真昼に星は見えるか?
−歪んだ北極星U


 
第三章−
【炎の魔女の烙印−冬の章−】



  −業火・暴走編−


 
  第二話−【キミを濁らせる業火 前編】








「…だから、俺は蔵ノ介のために立ってんや!」
 叫ぶ忍足の腕は火に焼けていた。
「あいつは、俺が守らなアカンねん。
 そのために立ってんや!」
 いかなフリーズウィッチといえ、相手の力は互角ではなく。
 戦闘経験で忍足は、第五十代の五大魔女に劣る。五年以上五大魔女として在り、北極星すら倒した千歳とは違う。
「…お前がおれば、…あいつは大丈夫や思た。
 やから一緒に残らなかった。お前に任せて一回還った!」
 まして、千歳は北極星との戦いの折り、先代から残る全ての五大魔女の先達の力を受け継いだ炎の魔女。
「…五大魔女になってなかったら、…こっちになんか来なかった!」
 忍足とは、倍近く力の質と量が違う。勝れる筈がない力の差。
「…けど、こっちに来て、大丈夫や思た筈のお前が…あいつになにした?」
 防ぎきれなかった炎は腕を焼き、だらりと垂れ下がった左腕。
「その炎を、あいつに向けて使うた。…あいつを焼いた!
 …やから、俺は蔵ノ介の傍におる。お前にあいつを任せてなんかおけん。
 …俺が南方国家〈パール〉に棲む魔女になる。
 お前は余所の国へ行け! 千歳!」

