真昼に星は見えるか?
−歪んだ北極星U


 
第三章−
【炎の魔女の烙印−冬の章−】



  −業火・暴走編−


 
  第三話−【キミを濁らせる業火 後編】








 炎を消すと、白石はまず炎に焼かれた服の裾を見遣った。その後、千歳を見上げた顔は怯えていた。
 それを怜悧な瞳で見下ろして、千歳は利き手の人差し指で顎を押し上げた。
「…………」
 声もない白石に、小さく嗤って目を細める。そうすると彼には冷たく見える筈だ。
「…蔵は、イヤばい?」
 案の定、言葉を発せなくなった白石は問われて、すぐ意味を理解できなかった。
「……?」
「……俺と、離れるん」
 手首を空いた手で掴んで、身体をそのまま背後の壁に押さえつけた。
 怯えるだけで異論すら言えない顔を、下から掴みぐいと上向かせ、反った首筋を舐める。
「…イヤって言わんね」
「……な、にを」
「…俺と」
 離れること、そう伝える。白石は頷きたい筈だ。けれど、声すらなく怯えるだけで。
「…なんか言わんね」
「………、……」
「蔵」
 強く呼ばれた名に、白石は思わず目をぎゅっと閉じて顔を背けてしまった。
 千歳は気付かないのだ。
 あの業火に包まれることが、身体の周囲全てが業火に覆われている様がどれほど恐ろしいか。五大魔女なら、対抗する力がある。怯える必要もない。けれど自分はただの上級ウィッチだ。とても五大魔女になんか及ばない。あの業火がもし自分を焼いても、抵抗なんて意味をなさない。
 それが、千歳の意志であること。それが一番怖かった。
 千歳が、自分に炎を向けた。
 それに怯えて、声もなにも浮かばない。
 なんで、わかってくれないのだと悲しくなる。
 下手に戦闘反射をたたき込まれた身体は、怯えに特に聡くて。
「…そう」
 低く吐かれた嘆息に、背筋が凍る。
「…ち」
 辛うじて呼べた名前の最初。けれど言い終わらず、その前に千歳に両手をひとまとめに掴まれ、床に引き倒される。
「……」
 声なんか出ない。怖い。
 いつか、酷い顔を向けるんじゃないかと、怯えていたから。
 人一倍独占欲の強い千歳が、自分が彼以外に抱かれたあの日以降なにかを違えたことを一番よく知っている。
「…蔵、一瞬ばい。我慢しとくとよ」
「……とせ?」
 うつぶせの姿勢で腕を片手で押さえ込まれて、なにがなんだかわからない。
 ただ、恐怖だけがある。
 千歳の空いた利き手が、自分の首から背中を撫でて、背中の中央でぴたりと止まる。
 背に、服越しに感じる、大きな手の平の感触。
「蔵、おとなしくしとーと」
 瞬間、背中を覆ったのは一瞬の強烈な熱と、徐々に続く熱さと、激痛。
「…っぁ…ぁあ…っ!?」
「蔵、我慢」
「…ぁ…っあ……や…いたぁっ…あつっ…!」
 背中に当てられた手に炎が灯っている。それが自分の背の皮膚を容赦なく焼いていると理解しても、堪えられる筈がない。気が飛びそうな激痛と、酷い熱が皮膚を覆って、押さえつけられた身体が痙攣のように震えて収まらない。
「…ぁ…っ…は…うあ…っ」
 翡翠の瞳から止まらない涙が幾重にも伝うのを、優しげに千歳が舐め取って唇を塞ぐ。
 宥めるようによしよしと髪を撫でる手は優しいのに。
 熱い手が首筋を辿って撫でる。そこにも痛みが走ったが、既に強いショックに麻痺した感覚ではもがくことも出来ない。
 炎が手から消える。そのころには痛みとショックに意識を飛ばした白石の背中を、なにもないただの手で撫でる。
 真っ白な、染み一つなかった背中は焼けただれて、広範囲の火傷が広がっていた。
 首筋にも続くその痕を撫でて、小さく笑うとその身体を抱き上げた。



