−歪んだ北極星U
第一章−【散らばる明日はまだ嫌−雪の章−】
第二話−【あなたとここで最後の世界】
目が覚めた時には、千歳は居なかった。 理由を知っても、涙は零れた。 「…殿下」 寝台に横たわる身体に、石田が呼ぶとうっすら開いた瞼が悲しげに揺れた。 「…お加減は」 「…たいしたこと、あらへんから」 「…せやけど」 白石はあの日以降、十日間ずっと微熱が続いてふせっている。 「やっぱり、千歳はんに手紙…」 「…それは、あかんよ」 「…殿下」 それでも千歳の立場と国を思う白石が痛くてしかたない。 「石田隊長、殿下に客人が」 扉の外で声がした。 「いや、今は」 「ええ。通して…」 「…通してくれ」 遠慮したかったが白石に言われ、扉を開ける。 現れた長身に、白石は思わず飛び起きて、頭を襲った眩暈に寝台に手をつく。 その身体をそっと支えた彼が、“大丈夫とや?”と聞いた。 「……千里、殿?」 「ああ、やっぱり、殿下には一発でわかるとね」 「……それは、そや」 南方国家〈パール〉の千里だった。 彼は笑って、しんどかと、と聞く。 「そない、具合悪くないです」 「…そやのうて…復讐王の」 「………」 「………千歳は、来れなかと?」 「…今、一人やし、しょうがない」 「………会いたいんじゃなかね」 「……そんな」 おもむろに、千里が白石を抱きしめた。 びっくりしている白石をきつく抱いて、千里は言う。 「そげん、強がるもんじゃなか。 …痛かなら、泣いてよかね。 …そんだけの借りば俺は千歳と殿下にあっと」 「……っ」 「殿下、俺が千歳連れてくったい。 だけん、あと一日堪えっと」 「…ど、そんな…どうやって」 「…俺ば、あいつの対やけんね」 あれから、もう十日が経った。 白石はどうしているのか。 それしか、千歳には考えられない。 来客ですと聞いても、その来客が室内に足を踏み入れるまで、頭にも入っていなかった。 「…よ」 「千里…? どげんして…ここには王族すら入る許可おりなか!」 「対ってヤツは、役立つもんたいよ? 対の俺ば死んだら、消滅はなくてもなにかしらお前を害するけんね」 「…そげん理由とか」 「そう」 千里は笑うと、傍に腰掛けて、急に真顔になった。 「よかの?」 「…え」 「このまま、殿下の手ば離したか?」 「そげんわけなか!」 「だったら、会いにいかんね」 「…っだけん行けるわけ」 「殺される言うなら、千歳がずっと傍で守ればよか。 殿下殺したら、自分も死ぬ言えばよか。 …千歳、ほんなこつに、白石好いとうやろ?」 「……好いとう」 「だったら、もう、連れて逃げったい。 国も、魔女のこつも忘れて、世界より大事なら、…一緒に果てまで行けばよか。 …離したかないほど、愛しとうね?」 「千里…」 「復讐王様には、そげん言われたと。 “千歳千里”には“白石蔵ノ介”ば幸せにできんて。 …だけん、俺ば、お前に蔵ノ介を失うて欲しくなか。 俺ば、蔵ノ介を幸せにできんかったこつ、見ていた復讐王がそげん思うこつは仕方なか。 だけん、その罪ば、俺が全部背負う。 お前には、罪の欠片もやらんと。 …だけん、…“白石蔵ノ介”を捕まえて離さんで。 俺に、…“千歳千里”を選んだから幸せになれた“白石蔵ノ介”を見せて欲しか。 俺の、蔵ノ介への思いが間違いだったこつなんば、そげん証明は見せんで。 蔵ノ介を愛したこつ、それだけは間違いじゃなかと思わせてくれんね? “千歳”に“蔵ノ介”をくれんね…? 俺ばもらえんかった分、それ以上、…お前にあん子をもらって欲しか。 俺が失った蔵ノ介の分まで、お前はあん子に愛されていて欲しか……」 「……うん」 「だったら、今すぐ行くたい! 殿下、ずっと体調崩しとっと。 早く抱きしめてあげんね」 「だ、だけんどげんして」 「だから、俺ば千歳の対たいよ? 得手も炎」 「…え」 「面会は終わりましたか、千里様」 「ああ、すまんね」 「では、ご足労いただき有り難うございます。 フレイムウィッチさまも安心なされたことでしょう」 「だったらよかけど、じゃあ。