 手に宿った吹雪が周囲を一瞬で凍らせる。
 その絶対浸食すら溶かす炎が、眼前で燃えていた。






 ―――――――――業火の発生より、24時間前、南方国家〈パール〉王宮。

「……五大魔女の、…滞在先決定要請、なぁ」
 復讐王、越前に広間に招集された五人の魔女への説明の後、最初に口を開いたのは忍足だった。
「…あれ、てことは…俺は西方国家〈ドール〉やないとアカンのか?」
 先代フリーズウィッチ、跡部が星の子の消滅後、結晶を集め蘇生する役目を担っていたことを思い出したのだろう。彼は蘇生場所のある西方国家〈ドール〉に棲んでいた。
「そういうわけじゃないよ。今はもう、星の子は僅かだし、調べたら星の道への通路が南方国家〈パール〉と東方国家〈ベール〉にもあることがわかったから、北方国家〈ジール〉以外ならどこでもいい」
「さよか…」
「俺、あんまり知らないんで、どこに行くか見て決めたいんですけど」
「そういう話やろ? これ」
 忍足の質問に、越前が頷く。
「民としては、四大国家全てに、全ての魔女に赴いてもらって選んで欲しいってさ。
 魔女じゃないとわかんないでしょ。どの国が一番水害とか、台風が多いかとか。
 その国に多い災害に対応出来る魔女じゃないと」
「今までの情報はないんですか?」
「それがあるけど当てにならんのやて、柳生。
 一年前の北極星消滅から、世界の災害気候ががらっと変わったから、昔台風多かった国に今、台風が多いとは限らんのやて。
 多いらしいで。今まで大丈夫だった国が起こったことのない災害に襲われて被害に遭うて話」
「…ここ一年で、死人が結構出たのはその所為か」
「ここ一年は魔女は千歳さんだけだったから、おまけに元老が手放さなかったし。
 炎だけじゃどうにも。
 だから、赴いてしっかり調べて欲しい、それから決めて欲しいってさ。
 ウィッチも少ないから、どの国がどの災害に多く遭うかがまだわからないんだ」
「了解。ほな、明日からでも―――――――――――――」
 二組に分かれて視察行こか、と言いかけた忍足の声が途中で途切れた。
 まとめられた資料をテーブルに投げ捨てた音だ。
 誰かもわかれば、このタイミングで彼が異論を唱えることなど全員わかっている。顔色を変えず、来たか、と長身を見上げた。
「『行かない』『勝手に決める』は却下やで千歳。
 お前、思い知ったやろが。
 五大魔女の独占は悪にしかならん」
 忍足がコンマ一秒で却下した。
「…なら、行って決めればよかろ」
「『俺達が』? ざけんな。お前も来なわからん」
「炎の魔女は一ヶ月日蝕〈ダークムーン〉の時におればよかろ」
「それがざけてる言うんや。
 …ええか? お前、何年フレイムウィッチやっとんねん。
 なった時、お前が東方国家〈ベール〉に棲んだ理由。蔵ノ介が東方国家〈ベール〉の王子になると決めた理由。
 …同じやろ」
「…その時は、冬、一番極寒になって大地が凍り付く国が東方国家〈ベール〉だったから」
 ぼそ、と付け足した日吉に財前も頷く。
「フレイムウィッチは最極寒の国を寒さから守る役目を担っとんねん。
 一番地面の底に熱がない国がどこか、俺らやわからんちゅーてんねん。
 …駄々こねんなや」
「……、」
 無言でにらみ返す千歳に、よく圧迫されないものだと越前、財前、日吉は内心忍足に感心する。
 大きな巨躯。千歳の巨きく力強い肉体を前にして、身構えない、臆さない人間はいない。
 大きな身体に想像する。この目の前の巨躯に暴力を奮われたら。
 千歳の巨躯は目にするだけで想像の中では暴力だ。それを今まで表沙汰にしないで済んでいたのは、千歳が気付く程に警戒せず済んでいたのは、ひとえに千歳の長閑な性格だった。マイペースで、おかしいほど怒りの沸点が高い千歳の人柄は、その警戒を、『想像』で終わらせる説得力があった。同じ、いやそれ以上の巨躯である千里に、身構えることがない。それは千里が千歳以上に長閑なマイペースで、また大人であったために理性をきちんと優先する人間だったからだ。まして彼には今、最愛がいる。彼がキレる程すれているとはもう誰も思わない。最愛が戻る以前に、そもそもその最愛以外、彼が疲れ切っていたなんて気付かなかったが。
 だが、今の千歳は違う。
 怒りと独占心を隠さない、むき出しの刀のような精神に睨まれれば『想像』だけで収まらないのではないかと余計臆する。そのうえ彼は五大魔女だ。五大魔女相手なら、魔法が飛び出したっておかしくない。
 その上で忍足は強気な姿勢を崩さない。今にも胸ぐらを掴み上げる勢いで千歳に向き合っている。
「…例えで話すか?」
「…、なんの話ばい」
「そもそも、…蔵ノ介が越前に抱かれたんはなんのためや?」
 酷薄に笑ってさえ見せた忍足の台詞に、一瞬部屋の温度が上がった気がした。
 錯覚ではない。多分、僅かに千歳が発生させた熱が部屋に広がった所為だ。それでも、きっとまだ無意識のうち。
「…東方国家〈ベール〉が危なかったから」
「越前の言う通り。自分の国が盾になってなかったらあいつはお前を裏切らんかった。
 で、今のあいつの『盾』にされる国は二つや。
 東方国家〈ベール〉と南方国家〈パール〉。
 あいつは両方の王族や。今は」
「……なにが言いたか」
「ほな東方国家〈ベール〉が危険になったんは?
 …蔵ノ介が五大魔女を二人世界から奪った形になったから。
 このまま、お前が駄々こねたら今度は南方国家〈パール〉と東方国家〈ベール〉二国が危険になる。安泰になった蔵ノ介の命もまた狙われる。
 …下手して、またあいつが他の誰かに身体預けるような話になってから撤回は利かんのや。
 言い換えれば、千歳。お前が蔵ノ介に『一緒に生きよう』なんて言わず、我慢しとれば蔵ノ介は今でもお前以外に抱かれた跡なんかなかったって話」
 忍足の口から最後の一文が出た一瞬、部屋を覆った熱に一瞬胸が当てられて全員がすぐ何度も呼吸を繰り返した。噴火火山の出口に立ったような、肺がすぐ焼けるような熱の空気だった。
 忍足だけ、冷気で防御したのか表情すら変えずに向き合ったままだ。
「お前が蔵ノ介がおれば息出来るように、蔵ノ介はそう出来てへんねん。
 あいつは元々、自分を信頼した人間を守らな生きられん、無視して笑えんヤツや。
 理解しろなんて言わん。嫉妬すんななんて誰が言うか。
 けどな、お前の独占欲であいつが一番傷つくんやってことだけ理解しとけや!」
「…あの人、南方国家〈パール〉妃ですからね。
 南方国家〈パール〉に棲めても会えないですよ。王妃が男の元に通うんなんか無理です。
 どこに棲んだって会えないんですから、覚悟決めてくださいよ」
 言外に我が儘言うな、と叱りつけた日吉の声に忍足がお、という顔を一瞬する。
 日吉の声は不機嫌に怒っていた。これは熱に一度やられたのが不愉快だったのか、あるいは本気で魔女の役目を放棄したような千歳に怒っているのか、あるいは。
「…なんでそんなに不安そうにします?
 無敵の味方がいるんじゃないんですか?」
 日吉の言葉に続いて、越前が「千里」と口にする。
「あいつは、もう…」
「…前のような頭のキレも、捨て身の策も出来ん。
 やから焦ってんのか?」
「……どうとってもよか」
 呟くように言った千歳が、扉に向かう。
 無駄と知りつつ呼んだ忍足の声は矢張り無駄で、すぐ部屋から見えなくなった。
「……そもそも、他人当てにすることじゃないでしょ」
 日吉がぼやいた。
 一見難攻不落の要塞に見えた千里を、今は頼みに出来ない理由もわかる。
 千里の傍に、南方国家〈パール〉弟王が今はいるから。
 彼にはもう、掴まれたら動けなくなる最愛がいる。今までのように、捨て身では動けない。例え己の対、最愛の対のためであっても。千里にとって、最愛以上のものはない。
 千里が最愛を一度失ったからこそ出来た今までの恐れ知らずな策も、そこに至るまでに踏み外した結果害したものの大きさも知る。それにかける彼の思いのすさまじさを知る。
 だからこそ、今の千里を頼みに出来ないと理解する。
「…お前、実は普通に蔵ノ介を心配してん?」
「…一応。俺、大会であの人見て、強い、くらいは思ったんで。
 …その強い、怖いモノなしに見えた大坂の部長をあんな……」
 日吉はそれ以上を言わなかったが、彼は多分思いだしたのだろう。
 挙式の日、千歳に強引に連れて行かれても反論一つせず、諦観した顔をするしかなかった白石を。
 怖いモノ無しに見えた、コートの中の彼とは、あまりに違うと。
 忍足が頭を撫でると、珍しくうざがられなかった。





