声を聴かせて
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中編−【そして、キミは笑顔でさよならと】





 初対面は、正直、最悪だった。
 四天宝寺にやってきたその日、部室に案内した矢先、押さえつけられて、執拗にキスをされた。
 意味が分からなくて、でも外には他の部員がいて。
 大声もあげられず、翻弄されて、ただわからなかった。
 やっと俺を離してくれた千歳は、心底安心したという顔で。
 怒る気力も、なくなった。



「あれ、なんやったん?」
 大晦日に千歳の家に遊びに来て、そう聴いた。
 普通、付き合う前に聞くことだろうが。
「…あれ?」
 料理をしていた千歳が振り返って、そう言った。


 すっかり、学校中には、俺が余命一年という話は広まっていた。
 半分、俺の所為。半分、親の所為。
 親はあれ以降、俺の好きにさせてくれている。
 親の気持ちが、わからなかったわけではなかった。
 けれど、俺は、最後まで、外の世界で生きたかった。
 それが残される人間に残酷だとわかっても、俺は、外にいたかった。
 知った石田と小石川は、そうか、と言っただけだった。
 小春とユウジは青ざめて、その後、泣きそうになったユウジを小春が叩いていた。
 金太郎は、「嘘や」と「信じない」と泣き叫んだ。
 俺だって、嘘だと言いたいけれど、無理だから。
 ただ、ごめんとしか言えなかった。
 自分が死ぬと知っていて、想い出を作ってしまって、ごめん。
 でもそう言えば、金太郎は怒った。白石と会ったことなんか、怒ってない、と。
 ああ―――――――――――――みんな、いいヤツらだ。
 財前は、そっすか、と一言。
 でも、なにも感じてないわけじゃないと思う。
 ただ、彼なりの発露は、どこかにあるのだろう。
 謙也は、いつも通りだった。
 きっと、一人で大泣きしただろうに。
 俺の前では、ずっと笑っていた。


「会った時、いきなり…」
「ああ…」
 千歳は思い当たった、と言いながら料理を運んできた。
 そして向き合った位置のこたつの向こうに座ると思いきや、俺の背後に回って抱きしめてきた。
 拒まない。
 彼の温もりが、一秒でも多く、欲しいのは俺だって同じだ。
「…あれは、嬉しかったけん」
「嬉しかった?」
「…俺、……一年の時の全国大会で、白石見て…そん時から、白石んこと、好きやったけん」
「……」
「でも、場所も遠い。白石は、俺んこと知らない。だけん、手が届かない人って諦めちょったに…いきなり、手の届くとこに来れて、…俺のもんに出来るって…嬉しかったと」
「……そっか」
 ぎゅ、と抱きしめられる。
「やっと、…抱きしめられるって…舞い上がっとった」
「……そっか」
 白石、と呼ぶ声が、肩口に乗って、きつく抱く。
「………なぁ」
「…ん?」
「…このまま、…時間、止まらんかな」
「千歳」
「…ずっと、今年のまま、…来年なんかならんで…」
 気付く。自分を抱きしめる巨躯は、震えている。
「……そげんなら…白石…ずっと俺ん傍に…!」
「……千歳」
 震える身体に向き直って、そっと頬を包むと、その手の上を雫が流れた。
「…なんで、白石なん…?
 なんで…も……十二時なったら……そん年で…白石……おらんくなる…っ」
「…千歳」
「…嫌と。嫌たい…白石が死ぬなんて認めん…白石がおらん世界なんか、俺ばいらん…!
 嫌たい…死なんで白石…!」
「…千歳」
 呼んで、泣く頭を抱きしめた。
 わかっている。
 辛いのは、俺だけじゃない。
 残される方が、ずっと辛いんだ。
 千歳は、ずっと堪えていてくれた。
 俺が泣くまで。
 だから、もう泣いていい。
 伝えるように抱きしめると、より嗚咽が激しくなった。
「……ごめんな」
「白石は…っ」
「…悪くない、やろ…。そうやない…。
 お前の所為なんて…言うてしもて…。
 …けど、ほんまにそう思うんや…。
 もっと早く、お前に会いたかった。
 お前に愛されたかった。
 お前のもんに、…なりたかった。
 ……お前に、…一秒、一回でも多く…呼ばれたかった…」
 声が震えて、俺まで涙になった。
「……お前がおらな…俺は…ほんまに悲しくなかったんや………」
「……好いとう…白石……。
 でも、言いたくなか…。
 お前が死んだらなんて、仮定なんかしたくなか。
 ……絶対忘れんなんて、言いたくなか。
 その方が、お前が安心出来るってわかっとう。
 だけん…お前が、お前が死ぬなんば、…今だって認められなか…!」

