−歪んだ北極星U
第三章−【炎の魔女の烙印−冬の章−】
−消えた漆黒王弟編−
第一話−【破幻の時】
自主練習に残ると、いつも千歳は付き合った。 たまに打ち合うこともあった。 彼の打ったボールがコートを跳ねる。そのバウンド地点に走ってラケットで打つ。 次の返球がどこだと、知ろうとするように見た相手コート。 立っている千歳の手に、ラケットが握られていない。 「……千歳?」 見上げる、顔が笑っていた。酷く、酷薄に。 ふと見た自分の手が、燃えている。 なんで。何故。助けを求めるように千歳を見た。彼は笑うだけだ。 「…千歳」 気付くと間近にいた千歳が頬を包んで、自分を見下ろす。 瞬間、その手が業火に包まれた。自分の顔が焼かれていく感触。 「千歳…っ!?」 「…っ」 意識が浮上した瞬間、あれが夢でなかったと知った。 起きあがった途端、背中が酷く痛んで呻いて再び寝台に沈む。 鈍く、熱い痛みが背中をずっと覆っている。 「起きない方がええよ」 優しい声が傍で響く。白石がぼやけた視界でそちらをなんとか見上げて、呼ぶ。 「…弟王」 隣の寝台に腰掛けていた弟王は我がごとのように辛そうに微笑んで、寝てな?と言う。 「ごめんな。処置してやれんで…」 寝台にうつぶせに沈んだ身体は、未だ服が焼けて破れたまま、焼けた背中が晒されている。 「……千歳の、結界?」 仮定を呟くと、うんと頷かれた。 痛い。 頬を伝った涙に逆らわず、枕に顔を押しつけて泣いた。 背中が、痛い。それ以上に、心が痛い。 要らないと言った彼。その上、こんな。 「……妃殿下。…これから、…どないする」 弟王の言葉に、なにを言えというのか。 丸ごと、裏切られて、こんな。 「……なんで…」 「……」 「なんで千歳……俺、言うたのに…お前しかいらんて言うたのに…。 それがいらんて…俺がいらんて…なんで…なんで…っ! ……千歳…千歳……っ…………………」 手を突いてなんとか上体を起こしただけで痛む背中。処置すら許さないなら、死なせたいのか。殺したいのか。 「……千歳…っ」 『…だから、あれだな。世界がマジ繋がってるんだ。 そっちには行けねえが、空間は繋がってる。 木手にそっちの様子モニターしてもらって、魔法を撃った、てとこだな』 「……ホンマか、あり得へんけど、助かった」 千歳がこのこと知ってたら通用しなかったからな、と跡部。 『千歳は?』 「……逆らって無駄なんは知っとるらしいけど…心が納得しないで部屋で一人で頭抱えとる」 『いい気味だ』 「…跡部」 『ありゃ、千里でもあるけど手塚でもあるだろ。 木手が二十代に奪われた後の手塚だ。 …思い知らないと無駄だぜ』 そやな、と返した。けれど忍足自身、それが正しいかを知らない。 千歳から、このまま白石を奪うことは正しいのか。 それは、第二の千里を生みはしないか。 「……上手くなんかいかへん。俺達は、まだ…間違ったことがない」 「白石」 部屋に入って来た謙也に、一瞬視線を向けた白石はすぐ俯いた。 頬が涙に濡れている。それを隠すためだった。 謙也が一瞬、理解したように気遣って笑う。 「…千歳は?」 「あいつは…一人」 「…そう」 服、自分で着られるか、と謙也が服をいくつか傍に持ってくる。 「ああ、…そこに置いて…」 上体を起こしたままそう指さして、瞬間視界が揺らいだ。まだショックが身体から消えていない。身体が上手く動かない。軋むように痛い。 「白石っ!」 傾いだ身体を咄嗟に受け止めた謙也から、ハッとしてすぐ離れた。 けれど遅かった。 「…え、あ…っ」 白石が接触した部分が、炎に燃えている。 「謙也…っ!」 「…っあ…!」 弟王が一瞬視線を巡らせたのは、財前がいないかと探したからだ。 彼ならまだ沈静出来る。けれど、いない。 「謙也くん…っ」 思わずその燃えた手に手を伸ばした。 脳裏に言葉が過ぎったわけではなかった。 『初代フリーズウィッチに無効化の力があったから、子孫の弟王にも』 けれど、蔵ノ介が願って触れた瞬間、炎はあっという間に消えた。 「………」 「…謙也くん、…大丈夫…か?」 「…は、」 い、と謙也が辛うじて答えた。 手が薄く焼けているだけだ。範囲は広くない。 安堵して、治癒魔法をかける。 「今の、…無効化? 弟王が使えるらしいっていう」 「…らしい。使ったのは、初めて」 謙也の声に答えて、傷の癒えた手を撫でると離れた。 「弟王?」 白石にそのまま近寄った弟王に、いぶかしんだのは謙也だけではなく白石もだ。 「弟王…っ触れたら…」 「平気」 丁度、部屋に入ってきた瞬間だった千里が、気付いて顔色を変える。その弟王の手が白石に触れたのはそれと同時で、けれど炎は彼を焼かなかった。 なにも、起こらない。 「…蔵?」 「…無効化?」 おどけて答えた蔵ノ介に、千里が茫然とした後、ああ、とやっと納得する。 「…使えたとか」 「今、初めて。…でもこれで手当出来る」 焼けただれた背中をそっと撫でて、手に光を灯す。 それだけで痛みが少し和らいだとわかった。焼けた皮膚は全く癒されなかったが、結界を無効化するには至らなかったがそれでもマシにすることは出来た。 弟王の手で巻かれた包帯の上に、白石が謙也が持ってきた服を羽織る。 その顔はなにか、矢張り諦観していた。 着替えの間、三人は部屋から出てくれた。 千歳を、許す気が今はない。 背中を今も焼く痛みのように、燻った悲しみと怒りが矛先を彼に向けたまま、憎しみにすら変わりつつあった。 バルコニーの方で、見知った音がした。下駄の音。 その姿を見るのは、何度目だろう。東方国家〈ベール〉王子だった頃、何度も見た。 その度嬉しくて。けれど、 「…なに、千歳」 呼んだ自分の声は、恐ろしいほど冷え切っていた。 それに、一瞬怯んだ千歳を見上げて、小さく嗤った。 なんだ、こいつも一緒だ。 怯えていた、俺と一緒。 「…蔵……。俺、」 「……やから、なに」 言葉を失う千歳に、北方国家〈ジール〉に行くことになったんやろと早口に言う。 「…それが?」 「蔵?」 「…行ったら? 好きにせえ。 ……心がぐちゃぐちゃでようわからん。 けど、……悲しいと痛いと、怒りの間でお前に…向かうんや」 「………なに、…が」 見上げて答えた。本心だった。 「一杯の、憎悪」 凍ったような顔が、そこにあった。ざまあみろとすら思った。 「…憎みたないって思っても、それで一杯やねん。 ……俺、お前が…嫌いや。千歳」 ゆら、と傾いだ、バランスを失った巨躯が、それでも傍まで歩いてきて、伸ばした手は震えていた。 逃げなかった。頬に触れる指の感触を思い浮かべた。 けれど、触れた瞬間、触れた感触を感じる前に、銀色の光が世界を覆った。 そこには、もう白石はいなかった。 |