種目が次々変わって行われる体育祭。
あちこちから笑いが起こるのはもうしかたない。
「…ほな、小春。行くで」
「はーい」
生徒席から立った白石に、謙也がとうとうか、と椅子に座ったまま見上げた。
「頑張って来いやイヤなモノ競走!」
「なんとか弥勒先輩のをひかんよう頑張ってくる」
「アタシは引くよう頑張ってくるわ」
「マゾか小春!」
「小春はそっちん方がおもしろかでくるって意味じゃなかね」
「そう」
じゃ、行くわね〜とカマ言葉で笑う小春の先を歩きながら、ひらひらと手を振る千歳から視線を逸らした。
「白石! 困ったら俺選べや!」
「…謙也。それ、『最も嫌いな人間』でも選んで欲しいんか?」
「…イヤや」
「やったら言わんの」
くす、と笑ってやってグラウンドの中心に向かった。
白石は第四走者。アンカーだ。
第一走者がスタートする。
借り物を書いた紙のところまで走り、止まって紙を開いた。
全員が見事にフリーズする。その様は一種、だるまさんが転んだだ。
『えーと…笑いをお届けするために、ちょっと拝見』
マイクを持ったまま、放送席から明治が出てきた。
傍の生徒の紙の内容から、一番奥の生徒まで見て、それからマイクを握って。
『えー、特に面白いもんを発表します。
一年二組の走者、「同人誌」。一年四組の走者、「会長(忍足弥勒)の眼鏡」。
一年十組の走者、「お弁当(誰のでも可)のおかず一品。借りた後は食べることという注意付き」。
二年五組の走者、「音楽室の机」。二年九組の走者、「生活指導の岡山先生のひげ一本」。
三年一組の走者、「中等部テニス部顧問渡邊先生のコート」』
観客席で例の濁声が「はぁっ!?」と声を上げる。
『三年四組の走者、「一年七組、千歳千里の履いてる鉄下駄両方」』
「…お前のやと、千歳」
「…貸すんはよかばってん…これ、…重かよ?」
「え? 何キロ」
半笑いで呟いた千歳に、森永が聞く。「十キロ」と答えられてびっくりしていた。
「…取り敢えず走り出したけどみんな……きっついな今回も」
先生もか、と呟く、走者ラインに並ぶ白石を小春がつついた。
「ん?」
「あそこ! 十組の次の走者!」
「…ユウジや」
一番でたすきを渡されたユウジが走って紙をめくる。
追いかけて覗き込んだ明治がマイクで『「愛の天使」やそうです』と言った。
「っ…小春ー!」
「やっぱり……」
白石がそう来るわな、と笑った。
「謙也こーい!」
「はぁ!? なんで俺!」
「弥勒先輩の秘密なんや借り物!」
「俺は血縁やけど秘密やない!」
ええから来いと余所の組の生徒に引っ張られていく謙也にも笑っていると、ふとコースで固まっている走者に気付いた。
彼は一年八組、第二走者、小石川健二郎。
引いた借り物は、
『尊敬する人物(歴史上(仮)』
歴史上て……普通にイヤどころか不可能ちゃうんかコレ…………!?
その背後には一瞬銀河系が漂ったという。
ちなみに、(仮)とある通り、実際は「尊敬する人物」だけでいい。
仮、はわかりやすく例えると、という意味だが案外堅い小石川は思いつかない。
(……歴史上、…で、…尊敬。…尊敬しとるやつならここにおるけど…! …ん?)