馬車待たせてあるけん」 「はい」 見送りの元老院の従者と別れて、止めてある馬車に乗り込む。 走り出す馬車の中で、“千歳”は前を伺って笑う 「…来てくれたと、師範」 「ああ、全く、千里殿も怖いモノ知らずや。 入れ替わるなんてな」 「得手は同じ属性。十日はバレなかって」 「その前に、なんとかせなな」 「ああ」 千歳を乗せた馬車は東方国家〈ベール〉王宮へと一直線に向かう。 ただ、もう一度抱きしめたかった。 足音が近づいて来た。 ぼんやりと、石田かと思う。 白石はかろうじて身を起こすと、せめて出迎えようと立ち上がる。 身体はすぐ眩暈を訴えて、寝台によろけた。 「…情けな」 苦笑した時、扉が開いて、顔を上げて、心臓が止まった、気がした。 「……と……せ……?」 千里、じゃない。 俺が、俺が千歳を、間違えるはず、ない。 微笑んだ姿が駆け寄って、きつく抱きしめられた。 「…蔵」 「…っ……ち」 そっと、顔をあげさせられて、唇が深く塞がれる。 「…蔵……会いたかった。…好いとう」 「…っ…千歳…!!」 両腕を背中に回してすがりつく。 会いたかった。 ずっと、会いたくてしかたなかった。 「…千歳…!!!!」 「すまん…ずっと、苦しか思い、させとった」 「……そんなこと」 「…蔵は、…世界が大事と?」 「…え」 「俺は、世界より、国より、蔵が大事と。 蔵さえいれば、俺ば生きていける」 「………」 「蔵……一緒に逃げよう」 「……そ、んな」 「千里が身代わりになってくれとる。十日は持つ。 …一緒に、…誰もおらんとこ行こう…! 俺に、着いてきて…ずっと一緒におりたか…もう一秒だって離したくなかよ!」 「…っ…せ…千歳……!」 泣きじゃくる。そのまますがりつく白石を抱きしめて、ずっと一緒にいようと千歳は繰り返す。 好き。好き。好きです。 あなただけが。 ずっと、傍にいたい。 ずっと、なにしてるのと呼んでいた。 会いたくて、泣けなくて、会いたくて―――――――――――――。 あなたが俺だけを求めてくれるなら、今度こそあなたのためだけに生きようと決めてた。 愛してる。 愛してる。愛してる。愛してる。 (だけど…!) 渾身の力で千歳を引き離した白石を茫然と見下ろす千歳に言う。 「…俺は、行かへん」 「…蔵?」 「…俺は…国捨てられん。 …お前と、一緒になれん」 「…蔵…!? 俺ば、俺ばおればよかやろ! もう、よかやろ!!」 「ああ」 「だったら」 「そうや。お前さえいれば俺はなんもいらん。 地位も名誉も、王座もいらん…!」 「だったら一緒に!」 「…だけど俺はお前と一緒に行けへん!!」 「……」 声を失った千歳を見上げて、涙に濡れた顔で微笑んだ。 「…お別れやわ。千歳」 「…っ」 拳を握りしめた千歳が、すぐきつく抱きしめてくる。 背中に回したい手を、堪えた。 「……」 解かれた抱擁に、胸がひどく痛んだ。 だが、彼は微笑んで言う。 「俺ば、…中央公園でずっと待っとう」 「…ち」 「蔵が来るまで、…何年でも、待っとうよ」 バルコニーの方に歩き出した千歳を視線が追った。 「そんな…そんな場所おったらすぐ見つかる…!」 「そやね。そんで、もうずっとあそこから出られんようなる。 だけん…俺は、蔵を信じる」 言葉を失う白石に微笑んで、千歳はバルコニーに足をかける。 「絶対、蔵ば俺を選んでこん手とってくれるて、信じったい」 「…ちと…!」 微笑んだ顔がすぐバルコニーからいなくなった。 「…千歳……!」 あれから、もう何日が経った。 彼は待っている。 そういう、人だ。 「…殿下、…いかへんのか?」 「師範は、俺に国捨てろて?」 「…せやけど、…」 「…無理や」 「…殿下」 ―――――――――――――それでも、行けないんだ。 どうしても…。 泣きそうに零す。 痛い。痛い。痛い。 ほんまは、すぐ行って、抱きしめてもらいたい。 一緒に行くて、言いたい…。 「やのになぁ……」 なんで、俺は。 この世界ですら、千歳を選べない? なんで。 瞬間、眼前に漆黒の闇が広がる。 庇った石田の前に現れたのは千里だ。千歳じゃない。 ウィザードの転移魔法だ。 「殿下…!」 