く、誰も気にしなかったが、他の部の先輩や、同級生からはやっかまれていた。
 なにかと彼を庇う小石川を見た。放っておけないらしい。
「白石は危なっかしくないんやけど……なんか、な」
 と小石川は言った。



 ある日だ。部活が全休の日。
 校舎を歩いていたのは、帰宅する途中だったからだ。
 話し声が、不意に階段の上でした。
 声変わりの済んだ、おそらく先輩の声と、聞き覚えのある声。
 白石と小石川。
 進行方向を変えて、階段を上る。
 白石の、小石川を呼ぶ声がした。階段から落下する彼の背中が見えて、石田は咄嗟に小石川を受け止めた。
「……大丈夫か」
「あ……いし……うん」
 腕の中の小石川に怪我はなさそうだ。が、結構びっくりしたのか、怯えが混じった顔。
 階段の踊り場に立たせると、石田は階段を更に上った。
 あきらかに彼を突き飛ばした体の先輩の前に立つと、身体は大きな自分だから若干怯まれた。
 小石川を突き飛ばしたまま、固まってそのままな手を掴んで力を込めると、妙な音。
 絶叫する先輩に、遠慮はしていなかった。とりあえず怒ったので。
 骨は折っていない。流石に。
 気付いた小石川が慌てて上ってきて、止めた。




「石田って、力すごいあるんやな」
 同じ学年が解決した方がいいと、部長が彼らを連れていった後。
 寮に帰るまでの道は一緒だ。
 白石は、部長たちと一緒らしい。
「ああ、まあ。昔から、テニスやっとったし」
「へえ。白石も昔からしとったしな…」
「小石川は、中学からか」
「うん」
 今更だが、よく笑うヤツだと思う。笑顔が途切れない。
 小石川は明るく「心配やから」と言う。
「白石、昔からよう目とかつけられて。本人は危なっかしくないんやけど、な」
「ああ。わかるかもしれん」
「うん。…多分、父親気分なんかも。俺」
「小さいけどな」
「うん」
 そこで、石田は先日を思いだして足を止める。小石川も習った。
「そうすると、…儂は白石の爺ちゃんなんか?」
「へ? なんで?」
「お前のおとんなんやろ? 儂」
 そう大真面目に言うと小石川は数秒かけて真っ赤になった。違う!と大声を出す。
「あれは…、なんちゅうか、例えで! そんな…本気やないし」
「…そうか」
「うん」
「…少し残念やな」
「…………?」
 小石川は不思議そうな表情を、まだ赤い顔に浮かべる。
 他意はあまりないが、その方が親しまれやすい気がした。
「独り寝が寂しかったら、呼んだらええしな」
「……俺、もう平気やもん」
 そう言う彼の顔が拗ねていて、石田は笑った。遠慮なく。





 そのあと、先輩が転校したり転校生が来たりで部屋にも変動があった。
 先輩と同室になるはずの小石川を、自分の部屋に引きとった時には、仲良くなっていた。


















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