真昼に星は見えるか?
−歪んだ北極星U


 
第三章−
【炎の魔女の烙印−冬の章−】



  −消えた漆黒王弟編−


 
  第三話−【キミに届かず、愛の言葉 後編】





 出航を待つ船の揺れは、まだ微かだ。
 ぱちり、と蔵ノ介に付き合ってもらって将棋をしている忍足が、室内を一度見渡した。
 五大魔女の乗る船とあって、船員以外は誰もいない。だが基本、集まりたがるメンバーだ。日吉も財前も、謙也も弟王も同じ部屋にいる。
 弟王子息の方の謙也は城に残った。復讐王の手助けをするという。
 部屋にいないのは、柳生と千歳と、千里。
「柳生って年がら年中ってわけやないけど、基本群から外れるわな?」
「そうですね。ふらっといませんよね」
 種族のこと気にしてはるんやないですか、と日吉に続いて財前が言った。
「いや、そういうたまにも見えへん…」
「そういえば、忍足さんが柳生さんに会ったきっかけって?
 魔女になる前に会ってはったんですか?」
「本格的に友だち付き合いするようになったんは一回還ってまた来た後やけど、…その前も知ってはいたわ。
 ほら、第二十代ウィルウィッチ。柳生が話してええて言うから話すけど」
「こっちの仁王さん? それが?」
「柳生、生まれ変わる前の記憶があって、…そっちで二十代の仁王と親しかったって。
 ほら、聞かせてくれたやん。財前が。
 前の戦いの折り、二十代が西方国家〈ドール〉王宮を奇襲した時に」
「ああ、仁王さんをやっつけるのに向こうの柳生さんが精神に働きかけたってあれ…。
 あれ、本気で『柳生』さんに該当する仲の人が仁王にいたからってことですか…」
「らしい。まあ、今仁王がどこに転生しとるんかはしらんが」
 聞きませんよね、初代以外の話。と財前が締める。
「…千歳と千里がおらんのは、…あれか。対同士の話し合いか?」
「…いや、そうとも限らんけど…出たの一緒やないし」
 一緒にいる可能性は、低くないけど。





