隠してしまえよ この子が七つになるまで 鯉のぼりが空に昇るまで この子の七つのお祝いに
「あれ?」 そんな声を白石があげたのは、荷物を置いてきて通りかかった廊下でのことだった。 全国大会も終わった秋、学校が用意してくれたベスト4祝いという名の近畿地方での小さな大会のための小旅行。 用意されたホテルで、一応は引退の立場にあるが、今回に限って元の部長の立場を預かる白石は千歳の隣の部屋を見上げて、ひどく不思議そうだった。 「白石?」 どげんしたと?と訊かれて、いや、と歯切れ悪く答えた。 「…ここ」 「この部屋がどげんしたと。誰の部屋でもなかとやろ?」 「そうなんやけど…部屋番号が、…」 「部屋番号…」 千歳がならうように部屋のプレートを見上げる。 『409』 「……これが?」 「いや、普通ホテルや病院の部屋って、4と9が一緒につく部屋は作らないって訊いた覚えがあるんやけど…縁起悪いからって」 「ああ…」 それは訊いたことがある、と千歳。 「まあ、お前の隣の謙也がここ飛び越して一個向こうの部屋やから、使わないようには配慮してんのやろ」 「そげんもんかね」 「そうやろ」 霊感のある白石のこういった発言には馴れたが、理解と馴れは別物だ。 「ほな俺は部屋戻るわ」 「あ、白石」 呼び止めて、抱き締めた。 「…千歳?」 訝る声を遮って、呼ぶ。 「今日、夜部屋に来てくれんね?」 「……………考えとく」 「つれなか」 くすくすと笑って千歳は手を離す。 白石は嘘や、行く、と言って足を返した。 「なんやなんや、白石は千歳と二人部屋の方がよかったか?」 410号室。覗き込んだ渡邊がそう言ったのも無理はない。 千歳がまるで自身が椅子のように白石を腕の中に抱え込んで抱きすくめ座っていて、白石は腰にがっちり回された腕のことなど構わず本を読むことに没頭していたからで。 「…え? あ、センセ」 「白石、部屋変更するか?」 「や、俺は金ちゃんとでええですよ?なんでですか?」 「やってお前、その格好」 「…………、」 渡邊の言葉の指すものに、白石は一秒沈黙した後、真顔で。 「千歳、シてええんは抱っこまでやから」 と千歳の顔を真っ直ぐ見て言い切った。 「…そういう問題か」 渡邊はそうつっこんで、それ以上のツッコミを諦めた。 ほな他の部屋も回ってくるという顧問の言葉を流して、本に再び没頭する白石の首筋を見遣って、これはこれで拷問たいねぇと千歳。 「あ、なに動いてんねや!座り心地悪ぅなったやん…」 「…あ、すまんね」 もっと深く抱き締めようと動いたら、文句を言われた。 イヤでは、ないらしい。 「千歳ー、肘置きたいから腕上げ」 「はいはい」 「ん」 満足そうに千歳椅子(?)に座り込む白石を抱えて、千歳はけどこれはこれで幸せたい、と思うのだからもう末期だろう。 「白石ー」 「なんや」 「…一回だけシたか」 「………夕食の後な」 「うん」 一回でも了承がもらえれば千歳は上機嫌。しっかりそのままなし崩しにあと二回ほどヤらせてもらう心づもりなのは内緒の方向。 夕飯を終えた後、一旦部屋戻る、という白石を廊下で待っていると、トイレの方角からその姿がやってきた。 「すまん、待たせた」 「…………」 「千歳?」 「や、なんでんなか」 行こうと、促して自分の部屋の扉を開ける。 その細い身体が室内に入ったと同時に扉を閉めると、伺うように振り返った腕を引き寄せた。 「…千歳?」 「…白石」 そのままそっと寝台に押し倒す。 首筋をそっと撫でて、笑う彼を見下ろして。 千歳は言った。 「お前、…誰とね?」 