真昼に星は見えるか?
−歪んだ北極星U


 第一章−
【散らばる明日はまだ嫌−雪の章−】



 
  第一話−【もう痛い】






 あの、禍つ伝承との戦いが終わり、約一年が過ぎた。
 星によってこの世界にさらわれてから五年後に現れた禍つ伝承との戦いが終わり、共にこの世界にさらわれた友たちが元の場所へ還ってから、一年。
 21歳の年を迎えた白石と千歳は、星に連れてやってきた世界で生きていた。

 また春が訪れる。
 だがこの部屋の春はもう過ぎて、夏かと思うほどにせわしない。
 机にただ向かう青年が、ようやくついた仕事のキリに、疲れたと椅子にもたれかかった。
「ご苦労様です殿下。飲み物をお持ちしましたが…」
「“白石はん”」
 不機嫌に、東方国家〈ベール〉第一王子、白石蔵ノ介に言われて、彼の近衛隊長である石田銀はすまん、と笑って呼び直す。
「お疲れさまや。白石はん」
「うん…なんや、ここ最近なんでこない忙しいん?」
「…王も、殿下を一層愛しておるからやろなぁ。
 ほんまは禍つ伝承が終わったあと、殿下はおらんようなると思ってたんや。
 それがほんまに自分の子になって残ってくれたんで、王ははしゃいでんやよ」
「…そうなん?」
「そうや。あそこまでずっと機嫌のええ陛下は殿下が来る前は見たことあらへん」
「そっか…」
 そう言われると、照れるしかなく、雑務も嫌だとは言えない。
 儀式により、紛れもない東方国家〈ベール〉王家の血を持つとはいえ、今の王の実子ではない白石は、思いがけない王からの親子の愛情に気付いて、ただ嬉しい。
「けど、マツリがおるし、陛下もマツリももっと構ったらええんに」
 マツリ。白石の義弟であり、東方国家〈ベール〉の第二王子で、現在五歳になる。
 白石が王の養子になってすぐ生まれた、王の実子だ。
「構っとるよ、その時はいつも白石はん忙しいて、見てへんだけや」
「そっか」
「やけど、王が王子より、白石はんを贔屓しとんは事実かもなぁ」
「…ええ? 実の子の方がかわええんちゃうん?」
「王にとっては、白石はんも実の子やし」
「……ふうん」
「…白石はんは、王が自分の父になるんは嫌か?
 白石はんは、元の世界にほんまの親御おるし…」
「そら、…たまに恋しいなるけど」
「…」
「…やけど、やっぱり陛下も、俺の父親やって思うわ。
 あんだけ愛されとって、違う言えへん」
「そやな…」
 その時だ。開いたままだった窓の向こうのバルコニーの淵に伸びた手が、掴んでひょいとよじ登った。
 現れたのは、石田を越す長身の青年。
「蔵!」
「あ、…千歳…、来れたんか…」
 思いがけない再会に、白石はぎこちない笑みを浮かべる。
「…蔵?」
 久しぶりだというのに、飛びついても来ない恋人に眉を寄せた千歳に、白石はハッとして、ゆっくり近寄ると見上げて、そっとその巨躯にしがみついた。
 懐かしいとすら思う匂いが鼻孔を掠めて、泣きたくなった。
「…蔵…」
「…千歳」
「ごめんな…ずっと来れんかったと」
「ううん、千歳は今、たった一人やからしゃあない」
 白石と千歳が会ったのは、今から約二十日前が最後だった。
 白石が王子である以上に、千歳にかかったものが重かったのだ。
「…元老院の人たち、うるさすぎたい…」

 元老院。

 これが理由だった。
 元老院とは、全てのウィッチを管理し、その頂点である五大魔女を崇め、力の衰えによる交換期で次代を探す要の、魔法使いの最高管理機関である。
 その元老院が、今の千歳を保護という名目で、ほぼ監視下においているのは理由があった。

