その後日、初めて白石の家にお邪魔した。馴れている謙也たちが「お邪魔しますー」と勝手知ったるなんとやらであがるのに置いて行かれていると、居間から顔を出した二十代前半くらいの長い髪の女性が「いらっしゃい」と笑った。
若いから、お姉さんだろうか。白石には姉と妹がいると聞いている。
黒いロングの髪に黒い瞳。ハーフだかクォーターだか知らないが、外国の血の入っている白石は特に言っていなかったが、姉はそれらを受け継がなかったようだ。
その代わり、微笑んだ眦や顔の造作が白石に似ているな、と思った。
「あ、お邪魔します」
遠慮がちに言って靴を脱いだ千歳に、姉は「はいどうぞ」と笑ってスリッパを出してくれてから千歳を見上げた。
「あなたが千歳くん?」
「あ、はい」
「蔵ノ介からよく聞いてるわ。とても大きくてとても強いって。
いつでも遊びに来てね」
「あ、はい」
同じ言葉ばかり言っているな、と思いながら千歳は会釈して二階にある白石の部屋に向かった。もう、謙也たちは皆二階にあがってしまっていたので。
お茶持っていくわ、と姉の声が下で響いてそれを認識して階段をのぼった。
「ああ、櫻さんに掴まってたんやろ」
「さくら…さんって言うと? お姉さん」
「そう、古仮名の方の『櫻』。で、よくよく気ぃつけてきくと『くら』って音が入ってるやろ? 白石とおそろい」
「謙也、それおかしいやろ。姉貴とは年九つ離れとるし、俺がおそろいなんやって」
「あ、そっか」
「美人さんたいね」
「うん、自慢やし」
「あれでエステ関係の仕事しとってんよな」
「はじめ見た時、部長って実は染めてんのか髪、って思いましたけど、俺」
「ああ、外国の血が遺伝してもうてるの兄弟ん中で白石だけやからな。
櫻さんも咲蘭ちゃんもまるっきり日本人やし。黒髪黒目で、造作はほんま似とるけどな」
「…さら?」
「小学校二年の白石の妹。かわええで〜。正確には「さらん」ちゃんやけど」
「なんやったっけ。白石は…」
「咲蘭は姉貴の名前を一字抜いて名付けたんやって。で、健二郎、俺が?」
「…白石と櫻さんと咲蘭ちゃんって結局ハーフなん? それともクォーター?」
「それか部長だけ隔世遺伝?」
「一応、クォーター。母方のお祖母ちゃんがイギリスの人なん。
けどおかんもまるっきり日本人外見しとって、やから俺生まれた時びっくりしたって」
「ま、そやろなー」
「白石のおかんが全員呼ぶ時おもろいから。みんな二文字に略されてんの」
「なんでしたっけ」
「『サク』、『クラ』、『サラ』や。でも家族間ですら呼びにくいんなら最初っから『蔵ノ介』なんて長い名前にすんなって思う時がたまにある」
「たまに」
「本当に、たまに」
「でもよかね〜」
千歳が言うと、部屋中の視線を集めてしまった。なにが?と小石川に言われる。
「いや、兄弟と接点のある名前が。俺ば妹とは全然名前も顔も似ちょらんし。
仲いい自信はあるけんど」
「なんやったっけ、ミユキちゃん?」
「そう」
「へえ。ええやん。俺なんかよう従兄弟と比較されるし喧嘩もするけど、似てるって言われたこといっぺんもないわ」
「ああ、忍足くんと謙也は似てへん。全然」
「あれ、部長は謙也クンの従兄弟知ってはりましたっけ?」
「転校の多いやつでな、小学校で一年間くらい同じクラスやってん。
ま、それだけやから向こうは覚えてへんかも」
「あれ? 白石て侑士のこと『忍足くん』なんや」
「今知ったん? 謙也」
「うん」
「やって別段親しくならんかったし。やから、俺、お前のこと『忍足』て呼ばないんやけど」
「うん、俺もそう呼ばれたら多分イヤや」
「それやったら謙也クンも部長のこと名前で呼んだらええのに…」
「あ?」
「…別に」
珍しい、と心で一言。謙也は口調に棘は滅多に出さない。冗談喧嘩みたいな場合もそうだ。
なにか過去にあったのだろうか。名前に関することで。と邪推しかけてやめた。
そんな昔のどうでもいいことは、本当にどうでもいいので知る努力をしなくていい、と結論を出す。
そんな千歳の肩を叩いた白石が小声で、
「謙也の親戚…忍足一族ってほんま多くて、従兄弟も忍足くん以外にも一杯おんねんけどな、中に弥勒さんっちゅー高校生の従兄弟さんがおるんやけど。で、忍足くんはしらんけど、謙也は弥勒さんだいっきらいやねん」
なるほど。その弥勒さんとやらに白石が会って、いじられたことでもあってそれ以降イヤになったのか知らないが、まあそんな事情か、と納得。
そこに姉の櫻が茶菓子を持って入ってきた。
「あ、すいません。持ちます」
「ありがとう、小石川くん」
元副部長らしく姉から盆を受け取った小石川がみんなの前にコップを配っていく。
それを見て姉がにこやかに笑った。
「でもほんまよかったわ」
「なにが? 姉ちゃん」
「蔵って小学校まで謙也くん以外と付き合わんかったもん。
こんな沢山お友達連れてこーへんかったし」
「言外に友だちおらんかった子とか言わんでくれ」
「ちゃうの?」
「違わんけど」
「せやけん、白石は友だち多かですよ?