 探すでもなく船内を歩いていると、彼の姿は船の二階のテラスに見えた。
 気付かせるように下駄の音を立てて近づくと、彼が振り返った。どこか心のない目で千里を見た後、千歳は海面に視界を戻した。
「…瞳が死んどうよ。フレイムウィッチ」
「……………」
 しかたないだろうくらいの反論は待ったが、来なかった。
 千里は拍子抜けの反面、肩をすくめたくなってポケットに両手を突っ込む。
「…フレ」
「そう呼ばんでくれ」
「……なんね?」
「…『フレイムウィッチ』は、…いらん」
「……お前」
 千歳は嘆くように言った。余程事実なのだろう。もう一度振り返った彼は泣きそうだった。
「…蔵を傷付けて、それが許される勘違いをしたんも、…蔵と一緒におれんかった種も、…蔵が俺以外に抱かれるこつになったんも……全部」
「…『フレイムウィッチ』の肩書きにヤツ当たっとうなら間違っとうよ?」
「違う。…『フレイムウィッチ』の力を、存在を丸ごと勘違いしとった…馬鹿な自分が、…許せなか」
「…」
「もっと、上手く立ち回れていたら、…蔵を…何一つ裏切らず、裏切らせず済んだかもしれん…。『フレイムウィッチ』の力を結局もてあました俺が、」
 思えば、不思議だ。出会った頃、あれほど相容れなかったのに。
 彼が、自分に泣き言を漏らす日が来るなんて。
「…蔵に、憎まれて当たり前ばい。
 ……反論、一個も出来ん。言い訳もなか。申し訳なさ過ぎて、出来なか。
 …会って、…ばってんなんて謝ればよかね?
 …謝って、抱きしめて信じて取り戻せるなら何年だってなにも返らなくても続ける。
 …でも、今、そん保証なんかなか」
「…、『千歳』?」
「…それでも、馬鹿みたいにあいつが好きで、今すぐ抱きしめたくて、…好きって言いたくて、…言って欲しか」
 なに言っとったとやろ、と千歳が自分を笑って千里を見る。
 必死に笑おうとした、作り上げた笑みは崩れて泣き顔になった。
「…あいつの意志と気持ちがいらんなんて嘘…なんで本気で思えとったとやろ…俺。
 …一番、今欲しかものやのに…っ」
「……お前、…」
 掠れて呼んだ、千里の手が彼の腕を掴む。
「…お前、…気付いとう…?
 …妃殿下が、どこおるか俺達が知っとうこつ…!」
 千歳は今度はしっかり笑った。肯定だった。
「お前達が、…忍足が…蔵の行方わからんまま、魔女の役目優先するわけなかよ」
「……そう、……か」
 一応、カモフラージュに捜索は行っている。千歳だけのためではない。城の人間や、民への方針だ。
 けれど、それに騙される男でもなかった。
「……俺、お前を知った時のこつ、今でも覚えとう」
「え」
「…初めて知ったんは、蔵の心を見た木手の口から。
 …こっちの蔵の幼馴染みてこつは嬉しい気もしたばってん、木手の話し方がどう考えてもよい間柄じゃなかったけん、胸がざわざわしとった。
 …そんで、理由はわからんばってん、『お前』が『蔵』を殺した犯人って知って」
 顔を上げた千里が、つい手を放して視線を合わせたまま黙った。
 千歳はわかったように笑んだままで、それはいつだって悲しい色だ。
「…あり得なかって。…俺がどこだって蔵を殺す筈なかて…。
 ソレは俺じゃなかって…眠ったままの蔵に心の中で必死に叫んどった。
 …東方国家〈ベール〉脱出の時、お前を見て心底厭だったばい。
 俺の顔が、蔵をいらんて言っとう。…殺したかった」
「…フレイムウィッチ」
「お前がこっちの蔵を愛した結果って知っても許せんかった。
 …ずっと、俺を見えん蔵を抱きしめて繰り返した。『千里』にだけはならなかって………俺は、そうなったりしない。絶対。……お前を、誰より一番『悪者』扱いしとったばい」
「…そう言われても、実際反論出来なかよ? 俺が今ここにおれるんは、多くは復讐王のおかげばい」
「…ばってん、お前はその後、ちゃんと前向いとった」
 千歳の手が、テラスの手すりに乗せられる。表情が前を向いてわからない。
「同じ顔の俺達を、見て静かに笑って、何度も助けてくれた。
 …俺はそれに安心して甘えた。…信じてすらいた。
 お前が役に立たなくなったって、弟王が戻った時焦った。
 …お前が、………誰にも気付かれん場所でぼろぼろに疲れ切って休みたがってたこつを、…全然気付いとらんかった。
 …当たり前にわかったことなんに」
 声が笑う。自分を笑っている。
「…お前は俺で、…『千歳千里』で…、…なら『白石蔵ノ介』を失って真っ直ぐ前向いて、疲れない筈がない。泣きたくない筈がない。ぼろぼろで休みたくてしょんなかってこつに、…俺が一番わからなかった。…………お前は、蔵を失ったのが自分の所為やから、前を向くしか許されてなかったて…わかっとらんかった。
 ……休めなかったんばい。…気付かんかった。
 ……今、馬鹿みたいに思い知っとうよ」
「…それこそしょんなかろ。お前は俺より…生きてなか。
 俺が踏み外したんも、蔵が俺を忘れたんも…今のお前より歳を食った時のこつばい。
 …それでも俺は踏み外した。…平気でおれんかった。
 …なにも違わなか。…お前は、俺のようにならんでよかよ」
 本当に、彼を失わなくていい。
「……ごめん」
「お前」
「…千里、…蔵は、生きとうね?」
 それだけわかればいいと、彼は言う。
 居場所も聞きたくて仕方ない癖に、痛いほど平気なふり。
「…生きとう」
 一言答えて、甲板を戻る。千歳は見送っただけで追わなかった。
「…漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉は、お前の世界におる。
 第五十代の、フリーズウィッチの家に保護されとうって」
 去り際千里はそう落として、思わず振り返った千歳に指を立てて笑った。ナイショだ、と。
 今度こそ背中を向けて去っていく姿。足下で下駄が鳴る。
「…ありがとう。千里」
 見えなくなっただけで、彼に届いたか知らない。
 でも、彼は今白石を『漆黒王弟〈ダーク・プリンス〉』と前の名で呼んだ。
 『妃殿下』や『南方国家〈パール〉妃』という呼び方は避けた。
 それが、有り難かった。
 海に視線を戻す。
 繋がっていない空。繋がっていない海。彼の元には。彼の世界には。
「…蔵ノ介」

 忘れないと誓った。
 傷付けた後悔も、身勝手な嫉妬も、それによって途切れた絆も、なかったことにはしない。例え途切れたまま、その手を再び掴むことがなくても、忘れない。
 愛しているから、それも愛したことだから忘れない。嘘にしない。俺自身が嘘にしたら本当に全て終わってしまう。
 だから、手放さない。


「……愛してる」




 キミが二度と、この言葉に微笑まなくても。






「あー! あれや! 間に合った!」
「え、ええんか? 許可…」
「ええから掴まれ!」
「「え?」」
 小柄な少年にいきなり首根っこを掴まれた二人組は、当惑する間もなく陸から飛び上がった少年と一緒に船の甲板に落下するように着地した。
「……び、びっくりした」
「金太郎さん、殺す気か」
 二人に睨まれて、金太郎は気にせず笑う。
「ええから、ここにおるんやろ! 白石と、千歳と、財前と、謙也!」
「…そらそうやけど」
 ぼそりと頷いた一氏ユウジは、ふと下方からする声に耳を寄せる。
「そこ退いとけ!」
「…え?」
「ユウくん、小石川、なんて?」
「…いや、そこ退けとかなんとか」
 未だ座り込んだまま小春を振り返ったユウジの頭上から降った影の片方が、遠慮なくユウジを踏みつけて着地した。
「やから、退け言うたんに」
 小春が、あ、小石川と遅く言う。
「遅いわ!」
「そこ、喧嘩すんな。許可ないから騒いどると船員に…」
 煙草を口から放した顧問が、そう言って頭をかいた。眼前には武器を構えた船員複数。
「…ほら」
「て、暢気に言うとこ?」
 軽く冷や汗をかいたユウジがやっと立ち上がったところで、船員の背後から「ちょっと待つばい!」と声がした。
「あ、…」
「…お前ら、なんで…」
 金太郎が千歳!と叫んで抱きつく。
 当惑顔の千歳は、全員の顔を見て溜息。あんまりなリアクションに怒るには、今の千歳の様子が疲れていて、出来なかった。







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