はた、と気付いたようにこちらを見た小石川に、白石が一瞬後ずさる。
突如として猛然とダッシュした小石川を目で追った謙也(連れて行かれたため走行中)と千歳(下駄貸し出し中)の視界で、小石川は白石の手を握った。
「来い」
「…俺、イヤなもんなん?」
「いいもんや!」
「…はぁ」
『小石川選手の借り物は「尊敬する人物(歴史上(仮)」です!』
読み上げた明治に、周囲が沸く。
「尊敬…されとったん?」
「真っ当に普通に。即答えられるくらいには」
「ならなんでフリーズしたんや」
「歴史上てあるやろ!」
「あれ、例えちゃうんか…。…ほな、何故そこでなお俺?」
「お前は名前が『くらのすけ』!」
「そこ繋がりかい!」
第三走者のところまで走りながらのこの会話は周囲に爆笑されているが二人は気にしていない。
小石川が借り物としてイン判定をもらったのを確認して、白石は速攻自分の走行地点に戻った。
そこに丁度自分の組の第三走者が来る。
「白石!」
「了解っ!」
たすきを受け取ると、走りながら肩にかけて紙を拾う。
ぺらりと開くと、そこには、
矢張り例に漏れずフリーズした白石にぴょこぴょこと明治が近づく。
あいつ案外持久力あるんじゃなかね、と遠くで千歳が言った(未だ下駄貸し出し中)。
『「好きな人」』
在る意味最も嫌な借り物やー!と騒ぐ明治は視界に入らない。
というか好きな人、好きな人。
しかし、好きな人が二人もいる女はどうしたらいいのか。
好きな人。
千歳に向けた視線がすぐ、謙也にもうつる。
え?なんか見られてる?と二人が驚く中、白石はふと視界を掠めた姿に向かって思わずダッシュした。
『白石選手ダッシュ! 行った先は千歳千里か忍足謙也か………………………あれ?』
明治の声も予想外に響くなら、謙也も千歳も茫然。手を握られた当人も一応予想外。
そこにいたのは、見に来た一学年下の後輩。
「財前! 来い!」
「…俺ですか?」
「なんか文句あるか」
「…イエ」
そのまま手を引っ張られて走る財前をぽかんと放心して見送った謙也と千歳に、一度その後輩が微笑んだ。
『ゴール! 一位、一年七組! …ただしアンカーの借り物がイン判定ならば!』
ということでチェックします、と係りの生徒が好きな人という証明は、と白石に問う。
拷問だろそれ、と周囲の生徒。
「…えと」
「俺、この人のファーストキスの相手です」
「!」
さらっと述べた財前に、周囲も沸くなら白石は飛び上がる程驚いた。
「ホンマですやん?」
「………」
「…ホンマ? 白石。ホンマならイン判定やけど」
「………………ホンマや! 嘘か疑うなら謙也と千歳に聞け。そいつらその場におった!」
やけになって叫んだ白石に、係りの生徒は一応と二人を見て、ああ、と頷く。
「羅刹のツラしとるからホンマやな。よし、イン判定! 一位、七組!」
「…死んだ」
「いやぁ…死んだのむしろ俺」
そう言いつつ、財前はしっかり手を繋いだままでいた。
キャンプファイアーの火が踊る。
二人一組で踊る男女を見遣って、白石は一つ溜息を吐いた。
「…白石さん? 千歳先輩と謙也くんは?」
「……女子に誘われて行った」
「…行かせた、んやろ」
白石は頷くでもなく炎を見つめる。
「…今日だけ優劣つけて、選んだらよかったんや」
険しく睨む後輩に、首を左右に振った。
「しら…」
「…今は、…出来へん」
膝を抱えた白石が、そこに顔を埋めた。
「…選べへんからか」
「…選べる」
「…え」
「選べるからや…!」
どっちかと、ということで、今の心は優劣をつけられてしまう。
選べてしまう。
どちらが好きかを。
「…選んでええ筈なんや。…それでみんな苦しめずに済む…。
やのに、…俺はあいつに『お前は友だちや』て言えん。
……あんなに守られて、…まだはっきり断ってもおらんのに…」
断るまで、どちらも選べない。選ぶことが出来ても。
そう言う白石の声は震えていて、泣いていた。涙が火の赤に染まる。
「…やから、今、逃がすチャンスをやるんか?」
「……あいつには逃げて欲しない。でも…俺が選ばんあいつには」
「……相変わらず物わかりの良すぎる女や……」
え?と見上げた白石の手首を掴んで、引っ張って立たせた。
財前、と驚いて呼ぶ白石の涙を拭うと、わざと明るく笑った。
「ほな、俺と踊りましょ。俺は最初から優劣ついとる。あんたになんも期待しません。
…ね?」
びっくりした顔が、不意に緩んで安堵に微笑んだ。
そうや。あんたは笑っててくれな。
諦める代わりに願ったんは、あんたのその笑顔や。
白石の手を引いて踊る財前を、二人の視線が遠くから見ていたのを、財前は見ないふりをした。
好きな方がどっちか、俺は予想がついてる。ホンマは。
けれど、知らないふりをした。
今は、なにも知らない後輩のふりをしないと、この手を取れなかった。
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