呼ばないで。

 知っていたから。




「蔵」





 きっと、あなたの愛は、重すぎたんだ。









キミを濁らせる業火

- He is liar -

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第一話【君の名を呼ぶ
- Da' pace al mio povero animo -】















 たまには顔を出せ、と笑い混じりに元の仲間に言われた。
 千歳は笑って返事をして、また放浪の旅。

 ある地方の有力組織の一人。
 それがかつての自分だった。
 ただ、右目の怪我を境に、その組織を抜けて一人旅。
 組織の仲間とは、関係は良好だ。
 戻ることに躊躇いがあるわけじゃないが、やはりもう無理だと、わかる。
 見えない右目が、知っている。
 だから、笑って断っていた。




 旅の途中、立ち寄ったある街。
 治安もそれほど悪いとは言えない、程良く活気に溢れた大きな街。
(確かここは)
 考えそうになって、千歳は慌てて首を振った。左右に。
 昔の癖で、ここを統治しているのはどこの組織だったか、と考えそうになってしまった。
 考えるのをやめて、千歳は宿を探して歩き出した。
 そう歩かないうち、脇道から聞こえる声に千歳は耳を澄ませた。
 誰か、絡まれている?

 関わることが好きなわけではないが、聞いてしまった以上、見過ごすのも、あれだ。

 その路地に入って、少し歩いた細道。
 こちらに背を向けて、ひどく困った、というより震えた様子の青年の前を、複数の男が塞いでいる。
 青年の腰には、護身用か、タクトが収まっていたが、それに手を伸ばすどころじゃなさそうだ。
 男の一人が青年に手を伸ばし、彼がびくりと身を竦ませた瞬間、千歳は背後から彼のタクトを取ると、そのまま伸ばして男の顔面を殴った。
 悲鳴が上がって男が地面に転がる。
 自分の脇の間から敵を攻撃した己の武器に、びっくりした青年がこちらを向く。
「ち、…千歳!?」
 男達の声に、一人びっくりしているのはあの青年だけだ。
 自分の顔を知っていたか、と千歳は舌打ちをしたい。
「こん子に手ば出すんはよくなかよ」
「え……で、でもそいつ……」
「よくなかって言っとう」
「……はい」
 千歳にぎろりと睨まれ、男達は情けない声を出して、へっぴり腰で逃げていった。
 千歳と一緒に残された青年が、引きつった顔で千歳から離れようとする。
 がし、と腕を掴むとあらかさまに怯まれた。

 珍しいどころじゃない白金の髪と、翡翠の瞳。
 美しいじゃ済まないくらいの、美貌の青年。

「とりあえず、なして絡まれとったか、聞いてよか?
 あ、俺、よそ者ばい。無関係」
 そこまで言って、関係ないと言い切ると、彼はやっと安心したのか、綺麗な顔に一杯の笑みを浮かべて千歳を見上げた。
「え、と、勘違い、されて。ようされるから…」
 一瞬、その笑顔に見とれてしまった。
 心臓が、どくり、と跳ねた。
「……あの?」
「え、あ、ああ…とりあえず、大通りに戻るばい」
 彼から慌てて視線を逸らしながら、千歳はそう返した。
 踵を返して促そうとすると、青年は千歳の服の袖を掴んできた。
「すみません…その、怖い…から、まだ…。ええですか?」
 怯えの残った顔で、そう上目遣いに伺われる。
「よか」以外の台詞は、この顔の前では言えない。言えない。
「よかよ…。どうぞ」
「はい!」
 ぎゅうっと掴まれた袖。彼の手の重みを感じながら歩く。

 千歳千里。
 生まれて初めて、男にときめいた日だった。





 彼は白石蔵ノ介という名前だった。
 ここの地方の有力組織の庇護下にある大きな店の店員。
 ドラックストアだ。
 彼曰く、「よく、ボスの女と勘違いされるんで…」らしい。
 まあ、あの外見ならアリといえばアリだが。
 でも、ただの一般人なら、そう勘違いされないのでは。
 ホテルから、彼の居る店に向かう道中、千歳は明らかに堅気ではない集団を見つけて足を止めた。
 なにをしているわけでもない。ただ、空気が違う。
 その中の一人が、集団を抜けて、あろうことか彼の居る店に入ってしまった。
 千歳は顔を険しくして、急いで店に駆け込んだ。
「白石!」
 慌てて彼のいるカウンターに、棚を避けて向かうと、白石は笑顔で「千歳?」と言った。
「え? 白石、友だち?」
「恩人」
「そうなん?」
 白石の傍に立つ、白いスーツの男、明るい金髪の青年だ。
「……ええ、と」
 その場の空気は、言ったらなんだが、ほのぼのだ。
「白石、そん人…」
「忍足謙也。俺の友だちで……ここの組織の、若手?
 …てか、謙也の所為なんやけど」
 白石が急に、視線を彼に向けて険しくする。
「お前が毎度毎度人のとこ来るから…俺がまたあらん誤解されるんやないか……」
「……え、あ、すまん」
 聞かずとも、千歳にも理解出来た。
 組織の若手になった親友がよく遊びに来る店の友人=ボスの女?
 て、ところか。
「実際は、他のヤツやから」
 白石は俺を見て、にっこりと笑った。
「あ、そうなん?」
「うん」
 誤解した?と悪戯っぽく笑われる。
「…誤解はしちょらんよ。安心は、したけん」
 傍に近寄って、至近距離で見下ろして言うと、彼は顔を赤く染めて俯いた。「そう」と一言。
 忍足という親友が一人、「え?」と俺と彼を交互に見遣った。



