「え? お前、実家帰らへんの?」
終業式の帰路。
並んで帰る千歳の「帰らん」という言葉に白石は驚いたが、大仰ではなく、本気で驚いた。
「うん」
「ええん?」
「来年は帰るけん、今年は帰らん」
「……? まだ高校一年目やから?」
わからない、と首をひねる白石の手をぎゅっと掴むと、そっと腕の中に囲い込んで囁く。
「違かよ。…彼女がこれじゃ困ったい」
「っここ道ん真ん中…!」
「俺達以外誰もおらん」
確かにここは民家の間の道で、他に人通りはないが。
「それより……折角彼氏彼女になって初めての夏休みばい?
少しでも離れてまうんは、もったいなかけん、離れたくなか」
だけん、帰らなか。
そう告げられて、耳まで赤くした白石の顔を見つめて、千歳が幸せそうに笑う。
「これからは謙也は呼ばんでよかし。
…二人きりで一杯デートしよな」
「………うん」
「謙也〜。蔵ちゃん呼びぃ。蔵ちゃん!」
夏休み、一日目。
早々から里帰りの侑士が居間で新聞を眺めている中、母親がしつこくそう呼んだ。
そういえば言ってない。侑士にも。
「もう呼ぶわけにいかんわ」
「なんでやの?」
「…嫁にもらいたいんやろ?」
オカンは。というとうん、と頷く母親。
従兄弟がじーっと見つめる中、謙也は天井を見上げて溜息。
「…俺、白石にフラれたから。嫁にもらってこれんから」
ばさっと新聞の落ちる音。
なんや、こいつは驚かんと思っとったけど。
謙也は一応驚いた従兄弟になんだか安心する。
「嘘! フラれたんか! 謙也、お前はアホや!」
「白石かて十六歳の女の子やで!
他の男が言い寄らん可能性が皆無なわけないやろ!」
「せやけどなぁ…! …あんたが十八になったら蔵ちゃんの花嫁姿、義娘として拝める思てたんに……」
よよっと泣く母親に飽きて、居間から出た謙也の服の裾を手が引っ張った。
廊下で振り返ると、中学二年になった弟の春霞。
「蔵ノ介姉、他に好きな男おったん?」
「おった。そいつと取り合って負けただけや」
「ふうん……」
弟に他意は全くない。わかるので答えた。
「兄ちゃん! 一緒に出かけへん?」
「へ?」
「新発売のカード、欲しいねん」
これは、気を遣っているのかどうか。
ぷ、と吹き出して謙也はええよ、と答えた。
「ほな、俺も付き合うわ」
「…侑士」
「ええやろ。…ただ、一つ聞いてええ?」
「?」
「ファーストキスを取った相手か? 白石が選んだ彼氏は」
「他のヤツや。白石が付き合うとんのは千歳」
「……ほな、お前ら揃ってファーストキスとられたんか」
「うっさいわ」
「……止めたった方がよかったんかなぁ」
「?」
正月の日、白石の家に入った千歳を目撃した侑士としては、若干後ろめたい。
「蔵。このワンピースなんかどない?」
「……えと、姉ちゃん。胸、空いてる」
「なに言うてん。中に重ねて着るんや。ホンマ女の子の服の流行に疎いんやから」
「そら当たり前や」
一方、駅を通り越したショッピングモールの女性服店の中、ワンピースやらスカートやらを手にとって妹に重ねて見る姉に、白石は恥ずかしい気持ちで一杯だ。
逃げたい気分ではない。協力してくれる姉の存在は心強い。
しかし、この女性客しかいない店の空気が非常に心境に悪い。
白石も一応、姉の服を着ているためどう見ても女の子だったが、やはりいたたまれない。
変態の気分だ。それよりなにより、同級生に見つかったら。
いやしかし、
「いやぁ、蔵の初デートの服、選べるなんて嬉しいわぁ」
これが理由である。
明日は早々に誘われた千歳とのデートなのだ。
「蔵も健気やわ。
折角千歳くんと二人きりの初めてのデートやからって、私から借りた服で行くんイヤやって言うから…。もうあの時の蔵はめっさ可愛かったで」
「…姉ちゃん、…どれがええんかな」
逸らすように姉を呼ぶ。
「試着したらええやん」
「……変態気分やし」
「女の子がなに言うてるか。…すっかり男の子気分が染みついてしもて」
「……」
ぐうの音も出ない。
そもそも、謙也をフった、と告白した時、家はすごい騒ぎだった。
「蔵、大事な話ってなんやの?」
終業式の前日。
家の夕飯が終わった後、リビングに集まる家族にそう切り出したのは延々謙也がそう扱われては謙也も自分もいたたまれないし、遊びに来た千歳に失礼だと思ったからだ。
「あんな……、俺…が謙也の嫁になるて言ってるやん?」
「なに!? もうプロポーズされたん!? お父さん!」
「…まだ嫁に行かんでええで蔵」
「…ちゃうねん」
「ほななに?」
さりげなく両親を押さえて言った姉に感謝して、恥ずかしいながらなんとか口にする。
「俺……、今、…謙也やない男の子と付き合うてんねん」
千歳を『男の子』と形容するのは違和感があったが、一応同級生だ。
台風が一過したみたいに驚く両親と妹を余所に、姉が暢気に。
「もしかして千歳くん?」
「……うん」