白石が、きょとんと見上げてくる先で、なおも言った。 「白石じゃなかとやろ。誰たい」 「俺、白石やけど」 「違かね。…全然、白石の姿してなか」 押し倒した姿勢のまま千歳が無表情で見下ろし、言い切った瞬間。 その口角があがった。 くすくすと響く声は、すぐ彼のものから幼い色に変わって。 部屋中に響いていく。 どん、どんと扉をノックする音。それに一瞬視線を向けた時、身体の下の白石の姿をした何かは、ふ、と消える。 響く、笑い声。部屋中に手の平の赤い痕がぺたぺたと這っていく。 どん!と強い音がしてバスルームの扉が中から叩かれ、扉が開いた瞬間。 千歳の意識はブラックアウトしていた。 「…とせ。千歳…?」 呼ぶ声が覚醒を促して、ふっと糸に引かれるようにするりと目が覚めた。 床に横になっている自分を見下ろす、翡翠の瞳が安堵に一瞬揺れたが。 「…っ?」 その身体を自分の下に引き倒して、千歳は首を強く締め上げるようにして低く呻る。 「また…そげん姿して…!」 「ち…と! な…ちとせ…っ?」 「いい加減…」 白石の姿をするのを止めろ、と言いかけ、それが限りなく偽りをまとっていないそのままの姿と気付く。 「……蔵………?」 茫然と呼ぶと、手の力が自然抜けた。 楽になった呼吸で、彼は責めずにどないしたん、と心配そうに見上げて。 だから、安心した。途端、震えが全身を昇って、千歳はその身体を引き起こすと必死に抱き締めた。 「…蔵ぁ……! 怖かったとー!」 腕の中にすっぽり収まる身体が意味がわからないままながら、背中を撫でて宥めてくれる。 「どないしたん?来たのに呼んでも出てこんから…鍵は開いてたし。 そしたらお前床でぶっ倒れてるし」 「…怖かったと〜……。蔵の姿したお化けが出たと〜………」 「………はぁ?」 抱き締められたまま、白石がそう言ってしまったことを、責められる筈がなかった。 「俺の姿したユーレイなぁ…」 次の日の朝。朝食にホテル内のレストランに向かいながら、白石は半信半疑に千歳を伺い見た。 「ほんなこつ…怖かったと」 「けど、それがほんまならようわかったな、俺やないって」 それも才気の役得? 「さあ、元からそげん才能あったかもしれんと…」 「ふうん?」 気のないような返事をして、レストランの自動ドアをくぐって、白石は“え?”と思わず口にしていた。 「白石?」 「千歳…あれ」 「あれ…………」 白石の示す方向、レストランの奥のテーブルの椅子についているのは、顧問の渡邊と一氏ユウジ、財前の三人。 しかし異様なのは、そのユウジがずぅぅぅぅんという効果音がぴったりなほど真っ黒な空気をまとって落ち込み切って膝を抱えている姿。 「……なんやねんあれ」 「…小春になんか言われた………?」 可能性として一番あることを千歳があげたが、半信半疑で口にしたとわかる。 小春は確かに気まぐれのようにユウジを突き放すし、ユウジは本当に小春に惚れきっているのだが、ユウジがあそこまで落ち込む程酷いことを、曲がりなりにも旅行中に言う小春ではない。 「どないしたん財前。それ」 「あ、部長…それがようわからんのですけど、ずっとこの状態で…」 「どないしたんって訊いても、答えてくれん程落ち込んでってなぁ…」 財前の次に渡邊が答えた。 「あら、蔵リンどうしたの〜」 座らないの?という暢気な声に、しかしあからさまに反応したのは矢張りユウジだった。 「…あ、小春。お前昨日、」 「………小春……!」 ユウジが小春を呼んで顔を上げたが、その顔はみるみる溢れる涙に声が続かない。 「どうしたんユウくん…?」 