慕われてますし」
千歳のさりげないフォローに、あらと姉は口元を綻ばせた。
「そうそう。白石はそういうヤツやし」
「四天宝寺テニス部の伝説の部長ですから」
小石川と財前の言葉に、櫻は嬉しそうに笑う。
「ほんま、四天宝寺に通わせてよかったわ。
これからも蔵のことよろしくな」
「はい」
「ああ、そうや蔵。みんな午後には帰るんやったっけ?」
「うん。先生からの呼び出し。俺も」
「そう。蔵、大丈夫やったらその帰り、咲蘭迎え行ってくれる?
クラスのクリスマス会で遅くなるて」
「うん、わかった」
ちゅーか、もうクリスマス会?と聞いた白石に、ほんまのクリスマスの日は学校ないから、と姉が言った。
「あ、謙也くん」
「はい?」
「謙也くん、蔵と一緒におってくれんかな?
蔵も一人で夜歩くん危ないし」
「ああ、はい」
「ええん? 謙也」
「ええて」
そ、と頷いた白石を小石川が相変わらずお前の姉ちゃん過保護やな、と笑った。
「そういえば、白石家って櫻さんも妹さんも植物の名前ですね」
渡邊からの騒ぐ会ともいう集まりのあと、帰路につくメンバーの中の一人だった財前が言った。
「ああ、姉妹全員植物の名前にしたくて咲蘭の字を『紗羅』にしなかったんやて」
こっちの字、と白石が携帯で打ったその字を見せる。
ああ、と納得して財前は、まあ普通サラ言うたらこっちの字ですよね、と鞄を探る。
「せやのに部長は思いきり歴史の名前ですか?」
「『姉妹』言うたやろ?」
「…ああ」
鞄から手袋を取りだした財前が、ほなお先と鞄を背負い直す。
その手から手袋が落ちた。
「あ」
咄嗟にしゃがんで拾った白石の指が、拾おうとした財前の指と触れる。
「はい?」
一瞬、きょとんと動きを止めた財前を不思議がりながら白石に渡された手袋。
財前は首を傾げると、その白石の手の方をぎゅ、と握った。
背後で何気なく会話を聞いていた千歳が大袈裟に驚く。
「なんやねん財前」
「いや…部長。意外に手、小さいっちゅーか、細いっスよね?」
「そうかぁ? 平均的や思うけど」
「いや細いですって。手首とか一掴み出来るし。まるで女の子みたいやし。
今まであんまじっくり見たことなかったから気付かんかった…」
「おい、」
まじまじと白石の手を見る財前と白石の間に割って入ったのは謙也だった。
「光。お前、急がんでええんか? 甥っ子の世話は」
「ああ。ほな、今度こそお先」
「またなー」
ひらひらと財前に向かって振った白石の手が掴まれる。
今度は謙也だった。
見れば、部室にはもう謙也と千歳、白石しかいない。
「白石、お前迂闊! もうちょいお前は男に警戒心持ちなさい!」
「俺も毎回そげん思うと」
「え? なんでお前らに揃ってそう言われなアカンの?」
「やってお前危なっかしいんやもん。警戒心ほんまない」
「思い返せば危なかよ。一人暮らしの風邪ひいた男の部屋来て、風呂場まで入ってくるんはどう考えたって警戒心かけとーばい」
「なに? 白石、お前の風呂場まで入ったん?」
初めて知ったことに、咄嗟に白石を自分の方に抱き寄せた謙也に、嫌そうに眉を顰めながらも千歳は頷く。
「まあ、風呂に入ったんやなかけど。俺が入っとう風呂場に入って来てたけん、俺がシャンプー取ってて言うた所為もあるばってん、足りなか。色々」
「……ちゅーか、聞いてええ?」
「なにを?」
白石が暢気に見上げた先、謙也はいかにも複雑な顔だ。
「千歳。お前どういう経緯で白石が『女の子』て知った?」
「その風呂場に入って来た時にお湯かかってしまって着替えとう時の全裸見た」
「殺すっ!」
「いや、謙―――――――――――――」
なにか言いかけた白石が、ふと言葉を止めた。
そのまま何度も引っ張られる服の裾に、謙也はちょお待てと怒鳴る。
「俺かて小学校低学年以降白石の裸なんか見てへんのにお前なに見とんねん!」
「見たくて見たんじゃなか。不可抗力たい」
「ほな欲情せんかったって言い切れんのかい。…せやから白石、なんやね…!」