 部屋に戻ってきた千歳に気付いて、顔を上げた白石が持っていた本を取り落とした。
 立っている自分の元に近寄ってくる巨躯が隠さない傾いた気持ちも倦厭を際だたせた表情も、臆して一歩下がりかけるには充分だった。
 その前に左の二の腕を強く掴まれて、引き寄せられる。
「……ちとせ?」
 念のため問いかけた声は恐ろしい程掠れた。
 痛いほど掴まれた左腕。普段、ゆるくさえ見える顔立ちの千歳が、一度相手を睨んだだけで強くなる眦の鋭さ。大きな身体。全てに心臓が萎縮する。
「……蔵」
 昔なら、少なくとも付き合ってからも北極星と戦うまでは対等であれた。
 臆さず、臆しても隠して反論も、注意も出来た。理不尽な態度なら殴ることも辞さなかった。それに反撃されたって覚悟は出来た。
 今は、違う。
 どこまで弱くなったんだ。自分は。
 対等な言葉すら話せない。見据えられただけで怯える。殴ることなんて身が竦んで無理だ。すぐ襲う反撃がきっと容赦ないと、こっちの言い訳もなにも聞かないと理解したから怯える。
 彼の反撃のカードに、『自分を捨てる』というカードがあるんじゃないかと疑った時点で、自分に反撃のカードはなくなったのだ。
「……四大国家に、分かれて棲むように、て言われた」
「……あ、ああ。
 ……それは、しゃあないやろ」
 越前から聞いていたので、理解も流石に早かった。そう返す。
「…蔵も、そうすべき、て思っとう?」
「…それは」
「南方国家〈パール〉と東方国家〈ベール〉が大事やから?」
「……千歳?」
「蔵の一番が、俺じゃなかばってん、国だから?」
「……千歳?」
 繰り返した声は、我ながら必死に疑った声だった。
 なにを言っているんだろう。
 俺はこんなにも、お前しか見えなくて、お前に捨てられる、酷いことが為されるとそれだけ怯えている。お前に言ったじゃないか。越前に悪いって思った傍から、それが面倒になるんだと。お前が全てだから、他はどうでもいいんだって。だから、罪悪すら面倒なんだって。形振りなんか構ってないって。
「……俺は、お前が好きや……で?
 お前しかいらんのや。…お前が大事なんや。
 ……それを、疑わないでくれ」
「俺がほんに大事な人間は前言撤回したりせん」
「……ち」
「俺と一緒に生きるて言った。その後、復讐王に嫁いだり、抱かれたりせん」
「…ちとせ…っ…?」
「…前から思っとった。やっぱりそうばい」
 なにがと聞けない。見上げる顔が怖い。掴まれた左腕が痛い。
 どう足掻いても自分はテニス選手で、ラケットを握る利き手を握られているのは本能が臆する。
「お前を抱きしめているために、…一番邪魔で、一番いらんのは」
 掴まれた左腕を強く引っ張られて、なにか発する暇なく唇を塞がれる。