 寝台に寝かせた身体を、入ってきた謙也が茫然と見遣った。
「…お前、…なに、して…」
「…なに、て予防注射?」
「…白石を傷付けたんやでお前!?」
 詰る謙也を、千歳は鼻で笑った。
「炎の結界ばい。俺以外が触れたら、そいつは白石の身体に馴染ませた炎が焼く。
 復讐王でも、…他のヤツでも、もう触れられなか。
 …これで大丈夫」
「……ろ」
 掠れた声が、響く。
 頬を伝う、涙が誰のためかわからない。謙也自身。
「…違うやろっ…。白石、傷付けて…なんになるん…っ!
 そんなん暴力や! ただの私欲の暴力やないんか!」
「…謙也に、なにがわかっと?」
「わからんわ! なんもわからん! けどこれだけは言える。
 お前は間違った! 今、間違ったんや!
 お前、昔の、弟王殺した千里そのものや!!」
 刹那、謙也に向かって放たれた業火を、割って入った闇が受け止めて防いだ。
「よく言った謙也くん。あんたが正しいわ」
「…光」
 謙也を背に庇って立った財前が、闇と炎越しに千歳を見上げた。
「あんたが怒ったんは、『千里』呼ばわりされたことやないで。
 …それが正しいからや!」
「…っお前らにわからなか。謙也にわかっとね?
 光がお前以外を抱くような様に会ったこつもなか癖に!」
「……え」
 謙也がそこで初めて戸惑うように零した。
「…謙也、光な…」
「言うな」
「…一度帰る前、…俺と白石に告白したばい。俺達を、好きやった…て」
 瞬間膨れあがった闇が炎を押し上げたが、その場所には既に千歳はいない。
 涙を零して眠る、白石の姿が寝台に残されたまま、彼はいなかった。
「……」
「謙也くん?」
「……いや」
 振り返った財前に、なんでもないふりをした。
 わからない。
 俺は、なにが痛い?
 白石が? 千歳が?

 光が?





 千歳の凶状はすぐ五大魔女全員と王の知るところになった。
 千歳以外が触れれば火に浸食される結界。大きく焼けただれた背中の火傷の痕。
 痛みのショックのまま、意識の戻らない白石。
 傷を癒そうにも、千歳の結界が邪魔だ。
「…水で冷やすくらい出来んの…」
 処置を任された千里の傍で、蔵ノ介が寝台に横たわった己の対の、焼けただれた背中を見遣って言った。
「…無理ばい。水だけ垂らすなら出来る、ばってんそれじゃ風邪引くだけばい。
 水の魔法か、氷で冷やした布か…どっちみち、触れたらアウトやけん、出来なか」
「………」
「蔵?」
 黙りこくったら、心配そうに見下ろされた。
 頬に触れる大きな温かい手。どこまでも心配そうな顔。
 それは、彼が一度自分を失ったから。自分を害したことを悔やむから。
 今度こそ間違えないように、失いたくないと、ただ必死に優しい声と手。
「……あれは、…昔のお前や」
「……、うん」
 千里は否定しなかった。ただ、穏やかに肯定した。
 自分の対が見たもの。あれは、自分が見たモノと同じだ。
 あの日、自分が見た彼と同じ。
 何故、という疑心。悲鳴のような悲しみ。死のように途切れた絆。
 たぐり寄せ、再び繋ぐのに何年かかる。
 自分の胸にすがりついた蔵ノ介を抱きしめて、千里は背中を撫でる。そこに火傷はないけれど。
「……はよ、同じ目に遭えばええんに」
「…蔵」
「はよ、お前と同じように俺を一回失って…、思い知ればええんに。
 ……間違ったて、一番アカンことしたて、踏み外したて…傷付けたんやって…絶望するくらいに知ればええ」
「………………」
 千里は最初、なにも言わなかった。だが抱きしめる手を強くして、そうたいねと同意した。
「…はよ、誰か思い知らせて…」
 服にしがみついて、零す彼の声は震えていた。
 同意して、本心からそう思って、けれどそれが痛いのは自分の我が儘。
 自分の言い訳。
 今の彼が、昔の己に重なるから、痛いだけだ。
 蔵ノ介を殺した自分。それが正しいと信じた。それで彼に愛されると信じた。
 …そんなわけないじゃないか。例えあの時に蘇ったって彼は自分に恐怖した。
 己を殺した自分を疑った。愛情を思い出せば、愛情があれば全て許せるなんて逆だ。
 愛情があった方が、手に負えない結果になるんだ。
 そんなことを、あれは知らない。
 だから、思い知ればいい。彼をもっと傷付ける前に。