なお引っ張る手にじれて、謙也が勢いよく振り返った先、とても微妙な顔をした人間が二人。
一人は白石だが、もう一人は、この場にいない筈の後輩。
「『ちゅーか聞いてええ』辺りから聞いてしもたんですけど、…白石さんて、女やったんですか?」
「……ひ、ひかる………」
「せやから、…俺、言葉失ったんや」
どうやら、服を引っ張っていたのは白石ではなく財前だったらしい。
「っへ――――――――――。…で、やむなく男のフリを」
付き合いで咲蘭の迎えにくっついてきた財前が、ハーゲンダッツのバニラ(口止めに千歳と謙也が買い与えた)を寒いと言いつつ口に含む。
やったらアイスやのうて肉まんでも強請れ、と謙也が目線で訴えている。
「ばってん、なんでん光。戻って来たと?」
こちらも付き合った(白石と謙也を二人きりにしたくなかったともいう)千歳がポケットに手を突っ込んだまま言った。
あそこまで聞かれて、誤魔化しは無理だ。他の部員ならどうにかなっても、この財前光はやたらと頭もよければ回転も速く、悪知恵も鋭い聡い男だ。誤魔化す方が難しい。
「ああ、それは謙也くんが」
「俺!?」
「さっき、明日一緒に行く予定のライヴチケットを自分の分受け取らんまま忘れてったから。渡しに戻ったんです」
「…つまり、全般的にバレたんは謙也の所為、と」
「見るな! 悪かったから!」
千歳に見られて、首を縮こまらせながら道を歩く謙也の手が不意にぽんと両手を合わせた。
「なあ、クリスマスパーティ。この面子でせえへん?
千歳の家あたりで」
いきなりなにを?と財前と千歳に見られて、いや咲蘭ちゃんのことで思い出した、と言う。
「確かにもうちょいでクリスマスやんか?」
言外に、今年は一応千歳にも譲ったるけど、四人で、と。今年はそれでいいから白石と一緒にいたい、と言う声に、白石が唇に指を当てて、ぽつり、と呟く。
「そ…やな。ええかも。俺はええけど。アカン? 千歳」
「いや、俺もよか。…ばってん、光も?」
「なんスかその邪魔者目線。ここで俺外したらのけ者扱いやないですか。
謙也くんすらそう察して四人で、て言うたんに」
「…いや、そうやなか。光の都合聞かんでよかの、て」
「目がそう言うてましたわ。…まあ、都合はないですよ。
俺もええです」
「ほな、24日、千歳の家で。光はどっちに集まる?
俺は白石と合流してから千歳のとこ行くけど」
さりげなく聞いた謙也の言葉。
千歳は謙也たちに合流して欲しいと思った。自分の家までの間でも、二人にクリスマスデートなんかさせたくない。
けれど、謙也の顔をじっと見た後輩は、にこりと笑って。
「ほな、俺は千歳先輩の家に直行しますわ」
そう一言。
丁度、妹の学校についたところで、クリスマス会をやっている傍の学童保育園に迎えを待つ子供達。白石が一言いってそちらに走って行くのを待って、千歳は肩をすくめた。
「まあ、知っとうたばってん…。光は、いつも謙也の味方ばいね?」
「まあ、そりゃあ」
「こればっかりはな。ちゅーか、最後のダブルスに光混ぜへんかったお前が好かれとる思っとったんか?」
「そこは別に全く気にしてませんよ謙也くん」
否定して、それから財前がハァ、と白い息を吐いた。
「それにしても…すっかり立派な三角関係っスね。
謙也くんは元々部長好きやったろうけど、千歳先輩までいつの間に」
「俺も自覚しとらんかったばってん、気付いたら…」
「ま、…こっちの意識一つで見違えるように綺麗に見えるんが女の子ですしね」
悟ったようなことを言いながら、財前の視線が妹の手を引いて歩いてくる白石に移る。
「気付いたら進行なんかあっちゅうまですよ。恋なんていうウイルスは」
こちらに気付いた白石が、空いた片手で手を振る。その笑顔は、やはり誰より可愛くて。
だったら、防ぎようがない病気だ、と思った。
暮れていく陽。暮れていく季節。
初めて、進む時計の針に怯えた。
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