 世界の至宝、五大魔女は五人いてこそ世界の救い。
 だが、今世界に五大魔女は、火のフレイムウィッチ、千歳ただ一人なのだ。
 それというのは、今代、第五十代を継いだ全てが北極星還りであり、千歳を除く全員が元の世界へ還って一年。
 未だ、次代の四人が現れない。
 唯一世界を一人で守護する任を担う千歳が小さな害すら受けぬよう、監視されて自由すら失うのは明白だった。
 きつく、しがみついて泣きそうになるのを堪えた。
「いつまでおられるん?」
「明日までは」
「…たった、一日で…おらんくなんの…?」
「…ほんなこつ、うるさかと。…なんでんかね」
 千歳は悲しげに吐いて、きつく細い腰を抱きしめる。
 そのうち、一年に一度しか会えないようにすらなるのではないか。
 織り姫と彦星のように。
 なんでだろう。
 千歳の傍から、離れないために、千歳の手を離さないために、この世界を選んだのに。
 今、一緒にいることすら、ままならない。
「……なんでやろ」
「…だけん、もう世界の扉は閉じた。
 帰れなかし…やけん、…俺も信じとるよ。
 絶対次代もいつか見つかる。俺も近いうち衰え来ると。
 そしたら、もう俺ば縛られる必要なくなる。
 ずっと、白石の傍におれったい」
「…ほんまに?」
「うん」
「……千歳…」
 か細く呼んだ声、弱々しくしがみつく身体を愛しく抱きしめて、明日なんて来なければいいとすら千歳は願った。
 次代など、そうすぐ現れるはずない。いや、一生ないかもと、二人は知っている。
 禍つ伝承が星で人をさらったのは、この世界でウィッチが生まれなくなったからだ。
 それ故、新たな五大魔女を欲し、千歳たちは呼ばれた。
 その星はもう降らない。
 もう、次代など現れないかもしれない。
 千歳はもしかしたら。
 それは、口にしてはいけない不安。
 不安に揺れる白石を捕らえて、千歳はそっと顔を傾けた。
 キスの予感に、白石は僅か安堵して、そっと瞳を閉じる。
 それすら二十日ぶりだ。
 だが重なる寸前、残酷な鐘のように扉がノックされた。
「殿下、王がお呼びです」
 止まってしまった顔の距離を、これ以上近づけられなくて、白石は離れた。
「蔵…」
 千歳の方が不安になって呼ぶと、笑って大丈夫やと言う。
「多分、ただの様子伺いやと思う。すぐ終わる。
 なにかにつけて、陛下は俺を構いたいだけやねん」
「…そ、…か?」
「うん。…明日までおるんやろ?」
「…うん」
「なら、またすぐ出来るし」
「……うん」
 俯くように頷いて、千歳は白石の腕を離した。
 瞬間、予感のように頭が痛んだ。
 今、離したら二度と彼が、自分の腕の中に帰って来ないような。
「っ!」
「ぇ」
 急に引き戻されて、深く唇を貪られた。
 漏れる声に構わず口内を蹂躙した舌が離れて、荒い呼吸で見上げる白石をもう一度抱きしめた。
「…とせ?」
「…」
「殿下?」
 声が急かす。
「今行く! …ほな」
「…、うん」
 離したくなかった。
 この腕も身体も。
 けれど彼が笑うから、その手を離してしまった。





「お呼びでしょうか、陛下」
 王の間に招かれて、儀礼で礼をとった白石を傍まで招くと、王はやめなさいと優しく言う。
「実の子も同然のお前が、私に頭をさげる必要はない」
「…はい」
「蔵ノ介、今日はお前に大事な話があってな」
「…はい、国のことでしょうか」
「ああ、我が国に王子は二人。
 やがて王位を継ぐ兄王と、支える弟王に選ばなければならない。
 そこでお前に、頼みがある」
「わかっています。マツリはまだ五歳。
 いつ王位を継いでもよいよう、俺が弟王として―――――――――――――」
 支えます、と続かない。
「いや、マツリは王位を継がない。
 王位は半年後には次代に譲るのだ。マツリは幼い。
 それに、マツリでは、王にはなれん。
 親だからこそ、あの子の優しさは逆に国を歪める」
「……王?」
「蔵ノ介」

「お前が、王位を継ぐ兄王となるのだ。
 次期王として、お前を呼んだ。
 半年後には、お前は立派なこの国の兄王となる。
 ああ、楽しみだよ、お前がこの国を守ると思うと」
「…せ、せやけど俺は陛下の実子では…」
「お前は正統な血統を持つ王子。
 私の実子であるだけのマツリに遠慮はいらない」
「…いえ、そんな意味では」
 ない。
 兄王に、王になったら、余計千歳といられない。
 いや、結婚はしなければならない。
 千歳以外を、受け入れなければ―――――――――――――。
「そして、王位を譲ることを急ぐのにはわけがある。
 お前にもう一つ、頼みがあるからだ」
「…頼み?」
「南方国家〈パール〉のことだ」
 南の大国、南方国家〈パール〉。
 いくら禍つ伝承に利用されただけとみな知っているとはいえ、一度は世界の王の国である四大国家の地位から転落しかけた程揺らいだ国は、今、青年へと成長途中の復讐王が支えた甲斐あり、四大国家の地位を名実共に取り戻しつつある。
 復讐王―――――――――――――越前リョーマの元で。
 越前も、一度世界を去った。
 しかし、時の止まった彼は元から帰るつもりなどなかったのだろう。
 家族や仲間に別れを告げるなり、扉が閉じる前にこの世界に戻ってしまった。
 その後、最早時間の魔力はなく、成長することを知ったが、それでも同じだったと彼は語っていた。
 今や、“復讐王”という呼び名は相応しくないようにも思えるが、間違いなく北極星還りが憎んだ悲しい禍つ伝承を滅ぼした一人として語られる彼は、既にその呼び名以外で呼べないのだろう。
「名実ともに復興した南方国家〈パール〉だが、足場は未だ脆い。
 同じ四大国家として、どこかが支えねばならん。
 そこで、我が東方国家〈ベール〉に話をいただいたのだ」
「…つまり、俺に兄王となって南方国家〈パール〉を守護しろと」
「いや、…似たようなものではあるが。
 お前には、南方国家〈パール〉ではなく復讐王を支え、南方国家〈パール〉と東方国家〈ベール〉両国の王となって欲しい」
「…陛下? …意味が」
「世界で、四大国家ならばと許可が下りた。
 お前には、東方国家〈ベール〉兄王になると同時に、復讐王の妃として、南方国家〈パール〉王妃を継いでもらいたい。
 南方国家〈パール〉の妃としてのその話を、お前にいただいたのだ」