 今抱きしめている温もりが、あっさり、骨になって、冷たくなる日が来るなんて。

 信じたくない。

 この温もりがまやかしなんて、信じたくない。

 苦しみの時間を先延ばしにしただけだってわかっても。

 それでも、―――――――――――――最後まで、認めたくない。


 そう嘆く千歳を、泣きながら抱きしめていた。
「……俺も……」
 小さな部屋に、声だけが響いた。
「…俺も……お前が、…好き…や」



 本当は、一秒、一回でも多く、好きだって言いたかった。
 ああ、なんでもっと早く会えなかったんですか。
 なんで、もっと早く、あなたのものになれなかった。
 もっと、早く、怪我でもなんでもして来いよ、と残酷に思う。
 もっと、早く、



 会いたかった。



 明日なんて、いらない。


 ただ、千歳の傍に、いたかった。





 ある日、家に帰ると、丁度電話が鳴った。
「はい、白石です」

 俺を担当する、医師だった。




『実はね、半年前に、キミと同じ症例の患者がいたんだ。
 この時点で既に、この病は“ZERO”と呼べなくなった』

 どういう意味ですか、と聞いた。

『その患者は、助かったんだ。
 治療法があると、その患者でわかった。
 その患者がモルモットのような検査を受けてくれたおかげでね。
 だが、その治療法ですら、完全に助かるとは言えない。
 助かって、10%の確率で、いろいろな要因がかみ合ってその患者は助かった。
 だから、白石くんがかみ合って助かるとは言い切れない。
 そのまま、死ぬ可能性も、充分にある。
 だけど、…賭けてみる気があるなら』




 もう、季節は秋だった。
 リミットがもう、あと数ヶ月だとわかっているから、俺はより、千歳の傍にいた。
 進学した高校の教師も、胸中はあれど、受け入れてくれた。
 生徒は知っている人間の方が多かったけれど、謙也たちのおかげで、面と向かって言われたことはなかった。



「楽しそうやな、白石」
 部室で見ていた謙也が、不意に隣の小石川に言った。
「……今月は、十月やな」
「…そうやな」
 白石が余命一年を切ったのは、去年の十二月。
「…あと…二ヶ月…か」
「…ああ」
 でも、今目の前に映る、笑う、ラケットを振る白石は、そうだなんて信じられない。
 ひどく楽しそうに、明日を信じて笑う、綺麗な笑顔。
「…なんで、あいつなん…?」
 白石の前では絶対零れなかった声と涙が溢れた。
「……俺が、知りたい」
 小石川も、涙ににじんだ声で言った。



「今日、謙也たちと帰らんでよかったと?」
 下校の道で、千歳の声に笑う。
 そう言いながら、しっかり手を繋いでる癖に。
「阿呆。…今日は、お前がええの」
「そっか」


『助かる可能性がある。
 賭ける意志があるなら、…ドイツに来てください。
 ただし、治療法の効果が出たかわからないうちは、日本には帰せません。
 だから、…覚悟は必要です。
 もし、助かれば、それはご家族やご友人とは、一時の別れで済む。
 けれど、白石くんは余命がもう二ヶ月だ。
 効果が出たかわかるのは、ぎりぎり投薬を始めて二ヶ月。
 …助からなかったら、…今生の別れになる』