「こ、小春…ぅ……俺、俺」 二回も自分を呼ばないうちに大泣きし始めたユウジに、流石に小春も驚いて、傍に座ると背中を繰り返し撫でてやる。 遠巻きに自分たちを見遣る他の客にも構わず背中を優しく撫でる手に、十分近く泣いていたユウジはやっと理性を取り戻したらしく、鼻をすすると財前に“ティッシュくれ”と涙声でやっと言葉を発した。 財前もただごとでないのがわかっていたので、逆らわず渡すとユウジは乱暴に涙を拭って、赤くなった目で小春をもう一度見て。 「……そうや、これが本物の小春なんや……!」 「…どないしてんユウジ。小春に偽物とか本物とかあるん?」 「いや訊いてくれ白石! 昨日俺に“一生顔も見たくない”っちゅーた小春は今思えば小春やなかったんや!」 「……」 白石はそれがユウジの妄想とも思えず、しかし小春が言うとも信じられず、仕方なく控えめに小春に“言うたん?”と小声で訊く。すると小春は“えぇ?”と首を横に振った。 「ユウくん、昨日ウチは蔵リンと一緒に金太郎さんとこで寝たんやで? ユウくんと最後に昨日会ったんは夕食後のゲーム大会やで?」 「…やっぱり、あんな、俺の部屋に昨日の夜」 ユウジが話すには、昨日、夕食後のゲーム大会の後部屋に戻って小春から今日は戻れないというメールを受け取り、がっかりしていたユウジのところに小春がメールと裏腹に現れ、そして上記の言葉を言い放ち、茫然とするユウジを置き去りにいなくなったという。 「…それ、ほんまにうちやないよ?」 「俺も今はそう思う…」 冷静を取り戻したユウジの横で、財前がジュースをすすりながら嘘ちゃいますよね?と言った。彼は台風が過ぎれば元通り淡々としてしまうので傷を抉るという言葉がよく似合う。 「嘘ちゃうわ!」 「やって、そうしたら小春先輩に甘えられるやないですか。今みたいにうんと」 「甘えられるのはようてもその前にあない地獄は味わいたない!」 「ですからそれ自体が嘘やないかって……………部長?」 傷抉りのようなツッコミを中止して、財前がなんとも言えない顔でお互いを見つめ合っている白石と千歳を伺う。 「………千歳、それ」 「俺んとこ来たんと…一緒?」 「え? どういう意味ですか部長、先輩」 「実は」 「つまり、ユウジ先輩んとこには小春先輩の偽物が。千歳先輩のとこには部長の偽物が現れたっちゅーことですか?」 「で、ユウジは小春やって信じたから酷いこと言われただけで済んだけど、千歳は見破ってもうたから…」 「怖い目にあったってこと?」 財前・渡邊・小春の順に問われて、多分と頷いた。 「多分、あの部屋やっぱまずいんやないかなって」 「あの部屋?」 「俺と謙也の間の部屋です。部屋番号見た時から気になってて」 「ああ、あの縁起悪い数字の…」 「部屋代えてもらう?違う階の部屋とか」 こういう手のホテルって、こういうこと“おかしいんです”って言いにいくとやっぱり、って青くなるのよ。と小春。 「変えてもえらいましょうか」 いやそこまで?と迷った白石にはっきり言い切ったのは被害にあっていない財前だった。 「えらい乗り気やな…」 「やって、今朝謙也クン普通でしたもん。ってことは謙也クンまだ無事なんでしょ? でも隣なんでしょう? ……次間違いなく謙也クンでしょ」 「……そやな。変えてもらうか」 「そうやな、俺フロント行ってくるわ」 白石と渡邊がすぐそう答えてしまったのは、矢張りあの謙也の恐がりな上パニック体質な性格をよく知っているだけに、事後の謙也のパニックぶりとそのパニックからの被害が予想出来てしまったからだろう。と千歳は思った。 →後編 |