 初めは、可愛い、だった。



 一瞬、背筋を走った感覚に、千歳はバッと店の外を見遣った。
 すぐ、忍足という青年が店を飛び出していく。
「え?」
 今度は白石が、自分と彼を交互に見た。
 すぐ、外で連射されたような銃撃の音。
 千歳がぐい、と伸ばした手で白石の身体を抱き寄せる。
 腕の中で、その身体が小刻みに震えていた。
 きつく抱く。大丈夫だと。
 すると、怖ず怖ずと、彼の手が千歳の服を掴む。
 千歳の胸元に、顔を押しつけてきた。その髪を安心させるように撫でる。

 しばらくして、音は止んだ。

 忍足が、もう大丈夫だと言う。
 最近ここに来た島荒らしがうるさいだけや、と。

 白石はまだ怯えた顔で、千歳の服を握っていて。

「…千歳」
「ん?」
「……今日、家まで、送って、…くれへん?
 …ごめん」
 お願いした傍から、すまなそうな顔をする白石の髪を撫でる。
 きょとんとした顔と視線があう。
「よかよ」
 そう答えると、安堵に満ちた顔が自分を見上げた。






 白石の部屋は、貧しくもないが、裕福とも言い難い殺風景な部屋だった。
 棚に並んだ薬草と毒草図鑑と、寝台と机。
「千歳?」
 呼ばれて我に返る。
 千歳が視線を上げると、白石がカップを持って見下ろしていた。
 寝台に座った自分の前に、立っている彼。
「コーヒーでよかった?」
「あ、うん」
 大丈夫と笑ってやる。
 ぽすり、と隣に腰を下ろした白石は同じように持っていた自分のカップに口を付けた。
「一人?」
「…うん」
 一人身なのかと聞くと寂しそうに頷いた。
「千歳は?」
「あ、俺も」
「…そうか」
 その返事に白石は少し、安堵した顔をした。
「これ飲んだら帰っけん」
「え」
 あからさまに白石は心細そうな声を上げた。
「いや、ホテルに」
「でも、泊まってってええし」
「…」
 必死に引き留めようとする彼の、まだ怯えの残る顔に、浮かんだのは、

 手を掴んで、寝台に押し倒す。コーヒーの入ったカップが二つ床に転がった。白石は、びっくりしたあと、徐々に膨らむような怯えを浮かべて千歳を見た。
「……こげんこつ、しとうなる。よか?」
 すっと伸ばした手で、彼の下肢にズボン越し触れる。
 びくん、と震えた彼に構わず、シャツのボタンを一つ外して、首筋に吸い付いた。
「や…っ」
 拒絶のためとわかっていても、掠れて舌っ足らずな悲鳴に、ぞくりと背筋が震えた。
 欲情と、嗜虐心に。

 怯えの残る顔に、浮かんだのは、その感情。

「…されたか?」
「…っ」
 白石は泣きそうな顔で、首を必死に左右に振る。
「嫌なら、俺は帰る。それでよかね?」
 聞きながら、最初からそうするつもりだったのに、と千歳は自分を笑った。
 あの表情、一瞬だけで、自分は欲情して、もう引き返す気がない。
 彼が泣き叫んで怯えても、この身体を犯したいと思う。
「……いや」
 白石は、千歳の下に押さえ込まれたまま、泣きそうな顔で言った。
「なにが?」
 卑怯な千歳の問いに、白石の瞳から、涙が一筋零れた。
「…一人、がいや」
「……わかった」
 後から溢れる涙を舌で舐め取って、彼の身体に顔を埋める。
 びくりと震える身体を押さえ込んで、手を這わせた。



 欲情以上に、膨らんでいた。




 彼が、欲しい。












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