キミを濁らせる業火

- He is liar -

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第二話【死神降臨】









「蔵、これ」
 その街に滞在して、半月。
 ある日、千歳が白石に手渡したのは、一つのブレス。
「これは?」
「蔵に似合うと思ったと」
 その言葉を理解して、白石は顔を赤くする。
 千歳は寝台に座った白石の顔を撫でると、逃れるわけではないのについ身をよじる彼の身体を抱き込んだ。
「…あげる」
「……あ、りがと」
 頬を真っ赤に染めて、嬉しそうに微笑む。白石のそんなところが好きだった。
 優しくて、素直で、臆病で、弱い。
 自分が守らなければ、と思うほど頼りない、よわい彼を愛していた。
 彼の左手に嵌められたブレスには、赤い石が埋まっていた。






「ボス――――――――――――」

 部屋の中の声は、静かに返事をする。どうした、と。
「また、例の奴らがうるさいらしいです。ここの島を狙ってますね」
「…しかたない。黙らせろ」
「はい。誰、行かせます?」
「『毒針』。ヤツが一番いい」
「了解。伝えます」








 千歳の泊まっているホテルから、少し歩いた場所にある白石の家と、彼が勤める店。
 そこまではちょっとした散歩だ。
 人通りのない道を抜けて、人の喧噪がうるさい道へ。
 だが、千歳にはふらふらと通ったことのない道に入る癖があった。知らない道は手当たり次第開拓したいという性分。
 店には大回りになる廃墟街。海辺に並んでいる。
 その手前の道は、人が住んでいるのかも怪しい空気だ。来る必要もなかった、と踵を返そうとして、千歳はぴくんと顔を動かした。
 首を、今来た道の奥に向ける。
 そこには物音一つしない。
 ゆっくりとその通りに足を踏み入れた。すぐ、千歳は鼻を服で押さえた。
 さっきから、香っていた。妙な匂い。

「…………」

 その場に倒れているのは、十数人の男。
 ぐい、と手で一人の身体を揺すったが、やはり全て息がない。
 香っていた匂いはもうしない。
 なんだ、これは。
 いや、多分、島争いの一つだ。
 こいつらは、島荒らしで、ここの組織に片付けられただけ。

 関わる必要もない。

 そう判断して、千歳はその場を離れた。急いで。
 関係あると思われるのは心外だし、関わったら彼が怯える。
 白石が。
 彼は、嫌いなんだ。殺人や、こういうコトが。






「あ、いらっしゃ……―――――――――――――千歳!?」
 白石の店に顔を出した時、日が大分落ちていた。空が赤い。
 白石は千歳を見つけて、顔を真っ青に染めた。すぐカウンターから出て、千歳に駆け寄ってくる。
 何故、彼がそんなに慌てるかわからず、千歳は首を傾げる。
「千歳…それ」
「それ?」
 白石にぐい、と手を引っ張られて気付く。左手全体が、黒く変色している。
「…な、んねこれっ!?」
「とにかく、こっち奥、来て! なんか、薬あるから!
 どないしたん!?」
 白石に引っ張られるままに、店の奥に連れて行かれた。
 おかしい。痛みが、全くなかった。
 なのに、指先が動かなくなっている。
 白石は有能な店員だった。毒だと見抜いて、すぐ効く解毒を打ってくれた。
「…すまん、助かった」
 薬を打たれて五分もすると、指に感覚が戻ってきた。変色は一日も経てば消えると白石は言う。
 その顔は、ひどく不安そうで、泣き出す寸前だ。
 千歳は右手で彼の頭を抱いて、腕の中に引き寄せた。胸元に頭を抱き込む。
 彼の手が、自分の服を掴む。
「千歳…無関係やんな?」
「え」
「ここ、初めて…会った時に言うたやん」
「……ああ、無関係。俺はなんでもなか」
「危ないことしてへん?」
「うん」
「…。」
 白石はホッ、と安堵の息を吐く。白石の髪を千歳は何度も撫でた。
「…お願いや。…危険なことに、関わらんで」
「…うん、…約束する」
 もう怪しいとこにいかないと、そう何度も言うと、白石はやっと笑ってくれた。