 彼に、心から嫌われてしまう前に―――――――――――――。





「なんでこない馬鹿やった!」
 忍足が第一声の口火を切った時点で、復讐王と他の五大魔女は傍観者に徹することにした。
 自分たちは最後まで白石の味方が出来ない。復讐王は出来るが、力が足りない。
「…なに、て」
「…結界とか、…ふざけんのも大概にせえや…?
 …お前、馬鹿にしてんのか……あいつの気持ち、馬鹿にしてんのか…!」
 忍足の声は途中から震えた。怒り、あと悲しみだ。
「……ばってん、いらんて思ったばい」
「……は?」
「…あいつを傍に置くのに、…愛するために、一番いらん」
「…なにが」
「…あいつの意志と気持ち」
 一歩で傍に近寄った忍足の手が千歳の胸ぐらを掴んだ。
「……ホンマに…大概にせえや?
 要らない…? お前なに言うてんねん!
 あいつの言葉が、…気持ちがいらんのか…?
 ……傍おるだけでええ人形かあいつは!?
 …どこが千里やない。お前立派にそうやろが! もっと悪い。あいつは気持ちが欲しかったから殺した。お前、それ以下や!」
 反論するように千歳の手が忍足の掴む手を振り払う。既に臆する場所にいない忍足は手を押さえず、睨み付けるだけだ。
「…もうええ。お前、…いなくなれ」
「は?」
「…こっからいなくなれ。蔵ノ介にお前は要らん。要らないんはお前の方や」
「…誰がそげん話し聞くと」
「…勝負」
 指を向けて、忍足が不遜に見上げた顔は矢張り、怒りが滲んだ。
「…俺と戦って、負けたら去れ。南方国家〈パール〉から一番遠い北方国家〈ジール〉に棲め。…俺が勝ったら俺が南方国家〈パール〉に棲む」
「……俺が勝った条件は?」
「それは、」
 忍足が言いかけた矢先、越前が初めて割り込んだ。
「千歳さんが勝ったら、白石さんは傍に置いてていいよ」
「…越前」
「あんたが勝ったら、王妃だろうがあんたと同じ国、同じ館に連れてっていい。
 …イヤ?」
「…それはよか」
 笑った千歳とは逆に、忍足がええんかと潜めて彼に聞いた。
「…俺が勝てる見込みなんか実際ないんやで? あいつは、先代の力もあるし…」
「でも、正しいのは忍足さんの方でしょ」
 断言されて、少し気持ちが楽になる。ありがとと言った。越前は微かに笑っただけだった。





 炎で破れた服の裾を破り捨てて、忍足はそれで焼けた左腕を縛る。
 足を軸に集めた吹雪も、千歳に通用しそうにない。
(…やっぱり、力量が違いすぎるわ)
「もう、終わりばい?」
「ほざくなや」
 強気に挑発しかえしたが、勝率が正直ない。
 こちらに真っ直ぐ伸ばされた千歳の指が、一瞬ぶれて見えた。すぐ業火がそこから走った所為だと知る。咄嗟に発動させた氷の壁は、どんどん溶けていく。
「……っ」
 次の一撃に全てをこめても、正直。そう思った瞬間、胸元が振動した。こんな時になんだ。跡部だ。あれから音が鳴ると心臓に悪いのでバイブにした携帯が鳴っている。
 後にしてくれと思う。一度途切れた振動が、すぐまた震えた。流石に手に取ったそこには「メール受信」の文字。送信者、跡部景吾。文面は「いいから繋げ」。
 何故かわからない。普通、無視する。なのに、そうすべきだと思ってしまった。
 再びかかった着信に、通話ボタンを押す。跡部の声が「千歳に向けろ」と言った。
「…っ」
 咄嗟に従って、ディスプレイを千歳の方向に向けた瞬間、ディスプレイから飛び出した自分の倍の質と量の凄まじい吹雪が千歳の放っていた業火をうち消した。
「…………………」
 忍足も茫然としてしまう。今、携帯から出た魔法。あれは跡部の魔法だ。なんで。
「素知らぬふりして約束に勝ったふりしてろ。後で説明してやる」というメールが見えた。
 庭の柱にぶつかる形で吹雪に吹っ飛ばされた千歳が、ハッとした時には遅い。
 全身が柱に縛る形で凍り付いている。炎を生み出そうとしたが、まるで生じさせることが出来ない。
「自分の負けや千歳」
 茫然とした眼前に立った忍足を見て、すぐ違うと思った。
「…違か。あれ、お前の魔法じゃなか」
「俺や。俺以外のフリーズウィッチが、この世界に、今、おるん?
 第二十代再び? あり得へんわ。跡部がこっちにおるん?
 理論立てて説明出来るん?」
「……………」
「負けを認めろ。そして、―――――――――――――蔵ノ介の前から、消えろ」






→消えた漆黒王弟編一話へ