 一瞬の別れか、一生の別れか。
 家の玄関で、ほな帰ると、と笑う千歳を引き寄せた。
「白石…?」
「…キス、して」
「…え」
 おおかた、往来だとか、家の前だとか考えているんだろう。
「ええやん…」
 強請ると、そのまま優しいキスが降りてくる。
 そのまましがみついて、深く重なった唇が離れた合間に、願う。
「…今日、泊まってって…」



 ふ、と意識が戻った。
 一つのベッドで、自分を抱きしめて裸で眠る千歳の顔が、目の前にある。
 自分が先に起きられるかは、賭けだった。
 だけど、今回は勝ったらしい。
 微笑んで、その唇にキスをする。
 まだ、起きないで。
 くすぐったそうに笑って、彼はまた寝息をたてる。
 笑うと、腰をしっかり抱く腕の中からどうにか抜け出して、服を整える。
 すぐ見つけられるテーブルの上に、『千歳へ』と書いた手紙。

 一瞬の別れか、一生の別れか。

「…でも、俺は…賭けたい。
 千歳と…もっと、一緒に生きたい…。
 やから…ごめんな。
 絶対、また泣かせるけど……」


 涙が溢れそうになって、拭うと、その眠る顔に近づいた。
「…俺が、絶対帰ってくるって、…信じて、待っていて欲しい」
 こんな風に、いなくなることを、どうか、許して欲しい。
 その閉じた瞼に口付ける。
「…千歳……行って来ます」
 大好き、と最後に囁いた声は、今は届かなくていい。
 いつか、絶対帰ってくる。
 絶対に。





 するりと、意識が戻った。
 今何時だと思う前に、腕の中の温もりがないことに気付いて、千歳は起きあがった。
「…白石…?」
 ただ、トイレとか、そうに決まっている。
 なら、なんでこんなに怖い?
 服を簡単に整えて、階下に降りる。
 挨拶をしてくれた姉が、悲しそうに、それでも、決めたように微笑んだ。

 蔵ノ介はおらんよ。
 助かる可能性があるって聞いて、賭けたいって、今朝、空港一人でいった。
 私らも行く言うたけど、一人で行かせてって。
 助かれば、また会えるけど、助からなかったら、これが今生の別れやって。
 それでも、あの子は賭けたいって。
 もう一度、生きたいって。


 別れすら告げず、消えた温もり。
 助かる可能性が低いと、知って、泣きたくなった。
 あのまま、あの笑顔しか記憶にないまま、彼に会えないまま、終わる可能性だってある。
 部屋に戻って、ようやく気付く。
 自分宛の手紙。



『千歳へ。

 勝手なことして、ごめん。
 お前に、ほんまはついてきて欲しいけど、…それは俺のわがままやから。
 ほんまは、怖いし、助からなくていいから、お前の傍に一秒でも多くおって、
 一回でも多く呼んで欲しいって、思う。
 切ないほど、思う。
 けど、俺は、賭けたい。
 助かる可能性がほんまにゼロでも、賭けたい。
 また、お前の傍に、ずっとおりたい。
 ずっと、お前の隣で生きたい。
 やから、…許して欲しい。
 お前に直に引き留められると、俺、きっと甘えて、行けなくなるから。
 …わかって欲しい。
 でも、…結果が出るまでは、わがままでごめん。けど、結果出るまでは。
 それまででいい。
 毎日、…声、聞きたい。

 白石蔵ノ介』




 手紙を抱きしめて泣いた。

『声を聴かせて』

 それに、切ない程、愛されていると感じた。
 …うん、そうだ。
 キミは、可能性があるなら、どんなに絶望的でもそれに賭けられる、強い人だ。
 だから、好きになったんだ。
「…わかったと…。毎日…電話すったい」
 聞こえないと知っていて、そう答えた。
「だけん、…絶対、帰ってきてな…。また、…お前を、抱きしめたか」
 絶対、また会えると信じて待つよ。
 だから、声を聴かせて。
 キミが生きている証を、僕にちょうだい。
 待っているから、どうか、
 絶対、帰ってきて。





 一瞬の別れか、永遠の別れか。

 それでも、また明日があると信じて、今は、微笑む温もりを、そっと離した。













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