(ばってん、なんで毒が…)
 わからないのは、何故、手に毒が触れたかだ。
 そんなことに巻き込まれてはいないし。
「…いや」
 千歳はぴたり、と足を止めて、顎に手を当てる。
「…あの死体」
 死体には、触れた。左手で。
 あいつらは、毒で殺されていた?
 だから、触れて付着した?
「……」
 あり得る。それが一番しっくりくる。
 もう、死体はないだろう。ここの組織が片付けたはずだ。

『お願いや。危険なことに関わらんで』

 ごめん。蔵。

「見に行くだけばい…」
 そう謝って、千歳は地面を蹴った。
 頭の奥に、泣きそうな彼が思い出される。
 また怪我をしたら、彼は泣きそうにするだろう。
 でも、最後には綺麗に笑ってくれる。

 離れたくない。ここにいっそ住んでしまおうか。
 彼が望んでくれるなら。君が、呼んでくれるなら。


「!」
 千歳はさっと建物の影に隠れる。道の向こう、人気のない倉庫街に向かうのは、先日見た島荒らしの連中の一部だろう。
 おそらく、彼らもまた、命を奪われる。あの手口の犯人は、かなり手際がいい。
 千歳も、タイミングがよくなかったら、気付かなかった。
 物音も、気配も、ない。
 無音の殺人。
 触れなかったら、毒とすら気付かなかった。
 その場に通常残るはずの毒の異臭すら、なかったのだ。

 微かに耳に音が触れる。

 千歳は駆け出し、奴らの入った道の奥に歩を進める。
 やはり、息絶えた姿が重なって倒れている。
 触れるまでもない。同じだ。

 その一瞬、千歳は背後に気配を感じた。たたき込まれた戦闘反射は、相手が誰かを知る前に動く。懐から抜き取った銃を構えて背後を撃ったが、影は高く跳躍して交わした。そのまま影が逃げるのを追って銃を乱射する。地面から、壁の側面を、影が、銃弾が走っていく。
 頭上にたどり着いた影に向かって最後の銃弾を放つと、千歳はすぐポケットから弾倉《マガジン》を抜き取り、詰め替えて構え、自分の背後を振り返った。
 銃が振り下ろされた銀の武器を受け止める。
 影の姿は見えない。黒い衣服と、布で覆われている。
 だが、既視感があった。それどころじゃない、強い頭痛。
 影が構える武器は、あの日彼が持っていた護身用のタクト。
 そして、タクトを握る手に、はめられた、赤い石のブレスがある。

「……くら?」

 千歳に呼ばれた瞬間、影はタクトを腕で一瞬伸縮させる。その先から、二つ、蓋をした小さな試験管が落ちた。
 その場に広がったのは、喉を焼く異臭。
「っ!」
 千歳が口を押さえてその場にしゃがんだ隙に、影は地面を蹴って建物の屋根に飛び移る。その一瞬前に掴んだ手から、ブレスが落ちた。



「……」



 耳鳴りがする、苦しい呼吸の中で、手に握ったそれを見つめた。よろけながらも、その場を離れる。
 手の中にあるのは、間違いなく彼に贈ったものだった。
 あの武器は、間違いなく、彼の武器だった。
 武器に仕込まれていた、二種類の毒薬。
 彼の部屋には、毒の本があった。



「……嘘ばい」



 彼は、自分を労った。あんなに弱く震えていた。
 あんなに怯えていた。
 自分と約束をしたじゃないか。

 毒に犯された自分を、助けたのに。



 元来た場所に通じる、薄暗い道の上の屋根。
 風に舞っていくのは、黒い布。
 そこに立つ、タクトを握る姿は、黒いスーツに、白金の髪。
 自分を見下ろす顔は、翡翠の瞳。


「……蔵」


 泣きたくなった。そんな声で呼んだ。
 彼は微笑んだ。毒に犯された自分を見下ろして。

 毒を放った顔で―――――――――――――怪しく、微笑んだ。





 弱い彼が好きだった。

 血生臭い世界など無縁な彼を愛していた。

 これが真実。

 本当の彼は、…死神だ。












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