恋すてふ
seasonW-高校カウントダウン

第一話−【ヘビーレイン】




『―――――――――――――かく、帰って来なさい』



 途切れた電話。
 立ち尽くすしかないほどには、自分は子供だった。
 まだ、世界に刃向かう力のない、子供だった。





「雨がうっさいなぁ…」
 新学期も始まって、周囲は受験モード一色。
 既に附属高校への合格内定組の謙也は、同じくな白石と一緒に窓の外に降る雨を見ていた。
「まだ寒いしな」
「そやねん。濡れたら速攻風邪引くねん」
 怠い、と言いたげに呟いた謙也の視界に、ふとなにかがよぎる。
 雨の降る校庭をシャツ一枚で走るのは。
「金ちゃん! 風邪ひくから教室戻りなさい! 毒手やで!」
 間髪入れず窓を開けていきなり怒鳴った白石に、問題集とにらめっこしていたクラスメイトが一瞬ぎょっとして見てから、すぐ理解して視線を机に戻す。
 この辺りはもう恒例だ。
「…風邪…ひかんかもな。金ちゃんは」
「…今、二月なんに……あんの野生児は」
 先が思いやられると呟いた白石の手元を覗いて、謙也は笑う。
「白石もやることやってないやん。内定組」
「やって、あとは履歴書だけやもん」
「まあな」
 横殴りの雨。
 まるで、雨と一緒に、なにかを奪っていくような。




 昼休み、中廊下を通りかかった謙也はそこに向かい合う男女に足を止める。
 片方は知らないが、片方は千歳だ。
 告白か、と胸中で呟く。

「…です。付き合ってください!」
「……あ、…ごめん」

(ま、そうやんな)

「好きな人おるんですか?」
「それもあるばってん……、」

 千歳が苦笑した気配。

「…俺は、大坂にこのままおるかわからんし」

 落とした声。雨にかき消えるように、心から消えればよかった。
 走り去る女の子を見送らず、振り返った千歳が謙也に気付いて、気まずそうに笑う。
 雨が世界から此処を閉ざす、なんて酷い密室。

「…どういうことや」
「聞いた通りたい。…親父に、高校は九州に帰るよう言われとう」
「それでそのままはいはいて帰るんか!?」
「……ばってん、謙也…。俺達はまだ子供たい。
 テニス続けるには親の援助が必要やけん…、それを出されたら…」
「ほな、お前白石はもうええんか!」

 雨が、うるさい。

「俺がおって、白石が苦しむなら…、」
「ざけんな…っ!」
 大股で近寄った謙也が千歳の胸ぐらを掴んだ。
「そない簡単に諦めるような気持ちのヤツとあいつを奪りあっとったつもりはない!
 負けてもお前ならしゃあないて、やからこそてあの日宣戦布告したんやないんか!
 お前やから受けて立ったんや!
 …あんなに惚れた女を諦められんのか。
 …お前はテニスと白石のどっちが大事やねん!?」

 やがて晴れ間が覗くなんて、信じられない暗雲。
 降りしきる雨は、恵みか、災害か。
 答えられず、言葉を探すように視線を彷徨わせた千歳が、ハッとある場所で瞳を止めた。
 中廊下の外。
 雨の中で、傘を差したままこちらを見る姿がある。
 その瞳が、酷く傷ついて千歳を見た。

「……白石」
「…ッ!?」
 茫然と呼んだ千歳に、謙也も弾かれるようにそちらを見る。

 行くのか、なんて言えない。



 行かないでなんて、もっと。



「白石!」



 自分を呼ぶ声は、千歳なのか謙也なのか。
 走り去る耳には、区別なんてつかない。
 ただ、雨がうるさかった。





 部室に向かう姿が上から見えた。
 社会教材室から出てきた財前の、片手には部誌。
 丁度、部室行って書こう思てたし。
 そう誤魔化した。



 かちゃ、と開けると真っ暗だった。
「明かりくらい、点けてください」
 言って電気をぱちりとつける。
 濡れた髪から覗く瞳が、一瞬自分を見た。
「白石先輩」
 呼んで、そのまま部誌を机に置くと傍の椅子に腰掛ける。
「なんやありました?」
「……」
「警戒せんでも、俺、遠山と約束してます」
「…やくそく?」
「あんたを二度と泣かせへんて」
 金ちゃんが、と呟く声。本当に、参っている声だ。
 まさか、自分のことを延々引きずってるわけではないだろう。
「謙也くん? 千歳先輩?
 無理矢理キスしたお詫びに、卒業するまでなんでも聞いたります」
 そう言うと僅か戸惑う顔が自分を見た。
 ふと立ち上がってロッカーからタオルを出すと、その頭にかける。
「取り敢えず、拭いてください」
「…………………ちとせ」
 ぽつりと、白石がそう言って頭に手を伸ばす。
 緩慢に髪を拭き始めた先輩の服は、そんなに濡れていないことに安心もする。
「あの人が?」
「……高校。…九州帰る、て」
「……あの人が? あり得へんでしょ」
「せやけど…テニス続けられへんからて」
「……親にですか。……」
「………引き留める、権利はあらへん」
「なんで?
 あれだけ気を持たすことやられたんや。
 あんたは引き留めてええ権利、充分持ってる」
「…引き留めて高校、こっちで行かせて…。
 テニスより俺、選ばせて…最後、俺が謙也選んだら……そんなん、許されへん」
「…テニスと自分とどっちが大事なんて聞けたらええのに」
「…謙也が聞いとったし」
「……は?」
 謙也が?
 自分とテニスどっちが大事と?
 あり得ない想像に思考がストップした財前が、タオルを頭にかぶせたまま止まってしまった白石に触れるように、その頬に指をかける。

「ほな、あんたはテニスと千歳先輩の、…どっちが大事なん?」

 雨がうるさい。

 横殴りの雨は、なにか大事なものを奪って、さらっていくんだ。
 恵みなんて嘘。災いを呼ぶ水が落ちる空。
 なんて酷い、雨。




「………………………………………………」




 テニスがなければ、千歳に会えなかった。
 テニスがなければ、謙也と笑っていられなかった。
 テニスがなければ、この身体に感謝しなかった。

 それは自分全てを否定する問い。

 それでも、今は、





「…………『千歳』」





 どれほど雨が降って、土砂降りの視界にキミを見失っても、

 もう一度会えるなら、なにも惜しむ声はなかった。

 たった言葉一つなら、

 自分を騙して、他人を騙しても、揺るがない程。




 欲しかった。




 横殴りの雨の中の、本当の一つのこと。











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