「謙也くんはちゃんとフったんや」
「…うん」
「誰や! 千歳って!」
「千歳千里くん。蔵と謙也くんの同級生。
九州から来た子」
「なんやて! ほな蔵は九州に嫁に連れてかれるんか!」
「…付き合う=嫁の選択肢しかないん? 父ちゃん」
「ほな、蔵は違う人のお嫁に行きたいん?」
「………………」
聞かれて黙ってしまう。
他の男に嫁ぐなんて、無理だ。
身体が変という以前に、あの腕以外に触れられるなんて堪えられない。
「……千歳がええ」
「ほら」
その後は、『蔵が九州に連れてかれる!』と騒ぐ両親から質問責めで生きた心地は、あんまりしなかった。
「……蔵?」
「…あ、なんでもない」
言いかけて、ふと目に付いた、マネキンが着た組み合わせ。
柔らかい甘口ブラウスにプリーツスカートの白い組み合わせ。
夏に合うし、胸元も空いてない。
なによりミニスカートじゃない。
姉が持ってくる服は可愛いのは事実だが、ミニスカートが多すぎた。
「春霞。ええの出た?」
「うん!」
元気に頷く弟を見て、少し和む。
「侑士? どないしたん?」
「いや」
侑士は言うべきか迷って、髪をいじった。
正月に千歳を見て放置したことを言うべきか。
「あれ、あれ蔵ノ介姉ちゃんやない!?」
「!?」
露骨に反応した謙也に、全然諦めてへんわと思った。
「それがええん?」
「…いや、可愛えなってだけで」
「ええやん。蔵の白い肌に合うし」
「……」
「綺麗目の服も合うけど、こういうんも合うって」
「…そうかな」
自信なさげに俯いた時、店に複数の足音が響いてその中の一人がひょいといいと思った服を覗き込んだ。
「ええんやない? なにに着る服かしらんけど可愛えて」
「っ…………忍足くん?」
「よ。白石、…やんな?」
「うん」
里帰りをするとは思っていたが、予想外に早い。
いつもは謙也に聞くが、今回はそんなタイミングも余裕もない。
「早いな…こっちおるん」
「俺は今年からレギュラー入ったから大会始まる前に来とかな」
「ああ」
頷いて、ゆっくり背後に感じる気配に振り返った。
「…謙也」
「…よう」
見づらい。
あれ以降、クラスでも会ったし、初めてではないが。
こういう場で、女の子の格好で会うのは気恥ずかしいし気まずい。
「どないしたん?」
「あ、と」
「蔵が、千歳くんと明日初デートやから。
で、私から借りた服やとイヤなんやて」
「姉ちゃん!」
「…っへえ。…この夏真っ盛りに高い服を買う程か…。
愛されとるなぁ千歳」
感心した侑士はこの際余所だ。謙也をおそるおそる見上げると、にこりと笑ってそれ?と指さされた。
「あ、…うん。ええな、て」
「俺もええと思う。可愛らしいし、かといって白石に甘過ぎない感じやし。
大人っぽい可愛え、でええ思う」
「…ホンマ?」
「うん」
そうやって柔らかく微笑まれると、途端嬉しくなる。
他に彼氏おるんに、と自制したくても笑っていたい。
それに過度に悪いという顔をするのは、謙也に酷い。
「ほな、これにする」
「おう」
会計に行った白石を見送って、背後でにやにやする従兄弟と白石の姉に多少赤くなった顔で振り返った。
「流石謙也くん、蔵からの信用はお墨付きやな」
「似合わん服は薦められん、か…。泣かせるわ」
「ほっとけ。…つか、俺以外でおるんか。白石のデートにいっちゃん似合う服見立てられる男!」
「千歳は論外やしな。デートする本人には聞けへん。もうちょい付き合えば聞ける仲になるけど今は恥ずかしい時期やし」
「そら見ろ」
「…泣かせるわ謙也くん。流石、お母さんのお眼鏡にかなった子。
…千歳くんは大丈夫かなぁ」
「あれも大丈夫でしょ。なんだかんだで誠実で一本気やもん」
「…ホンマ、泣かせるわ謙也くん……!」
「兄ちゃん、かっこええ!」
「……」
素直に喜ぶべきなんか、これ。とちょっと悩んだ。
部屋に散らかった服に、己でも悩みすぎかと思う。
しかし、初めての二人きりのデートだ。
…まさか、ズボンで着たりせんよな?
と白石に電話して念を押したくなる。
その千歳の携帯が声を上げた。白石かと思うと、四月に登録したばかりのクラスメイト。
「なんね、水原」
『あ、悪い千歳。今、珍しいもん見てなぁ』
「?」
『駅向こうのショッピングモールの、女性服店で買い物する忍足!』
「……謙也?」
フラれた後も白石の服を選ぶ、…筈はないし。
『なんかよう見えへんかったけど、女の子と一緒やったで。
えらい綺麗目な、ハーフっぽい』
「……」
『千歳?』
「……二人きり?」
『いや、他に男が二人おったで』
二人? 謙也をいれて三人?
しかし、女の子は間違いなく白石だ。
「…そんだけならもうよか?」
『ああ、悪い。けど誰やろ…しらん顔やけど多分ここらのヤツなんや…男の片割れ』
おおかた財前じゃないのか。
そう思って通話を切る。
しかし、なかなかもやもやは収まらず、服も決まらなかった。
→NEXT