「お前自身の意志と感情」

 合間に落とされた言葉に、頬を涙が伝った。
 心臓が、痛い。
 要らない、と言った。
 自分の意志も、感情も。
 要らないと彼が言った。
「……蔵」
 唇を離して呼んだ千歳の視界、見上げる顔が悲痛に泣いて歪んでいる。
 身を切るようにお前を選んだ意志も、お前が好きだと言った詞も、思いも、心も。
 要らないと言った。
「……まえ」
「…蔵?」

「お前なんか余所に行ってまえっ…!」

 その詞は、嘘ではなかった。少なくともその瞬間は。
 すぐ嘘になっただろう。だって自分は彼が大好きで、彼無しで生きられないから、すぐ嘘だと撤回して謝って泣いただろう。それを、いつもの彼なら少し睨んだだけでわかっていると抱きしめて許しただろう。
 でもその時、世界を覆ったのは千歳の手から発した炎。
 一瞬、なにが起こったかわからなかった。
 自分の身体を、三十センチだけ隙間を四方に残しただけの間隔で業火が覆っている。

 千歳の炎?

 他にあるわけがない。だって今は第二十代はいない。フレイムウィッチは千歳しかいない。
 視界を覆う灼熱の壁。一歩歩いたら焼かれる絶壁。
 声もなく全身が震えて、凍り付いたように動けない。
 気を抜いたら、少しでも動いてしまったら死ぬと警戒した本能が休ませてくれない。
「……ちとせ…っ?」
 呼ぶ声に言葉は返らない。
「…千歳。なにこれ…。…消してや。…なにこれっ…」
 怖い。

 まさか、は嘘じゃないのか。

 あの一言が殺意のスイッチを押したのかと疑心が膨れあがる。
 だって彼は「千歳千里」だ。千里のように「白石」を殺さないわけがない。
 このまま自分を殺すつもりだって疑いが、嘘だと肯定する確証なんてないんだ。
 手が、足が、身体が動かない。

 …だって、彼は言った。





 俺が、要らない、って。






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