 思考が、停止した気がした。

 なに、が?
 妃?
 俺が?
 ―――――――――――――千歳以外の?
「子をなす役は王の姪御が行う。
 お前は四大国家を繋ぐ絆として、復讐王をお支えし、そしてこの国の礎となってくれればよい」
「…」
「なにより、復讐王が、強くお前をお望みなのだ」
「…彼が、俺を」
「ああ」
 嫌だ。
 嫌いじゃない、けれど、千歳以外を、千歳以外の傍になんていたくない。
 言える筈がない。
 世界にとって、国より魔女が重いのだ。
 自分が、魔女を選んで千歳を傍におこうとすれば確実に地位を失うのは東方国家〈ベール〉だ。
 自分の意志一つで、国は滅ぶ。
「……はい」
 この言葉以外を、言える筈がない。
「…俺でよろしいなら、…喜んで」
 満足そうに頷いた王を、見つめることすら、出来なかった。






 近づいた足音の気配に顔を上げた千歳を、石田は笑って扉を開けた。
 部屋の主である王子を迎えるためだ。
「殿下、王はなんと…」
 声をかけた石田の傍を無言で通り過ぎた白石が、部屋にまだ千歳がいることを確認すると、子供のようにその巨躯にすがりつく。
 そして声なく泣き出した。
「…蔵? どげんしたと…!? どっか痛かの!?」
「…とせ…っ!」
 言えない。
 ただ、すがりつき泣くことしかない。
 明日になって別れたら、もう一度会う頃には自分はもしかしたら既に南方国家〈パール〉の妃となっている可能性だって高い。
 千歳以外の、モノに。
「…蔵…?」
 ただ慰めるように呼ぶ声に、余計胸が痛んでしかたなかった。




 泣き疲れて眠った白石の髪を撫でていると、石田が戻ってきた。
 空はもう夜だ。
「…殿下が、心を乱された理由は、わかった」
「なんでん…?」
「殿下は、…復讐王の妃に望まれたそうだ」
「………」
「つまり、殿下は半年を待たず、復讐王に嫁ぐことに…」
「…なんでん?」
「それは南方国家〈パール〉が」
「なんでん、蔵と? 他の国にいくらだって王女も、王子もおるとだろ!?
 なんでん蔵なんね!?」
「…復讐王自身が、殿下をお望みらしいのや」
「……え、ちぜんが…」
「殿下はそれを受けるしかなかったんや。
 断ってお前を選べば国は滅ぶと」
「…そげんこつ…っ!」

「フレイムウィッチ様」

 そこに、いつの間にか男がいた。
 漆黒の服の、男。
「…なんね、まだ、明日じゃなかよ」
 その言葉で、石田は男が元老院の使いとしる。
「元老様が期日を変更なさいました。
 今日の夜分の刻までにお戻りになられるように」
「…いやと」
「よろしいのですか?
 あなたが東方国家〈ベール〉の漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉に入れ込まれてらっしゃるのは元老様には周知。
 元老様が、漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉抹殺に踏み切られてよろしいなら、」
「…っ!!」
 痛いほど唇を噛んだ千歳の歯がそのままかみ切って、唇から血が零れた。
「元老の五大魔女様に関する決定は、四大国家でも逆らえないとご承知の筈」
「……わかった。すぐ、後追うけん…」
「はい」
 男は忽然と消えた。
「ちと…」
「…」
 呼びかけた石田に、今にも泣きそうに笑って、千歳は眠る白石を抱き起こし、そっと抱きしめると唇を重ねた。
 惜しむよう深くついばんで、ゆっくりと離した。
 そのまま眠る身体を寝かせると、手を握って、笑う。
「絶対、…お前がどげん行く前に、来ると」
 そう言い残し、千歳は立ち上がる。
 石田に最早止められる筈はない。
 バルコニーから去った千歳を惜しむよう、風が吹いた。





 南方国家〈パール〉。
 鳥のさえずりに、扉の音は場違いだ。
 重臣もみな一新したこの国で重役を担う長身の青年が、王の部屋にやってきた。
「…なに?」
「…東方国家〈ベール〉の、殿下んこと、…話やったって聞いたと」
「ああ、白石さんを俺の、ね」
「…本気、こつ…? 復讐王」
「本気」
「殿下が…千歳んためにここ残った知っとるだろ!」
「…それが?」
「…」
「俺、ずっと白石さんが好き。…奪えるんだから、最高だよね」
「…復讐王」
「言っただろ? 千歳は白石を愛したことは誇っていい。
 でも、愛することは白石を不幸にする。
 だから、俺が奪うよ。白石をね」
「……そんで、…殿下ば不幸にすっと?」
「…それでも、…好きでしかたない。
 狂って弟王殺した、あんたと一緒…。千里殿」















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