「千里殿」 「早く、行かんね! 気付かれたと。 早く…手遅れになったら…もう一生千歳に会えなか…!」 「…っせやけど」 腰を強く引き寄せられる。 傾いた顔が、瞬間白石の唇を奪った。 「っ!?」 「…ほら、…やっぱり、殿下は“千歳”やなかいかん。 俺も、“蔵ノ介”やなかいかん。 …いかんよ」 「……」 「俺ば、…蔵と幸せになれんかった。 蔵は、…いつだって国を選ぶ。 絶対、千歳を選ばなかなんて、そんな悲しか証明せんで!」 「千里…」 「…蔵、今度こそ…俺の手を離さんで。 俺に蔵ば幸せにさせたか。 …いや、俺を幸せにしてくれんと?」 今度こそ、幸せにして。 “俺”を、“蔵ノ介”を。 “千歳”を選ぶ“白石”が見たい。 そう願われて、最早否定なんか出来ない。 「…」 とんと千里に縋り付く。 胸に顔を寄せて、願う。 「有り難う…千里…」 「…うん」 そのまま振り返らずバルコニーへ向かう。 石田は止めない。 待っていて。 間に合って。 これっきりでいいから。 お前に、―――――――――――――会いたい。 「…謙也クン、部長…」 「わかってる」 王宮にいけば、けれど怖い。 全国も、俺達も捨てた、白石を見るのが。 立ち上がった謙也と人がぶつかる。 よろけた身体が謝って、すぐ気付いて驚きに変わった。 「…白石!!?」 「…謙也…財前…!? なんで」 「いや、還ってきてしもて…」 「…っ…いや、今は話してる暇ない。…すまん!」 「…っおい!」 目もくれず走り出す白石を謙也と財前も追った。 「なにしてん! なにそんな急いで…!」 「今、今行かなあかんのや…そやないと…俺一生、…千歳に会えなくなる!!」 「…白石?」 「一生、あいつに愛してる言えなくなるんや…そんなん…絶対嫌や!!」 「…部長」 飛んでくる粉雪はすぐ春の陽気に溶ける。 もう、八日経った。 来ないのか。 いや、…絶対。 心臓がぎくりと音を立てる。 向こうから歩み寄ってくる人影。 元老院の―――――――――――――。 ああ、もう、…会えないのか。 諦めるよう、千歳は瞳を閉じた。 その時、鼓膜を打った声。 「…せ」 「…っ…」 思わず、祈るように向こう側を見る。 走ってくる、白金の髪に翡翠の瞳。 「千歳…っ!!!」 熱を帯びた身体が全身で自分にしがみついた。 夢じゃない。 夢じゃない! 「…蔵!!!」 必死に抱きしめる。 「離れていただきましょう漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉。あなたはやはり…」 元老院から白石を庇おうときつく抱いた瞬間、間で閃光が爆ぜた。 「っ」 視界の横、微笑むのはあの後輩だ。 「…千歳」 胸の中、声が呼ぶ。 「…ごめん、待たせた。 …もう、ええ」 「え」 「…国も、名誉もいらん。…俺は、決めたんや。 幸いもなんもかも、おまえと共にする…。 やから、連れてって…! 俺を、お前の傍に連れてってさらって…一生離さないで…!!」 「…蔵…っ」 引き寄せて唇を重ねる。 「…もう、絶対離さん!」 「…うん」 「ほら、早く逃げるで!」 「謙也…?」 「ほら、早く行ってください!」 邪魔するとは、と言った元老院が最後に残った財前に顔色を変える。 「どーも元老院。 俺がだれや、わかんな?」 「…う、ウィルウィッチさま!!!?」 「そういうことや!」 財前が光の弾丸を放って、元老院のモノを吹き飛ばした。 そして自分も彼らを追って走り出す。 「今度は五大魔女二人を捕まえるつもりで来るんやな!!!」 蜘蛛の子を散らすように去っていった魔女に、元老院は誰もいない場所を見上げる。 「…ウィルウィッチさままで…そんな」 「…千歳」 世界の地下線路を走る地下鉄道の列車に乗り込んで、座席に座って白石はその隣の肩に抱きついた。 「ごめんな…待たせて」 「よか。だって」 不安に見上げる顔を両手で包んで、笑う。 「…蔵は、俺ば選んでくれたから」 その声しか、もう、いらない。 「…千歳、…愛してる」 「…俺も」 走り出した列車の中、そっと唇を重ねた。 |